閉鎖生態系ver.2.0

 母さんが亡くなったと伝えると、彼は静かに「そうか」と言った。
 そのとき自分が何を話したのか、ほとんど覚えていない。さぞかし纏まりのない話だっただろう。それでも彼は最後まで聞いてくれた。

 その事だけは覚えている。

 それから一か月程経ち、少しは落ち着いた。でも、母さんは今も病院にいるような気がして。もういないって、頭では分かっているのに。
 友人たちには、母さんが亡くなった事すら伝えていない。「可哀想な奴」という役は、外での私に相応しくないからだ。弟ともきちんと仲直りしていない。
 私の喪失を知りながらも付き合ってくれたのは、彼だけだった。 
 それなのに、クラスも部活も違う。
 昼休みは、腹が立つ事に弟が彼の隣に居座っている。
 人気者の彼は、休日も部活や友人との予定でほとんど埋まっている。
 夏休みが終わった今、私が得られるのなんて部活帰りの僅かな時間くらいだった。
「次の練習試合の相手がさ、めちゃくちゃ強いとこなんだよ」
「どう強いのかな」
「まず、二年のフォワードが――」
 週に一度あるかないか。
 本を返してもらって次を貸す。
 それだけで帰すなんて、してあげない。
 ソファに座らせ熱い紅茶を入れると、猫舌でお喋りな彼は一、二時間ほど滞在してくれる。
 別に構わない。この穏やかな時間が偶にあるだけで、当分は何とか生きていける気がした。
『一度味わってしまうとな、後戻りできないんだ』
 あの男の言葉が蘇り、思わず呻いた。
 私はあいつとは違う。
 この学校を卒業するまでで十分だ。
 あんな何十年も――。
「どしたん?」
 ふわっと柑橘類と花を思わせる香りがしたかと思うと、隣に座る彼が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
 近い。
 私の身体が跳ねる。
 咄嗟に顔を逸らした。
「あっ……いや……」
 視線を泳がせた私が彼の方を向くと、彼は悲しげに眉を下げた。そして、鏡台に置かれた、水色の風呂敷で包まれた箱に視線を向ける。
「……俺、何かできる事ある?」
「えっ?」
 彼は恥ずかしそうに頬を掻いた。
 小麦色の肌が、僅かに紅潮する。
「こういうとき、何したらいいか分からんし」
 
 ならば、私を抱き締めてくれ。
 
「……別に、こうして話してくれるだけで十分だよ」
「そう?」
 首を傾げる。
「じゃあ、今日はもうちょっといるわ」
 そう言って笑った。
 私は目を細める。
 これだけでいいんだ。
 私には、これくらいでいい。