「ほい」
後日、再度部屋を訪れた彼は、鞄から本を取り出すと、私に手渡してきた。受け取り、ペラペラ中身を確認する。
折れている箇所も汚れている箇所もない。栞代わりに挟んであった帯は、巻末に挟み直されている。
ガサツな彼の事だから覚悟していたというのに。
「何頁まで読めたのかな」
「最後まで読んだに決まってるだろ」
馬鹿にするなと眉を顰めた彼の顔を凝視する。
本当に読んでくれたのか。
いや、何も考えずに頁をめくっただけかもしれない。
「どうだった?」
私が尋ねると、彼は嫌悪感を露わにした。
「何で一頁目から美少女ヒロインが腐乱死体になってるんだよ」
「一瞬で惹き込まれただろう」
愛蔵書の中では比較的読みやすく穏当な部類なのだが、彼には刺激が強かったようだ。
「そうだけどさ……。初心者に貸すにはマニアック過ぎるだろ」
「有名どころだと思うけれど」
「え? そうなん? いつの間に日本はそんな国になっていたんだ」
まだ十数年しか生きていない癖に。
彼は本の内容を思い出しているのか唇を噛むと、苦々しげな声で紡ぎ始めた。
「俺、あの子に生きていて欲しかったよ。死んだ方がマシって思ったかもしれないけどさ。……何で本読んで嫌な気持ちにならないといけないんだ。良い夢見させろ」
「別にフィクションだからハッピーエンドにしなければならないという規則はない」
「そうだけどさ……えー……。最後、主人公の男が綺麗になるのも分からん。好きな子死んだんだぞ? 第一発見者だぞ?」
「彼は現実から逃げたんだよ。だから、美しくなった」
「分かんねー……。じゃあ、ヒロインも生き残るべきだろ」
「彼女は現実主義者だったんだ。だから、現実から逃れる手段が死しかなかった」
「ダメだって、そんなの。まだ若いんだから」
「君は幾つなんだ」
私は溜息をついた。
感情移入しやすいかと思い高校生が主人公の本を貸したが、確かに現役高校生に読ませてよい内容ではなかったかもしれない。私自身、自分が何れ死ぬ存在だなんて現実感が湧かないのだから。
「どうすればよかったんだろうな」
ぽつりと彼が零した。
「誰にも、どうする事もできなかったと思うよ」
「ええ……んな殺生な。主人公がもっと早く気づいていれば、結末は違ったかもしれないじゃん。救済可能」
「気づく事ができないという筋書きだからね」
「そりゃあ、物語ってそういうものだけどさ」
「いや、現実だって、きっとそうだ」
私も彼も、暗闇の中、定められた道を手探りに進んでいるだけではないだろうか。
「抗えないんだよ」
「そんなの嫌だ。機械みたい。俺はちゃんと自分で考えて行動してる。誰かに決められたものじゃない」
「そう思う事も、決められていたんじゃないか?」
「……頭こんがらがってきた」
そう言って彼は、頭を抱え唸り始めた。
それにしても驚いた。どうも私は少々彼をみくびっていたようだ。
他の本なら、どういった感想を聞かせてくれるのだろうという好奇心が首をもたげた。
生きながら現実逃避する主人公と、現実から逃げるために死んだヒロイン。
君はどっちだろうね。
そんな危険な問いは、胸の奥に隠した。
この日も薄めの本を彼に貸した。
二冊目は、長年片思いをしていた相手が、突然現れた人と結ばれてしまう話だった。
「こんな良い子がずっと側にいたのに、この男は見る目がない」
「……そういうものだよ」
三冊目は、見事結ばれるも、後に二人は実の兄弟であると知り共に死を選ぶ話。
「死ぬ必要ある?」
「赦されない者たちは、退場あるのみさ」
返却時に感想を聞き、また別の本を貸す。そうした流れが、夏休みも終わりに差し掛かる頃には、私たちの間で成立していた。
しかし、ある日問題が生じた。
彼でも読めそうな本のストックが、早くも尽きたのだ。
もともと私の愛蔵書のほとんどは癖が強く、展開も陰惨で退廃的だ。それゆえ一般受けが悪いものも多く、一部の読者が崇拝に近いくらいの勢いで好む類。短めのものは多くあるものの、果たして彼に読ませて良いだろうか……。
「今回はどれ?」
隣で尋ねられるも、歯切れの悪い返しをした。すると彼は暇そうに、本を取っては表紙を見て戻すを繰り返し始めた。
比較的マシなのはどれだ……。
ひたすら吟味していると「じゃあ、これ借りてくわ」という声が聞こえたので、「ああ」と反射的に答えた。その数秒後、ハッとして、彼が手にしている本のタイトルを見て凍った。
マズい。
「それは」
そのとき、スマホが振動する音がした。彼は自身のスマホを手に取り画面を見ると、突然慌て始めた。
「あっ、ヤバっ」
彼は床に放置されている鞄に駆け寄ると、本をしまい肩に掛ける。
「ごめん、もう俺行くわ」
両手を合わせ謝罪すると、私が止める間もなく、部屋から出ていってしまった。
残された私は、必死にその本のストーリーを思い出していた。
彼があの本を手に取ったのはわかる。タイトルが明るいからだ。けれども、内容は真逆。
イジメられていた同級生を助けた主人公が、次第に執着を向けられるようになり、私生活を奪われていく。
私の愛蔵書では珍しく、失恋しないし、誰も死なない。
けれども、言動や心理描写が妙にリアルで、読んでいると頭の中で引き返せと警鐘が鳴る。正直嫌いな本だ。
でも、どうしても頭から離れなくて、愛蔵書として置いていた。
『……お前ってこんなの好きなんだ。引くわ』
私を軽蔑する彼の姿が頭の中に浮かび、血の気が引いていく。
捨てておけばよかった。
私は、彼が去っていった扉を見つめた。
その日から、馬鹿みたいに何度も彼から連絡が来ていないかスマホを見るようになった。何も来ていない事を確認し、三十分も経たないうちにまた確認する。スマホばかり見る奴の気が知れないと言ったのは、どこの誰だっただろうか。
そんな状態が四日間続いた。
明後日から二学期が始まるというのに、一向に彼から連絡が来ない。
彼は最低限必要な事以外では連絡をしない。分かっているのに息が苦しくて、彼に文字を送ろうとする自分の手を机に叩きつけた。
やはり、引かれてしまった。
あの本のせいだ。
彼はもう来ない。
椅子から立ち上がりベッドに転がると、部屋の明かりを消してブランケットの中で丸くなる。
別に彼には私と関わって得する理由なんてない。むしろ、避けるのが自然だ。
だから、連絡がつかなくなってしまった事も当然。
あるべき姿に戻っただけ。
この夏が特別におかしかったんだ。
自分に言い聞かせているうちに、意識は沈んでいった。
後日、再度部屋を訪れた彼は、鞄から本を取り出すと、私に手渡してきた。受け取り、ペラペラ中身を確認する。
折れている箇所も汚れている箇所もない。栞代わりに挟んであった帯は、巻末に挟み直されている。
ガサツな彼の事だから覚悟していたというのに。
「何頁まで読めたのかな」
「最後まで読んだに決まってるだろ」
馬鹿にするなと眉を顰めた彼の顔を凝視する。
本当に読んでくれたのか。
いや、何も考えずに頁をめくっただけかもしれない。
「どうだった?」
私が尋ねると、彼は嫌悪感を露わにした。
「何で一頁目から美少女ヒロインが腐乱死体になってるんだよ」
「一瞬で惹き込まれただろう」
愛蔵書の中では比較的読みやすく穏当な部類なのだが、彼には刺激が強かったようだ。
「そうだけどさ……。初心者に貸すにはマニアック過ぎるだろ」
「有名どころだと思うけれど」
「え? そうなん? いつの間に日本はそんな国になっていたんだ」
まだ十数年しか生きていない癖に。
彼は本の内容を思い出しているのか唇を噛むと、苦々しげな声で紡ぎ始めた。
「俺、あの子に生きていて欲しかったよ。死んだ方がマシって思ったかもしれないけどさ。……何で本読んで嫌な気持ちにならないといけないんだ。良い夢見させろ」
「別にフィクションだからハッピーエンドにしなければならないという規則はない」
「そうだけどさ……えー……。最後、主人公の男が綺麗になるのも分からん。好きな子死んだんだぞ? 第一発見者だぞ?」
「彼は現実から逃げたんだよ。だから、美しくなった」
「分かんねー……。じゃあ、ヒロインも生き残るべきだろ」
「彼女は現実主義者だったんだ。だから、現実から逃れる手段が死しかなかった」
「ダメだって、そんなの。まだ若いんだから」
「君は幾つなんだ」
私は溜息をついた。
感情移入しやすいかと思い高校生が主人公の本を貸したが、確かに現役高校生に読ませてよい内容ではなかったかもしれない。私自身、自分が何れ死ぬ存在だなんて現実感が湧かないのだから。
「どうすればよかったんだろうな」
ぽつりと彼が零した。
「誰にも、どうする事もできなかったと思うよ」
「ええ……んな殺生な。主人公がもっと早く気づいていれば、結末は違ったかもしれないじゃん。救済可能」
「気づく事ができないという筋書きだからね」
「そりゃあ、物語ってそういうものだけどさ」
「いや、現実だって、きっとそうだ」
私も彼も、暗闇の中、定められた道を手探りに進んでいるだけではないだろうか。
「抗えないんだよ」
「そんなの嫌だ。機械みたい。俺はちゃんと自分で考えて行動してる。誰かに決められたものじゃない」
「そう思う事も、決められていたんじゃないか?」
「……頭こんがらがってきた」
そう言って彼は、頭を抱え唸り始めた。
それにしても驚いた。どうも私は少々彼をみくびっていたようだ。
他の本なら、どういった感想を聞かせてくれるのだろうという好奇心が首をもたげた。
生きながら現実逃避する主人公と、現実から逃げるために死んだヒロイン。
君はどっちだろうね。
そんな危険な問いは、胸の奥に隠した。
この日も薄めの本を彼に貸した。
二冊目は、長年片思いをしていた相手が、突然現れた人と結ばれてしまう話だった。
「こんな良い子がずっと側にいたのに、この男は見る目がない」
「……そういうものだよ」
三冊目は、見事結ばれるも、後に二人は実の兄弟であると知り共に死を選ぶ話。
「死ぬ必要ある?」
「赦されない者たちは、退場あるのみさ」
返却時に感想を聞き、また別の本を貸す。そうした流れが、夏休みも終わりに差し掛かる頃には、私たちの間で成立していた。
しかし、ある日問題が生じた。
彼でも読めそうな本のストックが、早くも尽きたのだ。
もともと私の愛蔵書のほとんどは癖が強く、展開も陰惨で退廃的だ。それゆえ一般受けが悪いものも多く、一部の読者が崇拝に近いくらいの勢いで好む類。短めのものは多くあるものの、果たして彼に読ませて良いだろうか……。
「今回はどれ?」
隣で尋ねられるも、歯切れの悪い返しをした。すると彼は暇そうに、本を取っては表紙を見て戻すを繰り返し始めた。
比較的マシなのはどれだ……。
ひたすら吟味していると「じゃあ、これ借りてくわ」という声が聞こえたので、「ああ」と反射的に答えた。その数秒後、ハッとして、彼が手にしている本のタイトルを見て凍った。
マズい。
「それは」
そのとき、スマホが振動する音がした。彼は自身のスマホを手に取り画面を見ると、突然慌て始めた。
「あっ、ヤバっ」
彼は床に放置されている鞄に駆け寄ると、本をしまい肩に掛ける。
「ごめん、もう俺行くわ」
両手を合わせ謝罪すると、私が止める間もなく、部屋から出ていってしまった。
残された私は、必死にその本のストーリーを思い出していた。
彼があの本を手に取ったのはわかる。タイトルが明るいからだ。けれども、内容は真逆。
イジメられていた同級生を助けた主人公が、次第に執着を向けられるようになり、私生活を奪われていく。
私の愛蔵書では珍しく、失恋しないし、誰も死なない。
けれども、言動や心理描写が妙にリアルで、読んでいると頭の中で引き返せと警鐘が鳴る。正直嫌いな本だ。
でも、どうしても頭から離れなくて、愛蔵書として置いていた。
『……お前ってこんなの好きなんだ。引くわ』
私を軽蔑する彼の姿が頭の中に浮かび、血の気が引いていく。
捨てておけばよかった。
私は、彼が去っていった扉を見つめた。
その日から、馬鹿みたいに何度も彼から連絡が来ていないかスマホを見るようになった。何も来ていない事を確認し、三十分も経たないうちにまた確認する。スマホばかり見る奴の気が知れないと言ったのは、どこの誰だっただろうか。
そんな状態が四日間続いた。
明後日から二学期が始まるというのに、一向に彼から連絡が来ない。
彼は最低限必要な事以外では連絡をしない。分かっているのに息が苦しくて、彼に文字を送ろうとする自分の手を机に叩きつけた。
やはり、引かれてしまった。
あの本のせいだ。
彼はもう来ない。
椅子から立ち上がりベッドに転がると、部屋の明かりを消してブランケットの中で丸くなる。
別に彼には私と関わって得する理由なんてない。むしろ、避けるのが自然だ。
だから、連絡がつかなくなってしまった事も当然。
あるべき姿に戻っただけ。
この夏が特別におかしかったんだ。
自分に言い聞かせているうちに、意識は沈んでいった。
