有栖川伊織は、俺の世界の外にいる

日曜日の朝八時。天気は快晴で、既に暑い。
近くに市民プールがある球場で、我が叢雲高校対雨海南(あめうみみなみ)高校の、弱小野球部同士の練習試合が始まった。
夏の大会で三年生が抜けたといっても、平凡な一年生部員の俺がそう簡単に試合に出られるわけもなく、ベンチから声援を送る。
一回裏にうちが一点、三回表に相手が一点取り、同点のまま八回表。
引き分けて延長戦になるかも? というか監督、『一年にも試合経験積ませたい』と言ってたのに、嘘つきかよ。理貴ちゃん・東雲・伊織が、クソ暑い中せっかく五回表から観戦に来てくれてるのに、俺が試合に出られる気配がなさすぎて申し訳ない。——と、思った時だった。
「山本」
部員以上に日焼けしている監督に、名前を呼ばれた。
「次、代打でいくぞ」
「は——はい!」
今日はもう無理だな……と、あきらめていたから、驚きで返事する声が若干裏返った。

八回表も無失点で抑え、八回裏・叢雲高校の攻撃。
「緊張する……」
俺はバッティンググローブをはめ、ヘルメットをかぶり、バットを持ってバッターボックスへ向かう。
練習試合とはいえ、本番の打席に立つのが久しぶりすぎて、心臓がドキドキしているのが自分でも分かる。
もし打つことができたなら――全部が平均的な俺だが、盗塁はちょっとだけ得意だったりする。
盗塁が成功すると、今までの練習のキツさやダルさなどが吹き飛んで、めちゃくちゃ嬉しい。
けど盗塁するには、まず打って塁に出なきゃいけないわけで。
「はー……」
バッターボックスへ立った俺は、バットを持った右手首をぐるっと一回転させ、右足で地面を軽く二回蹴った。そしてバットを両手で持って構え——
「颯太ー!」
思わず球場にいた全員が動きを止めるほどの大声が、観客席から飛んだ。
「打てー!」
ほぼ観客がいない観客席から俺へ声援を送ってきたのは、伊織だった。
「友達? 練習試合なのにスゲェな」
対戦校のキャッチャーが話しかけてきたので、俺は伊織を見ながら「うん……」とだけ答えた。
「颯太ー! 頑張れー!」
球場中の視線を集めている伊織がまた大声を出し、隣に座る東雲がアワアワしている。
注目を集めているのは伊織だが、名前を呼ばれて応援されている俺も、かなり恥ずかしい。
自軍のベンチへ目をやれば案の定、笑われているし。いや、応援を笑うなよ。失礼だぞ。
伊織のクソデカボイス応援のおかげで、妙に冷静になった俺は、深呼吸をしてバットを構え直す。
まだ少し球場内がザワつく中、ピッチャーが投げる。
——打てる! ど真ん中ストレート!
俺が思い切りバットをふると、打球はいい音をたてて一、二塁間を抜けていく。
俺はバットを放り投げ、一塁へ駆け込む。セーフ!
自軍のベンチと観客席から歓声が上がり、俺も嬉しくてニヤけてしまう。
「颯太、ナイス!」
また伊織の大声がしたからそちらを見れば、伊織がまるで自分が打ったかのような満面の笑みで、拍手していた。

だけどこの後の打線がダメダメで、盗塁もできなかったので、俺のヒットは得点につながらなかった。
挙句九回表で一点とられ、九回裏でとりかえすことができなかったので、二対一で負けてしまった。
それでも、打って出塁できたのは嬉しかった。
驚いたし恥ずかしかったけど、伊織の応援のおかげで緊張がとけて、打てたんだと思う。
【今日はありがと。明日の朝も迎えに行くから、マンション前で待ってろよ】
そんなわけで俺は夜、感謝を込めて伊織にこうDMを送った。
単純だし現金な話だが、俺の地雷を踏んだ伊織を、ちょっとだけ許してもいいかなぁなんて思って。

*

翌日、月曜日の朝。
「おはよー、伊織」
「おはよう」
俺が伊織を迎えに行くと、奴はいじっていたスマホをポケットへしまい、あくびをしながら挨拶を返してきた。
「昨日は試合見に来てくれて、ありがとな」
「暇だったし、酒井とカオリンに誘われたから、行っただけだ」
真夏よりは多少マシになったか? な、九月の日差しを浴びながら、俺は伊織と並んで通学路を歩く。
「応援もサンキュな。すげーでっけー声だったから驚いたけど、嬉しかった」
「……あのさ、都会の人たちはどうして声を出して応援しないんだ?」
俺が礼を言うと、伊織が眉間にシワを寄せ、予想外すぎる質問をしてきた。
「へ?」
「小さい声じゃ届かないし、黙ってるんなら地蔵でも並べておけばいい。観客席にいた奴らは、何のために応援しに来てたんだ?」
「えーっと」
「僕の島じゃ、運動会の時とか、みんな声張り上げて全力で応援するぞ?」
「……そこまで盛り上がるような大きな試合じゃないから、かな」
たぶん過疎島じゃリアルイベントが少ないから、数少ないイベントが開催された時には、全力で応援するんだろうな……。
「あんな立派な球場借りての試合なのに?」
「あの程度の試合は、ほぼ毎週末あるからな。甲子園行く学校決める試合なんかは、応援すごいよ」
古いし、屋根もついてないし、別に立派じゃないよ。という言葉を飲み込み、俺は答えた。
「ふーん?」
「まぁ機会があったら、一緒にプロ野球見に行こう」
曖昧な誘いなのに「うん!」と、伊織はテンション高くうなずいた後、ちょっとだけ俺のことを気遣うような声で言った。
「昨日は惜しかったな。せっかくヒット打って塁に出たのに」
「そうだな。勝利の女神にそっぽ向かれてしまった」
「たくさん練習したのに、女神様は残酷だ」
「本気で甲子園目指してる強豪校の練習に比べたら、うちの野球部の練習なんて準備運動未満だろうから、たいした練習はしてねーよ。基本的に朝練もないし」
対戦校も進学校だったから、似たり寄ったりの練習量だとは思うけど。
「それでも放課後毎日、遅くまで練習してたじゃないか。酒井も東雲も颯太のことを、コツコツ頑張る真面目な努力家だ、と言ってたぞ」
「そーなん? 俺くらいの努力なんてみんなしてるだろ。理貴ちゃんの水泳部は朝練あるし、理貴ちゃんこそそう(・・)だよ」
「……颯太が本当に真面目な努力家かは、僕は知らない。けど、僕の世話係業務を放棄しないお前は、偉いと思う」
自分が厄介だって自覚あるんだ? とか、家来からランクアップしたなとか、変な褒められ方してるな――とかが一気に頭の中に浮かび、俺はキョトンとしてしまう。
「僕なら、登校拒否児の面倒を見るのは、一日が限界だ」
そう言って伊織がアハハと声を出して笑ったので、俺もつられて笑った。
田舎者の愛され坊っちゃん、色々な意味で強すぎる。