有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

文化祭の翌日、俺は何故か熱を出した。
朝、目を覚ますと身体がダルくて、寒気がした。
そんなワケねーだろと思ったが、念のため体温計を脇の下に挟んでみれば、三十八度。
「風邪か、もしくは文化祭が終わってほっとして、疲れが一気に出たのかしらね?」
体温計を見た母さんが、心配そうに眉を下げる。
「今日は文化祭の後片付けだけで、授業はないんでしょ? だったら休みなさい。学校には連絡しておくから」
父さんも「無理するな、休め」と言い、共働きの両親は俺を一人家に残し、出勤していった。
「薬飲む前に、何か食べた方がいいよな……」
あまり食欲がないので、俺は深さのある丸鉢へシリアルと牛乳を入れ、スプーンを手に取る。
「……解任って何だよ」
いただきます、じゃなく、文句が出た。
朝起きて体調不良を感じるより早く、俺は昨日のことを思い出し、もう気にしなくていいはずの伊織のことを考え続けている。
伊織の世話係は文化祭終了まで、という約束なんだから、わざわざ解任宣言なんてするな、不快だから。——いや、違うな。不快とは違う。何だろう、この感情?
感情の正体が分からないまま食事を終え、俺は歯をみがきながら、『熱出たから今日休む』と理貴ちゃんへDMを送る。
……片付けサボっちゃったなぁ。明日学校へ行ったら、渡辺あたりに「学級委員なのにサボりやがって」と、嫌味を言われるかもしれない。
でも本当に熱があるし、文化祭のために散々働いたんだから、見逃してくれ。
そんなことより——伊織にもDMした方がいいんだろうか?
担任に言われて、毎朝迎えに行ってたわけだけど……。
いや! わざわざ連絡する必要はないな! だって「今日限りで、颯太を僕の世話係から解任する」と、昨日本人から言われたんだもんな!
俺は使った食器を洗ってから風邪薬を飲み、二階にある自分の部屋へ戻ると、スマホを枕元へ置いてベッドにもぐり込む。
「はぁ……」
熱のせいか疲れのせいか知らないが、ため息が出た。
突然意味不明に解任宣言してきた伊織もヤバかったが、昨日は俺も言わなくていいことを言って、ヤバかった。
『俺じゃ全然ダメだな。イケメン同士が並ぶと、やっぱ絵になる』
『今二人で校内練り歩いたら、一メートルごとに逆ナンされそう。あーぁ、俺も一度くらい逆ナンされてぇなぁー』
『俺みたいなフツメンには、一生叶わぬ夢と分かってるけどさ。うらやましー』
「二人は両片思いなんだから、とっととくっつけばいいじゃん」と、遠回しに言うにしても、卑屈がすぎる。
あれじゃ、美形をひがむただの嫌な奴だ。
だから伊織も怒ったのかも? でもあんなキレ方ってある? 俺も卑屈すぎたかもだけど、伊織も怒りすぎだと思う。
「ううん、違う」
俺は寝返りをうち、つぶやく。
二人の仲をお膳立てするにしても、やはり俺のあの言い方はダメだ。
それに二人には、今後についての考えが各自であるだろうし、俺が気を回すのは超お節介かもしれない。反省しなきゃ。
ここまで考えた時、俺はあることに気がついた。
今日、俺は学校にいないけど、伊織は今誰と一緒にいるんだろう?
両片思いだと思われる理貴ちゃんが、面倒を見てくれているか?
いやでも、文化祭の準備を通してかなり伊織もクラスに馴染み、俺ら以外とも話すようになったし……というか、今日アイツちゃんと学校行ってるよな? 伊織も体調崩してたりしないよな?
「――て、なんで俺、こんなにも伊織のこと考えまくってんだ?」
俺は思わずベッドから上半身を起こし、デカい一人言を言った。
疲れてるし熱あるし、そのせいで思考が、ネガティブ方向へかたむいちゃってんのかな?
俺はまたベッドへ横になり、天井を見上げる。
仲良くしてたはずなのに、意味不明にキレられて解任宣言されて、裏切られた気がしてショックだったとしても、伊織のことを考えすぎだろ、俺。
これが親友の理貴ちゃん相手だったらなら、考えすぎてしまうのも分かる。
でも伊織は一ヶ月半ちょいの間、担任に頼まれたから面倒みてただけの、浅いつきあいの奴だぞ。
丁度任期満了日だったから、宣言されなくても昨日で、伊織の世話係は終わりだった。
なのに昨日からずっと、世話係解任宣言にショックを受け続けているという事実。
自分の感情だというのに、理解できていないことは他にもあって。
俺は、伊織と理貴ちゃんが両片思いなんじゃ? と気がついた時、軽く気分が悪くなるくらいのダメージを何故受けたんだ?
あ。理貴ちゃんが俺のために、「伊織の世話係を自分もやる」と言ってくれた時も、心がモヤったよな……。
——ちょっと待って、ちょっと待って俺!
嘘だろ……気づくな、気がつくな!
そんなわけないし! だって俺が? あの伊織を!?
「……好き?」
口に出した瞬間、心臓が大きくはねて、カッと顔が熱くなった。
「——っ!」
言葉にした途端、謎はすべて解け、俺は両手で顔をおおった。
俺は有栖川伊織に恋をしている。
だから俺は、伊織と両片思いの理貴ちゃんに嫉妬して、気分が悪くなった。
だから俺は、踊り場の鏡に映った伊織と東雲を見て、自分だけが釣りあってないことに傷ついた。
だから俺は、伊織に寝癖を直された時、あんなにドキドキした。
だから解任宣言は、伊織に俺を拒絶されたみたいに思えて、大ダメージを受けた。
「ばっかじゃねぇの……」
俺は枕に顔を埋める。
気がついてしまえば、ものすごく簡単な話だった。
俺は俺に散々迷惑をかけてきた、田舎者でワガママで面倒臭くて三文安坊っちゃんな伊織のことが、好きなのだ。
だってアイツって意外に素直で努力家だし、時々可愛いところもあるし、練習試合で俺のこと応援してくれたし、子供に優しいし、俺の悪口言う渡辺たちに正面切って言い返してくれたし、ついでに見た目もいいし。
でも伊織は理貴ちゃんのことが好きで、理貴ちゃんも伊織のことが好きなのだ。
「……」
相手が理貴ちゃんなら、いいじゃないか。
伊織はどこの馬の骨とも分からない奴じゃなく、俺が一番信頼している理貴ちゃんのことが、好きなんだから。
ちょっと悲しいけど、相手が理貴ちゃんなら、いさぎよく身を引ける。
二人ともイケメンだし、伊織が少々性格に難があるところを除けば、十分釣りあっている。宝石に例えるなら、エメラルドとルビーて感じで。
だから二人がお互いを好きになるのは、当然のことだ。
「おめでとー……」
俺は枕を顔に押し当てたまま、くぐもった声で言う。
ばーか、ばーか。俺の大馬鹿。
小六の時の失恋で、『凡人だけじゃなく、美形も美形が好き』と学んで、気をつけていたはずなんだけど。
俺は凡人なんだから、美形を好きになるだけ無駄。身の丈にあった、自分と同レベルの相手を好きになるべき。宝石(ハイスペ)たちは、河原の石(凡人)を選ばないんだから。
それなのに……愚かにも、同じ轍を踏んでしまった。
身体を反転させ、俺は天井を見上げる。
「はぁー……」
ものすごく長いため息がでた。
自分のうかつさを後悔しても、もう遅い。好きになっちゃったものは仕方ない。
小六の時もそうだったし、東雲も昼ズトークでアイドルにガチ恋してた質問者に、回答してたじゃないか。失恋なんて、時間がたてばどうにかなる。
今は張り裂けそうなほど胸が苦しくても、時間と共に薄れていく。
もう世話係じゃなくなったし、俺がいつも伊織の近くにいる必要はない。伊織から、徐々に距離を取ろう。
そしてお互いにただのクラスメイトになれば、この気持ちは過去になる。
「問題は、理貴ちゃんと伊織が、両片思いってことなんだよなぁ」
親友が好きな相手と両思いになるのを、祝福したくないわけじゃない。ただ俺が気まずくてしんどいから、困るという話。
「……吹っ切れるまで、結構時間かかるかも」
つぶやいた瞬間、目から水が出そうになった。
あー、誰か合コンにでも呼んでくれないかな。
新しい恋が始まれば、自動的に伊織は『過去に好きだった人』になるし。
俺はタオルケットを頭の上まで引き上げる。
胸の奥が重くて、身体もダルくて、まぶたを閉じると、眠気がゆっくりと押し寄せてきた。
「……ばーか」
伊織は今、誰の隣にいるんだろう。俺がいなくても平気かな。理貴ちゃんや東雲と一緒にいるのかな。
意識が闇に沈む直前まで、俺の脳みそは片思い相手のことを考え続けた。