有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

冷たいドリンクを飲んで英気を養ったので、衣装の布を買いに手芸店へいざ行かん! と、コーヒーチェーン店を出たのだけれど。
「あっ、あの服屋行きたい!」
店を出てすぐ、伊織がまた自分勝手なことを言い、指差した店の方へと歩き出そうとした。
「待て」
俺は伊織の腕を掴み、即座に引き止める。
「今日ここへ来た理由、覚えてるか?」
「覚えてるけど、さっと服見てからでもいいだろ」
「有栖川。服屋は、布買ってからな」
「おつかい済ませてからの方が、ゆっくり服見れるから、先に用事片付けちゃおうよ、イオリン?」
さすがに二度目は、理貴ちゃんも東雲も俺の味方だ。
「えぇー」
伊織が子供っぽく頬を膨らませる。
「ゴネるなら、服屋へは一人で行ってこい。俺らは手芸店に行ってるからさ。買物終わったら来いよ」
俺は伊織の腕から手を離し、折衷案を提示したのだけど。
「もういい!」
伊織は不機嫌全開で言い捨て、そのまま早歩きで服屋へ行ってしまった。
「だる……」
伊織の背中を見送りながら、俺が深く長いため息をつくと、「ドンマイ」と理貴ちゃんが俺の肩に手を置いた。
伊織は決して悪人じゃない。
注意したら聞き入れるし、一応謝れるし、少しずつだけど、良い方向に変わっていっていると思う。
でも、甘やかされて育った坊っちゃん気質は、そう簡単に治りはしなさそうだ。
やっぱり問題児のお世話係って大変で、俺には向いてない。

*

理貴ちゃんとは百均の前で別れ、俺と東雲は、ショッピングモールのどん詰まりにある手芸店へ入った。
「初めて入ったけど、結構広いな。何がどこにあるかさっぱり分からん」
ここは手芸店だから当たり前なんだろうけど、どこを見ても布だらけで、圧倒されてしまう。
「山っち、買物メモ見せてよ。……サテンとかオーガンジーって何?」
「俺が分かると思う? 店員さんに聞こう」
俺は自力で頑張ることを即あきらめ、事情を話して店員(プロ)に布選びを手伝ってもらうことにした。

*

「買物、どれくらい進んだ?」
シンデレラドレスと王子衣装を作るための一式がそろい、最後に魔法使い用の布を選ぼうとしていたタイミングで、理貴ちゃんが合流した。
「三分の二が終わったってとこ」と、東雲が答えた。
「ふぅん。有栖川はまだ来てないのか」
理貴ちゃんが辺りを見回しながら言う。
「来てないな。そろそろ買物終わったんじゃないかと思うから、連絡してみる」
俺はスマホを取り出し、【買物終わったら手芸店に来て】と、伊織へDMを送った。
しかし、魔法使い衣装の材料がすべてそろっても返信がないどころか、既読マークすらつかない。
「俺、伊織を探してくるわ。だからごめんけど、理貴ちゃんと東雲でレジ並んでてくれる?」
ワガママ坊っちゃん、余計な手間かけさせないでくれよー! まさかヘソ曲げて一人で帰ったとかないよな!?

*

ざっと探して見つからなかったら、三人で帰ってやろ! と、俺はイラつきながら、伊織が行った服屋へと向かう。
手芸店がある場所はどん詰まりで、伊織が行った服屋は出入口に近いから、結構距離あるな……と、俺がつい舌打ちした時。
フルーツジュース店の前に立つ、叢雲高校(ウチ)の夏制服を着た栗色の髪の男——あの後ろ姿は、絶対に伊織だ!
「見つけた! あいつ、本当に自由すぎるだろ……!」
今日ここにきた理由は衣装の布を買うためで、遊びに来たんじゃない。
最初のコーヒーチェーン店については暑かったし、まぁいいよ。
でも更に服屋へ勝手に行っちゃうとか、買物終わったら手芸店に来いと言ったのに、今ジュース店の前にいるって! どんだけ水分補給するつもりだよ!?
「伊織!」
俺が近づきながら、イラつきを隠さない声で名前を呼べば、伊織がびっくり顔でふり返った。
俺はそこではじめて、伊織が一人じゃないことに気がついた。
「……誰?」
伊織の側には、小さな男の子がいた。幼稚園児くらいだろうか。
不安げな顔の男の子が、伊織の手をぎゅっと握り、伊織の影に隠れる。
「伊織、こんなとこで何してんだよ? ていうか、その子どうした?」
「迷子だ」
伊織は自分の手と脚にしがみつく男の子を、困り顔で見ながら答えた。
「は?」
「僕が服を買い終えて、手芸店へ行こうとしたら、この子が突然僕のズボンを掴んで、『パパ』って」
「父親と間違えられたわけか」
「すぐに僕が『パパ』じゃないって気づいて、そしたら泣き出しちゃって……放っておけなかった」
俺が男の子の目線にあわせてしゃがむと、男の子は伊織の脚の向こうからそっと顔を出し、恐る恐るといった様子で俺を見た。
「それで?」
「この子の父親を探してるに決まってるだろ」
「サービスカウンターは?」
俺の質問に伊織は、「サービスカウンター?」と首をかしげ、怪訝な顔をした。
「あー……そっか」
俺は察した。
伊織は過疎の島出身。そんな過疎島に、サービスカウンターがある施設が存在するとは思えない。
更に伊織は、少し前に映えるコーヒーチェーン店初体験をしたばかりの、都会に慣れていない人間だ。
以上の理由により、ショッピングモールで迷子を見つけたら、館内スタッフへ相談する——という行動を伊織がとれなくても仕方ないか。
「何が『そっか』なんだ?」
「俺が納得しただけだから、気にしなくていい。——それで、今は何をしようとしてたんだ?」
「この子がジュースを飲みたいと言ったから、買おうとしてた」
「なるほどね」
俺は立ち上がり、手でアゴをさすった。
俺が送ったDMに既読マークがつかなかったのは、迷子のこの子をあやしたり話を聞いたりしていて、それどころじゃなかったんだろう。
「伊織ってワガママ坊っちゃんのくせに、こういう時は優しいんだな」
俺がからかうと、伊織はへの字に口をまげた。
「ワガママ坊っちゃんでも、年寄りと子供に優しくするのは、当たり前のことだろ」
「お前、その優しさと当たり前を、俺らにも適用してくれよ」
俺が苦笑いしながら言えば、伊織はばつが悪そうにうつ向いた。
「……手芸店より服屋を優先して、ごめん。自己中すぎた」
素直に謝る伊織に、俺は思わずフッと笑ってしまった。
お前って奴は本当——ワガママさえ治してくれたらなぁ。
「反省してるならよし。次からは気をつけるように!」
「うん」
「じゃ、その子サービスカウンターに連れてって、迷子放送して親呼び出してもらおう。その子の名前知ってる?」
俺が伊織に尋ねた直後、「海斗!」と男性が叫ぶ声がした。
俺と伊織が声がした方向を見たのと同じタイミングで、男の子が「あ!」と嬉しそうな声をあげた。
「海斗!」
三十代くらいの大柄な男性が、もう一度名前を呼び、こちらへと駆けてくる。
「パパ!」
伊織の手を離した男の子が父親へ走り寄り、抱きしめられる。
「一件落着みたいだな、伊織」
「だな!」
俺たちは顔を見あわせ、ニッと笑いあった。

「本当にありがとうございました」
「ありがと。ばいばーい」
何度も頭を下げる父親と、父親に抱き上げられた男の子を見送り、俺はふぅと息を吐く。
「迷子問題解決したし、手芸店行くか! ワガママ坊っちゃんが逃げ出さないように、手芸店まで連行する!」
俺は冗談半分で伊織の手を勢いよく握った。
すると伊織がフワッと顔を赤くし、「な、何をする!」と急いで俺の手をふり払った。
ヤバ。俺ちょっと調子乗りすぎて、伊織のこと怒らせたか?
「伊織を手芸店まで連れて行こうと思って。嫌だった? ごめん」
俺が謝ると、伊織は数秒黙った後、ふいっと顔をそむけた。
しまった、つまらないことで機嫌損ねた。と俺が思っていると、「そうだな」と伊織が言い——
「田舎者の問題児が逃げ出さないように、しっかり捕まえとけ!」
今度は伊織から、俺の手を全力で握ってきた。
「イタタタ! 痛い、離せ!」
意外にあっさり手を離した伊織が俺を見ながら、フンと鼻で笑う。
「俺の手は握力計じゃないっつーの!」
しかし……伊織の耳が赤い気がするのは、俺の気のせいか?
それにしても、伊織のワガママには毎回困らされるけど、迷子を放っておけないという、コイツの新たな優しい一面を知ってしまった。
マジで面倒臭い奴だけど、一人くらいならこんな奴が友達にいてもいいか? と、思ってしまうのは、俺ってばかなり伊織にほだされてきてるってこと?