布を買いに行った翌週の月曜日に台本が完成し、水曜日の放課後から、劇の稽古が始まることになった。
教室は大道具組と小道具組が使っているため、役者組は劇の稽古用にと担任が借りてくれた技術室へ、ぞろぞろ向かう。
「今までは大道具や小道具の助っ人してたけど、自分たちごとな台本もらうと、本格的に文化祭の準備始まったなって感じがしない?」
東雲が丸めた台本で肩を叩きながら、俺の左隣で言う。
「分かる。俺の役の魔法使いは一場面しか出ないけど、すげー分かる」
「王子様も、一緒に頑張ろーね!」
東雲は小走りで数歩前に出てふり返り、俺の右隣を歩く伊織に微笑みかける。
「うん。頑張ろー」
伊織は楽勝といった感じで、伸びをしてあくびをした。
俺が伊織を王子役に推薦した時、伊織は結構あっさり引き受けてくれたし、過去に王子役をやったことがあると言っていたし、性格に難はあるが勉強も運動もそれなりにできる奴だし。
だから俺は、伊織の演技力について特に心配していなかった。
しかし——監督である佐和田の指示で、技術室に集まった役者たちが輪になり、台本の読みあわせが始まり——真実が残酷にめくれた。
「『コンバンハ、美シイ方。僕ト踊ッテイタダケマセンカ?』」
静かだからかろうじて聞こえる程度の音量かつ、いにしえのロボットみたいなカタコトしゃべりで、伊織が王子のセリフを読み上げる。
「……なぁ有栖川。今日が初めての稽古だし、恥ずかしのは分かる。だけど、少しでいいから感情込めてセリフ読めない?」
「は? 声が小さいとか感情込めろとか、さっきから注文多いぞ。もう三回も同じセリフ読まされてて、嫌なんだけど」
先ほどまでのボソボソ声の棒読みはどこへやら、伊織は感情を込めてハキハキと佐和田へ文句を言う。
佐和田は困った様子で「うーん」と首をかき、責任を問う目で俺を見た。
「伊織って昔、王子役をやったことがあると言ってたけど、その時もこんな感じでセリフ言ってたのか?」
推薦者である俺は慌てて、しかし伊織の機嫌を損ねないよう、ソフトな口調を心がけて尋ねた。
「小学校中学年くらいの時のことだから、あまり覚えてないけど……たぶんそうだったと思う」
うわー最悪だー! そんなところでも甘やかされて、昭和のロボットみたいなしゃべりの小声王子で許されてたんかい! この大根役者めぇぇ!
「山本」
佐和田が静かな声で俺を呼ぶ。
「はい」
「お前は魔法使いなんだから、有栖川に魔法をかけて、ちゃんとした王子様にしてくれるよな?」
圧を隠さない笑顔での命令に、俺は「ウッス……」と、目を泳がせながらうなずいた。
*
「明日からは台本の順番に沿って、場面ごとに稽古していくから。自分が出ない場面の日は、自主練してて。あ、分からないことあったら、何でも聞いてくれな」
王子役が超ヤバイという問題が発覚したが、一通り読みあわせが終わったので、初日の稽古は終了となった。
「だる……」
俺の隣の椅子に座っていた伊織が、言葉通りダルそうに立ち上がろうとしたが、俺は制服を引っぱって引き止める。
「何だよ、颯太?」
「これからさっそくここで、俺と自主練やるぞ」
「今日の稽古は終わりって佐和田が言ったし、自主練も明日からでいいだろ」
「シンデレラもつきあうからさ、一緒に練習しよ?」
伊織を挟んで一つ隣に座っていた東雲が、伊織の腕を掴む。
東雲、伊織の芝居特訓につきあってくれるの!? ありがとー! めっちゃ助かるー!
「えぇ、何で?」
当事者の癖に練習の必要性を感じていない伊織が、不可解そうに眉を寄せる。
「伊織の演技が酷すぎるからです。俺はお前を推薦した責任者として、本番までにお前を立派な王子様にしなきゃならんのだ!」
「僕の演技、酷くないし! 早く家に帰ってだらだらしたい!」
駄々をこねる伊織を俺と東雲で説得し、小声昭和ロボットを王子様にするべく、ただ今より第一回自主練を開始する!
*
「『コンバンハ、美シイ方。僕ト踊ッテイタダケマセンカ?』」
「もっと感情込めて!」
「『コンバンハ、美シイ方。僕ト踊ッテイタダケマセンカ?』」
「さっきと同じじゃん!」
「全然違うだろうが!?」
イラついた伊織が地団駄を踏む。
「同じでーす!——あのな、伊織。劇は体育館でやるから、会場はめちゃくちゃ広いわけ。だから遠くで見てる観客にも伝わるように、大声で大げさに、わざとらしいくらいの演技でやんなきゃ伝わんないの。だから今より百万倍感情込めて、腹から声だせ!」
伊織があまりに大根役者すぎるせいで、俺もイラつき、大声をだす。
「感情込めてるし……マイクないのかよ?」
「あっても精々集音マイクで、ピンマイクは使わせてもはえないと思うよ」
東雲が苦笑いしながら言う。
この後も小一時間ほど俺と東雲指導で稽古をしたが、本日の成果は、伊織の声の大きさが少しマシになった程度だった。前途多難すぎる……。
*
伊織が大根役者なことが発覚した翌日の放課後、俺は伊織を特別教室が並ぶ校舎の端——一階と二階の間にある踊り場へ連れ出した。ひと気の少ないここが、今日の稽古場だ。
「今日、野球部ないのか?」
練習したくない伊織が、爪を見ながらつまらなそうに聞いてきた。
「試合が控えているとかじゃない限り、文化祭終わるまでは全部活が文化祭準備優先だから、それ理由で休むと連絡すれば問題ない」
「運動部ってもっとスパルタじゃないの?」
「うち、進学校だからな。部活は二の次よ」
校舎の端にある寂しい場所ではあるが、一階と二階の廊下の窓から、そろそろ夕方という柔らかな光が差し込み、まったく暗くはない。
「セリフ覚えてきた?」
「半分くらいは。颯太こそ魔法使いのセリフ、ちゃんと覚えたか?」
「俺も半分くらいは覚えた」
ちなみに昨日伊織の個人練習につきあってくれた東雲は、今日ここにはいない。
主役のシンデレラはほぼ出ずっぱりのため、今日からのシーンごとの稽古に、さっそく出ているためだ。
「今日は、昨日とは違う場面を練習しよう」
「違う場面ってどこだよ?」
「そうだな——ここにしよう。クライマックスの、最高に盛り上がるとこ」
俺は台本をめくり、王子様がガラスの靴をはいたシンデレラにプロポーズするシーンを、伊織に見せる。
「そこ、恥ずかしいんだよな……。まぁ王子のセリフはほぼ全部、恥ずい系だけど」
「王子である以上、そこは割り切れ。——じゃ、俺がシンデレラのセリフ読むから。やるぞ」
両思いになるシーンだから、シンデレラのセリフもかなり恥ずかしいんだが、仕方ない。
「……『アノ忘レラレナイ夜——舞踏会デ僕ト踊ッタ女性ハ、アナタダッタノデスネ』」
渋々といった感じだが、伊織がセリフを読んだので、俺も「『はい』」とシンデレラのセリフを読む。
「『ズットズット、アナタノコトヲ探シテイマシタ』」
今日もすげぇ棒読みだな……。
「『初メテアナタ二会ッタ時カラ、僕ハ一瞬タリトモアナタノコトヲ忘レタコトハアリマセン!』」
声の大きさも、昨日のボソボソ小声モードに戻ってるし……。
「『私も……私も王子様と過ごした時間を、一秒だって忘れたことはありません!』」
偉そうに指導してる俺だけど、伊織よりマシとはいえ、俺も演劇素人だから、下手くそな演技だなと自分でも思う。
「『愛シテイマス、美シイ人。ドウカ僕ト結婚シテ下サイ』」
「——なぁ伊織。月並みなアドバイスだけど、片想い相手を想像しながらセリフを言ってみたらどうだ?」
伊織があまりにも一本調子にセリフを言うので、ありふれた案だろうが、提案してみた。
「片想い相手に言う感じ? ますます小っ恥ずかしいじゃないか。難しいことを言うな」
伊織は文句を言いつつも怒鳴ったりはせず、困り顔で台本をじっと見る。
ちょっと意外だ。昨日みたいに、かんしゃく起こさないんだな?「そんなのできるわけないだろ」と、開き直りもしないし。
昨日、伊織の演技にダメ出ししまくった結果、本人も自分が大根役者であることを認めたのだろうか?
「ま、本番まで後一ヶ月くらいあるから、お互い演技素人同士、ゆっくり頑張っていこーぜ」
この日以降も、俺たちはお互いにアレコレ言いながら、二人で自主練を繰り返した。
するとその甲斐あって、どうしようもなかったボソボソ声の棒読み王子の声量は大きくなり、少しだがセリフに感情が乗るようになってきた。
教室は大道具組と小道具組が使っているため、役者組は劇の稽古用にと担任が借りてくれた技術室へ、ぞろぞろ向かう。
「今までは大道具や小道具の助っ人してたけど、自分たちごとな台本もらうと、本格的に文化祭の準備始まったなって感じがしない?」
東雲が丸めた台本で肩を叩きながら、俺の左隣で言う。
「分かる。俺の役の魔法使いは一場面しか出ないけど、すげー分かる」
「王子様も、一緒に頑張ろーね!」
東雲は小走りで数歩前に出てふり返り、俺の右隣を歩く伊織に微笑みかける。
「うん。頑張ろー」
伊織は楽勝といった感じで、伸びをしてあくびをした。
俺が伊織を王子役に推薦した時、伊織は結構あっさり引き受けてくれたし、過去に王子役をやったことがあると言っていたし、性格に難はあるが勉強も運動もそれなりにできる奴だし。
だから俺は、伊織の演技力について特に心配していなかった。
しかし——監督である佐和田の指示で、技術室に集まった役者たちが輪になり、台本の読みあわせが始まり——真実が残酷にめくれた。
「『コンバンハ、美シイ方。僕ト踊ッテイタダケマセンカ?』」
静かだからかろうじて聞こえる程度の音量かつ、いにしえのロボットみたいなカタコトしゃべりで、伊織が王子のセリフを読み上げる。
「……なぁ有栖川。今日が初めての稽古だし、恥ずかしのは分かる。だけど、少しでいいから感情込めてセリフ読めない?」
「は? 声が小さいとか感情込めろとか、さっきから注文多いぞ。もう三回も同じセリフ読まされてて、嫌なんだけど」
先ほどまでのボソボソ声の棒読みはどこへやら、伊織は感情を込めてハキハキと佐和田へ文句を言う。
佐和田は困った様子で「うーん」と首をかき、責任を問う目で俺を見た。
「伊織って昔、王子役をやったことがあると言ってたけど、その時もこんな感じでセリフ言ってたのか?」
推薦者である俺は慌てて、しかし伊織の機嫌を損ねないよう、ソフトな口調を心がけて尋ねた。
「小学校中学年くらいの時のことだから、あまり覚えてないけど……たぶんそうだったと思う」
うわー最悪だー! そんなところでも甘やかされて、昭和のロボットみたいなしゃべりの小声王子で許されてたんかい! この大根役者めぇぇ!
「山本」
佐和田が静かな声で俺を呼ぶ。
「はい」
「お前は魔法使いなんだから、有栖川に魔法をかけて、ちゃんとした王子様にしてくれるよな?」
圧を隠さない笑顔での命令に、俺は「ウッス……」と、目を泳がせながらうなずいた。
*
「明日からは台本の順番に沿って、場面ごとに稽古していくから。自分が出ない場面の日は、自主練してて。あ、分からないことあったら、何でも聞いてくれな」
王子役が超ヤバイという問題が発覚したが、一通り読みあわせが終わったので、初日の稽古は終了となった。
「だる……」
俺の隣の椅子に座っていた伊織が、言葉通りダルそうに立ち上がろうとしたが、俺は制服を引っぱって引き止める。
「何だよ、颯太?」
「これからさっそくここで、俺と自主練やるぞ」
「今日の稽古は終わりって佐和田が言ったし、自主練も明日からでいいだろ」
「シンデレラもつきあうからさ、一緒に練習しよ?」
伊織を挟んで一つ隣に座っていた東雲が、伊織の腕を掴む。
東雲、伊織の芝居特訓につきあってくれるの!? ありがとー! めっちゃ助かるー!
「えぇ、何で?」
当事者の癖に練習の必要性を感じていない伊織が、不可解そうに眉を寄せる。
「伊織の演技が酷すぎるからです。俺はお前を推薦した責任者として、本番までにお前を立派な王子様にしなきゃならんのだ!」
「僕の演技、酷くないし! 早く家に帰ってだらだらしたい!」
駄々をこねる伊織を俺と東雲で説得し、小声昭和ロボットを王子様にするべく、ただ今より第一回自主練を開始する!
*
「『コンバンハ、美シイ方。僕ト踊ッテイタダケマセンカ?』」
「もっと感情込めて!」
「『コンバンハ、美シイ方。僕ト踊ッテイタダケマセンカ?』」
「さっきと同じじゃん!」
「全然違うだろうが!?」
イラついた伊織が地団駄を踏む。
「同じでーす!——あのな、伊織。劇は体育館でやるから、会場はめちゃくちゃ広いわけ。だから遠くで見てる観客にも伝わるように、大声で大げさに、わざとらしいくらいの演技でやんなきゃ伝わんないの。だから今より百万倍感情込めて、腹から声だせ!」
伊織があまりに大根役者すぎるせいで、俺もイラつき、大声をだす。
「感情込めてるし……マイクないのかよ?」
「あっても精々集音マイクで、ピンマイクは使わせてもはえないと思うよ」
東雲が苦笑いしながら言う。
この後も小一時間ほど俺と東雲指導で稽古をしたが、本日の成果は、伊織の声の大きさが少しマシになった程度だった。前途多難すぎる……。
*
伊織が大根役者なことが発覚した翌日の放課後、俺は伊織を特別教室が並ぶ校舎の端——一階と二階の間にある踊り場へ連れ出した。ひと気の少ないここが、今日の稽古場だ。
「今日、野球部ないのか?」
練習したくない伊織が、爪を見ながらつまらなそうに聞いてきた。
「試合が控えているとかじゃない限り、文化祭終わるまでは全部活が文化祭準備優先だから、それ理由で休むと連絡すれば問題ない」
「運動部ってもっとスパルタじゃないの?」
「うち、進学校だからな。部活は二の次よ」
校舎の端にある寂しい場所ではあるが、一階と二階の廊下の窓から、そろそろ夕方という柔らかな光が差し込み、まったく暗くはない。
「セリフ覚えてきた?」
「半分くらいは。颯太こそ魔法使いのセリフ、ちゃんと覚えたか?」
「俺も半分くらいは覚えた」
ちなみに昨日伊織の個人練習につきあってくれた東雲は、今日ここにはいない。
主役のシンデレラはほぼ出ずっぱりのため、今日からのシーンごとの稽古に、さっそく出ているためだ。
「今日は、昨日とは違う場面を練習しよう」
「違う場面ってどこだよ?」
「そうだな——ここにしよう。クライマックスの、最高に盛り上がるとこ」
俺は台本をめくり、王子様がガラスの靴をはいたシンデレラにプロポーズするシーンを、伊織に見せる。
「そこ、恥ずかしいんだよな……。まぁ王子のセリフはほぼ全部、恥ずい系だけど」
「王子である以上、そこは割り切れ。——じゃ、俺がシンデレラのセリフ読むから。やるぞ」
両思いになるシーンだから、シンデレラのセリフもかなり恥ずかしいんだが、仕方ない。
「……『アノ忘レラレナイ夜——舞踏会デ僕ト踊ッタ女性ハ、アナタダッタノデスネ』」
渋々といった感じだが、伊織がセリフを読んだので、俺も「『はい』」とシンデレラのセリフを読む。
「『ズットズット、アナタノコトヲ探シテイマシタ』」
今日もすげぇ棒読みだな……。
「『初メテアナタ二会ッタ時カラ、僕ハ一瞬タリトモアナタノコトヲ忘レタコトハアリマセン!』」
声の大きさも、昨日のボソボソ小声モードに戻ってるし……。
「『私も……私も王子様と過ごした時間を、一秒だって忘れたことはありません!』」
偉そうに指導してる俺だけど、伊織よりマシとはいえ、俺も演劇素人だから、下手くそな演技だなと自分でも思う。
「『愛シテイマス、美シイ人。ドウカ僕ト結婚シテ下サイ』」
「——なぁ伊織。月並みなアドバイスだけど、片想い相手を想像しながらセリフを言ってみたらどうだ?」
伊織があまりにも一本調子にセリフを言うので、ありふれた案だろうが、提案してみた。
「片想い相手に言う感じ? ますます小っ恥ずかしいじゃないか。難しいことを言うな」
伊織は文句を言いつつも怒鳴ったりはせず、困り顔で台本をじっと見る。
ちょっと意外だ。昨日みたいに、かんしゃく起こさないんだな?「そんなのできるわけないだろ」と、開き直りもしないし。
昨日、伊織の演技にダメ出ししまくった結果、本人も自分が大根役者であることを認めたのだろうか?
「ま、本番まで後一ヶ月くらいあるから、お互い演技素人同士、ゆっくり頑張っていこーぜ」
この日以降も、俺たちはお互いにアレコレ言いながら、二人で自主練を繰り返した。
するとその甲斐あって、どうしようもなかったボソボソ声の棒読み王子の声量は大きくなり、少しだがセリフに感情が乗るようになってきた。
