閉鎖生態系ver.2.0

 ある晩、夕食を一人自室で済ませていると、彼からメッセージが届いた。
『明日のお昼って一緒に食べられたりする? 二人で』
 箸を落としかけた。
 二人で。
 弟がいないなら、断る理由などない。
『了解。私の教室で』
 すぐに返すと、既読がつくのを待つ。けれども当然そんな都合良く彼が見る訳もなく、焦れったい思いと共に食事へ戻った。
 風呂上がりに確認すると、『OK』と文字の入った可愛らしいスタンプが届いており、唇の端が上がった。
 そのまま浮かれた気持ちで寝床についた途端、不安に襲われた。
 学校で彼と二人きりで昼食を共にした事は一度もない。
 突然どうして。
 世の中、上げて落とすのが基本だ。
 きっとそれ相応の不幸が訪れる。
 そう自分に言い聞かせながら眠った。

 翌日、昼休み前の授業は碌に頭に入らなかった。授業終了のチャイムが鳴ったにもかかわらず、よりによって今日の現代文講師は饒舌で、余計な事をペラペラと話し続けている。
 勝手に出ていってやろうか。
 苛立ちながら扉を見ると、彼がいた。
 小さな鞄を手に、廊下で私を待っている。
 目が合うと、にこっと笑い手を振ってきたので、私の体温が上昇した。
 私は小さく手を振り返すと、その手を固く握り締めた。
 ようやく授業が終わると私は誰よりも早く立ち上がり、廊下へ出た。
「ミツがさ、危ないからお前と会うなって言うんだよ」
 彼がそう言うので、文芸部の部室に連れていくと、運良く誰もいなかったためここで昼食をとる事にした。
 そして、扉に鍵を掛けた。
 ここに入るのが初めてだった彼は、四方八方に本が積まれた狭い部屋を物珍しそうに見回している。
「一体どういう風の吹き回しなのかな」
「そんな怪しむなよ」
 彼が適当な椅子に座り弁当を広げ始めたので、私は隣に腰掛けた。
「ちょっと相談したい事がありまして……」
 ばつが悪そうに頬を掻く。
「相談なら、ミツか、サッカー部のお友達にすればいいだろう」
「いや、お前が一番だと思って」
 その言葉に固まった。
 一番。
 私が一番。
 そっとスマホを取り出し、彼から見えないように録音ボタンを押した。画面を伏せて机に置く。
「言ってごらん」
 私が涼しい声を作ると、彼は「あの」だとか「その」だとか言いづらそうにした後、ちらりと私を見た。
「サッカー部が……揉めてまして……」
 それで私か。
「なるほど。ならば、ミツはどうだ」
「ミツは無理だ。ハル。お前じゃないと……」
 縋るような目に狼狽えるも、平静を装う。
 今の台詞は、無事に録れているだろうか。
「ふぅん。私じゃないとねぇ……」
 弁当箱を広げる。
「それで、私でないといけない相談って?」
「坂本ってわかる?」
「ああ、五組の。君のチームメイトだろ」
「あいつの彼女にさ、俺、告白されちゃって」
「……は?」
 低い声が出た。
 男がいながら、彼を盗ろうと?
 彼は慌て始める。
「いや、勿論断ったよ。でも、それで坂本が昨日の部活中に怒ってさ。練習潰れてミーティングになった」
「モテる男は辛いね。この学校で何人目かな」
 どうせ皆、彼の外側しか知らないくせに。
「……知らねぇよ」
 彼は拗ねたようにそっぽを向く。
 でも、すぐに再び「そうじゃなくて」と私を見た。
「俺、どうすればいいと思う? お前恋愛ものに強いだろ。坂本に謝った方がいいと思う? 今日普通に練習あるんだけど、居づらいし……」
「サボって私の所に来るといい」
「それ、解決にならないだろ」
 駄目か。
「君が謝る必要はない」
「そう?」
「ああ。第一、何を謝るんだ。魅力的でごめんとでも言うのか」
「乱闘待ったなしだな」
「だろう? 君は何も悪くない。君にあてられて勝手に壊れた奴らが悪いんだ」
「じゃあ、俺はどうすれば……」
「君は坂本くんと、どうなりたい」
 彼は弁当を箸でつつきながら、「そうだな」と呟いた。
「俺は……また仲良くしたいよ。くだらない事で笑って、一緒にサッカーして……。だから、驚いてる」
「何が?」
 箸が止まる。
 少し黙ったあと、彼は口を開いた。
「だって、俺たち一年の頃から仲良かったんだぞ? なのに最近付き合ったとかいう彼女のせいで……。何で? 俺たちの友情ってそんなものだったん?」
 声に熱がこもっていく。
「俺、どうすれば良かったんだよ。あの子と付き合えばよかったのか? 絶対もっと怒るだろ。振るしかねぇじゃん」
「ユウ」
 名前を呼ぶ。
 すると、はっとして彼は「ごめん」と俯いた。
 昨日何が起こったのかは知らない。だが、かなり堪えたのだろう。
「分かんねぇよ……。恋愛ってそんな大事? 坂本も……父さんも……恋愛でおかしくなって……」
 父さんも、か。
 私は玉子サンドを一口囓った。
「恋は麻薬だからね。おかしくなるようにできているのさ。むしろ、おかしくならないのなら、それは恋ではない」
「物騒だな。一緒にいれて幸せ、みたいなのは恋じゃないのか?」
「一緒にいられなくなったとき、どうなるか。そこが分水嶺だ」
「一緒にいれなくなったとき」
 彼は私の言葉を繰り返す。
「それでも、その人の幸せを願うものじゃ……」
 そう呟くと、彼はハンバーグに口をつけた。
 日に焼けた喉仏がゆっくり上下する。
 唇についたソースを赤い舌がぺろりと舐めとると、唾液で湿った箇所が光を微かに反射した。
「何?」
 声を掛けられ、飛び上がりそうになった。
「いや、何でも……」
 喧しい胸を乱暴に鷲掴み言い淀むと、彼は自身の弁当箱を見た。
「ハンバーグ食いたいん?」
「別にハンバーグが食べたい訳じゃ……」
「意外と食い意地張ってるよな」
 笑われ、私は唇を噛んだ。
「……数日もすれば向こうから謝ってくるさ。来なければ、それまでの人間。君が気に病む必要はない」
「ああ」
「ただし、彼女の悪口は絶対に言わないこと。仲直りしたいと周囲に伝えておくこと。二人きりで話さないこと。いいね?」
 教師のように私が唱えると、彼はこくりと頷いた。
「やっぱ、お前に相談して良かった。ありがと」
 そう言ってはにかむものだから、私は彼から目を逸らした。
「……別に大した事じゃない。また何かあれば、私に聞けばいい」
 ぶっきらぼうに答えると、彼が肩に腕を回し顔をぐっと近づけてきた。
 息が止まる。
「ああ、そうする」
  
 吐息が肌にかかる。
 腕から体温が伝わる。
 黒い瞳には、私だけが映っている。

「頼りにしてる」

 昼休みが終わった後も、授業は碌に頭に入らなかった。
『一番』
『お前じゃないと』
『頼りにしてる』
 彼の言葉が、何度も何度も、私の中で再生されていた。