有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

教室へ戻り、衣装から制服に着替えている最中に、東雲が「喉乾いた」と言い出した。
そこで誰がジュースを買いに行くかのジャンケンをし、見事負けてしまった俺は一人、昇降口にある自動販売機のところへ行った。
「俺はコーヒーで、東雲は紅茶。理貴ちゃんは水で、辻󠄀はお茶。そんで伊織はカルピスソーダ」
俺は硬貨を自動販売機に投入し、確認のための一人ごとを言いながらボタンを押す。
デカい音を立て、落ちてきた物を取り出し口から回収し——ここ静かだな、と俺は今更気がついた。
そろそろ午後三時の昇降口は、文化祭の盛り上がりが遠い世界に感じられるほど、静かだった。
その静けさは、『理貴ちゃんと伊織って両片思いなのでは?』と気がついた時の、ざらついた気持ちを俺に思い出させた。
「――チッ」
肌触りの悪い感情に、俺は思わず舌打ちをしてしまう。
「颯ちゃん!」
飲み物を抱えてうつ向いた俺の耳に、理貴ちゃんの声が飛び込んできた。
ふり返ると、教室にいるはずの理貴ちゃんがこちらへと歩いてきならがら、「一人じゃ大変かなと思って、手伝いにきた」と言った。
「五人分のジュースくらい、一人で持てるって。でもありがと。二本持ってもらえる?」
俺が水とお茶のペットボトルを渡すと、受け取った理貴ちゃんが「颯ちゃん、疲れてるか?」と、聞いてきた。
「え、元気だけど? 何で?」
「劇終わってから、覇気がないというか、元気がない顔してるから気になって」
「俺そんな顔してる? 全然自覚ないんだけど。本番を無事に終えられて、ほっとしすぎてるのかも?」
伊織と理貴ちゃんが互いに好意を持っているのではないか? という疑惑が、頭の中から消えないまま、俺はへらっと笑って答えた。
見当違いな邪推かもしれないし、当たっていたとしても俺には関係無——いや、少しくらいは関係あるか。
本当に二人が両片思いなら、俺がキューピッド役をやるのが、親友ってもんだよな。
そう思うのに——砂を噛むような、このざらざらした苦い気持ちは何なんだ?
「それ本当か? 無理してないか?」
「やだなー、大丈夫だって言ってんじゃーん!」
俺はまた笑顔を作り、理貴ちゃんの肩に自分の肩を軽くぶつける。
「疲れたな、と思ったら言えよ」
理貴ちゃんはまだ納得していない様子ではあったけど、それ以上は追及してこなかった。
俺の親友は、相手がこれ以上話したくないようだと察したら、昔から無理に聞き出そうとはしてこない、気遣いができる奴。
理貴ちゃんはパッと見や数字で表すことができる、分かりやすい部分だけじゃなく、こういうところもハイスペなんだよな。そりゃ伊織も好きになるってもんよ。
「買ったのがぬるくなる前に戻ろう」
俺が教室へ戻ろうと踏み出そうとしたら、「ストップ」と理貴ちゃんが言った。
「ん?」
動きを止めた俺の頬に、理貴ちゃんはそっと手を添え——俺の目の前に火花が飛んだ!
「な、何すんだよ!?」
何故かいきなり理貴ちゃんが、俺の額へ自分の額をぶつけてきたから、大声も出るってもんだ。
「何って——有栖川?」
理由を言おうとした理貴ちゃんが、俺の後ろへ視線を向けた。
「伊織?」
俺が身体をひねって後ろを見れば、伊織が少し離れた場所から、俺たちをにらみつけて立っていた。
まるで親の仇でも見つけたみたいな、ものすごい目つきだった。
「お前も手伝いに来てくれたのか?」
俺が尋ねるも、伊織は答えない。
ただ俺たちをにらんだまま、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「何だ?」
理貴ちゃんが伊織を見つめたまま首をかしげ——俺は気がついた。
伊織は理貴ちゃんのことが好きだから、理貴ちゃんが俺と二人でいるのが嫌なんだ。
うーん……この状況、久しぶりだな。
『ハイスペ酒井理貴也に、金魚のフンのようにつきまとう凡人の山本颯太を排除したい』と、嫉妬されている状況。
俺が養殖コミュ強になるきっかけを作った奴も、よくこんな目を俺に向けてきてたな。
クラスに馴染めるように世話焼いてやったのに、伊織も俺を邪魔者扱いするのか……。
まぁ理貴ちゃんは魅力的だし、伊織は理貴ちゃんに恋してんだもんね、仕方ないか。仕方ないけど、ちょっと心がキツいなぁ。
伊織は俺の横を通りすぎ、理貴ちゃんの隣に怒った顔のまま並ぶ。酒井の隣は僕! ってか?
俺は落胆を隠し、いつものように「何怒ってんの?」と、普通に対応するつもりだった。
なのに俺の口から出たのは、自分でも何故言ったのか分からない、卑屈な言葉だった。
「こうして見ると、俺じゃ全然ダメだな。イケメン同士が並ぶと、やっぱ絵になる」
理貴ちゃんが「は?」と、目をぱちくりさせる。
「二人で校内練り歩いたら、一メートルごとに逆ナンされそう。あーぁ、俺も一度くらい逆ナンされてぇなぁー」
やめろよ何言ってんだよ! と思うのに、急にわいた劣等感が、俺を饒舌にする。
「俺みたいなフツメンには、一生叶わぬ夢と分かってるけどさ。うらやましー」
「何言ってんだ、颯太。バカなの?」
伊織は一瞬戸惑った様子を見せたが、すっと表情を消し、冷たい声で言った。
次に伊織は「酒井」と理貴ちゃんを呼んだが、すぐに「いや、何でもない」と言い、目を伏せた。
「伊織、何だよそれ」
ハハッと笑って俺が茶化すと、伊織は伏せた目を上げたのだが、その目は俺を射殺しそうなほどするどく——
「今日限りで、颯太を僕の世話係から解任する」
「……ハ?」
裏返ったマヌケな声が出た。
突然何を言いだしてんだ、コイツは。
そもそも俺が伊織の世話係をしているのは、担任から「文化祭まで」という条件で、頼まれたから。
だからお前直々に解任してもらわなくても、文化祭(今日)が終わった時点で、俺は自動的にお役御免なんだわ!
こう脳内でツッコミを入れたんだけど、突然の解任宣言は上手くしゃべれなくなるくらい、何故か俺の心に深く突き刺さった。
「——伊織……急に、何言って」
「もう僕には颯太の世話なんて必要ないってこと! だから今日で終わり!」
伊織は眉をつり上げて怒鳴ると、教室じゃない方向へ走りだした。
「待てよ! お前のカルピスソーダ持ってけ!」
慌てて言ったが伊織はふり返らず、あっという間に廊下の角を曲がり、俺の視界から消えた。
「……どういうことだ?」
呆然とした様子で、理貴ちゃんが言った。
「俺もマジで意味分からん」
俺も呆気にとられながら返事をし——これまた意味不明な、虚無感というか脱力感というか的感情に襲われていた。
「まあ、有栖川から世話係解任してくれるなら、颯ちゃんの負担が減るからいい、のか?」
「……うん」
「少しは協調性を覚えたかと思ったんだが……病は治るが癖は治らず、という奴なのかなぁ?」
「……うん」
理貴ちゃんがしゃべる言葉を、俺は上手く脳内で処理できず、適当に返事をする。
虚無と脱力が、俺の心を凄まじい速さで食い尽くし、現在俺の脳内も心の中も真っ白だ。
「山っちー! リッキー!」
遠くから東雲が俺たちを呼ぶ声が聞こえてきて、ようやく脳が現実を再読み込みすると同時に、虚無っていた心が思い出したように痛んだ。
俺、世話係解任されたことに、何でこんなにもショックを受けてんの?
あのクソ面倒臭い三文安坊っちゃんの世話をしなくてよくなるんだから、万々歳なはずなのに……意味が分からない。
「二人ともいたー!」
東雲が手をふりながら走ってきて、その後ろには辻󠄀もいた。
「屋台回りたいよね! という話になって、来ちゃった!」
東雲が無邪気に微笑み、俺の手から紅茶缶をうばう。
「有栖川殿は我らより一足先に教室を出たのに、姿が見えないのでござる」
「……どっか行った」
キョロキョロと辺りを見渡す辻󠄀の疑問に俺が答えると、東雲が首をかしげた。
「どゆこと?」
「さっきまでここにいたんだけどな。颯ちゃんを解任すると言って、どこかへ行った」
「解任、でござるか?」
東雲と辻󠄀が顔を見あわせる。
「伊織が意味不明に怒って、俺、世話係を解任されちゃった」
俺がおどけて説明すると、東雲は考えこむような素振りを見せたが、「ま、イオリンとはそのうち再会できるっしょ」と言った。
「有栖川殿は王様気質でござるからな。気がおさまったら、連絡をしてくると思うでござる」
「オレもそう思う。おっし! 飲み物持って、屋台巡るか!」
俺は理貴ちゃんに肩を組まれ、屋台が並ぶ方向へ連れて行かれる。
「あ、生徒会が後夜祭の準備をしているでござる」
数歩も歩かないうちに、廊下の窓から中庭を見た辻󠄀が言った。
「五時からだっけ?」
中庭中央にはステージが組まれ、スピーカーやスタンドマイクなどの機材が生徒会役員たちによって運ばれ、設置されていっている。
「二時間もあれば、ワガママ王子様の機嫌も直るだろ」
理貴ちゃんの言葉に、俺は「だよな」とうなずいたんだけど——五時になって後夜祭が始まっても、伊織は戻ってこなかったし、連絡も寄越さなかった。
行きあったクラスメイトや知りあいに伊織のことを尋ねるも、「見てない」「知らない」と言われるばかり。
「キレて家に帰ったのかも? でも絶対颯ちゃんのせいじゃないから、気にするな。オレが保証する」
中庭の舞台で行われている出し物に、あちこちから笑い声や歓声が上がる中、隣に立つ俺へ理貴ちゃんが笑顔で言う。
「今日の伊織のキレポイント、いつも以上にワケ分からなかったな」
俺も笑いながら返事をしたけど——今伊織はどこにいるんだろう? と、常に考えてしまっている。
ひそかに中庭に来ているのか、それともどこか別の場所から、一人で後夜祭を眺めているのか。
お前のカルピスソーダのペットボトル、早く受け取りにきて欲しいんだけど。
「そういえば、理貴ちゃん」
「ん?」
「伊織が意味不明にキレる前、俺に頭突きしてきたじゃん。あれ、何で?」
「あぁ、あれか。あの時ちょっと颯ちゃんの顔が赤く見えたから、熱があるんじゃないかと思って」
「熱測ろうとしたってこと!?」
「そう。少しばかり勢いがよすぎたな。スマン」
「もー! 理貴ちゃんて、たまに変なところで不器用だよなぁ」
文化祭が終わってしまうことを惜しむように、俺たちを含むたくさんの生徒がステージを囲み、思い思いに騒いでいる。
俺もステージ上で演奏するコピーバンドと一緒に歌ったり、辻の変な踊りを見て笑ったり、東雲と今日の劇の反省点を話したり——何をしていても、頭の片隅で伊織のことを考えしまう。
舞台上で披露されるブレイクダンスを見ながら、俺は無意識に心臓の上あたりで拳を握る。
「山っち、もしかして体調悪い?」
ちょうどトイレから戻ってきた東雲が、心配してきた。
「ううん。めっちゃ元気!」
俺は作り笑顔でピースする。
もうすぐ文化祭が終わる。そしたら、伊織がどこで何をしていようが、俺にはもう関係ないんだから気にするな。
こう自分に言い聞かせたが、俺の目と心は後夜祭が終わった後もずっと、伊織の姿を探し続けていた。