有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

俺と伊織、二人きりでの練習を始めてから、一週間後。
「今日は出会いのシーンと、クライマックスのシーン、どっちの練習するの?」
「昨日出会いのシーンやったから、クライマックスでいいだろ」
「了解」
すっかりセリフを覚えた伊織は台本を開くことなく、王子様のセリフを言う。
「『アノ忘レラレナイ夜——舞踏会デ僕ト踊ッタ女性は、あなただったのですね』」
練習前に比べるとかなり良くなったけど、やはり演技入り始めは棒読みになるな。
「『はい』」
俺はこの二人きりの自主練で、王子様が出てくる場面のシンデレラのセリフを、完璧に覚えてしまった。俺の役は魔法使いなんだけど、まぁいいか。
「『ズットズット、あなたのことを探していました。初めてあなたに会った時から、僕は一瞬たりともあなたのことを忘れたことはありません!』」
うん、ハキハキしゃべれてて良し。
「『私も……私も王子様と過ごした時間を、一秒だって忘れたことはありません!』」
俺がシンデレラのセリフを言うと、伊織は何を思ったか急にひざまずき、俺を見上げて言った。
「好きです。どうか僕とつきあって下さい」
台本に書かれているのは、『つきあって下さい』ではなく『結婚して下さい』なのだが――本当に告白されているような気分になった俺は、数秒間言葉を失った。
「——サプライズで動きつけたせいで、肝心のセリフ間違ってんぞ」
あ! と目を見開く伊織の頭を、俺は丸めた台本で軽く叩く。
「でも今の演技かなりよかったぞ。もうちょっとオーバーめの方がいいと思うけど、俺が女子だったらときめいてたかも? ってくらい、王子の気持ちが伝わってくるいい演技だった」
俺はかなり伊織の演技を褒めたつもりだった。なのに。
「ば、ばーか!!」
伊織はふわっと頬を赤くし、素早く立ち上がると大声で俺を罵倒し、階段を二段飛ばしで駆け下りると、一番下でしゃがみこんだ。
「役に入り込みすぎて、我に返って恥ずかしくなったのか? 気持ちは分かるけど、恥ずかしがらなくていいし」
俺は踊り場に立ったまま、一階に行ってしまった伊織に声をかける。
「戻ってこい、続きやるぞ」
少し待ったが伊織がまったく動かないので、俺は仕方なく階段を下り、しゃがんで膝を抱える伊織の肩を叩いた。
「さっきの演技よかったというの、マジ俺の本心だから」
「……よくない」
「え?」
「全然よくないっ!」
伊織は怒鳴り、勢いよく立ち上がる。
その時一瞬だけ俺を見たが、伊織はすぐさま俺から顔をそむけた。羞恥心から、顔どころか、耳も首も真っ赤っ赤だ。
本番じゃ、観客の前でプロポーズを披露することになるのに……恥ずかしがってキレられるのは困る。
「こ、こんなの……こんなの全然ダメだ!」
伊織は俺を見ないまま、震える声で言う。
「ダメじゃないって。よかったって言ってるじゃん」
「よくない!」
くるりと俺に背中を向けた伊織が、裏返った声で否定する。
「いいって。だから怒るなよ、伊織」
「——こ、これからは僕一人で練習する! だから颯太は向こう行ってて!」
「は?」
「『は?』じゃなくて、向こう行って!」
「伊織、本当に急にどうした?」
「どうもしてない!——今日は体調悪いから、もう帰るっ」
急展開について行けなくて、戸惑う俺をチラともふり返らず、伊織がダッシュで逃げる。
「俺と一緒じゃなくてもいいから、劇の練習はしろよ!」
今追いかけても話を聞いてもらえなさそう、と判断した俺は、どんどん離れていく伊織の後ろ姿に言葉を投げた。
「……何なんだよ。マジ意味不明すぎるんですけど!」
一人ひと気のない校舎の端に残された俺は、伊織のむちゃくちゃさに、右手で髪をかきむしる。
ちゃんと本番までに王子役をモノにしてくれたら、別に俺と一緒に自主練しなくたっていい。
でもさぁ、急に三文安ワガママ坊っちゃんスイッチ入れるの、マジやめてくんない!? それにふり回される世話係のメンタルのことも、少しは考えて下さい!
……でも心配だから、台本書き終えて暇な辻󠄀に頼んで、伊織の自主練の様子をレポってもらおうかな……。

*

翌日から伊織は本当に、俺ではなく辻󠄀(!)に声をかけ、王子役の練習をするようになった。
「王子様は練習熱心で偉いでござる」
「大根って言われるとムカつくからな。行くぞ」
今日の放課後も、台本を持った伊織は辻󠄀を連れ、教室を出て行く。
「最初はどうなることかと絶望しかけたけど、有栖川頑張ってんな。意外に努力家で、びっくりだ」
この光景を見ていた監督の佐和田が、感心した様子で言う。
「そうだな。俺は突然謎にキレられて、練習相手をクビになったけど」
昨日、役者全員集まって通し稽古をしたが、初読みあわせ時の大根役者っぷりを懐かしめるくらい、伊織は上手に王子を演じられるようになっていた。
「でも、劇の稽古以外では仲良しなんだろ?」
「仲良しじゃねーし——いや、仲良しか? よく分からん」
そういえば俺はいまだに担任に言われた通り、律儀に毎朝伊織のマンションまで奴を迎えに行って一緒に登校しているが、「もう来るな」と言われたことはないな、と気がつく。
「仲良しでしょ、イオリンと山っち。ただ、劇の自主練相手は、山っち以外がいいってだけで」
俺の隣でグミを食べていた東雲が言う。
「何で練習相手をクビにされたのか、本気で分からん」
ちなみにクビになった翌日、俺は一応「本当に今日から俺と練習しないのか?」と伊織に聞いたのだが、すげなく「しない」と一蹴されてしまった。
「褒めたのに逆ギレされるって、マジでどういうこと?」
「山っち相手だと、感情入りすぎちゃって、それが恥ずかしくて嫌なんじゃない?」
「伊織は、真剣にやってるのを恥ずかしく思う、冷笑系ってこと?」
「それとは違うかなー」
東雲が可愛らしく頬に人差し指をあて、意味ありげにじっと俺を見てくる。
「ワケ分からん。――文化祭までに、伊織が顔以外もイケてる王子様になってくれたら、もう何でもいいや」
本心じゃ俺は、あの時の伊織の唐突なかんしゃくに納得してないから、本当は何でもよくないんだけど。
けど、放課後の世話係はしばらくは辻󠄀が担当してくれるようだから、伊織から解放されてラッキー! ということにしておく。