有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

寝たり起きたりを繰り返していると、あっという間に夕方になった。
俺はできるだけ伊織のことを考えないように、ベッドに寝そべりスマホで動画を見ていたのだが——
「はァ!?」
突如スマホの上部に通知されたのは、【これからお見舞いに行くから】という、伊織からのDMで。
ぼんやりしていた俺の脳が、一気にテンパる。
「ちょ、待って待って待って!」
俺は慌てて動画を消してベッドから起き上がり、寝癖のついた髪を手ぐしで整えた。
伊織が今から俺ん家に来るってマジ!? 何分後に来るの? 今俺、ヨレヨレのTシャツとハーフパンツという格好なんだけど、大丈夫? 大丈夫じゃねぇな! でも今日俺は体調不良で休んでるわけだから、オシャレするのも違うし。あーもー、来るなら午前中に連絡くれよ!

*

俺はヨレヨレじゃないTシャツとハーフパンツに着替え、顔を洗ってから部屋の中を急いで片付けていると、ほどなくしてインターフォンが来客を告げた。
綺麗ではないが、汚くはなくなった自分の部屋を出て階段を下り、俺は一度深呼吸をしてから玄関扉を開けた。
「お見舞いに来てやったぞ」
コンビニ袋を両手に持った伊織が、仏頂面で立っていた。
わざわざお見舞いに来てくれたということは、昨日の怒りはほぼ収まった、と解釈していいのかな?
「おう、サンキュな」
伊織の機嫌が直ったのはいいことだけど――俺は今朝、伊織のことを好きだと気がついちゃったんだよね。しかも伊織は理貴ちゃんと両片思いだと知ってるから、即失恋して今っていう。
本当に心の準備がまったくできていない中、失恋相手の訪問を受けてしまっているわけだから、上手くいつも通りの顔ができているか、今俺はめっちゃヒヤヒヤしている。
「これ、やる」
仏頂面から少しばつの悪そうな表情になった伊織が、両手に持っていたコンビニ袋を、上がりかまちへドサッと置いた。
「見舞いの品だ」
「豪勢だな」
大きなコンビニ袋は二つとも、ぱんぱんに膨らんでいた。
「どれがいいのか分からなかったから、目についた身体によさそうな物、全部買ってきた」
伊織が若干モジモジしながら、斜め上を見上げて言う。
袋の中をのぞくと、スポーツドリンクに野菜ジュース、ゼリーとプリンとヨーグルト、レトルトのおかゆにインスタント味噌汁——などが入っていた。
「ワォ、金持ちかよ。それにこれ買って持って来るの、重かっただろ。ありがとな!」
急な来訪すぎてテンパってはいるが、好きな相手が俺のことを心配してお見舞いに来てくれたことが、嬉しくないわけない。
「僕が買って持って来たかったから、そうしただけだし。身体の具合はどうだ?」
「薬飲んで寝たらかなり回復したから、明日は学校行けると思う」
だけど叶わぬ恋だから、距離を取って、少しずつ過去の恋にしていくつもりだったのに……伊織の方からこんな風に来られると、困るだろうが。
「そうか。よかった」
伊織が安心したように微笑む。
や、やめろ! そんな顔するな! 「俺のこと好きなんじゃ?」なんて勘違いはしないけど、俺の胸がときめいてしまうだろうが!
「親二人とも仕事でいないし、とりあえず上がれよ。散らかってるけど」
平静を装いながら俺が言えば、「うん。お邪魔します」と伊織は靴を脱ぎ、家の中へ入ってきた。
俺と伊織で一つずつお見舞いの袋を持ち、俺は自室へ伊織を招いた。
「ふーん。ここが颯太の部屋か」
「伊織のDMきてから慌てて片付けたから、綺麗じゃなくてごめんな」
俺の部屋は左側に漫画の詰まった本棚があり、その横に机。右側にベッド。
入口の壁際にあるミニタンスの上には、趣味で集めている鉱石を飾っている。
「僕の部屋もこんなもんだ。気にしないから、気にするな」
「好きなとこ座って。俺、飲み物持ってくる」
「僕が買ってきた袋の中の、飲めばいいだろ」
「あ、そっか」
俺はスポドリのペットボトルを持ってベッドへ、伊織は麦茶のペットボトルを取り、勉強机の椅子に座った。
「そういやさ、俺の家の場所、お前に教えてたっけ?」
「カオリンから聞いた」
「ああ、なるほど。東雲か」
昨日までは何も考えずに話せていたのに、今は伊織の顔を見ただけで好きという気持ちがあふれてきて、ソワソワしそうになるのを必死で隠す。
「今日、学校どうだった?」
「文化祭の片付けをした」
「それは分かってるって。俺、学級委員なのに休んじゃったから、明日何か言われそうだよなぁ」
「いちゃもんつけてくる奴なんてほっとけ。体調不良者は、来られた方が迷惑なわけだし」
「そりゃそうだけどさ」
スポドリを飲みながら、伊織から今日学校であった出来事を聞いていると、少しずつソワソワが落ち着き、昨日までのように話せるようになってきた。
このまま伊織が帰るまで、何事もなくやり過ごせますように……!

*

「トイレ行きたいんだけど」
伊織が俺の部屋へ入ってから、二十分くらいたったころ、片思い相手が言った。
「廊下出て、すぐ右のドアがトイレ」
「分かった」
伊織が部屋から出て、完全にドアを閉めたのを確認してから、俺は大きく息を吐いた。
上辺では昨日までのように話せても、やっぱ緊張する。
伊織がお見舞いに来てくれて、もう怒ってなくて、普通に話せて嬉しい。だけど同時に、切なくて悲しい。何故なら伊織が恋する瞳を向けるのは、理貴ちゃんだから。
「……あーぁ」
思わず声が出てしまったところで、伊織が戻ってきて部屋のドアを開けたので、俺は急いで顔と心を引きしめる。
「颯太、これって」
部屋へ入り、ドアをしめた伊織が動きを止め、ミニタンスの上をじっと見る。
「そこは俺のコレクションコーナー」
俺はベッドから立ち上がり、ミニタンスの前まで行く。
「安物ばっかだけど、綺麗だろ」
ミニタンス上の鉱石コーナーだけは、俺の部屋の中で唯一常に掃除され、整理整頓されている。
先月買った金色の台座に乗った小ぶりの水晶玉、こぶしサイズのアメジストの原石、母親に貸してもらっているオパールの指輪、年上の従姉妹からもらったラピスラズリ——他、俺が小遣いやお年玉で、少しずつ買い集めてきた石たちが並んでいる。
そして石たちの間に、何故か写真立てが一つ。
「この写真は、中学ん時の」
写真立ての中には、中学に入学したての俺と理貴ちゃんが、肩を組んで笑っている写真が入っている。
この写真立てと写真は、母さんが勝手にここへ置いたものであり、俺が自主的に飾ったものではない。
でも撤去したいものでもないので、三年前からここに石たちと一緒にいる。
「……颯太は」
黙って石を見ていた伊織が、おもむろに口を開いた。
「石と酒井のことが、好きすぎるだろ」
「は?——まぁ理貴ちゃんは親友だからな。でも何か変な誤解されそうだから、そういう言い方すんなよ」
「どこが誤解だよ。いつも酒井のことばっかり見てて、昨日だって……」
伊織の一人言のようなボソボソ声は、徐々に大きくなり——
「僕がどんな気持ちで見てたかも知らずに、二人で楽しそうにして!」
痛みを我慢しているかのような苦しげな声で、伊織が言った。
「な、何の話?」
昨日俺は、伊織をハブるようなことはしてないはず、だけど?
「……僕だって、僕だって——に……!」
伊織はうつ向き、震え気味のかすれ声でしゃべるので、上手く聞き取れない。
「え、何て?」
また意味不明なかんしゃくか? と、俺が伊織の顔を覗き込んだ瞬間、彼の右頬を一筋の涙が伝った。
突然の涙に俺はギョッとしたが、会話を続ける。
「急に泣き出してどうした? どっか痛いのか?」
「……泣いてない」
「目から出る水分は、涙っていうんだぞ」
「泣いてない!」
顔を上げた伊織の左目から、大粒の涙が落ちる。
「颯太なんて、もう僕の世話係解任なんだからな!」
伊織が両手を握りしめ、駄々っ子みたいに言う。
「それは昨日も聞いて知ってるけど、今はそれ関係ないだろ」
「うるさいなぁ、もう!」
「目にゴミでも入った?」
俺はベッド脇に置いてあったティッシュ箱を取りに行き、伊織へ差し出す。
「あ、世話係卒業ってことは、ただの友達になったってことだよな! 今後ともよろしく!」
片思いを過去にするため、伊織から距離を取らなきゃいけないのに、俺は何を言っているんだ……。と虚無りそうになったが、今は他に適当な会話が思いつかず、俺は明るく笑っておどけて言った。
「どうして泣いてるか知らないけど、使えよ」
俺はティッシュを箱から雑に数枚引き抜き、伊織へ手渡す。
受け取った伊織は、それで乱暴に涙と鼻水をぬぐった。
「クソッ、僕の気持ちも知らずにイチャつきやがって!」
使用済みのティッシュを丸めた伊織は、近くにあったゴミ箱へ叩きつけるように放り込んだ。