閉鎖生態系ver.2.0

 当日、練習試合でシュートを二本決め上機嫌な俺は、二人の好きなお菓子とジュースを買い、鼻歌混じりにチャイムを鳴らした。
 出迎えた二人も上機嫌で、今日の試合の話をニコニコと聞いてくれた。買ってきたものを渡すと、「覚えてくれて嬉しい」と微笑んだ。ハルも珍しく俺に突っかかってこず、「ありがとう」と柔らかく目を細めて微笑んだ。その破壊力に慄く。そう言えばコイツ、顔面強かったな。
「今日は、ユウが真ん中ね」
「何で?」
 いつもは、ミツが真ん中なのに。
「今日は特別。君に特等席をくれてやろう」
「どうした? 俺、誕生日だっけ?」
「まだまだ先でしょ」
「実質的に誕生日かもしれないね」
「ハル」
「これは失礼。では、一本目を観るとするか」
 隣に座るハルに「どういう意味?」と尋ねるも、彼は何も答えず照明を消した。
 嫌な予感がして生唾を飲み込むも、映画は普通に始まった。俺が去年観損なった映画。

 観ているうちに、さっきまでの嫌な予感も忘れてしまった。


「来た」


 ミツが呟いた。
「え?」
 隣に視線を移すと、音が止まった。ミツがパソコンを操作して停止ボタンを押したのだ。
「どうした?」
 ガーっという音が聞こえそちらを見ると、真っ白になったスクリーンがゆっくり巻き上がっていく。


「ジュリエットのご登場だ」


 ハルがキザったらしく口笛を吹いた。
 スクリーンの奥には、もう一つ部屋があった。
 いや、正確には、隣の部屋が窓から覗くように見えている。
 ベッドには一人の男が腰掛けていた。
 膝の辺りで両手を組み、額に押し当てている。俯いたその顔を見る事はできないが、溜息を繰り返す姿からは陰鬱な印象を受けた。
 年齢はいくつだろうか。二十代後半と言われればそう見える。
 扉の開く音が聞こえると同時に、男が顔を上げる。
 その男と目が合った気がした。


「父さん……?」


 自分で口にしながら、その言葉を疑った。
 見慣れない姿だが、確かにその顔は父のものだった。
 髪を下ろし、シャツとズボン姿の父はいつもよりずっと若く見えた。普段は休日でも和装だから、見慣れない。
 こんな服、持ってたんだ。
 それにしても、どうして父さんがここに?
 その格好は何?
 その表情は?
 ドアが閉まり鍵を掛ける音が聞こえた。そして、右から誰かが現れる。
『加賀美……』
 突然部屋の中に父の声が聞こえ、俺の肩が跳ねた。見渡すと、ミツが無言でパソコンを見せてくる。その黒い画面には周波数のようなものが波打ち、ここから隣室の音声が流れているのだと分かった。
「盗聴器。多少大きな音を立ててもこっちの声は聞こえない。壁厚いから」
「ネット通販だと履歴から父に怪しまれるからね。電気街で現金調達さ」
『京本』
 その明るく跳ねるような声につられ、ハルから視線を隣室に戻した。
 父は立ち上がると、その声の持ち主の方を向く。
 ミツとハルの父親だ。
 相変わらず高校生の息子がいるとは思えない。
 何やら親しげ。きっと友人同士なのだろう。
 父親同士がもともと友人なんて、こんな偶然あるのだろうか。
 そう言えば、俺って父さんにどんな友達がいるのか知らないな。
『会いたかった』
 彼は父に近寄り、その身体を抱き締め肩に顔を埋めると、幸せそうに目を閉じた。
 父は背中に腕を回すと、『ああ』と優しく擦る。
 昔からの親友なら、こんなものか……?
 いい歳した父親同士が熱く抱擁を交わす姿は、息子として見ていて恥ずかしくなる。
『何時ぶりだ? 会えないまま死んでしまうかと思ったぞ』
『大袈裟だな。せいぜい一か月くらいだろ』
『一月も。間が空きすぎだ。次は三日後に来い』
『馬鹿言え』
『俺は本気だと言うのに。なあ、やっぱり二人で暮らさないか。蓼科に良い物件があるんだ。緑豊かで静かなところだ。お前の好きな花も一年中咲いているし、邪魔な人間は誰も来ない。俺が一括で買うから』
 低く甘ったるい声を聞いていると、自分が口説かれているような妙な気分になり、耐性がない俺は両手で顔を覆い手の隙間から父たちを見た。
 自分の父親のこんな声を聞かされるなんて堪らなく恥ずかしいだろうと、ちらりとミツとハルを見ると、二人とも能面のように無表情だった。怖くなった俺は、さっと視線を前に戻す。
 どういう気持ちなんだ?
『……家族がいるから』
 すると、彼らの父親は冷たく舌打ちをし、父から離れた。煮詰めた砂糖のような雰囲気が一瞬にして消え去り、刃のような冷たさが漂い始める。
『あの子はもう高校生だろ? 父親離れに丁度いい』
『優希はまだ高校生だ。子どもだ。俺が守らないと』
「父さん……」
 自分の胸が温かくなっていく。
『はぁ……。まぁいい。あの子は昔のお前にそっくりで愛らしいからな。じゃあ、あの子が就職したら一緒に暮らそう』
『……妻が』
『別れろ』
『……だから、それは』
『どうしてだ。あの女が働いた事がないから、その後の暮らしが心配なのか。ならば、財産なんか全部くれてやればいい。死ぬまで困らないだろ』
『……お前だって、妃奈子ちゃんがいるだろ』
『いないようなものだ』
『でも、妃奈子ちゃんはずっとお前のこと』
『それが何だ。関係あるか?』
 さめざめと父は泣き始めた。
 父さんを泣かせるなっ!
 自分の拳に力が入る。
 それにしても……別れろって……。
 いや、そんな訳あるか……男同士だぞ……。
『ああ、ごめんな。つい熱が入ってしまった。お前を困らせたいわけじゃなかったんだ』
 一転して優しい声と表情になると、奴は父を優しく抱き締め、その頭を柔らかく撫でた。そして、父をベッド端に座らせると、その隣に腰掛け、静かに涙を流す父の頭を再度撫でる。
『しばらく会えなくて寂しかったんだ。それでついカッとなってしまった。反省している』
 父はコクコクと頷いた。
 背筋を冷たいものが駆け抜ける。
 何だこれは。
 こんなのまるで。
『どうして一か月も無視していた?』
 父は唇を噛み、両膝をぎゅっと掴んだ。
『怒らないから、言ってごらん』
 優しい声と共に、奴が父の腰に腕を回しそっと引き寄せると、父はされるがまま肩に頭をもたれる。
『……優希が、光月くんとお友達になったんだ』
『そうか』
『光月くんだけじゃない、陽輝くんもだ』
『ああ』
『折角優希に新しいお友達ができたんだ。二人と遊んだ事を家で楽しそうに話している。だから、俺が……俺たちが、こんな関係を続けていいわけがないっ』
 父が震える声で言った。
『それで今日、別れを告げに来た……って?』
 隣室で聞いている俺でさえ全身から血の気が引くほど、冷たい怒りがその言葉には凝縮されていた。真横で聞いている父には一溜りもないはず。
『俺が嫌いになったのか』
『違う。ただ、優希が心配で』
『俺と死んでくれなかったくせに』
『あっ……』
 死ぬ?
『お前が一緒に死んでくれなかったから、俺はあの女と結婚させられた上に子供まで作らされた。嫌で仕方なかった。俺に少しでも情があるのなら、そんな冷たい事言わないでくれ』
 頭を強く殴られたような衝撃を受けた。
 この男は何を言ってるんだ?
 自分の妻と子どもだぞ?
 そんな不幸の象徴であるかのように語るなんて、あっていいのか?
 ミツ、ハル。
 はっと気づいた。二人は今まさに実の父親に存在を全否定されている。きっと深く傷ついたに違いない。
 俺が慰めないと。
 そう思い、右隣のミツを見た。