有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

「突然何の話だよ?」
相変わらず話が見えない俺は、困惑しながら聞き返す。
「昨日、颯太がジャンケンで負けてジュース買いに行った時、手伝いに行った酒井と——自販機の前でお前らキスしてただろ!」
事実無根すぎる伊織の言葉に、俺は思わず腹の底から「はぁー?!」と叫んだ。
「してねぇよ! そんなこと、絶対!」
身に覚えがなさすぎる上、キモすぎる誤解だ。
「嘘つき! 僕はこの目でちゃんと見たぞ!」
「ジュース買いに行った時、理貴ちゃんに頭突きで熱を測ろうとはされたけど、キスなんてしてねぇよ!」
俺は当時のことを超特急で思い出し、もしかして? と思い当たったことを言い返す。
「……颯太と幼なじみかつ親友でもある酒井との間に、ぽっと出の僕が割り込む隙間なんてないと分かってる」
「は?」
「でもな、そう簡単にあきらめられるかよ! こちとら初恋なんだぞ!」
「へ?」
初恋って誰の? 文脈的には伊織の、てことになるけど……そしたらそれって、その相手って——!?
「僕は颯太のことが好きなのに、颯太は酒井が好きで、酒井も颯太が好きで……颯太が僕の恋人にならないって事実が悲しくて悔しいから、泣いてるんだ! バカ!」
伊織はまた一粒涙をこぼし、でもそれをぬぐわないまま、まっすぐに俺を見て言った。
「……今、何て言った?」
「僕は颯太が好き、と言った!」
「いやいやいや……」
人間が生身で空を飛ぶくらい、あり得ない話すぎて、俺は笑ってしまう。
「何言ってんだよ? お前が俺を好きって、おかしいだろ」
「は?」
伊織が眉をひそめる。
「だっておかしいじゃん。俺だぞ?」
伊織が俺を好き? そんなことあるわけがない。
凡人の俺が、性格以外ハイスペの伊織を好きになることはあっても、逆はない。
何故ならハイスペだって凡人より、ハイスペの方が好きなのが普通じゃん。
「そんなこと聞いてくる颯太の方がおかしい!」
「なら聞くけど、俺のどこが好きなわけ?」
こんな平凡な俺の、どこに惹かれたというんだ?
「……えっと、全部?」
「疑問系かよ」
「いつの間にか好きになってたんだから、『颯太のどこが好きなのか?』なんて、いちいち考えないし! 分かんない!」
分かんない、て。そんな答えじゃ、一時の気の迷いか、罰ゲーム告白にしか思えない。
「二学期始まってからずっと一緒にいたのに、『俺のどこが好きなわけ?』なんて聞いてくる、颯太のがおかしい! 何で僕が颯太を好きなことが変なのさ!?」
これって熱に浮かされて見てる夢じゃないよな? と、俺は自分の頬をつねる。——痛い。理解できないが、現実らしい。
「……話を順に整理させてくれ」
俺は右手で額を押さえ、左手を腰にあて、大きく息を吐く。
「まず伊織は、俺と理貴ちゃんがつきあってると思ってんの?」
額から右手をどけ、俺は伊織を見ながら尋ねる。
「思ってんのも何も、そうなんだろ! もうバレてるんだから、隠すなよ!」
「隠してません。俺と理貴ちゃんが恋人同士だったことは、生まれてから今まで一秒もない。俺と理貴ちゃんは、ずっと親友。疑うなら、今すぐ理貴ちゃんに電話して、確認してくれ」
「そこまで言うなら……自販機前のキスが頭突きというなら……僕の誤解だった、のか……?」
首をかしげつつも、伊織はおおよそ信じたらしく、顔から怒りを消した。
「てゆか伊織こそ、理貴ちゃんのことが好きなんじゃないの?」
「ハァ?!」
伊織は盛大に顔をしかめ、否定的な大声を出した。
「僕が好きなのは、さっきから言ってるけど、お前! 山本颯太! だから僕にとって酒井は、さっきまで颯太を挟んでのライバルだったの!」
「えー……嘘」
「嘘じゃない! 何で疑うんだよ!?」
「だって伊織って、俺にはワガママなのに、理貴ちゃんと話す時はかなりイイ子ちゃんじゃん」
「それはっ……」
伊織は言葉に詰まり、顔をそむける。
「……アイツの前で子供っぽい態度をとるのは、負けた気がするから」
「何だそれ。よく分からん理由だな……」
「とにかく!」
伊織が一歩、俺へ近づく。
「酒井とつきあっていないのが本当なら……友達も解任する。颯太、僕の恋人になれ」
恋人だなんていう刺激的な単語が登場し、俺は一瞬フリーズしたが、あり得ないことだから、すぐにフリーズは解けた。
「——さっきも言ったけど、何言ってんの?」
「颯太に、僕の恋人になれと言ってる」
「繰り返すけど、お前が俺を好きなんて、おかしい。変だって」
「あ゙?」
伊織はガラの悪い声を出し、目を細める。
「だって俺、自分のことは普通だと思ってるけど、イケメンのお前から見たら不細工じゃん。外見以外も、特にイイところないし」
自分で言ってて悲しくなっちゃうけど、純然たる事実。
「そんな俺なのに、伊織が俺を好きなんて、おかしい。理貴ちゃんじゃなくても、俺より見た目も中身もハイスペな奴、他にもいるのに……」
「変でおかしいのは颯太だろ」
伊織の顔と声に、再び怒りがにじむ。
あぁもう! バカじゃないのに、理解しない奴だなぁ。
「僕はハイスペな恋人が欲しいんじゃない。颯太のことが好きだから、颯太を恋人にしたいんだよ!」
「だから、それは変だって」
俺は左右に首をふる。
「一時の気の迷いじゃね? 目ぇかっぴらいて俺を見ろよ。マジでどうしようもないくらいの凡人だぞ?」
「クソッ、分からない奴だな!」
伊織は悔しそうに唇を引き結んだ後、ミニタンスの上へ視線を向けた。
「なら、颯太が好きな石で説明してやる。——先月、衣装に使う布を買いに行った時、パワーストーン屋に寄ったよな」
鉱石を使って何を言おうというのだろう? と思いながら、俺は「ああ」とうなずく。
「そこで颯太は、『オパールが一番好きだ』と言った」
「言ったな」
「それに対して僕は、『ダイヤモンドの方が値段高くて人気あるのに、ダイヤモンドじゃなくオパールの方が好きなんだ?』みたいな質問をした」
「したな。覚えてる」
「僕のこの質問に対し、颯太はこう答えた。『値段に高低があるのは需要の問題であって、好き嫌いとは別の話だろ』と」
伊織はここで一度言葉を切り、俺の右手首を掴んで言った。
「僕にとっては、颯太がオパールなんだよ」
「い、意味が分からない」
理由は分からないが何だか怖くて、俺は伊織の手を慌ててふり払う。
「最後まで聞け!」
伊織が涙の跡が残る顔で怒鳴った。
「ダイヤモンドの方が高いとか、人気があるとか、そんなことは好きって気持ちには関係ない。自分が一番心惹かれた宝石が、自分にとって一番の宝石なんだろ?」
「石は、人間とは違うし」
「違わない! 一緒のことだ!」
「全然違う!」
「違わない!——顔がどうとか、勉強がどうとか、運動神経がどうとか、そういうスペックとかいうので表せるとこを、僕は好きになったんじゃない」
カーテンを開けてある窓からは、綺麗な茜色の光が長く差しこみ、綺麗な男を照らしている。
スモーキークォーツにエメラルドをひとかけら混ぜ込んだような、魅力的な色合いの瞳で、美しい男は俺をにらんだ。
「僕が惹かれて好きになったのが颯太だから、颯太が一番いいって言ってんの」
俺は無意識に目の前の美麗な存在に手を伸ばし——かけたところで、すぐさま下ろした。
……違う、そんなことあり得ない。仮にあったとしても、それは一時の気の迷いだ。ここで安易に話にのれば、後で傷つくのは俺だぞ。
誰だって魅力的な人に惹かれる。それは魅力的な人自身もそうだから、魅力的な人同士でくっつくのが世の理。
例外がないわけじゃないが、平凡オブ平凡の俺は、その例外をくつがえせるほど特別な『何か』を持たない。
「……最初に見たものを親と思う鳥の雛みたいに、俺が伊織の世話係だったから?」
「もぉぉぉー! ちーがーうー!」
崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ伊織は、子供みたいに大きく首をふる。
「颯太は『自分は価値のない人間だ』、みたいなことを言って否定してくるけど、それは颯太を好きになった僕に対して、失礼だと思わないのか!?」
「そんなこと言われても……」
「颯太は、僕視点での颯太の価値が分かってない!」
「俺の価値……百円くらい?」
冗談半分だったのだが、伊織は唖然とした顔で俺を見上げて固まり、数秒の沈黙後。
「……バァァァカ!!」
スーパーで絶叫している幼児並みの大声で、罵倒してきた。
「颯太のバーカ! アーホ! もういい!」
素早く立ち上がった伊織の顔は、怒りで真っ赤だった。そして同時に、目には涙がこぼれそうなほどたまっていた。
伊織は目にたまった涙を腕で乱暴にぬぐうと、俺の部屋のドアを開け、玄関へ向かって早足で歩き出した。
「待てよ!」
「颯太なんてもう知らんけん!」
先を行く、伊織の怒鳴り声が震えている。
「おい、方言出てるけど大丈夫か!?」
明後日な心配をしながら、俺は伊織を追いかける。
「伊織、待てって!」
「待たない!」
途中、すべって遅れをとった俺が玄関まで追いついた時、伊織はもう靴をはき終えていた。
「早く体調治せよ。——じゃあね」
伊織は俺へふり返ることなく言い、玄関扉を開けて外へ出る。
「おい伊織! 待てよ!」
呼び止める俺の声と、玄関扉がガチャンと閉まる音がハモった。
俺は自分のスニーカーをつっかけ、玄関扉のノブを掴んだけれど、それ以上先へは進めなかった。