「それでね、ユウがさ」
ベッドに転がる弟が、満面の笑みで私に話しかけてくる。
近頃帰宅するとずっとこれだ。
夕食中も、就寝前も、朝食中も……ユウがユウがユウが……いい加減ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
何だ、この腑抜けた面は。折角面白いものが観られると思って唆したというのに、まさかあの雌犬じみた男の息子に骨抜きにされて帰ってくるなんて想像もしていなかった。
「……京本優希以外に話題はないのかな」
「え? ないよ」
これはもうダメだ。
半分冗談で言っていたのに、京本優希は弟の神様になってしまったらしい。それも一神教。
来週から夏休みに入るが、弟は既に彼と遊びに行く予定を立てているとのこと。
あの家の人間は、私から両親だけでなく弟まで奪うのか。
腸が煮えくりかえるような怒りが瞬時に全身に回り、口から漏れてしまった。
「……バラすか」
「何?」
「私たちはまだ『同じ』ではない。母親だ。京本優希の母親はまだ、愛する夫が長きに渡って不倫をしていると知らない。だから、母親に真実を告げて壊そう。そうしてやっと完成を迎えるんだ」
止せばいいのに。
理性が頭の片隅で溜息をつくも、言葉が止まらなかった。
「……は?」
弟の口から、これまで一度も聞いた事がない怒りが出た。その目の奥に青い炎が揺らめくようで、やってしまったと後悔する。
「何言ってんの? そんな事したら、またユウが傷ついちゃうじゃん」
「そうさ。傷つけて徹底的に壊すんだ。ミツだって、それを望んでいただろう」
ああ。素直に謝ればいいのに。
「巫山戯るのも大概にしなよ。そんな風に遊びで傷つけて良いわけない」
「でも、提案したのは、ミツじゃないか」
「そうだけど。そうだけどっ。僕は自分が間違っているって気づいたんだ。ユウと仲直りしたんだから、僕たちの邪魔しないでっ」
僕たち。
その中に私は入っていない。
「『仲直り』ねぇ……依存先が私から京本優希に変わっただけだろ」
図星を突いたのか、地雷を踏んだのか、弟の大きな目が見開いたかと思うと、鋭く私を睨みつけてきた。
「なっ……。ハルのバカっ。アホっ。ナルシストっ。厨二病っ」
「この餓鬼っ。自分一人では何もできないくせにっ。ストーカー女を追い払ってやったのは誰だ。いじめっ子から庇ってやったのは誰だ。狂った母さんから守ってやったのは誰だっ」
失言した。
自分でも言った瞬間に理解した。
けれども、既に遅かった。弟は蝋燭の炎を吹き消したように顔から表情を消した。
「……ダメだよ。僕たちだけは、母さんを悪く言ったらダメだよ」
私は、何も言い返すことができず俯いた。
弟は静かに扉に歩み寄ると、開いてこちらを見た。
「出てって。ユウに近寄らないで」
今更謝ったところで解決しないと悟る。
「……何日持つかな」
我ながら悪役じみた負け惜しみだ。
スマホとバッグを手に取ると、私は部屋を出て扉を閉めた。そのまま三階の秘密基地へ向かい中に入ると、鍵をかける。バッグを放りソファに倒れ込むと、みしりという嫌な音を立てた。
ミツが私を切り捨てた。
ずっと一緒だった私ではなく、ぽっと出の京本優希を取った。
私は一人になった。
「あはっ」
死にたくなるほどの虚無感が全身を襲う。
どうやら依存していたのは、私の方だったらしい。
乾いた笑い声が耳に入る。
私は何て愚かなのだろう! 一時の感情で一番大切なものを失ってしまうなんて、滑稽にも程がある。誰かこんな私を嗤ってくれやしないだろうか。
『ハハッ。どこでそんな難しい言葉を覚えてくるんだ? 陽輝くんは、お話する内容も、光月くんを守ろうとしている所も、大人っぽくてすごいな。でも、まだまだ子供なんだから甘えていいんだぞ。ほら』
「先生……」
ソファの上で身体を丸くした。
もう一度、あの手で頭を撫でてください。
優しく笑ってください。
柔らかく抱き締めてください。
「先生……」
一度だけでいいから。
ベッドに転がる弟が、満面の笑みで私に話しかけてくる。
近頃帰宅するとずっとこれだ。
夕食中も、就寝前も、朝食中も……ユウがユウがユウが……いい加減ゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
何だ、この腑抜けた面は。折角面白いものが観られると思って唆したというのに、まさかあの雌犬じみた男の息子に骨抜きにされて帰ってくるなんて想像もしていなかった。
「……京本優希以外に話題はないのかな」
「え? ないよ」
これはもうダメだ。
半分冗談で言っていたのに、京本優希は弟の神様になってしまったらしい。それも一神教。
来週から夏休みに入るが、弟は既に彼と遊びに行く予定を立てているとのこと。
あの家の人間は、私から両親だけでなく弟まで奪うのか。
腸が煮えくりかえるような怒りが瞬時に全身に回り、口から漏れてしまった。
「……バラすか」
「何?」
「私たちはまだ『同じ』ではない。母親だ。京本優希の母親はまだ、愛する夫が長きに渡って不倫をしていると知らない。だから、母親に真実を告げて壊そう。そうしてやっと完成を迎えるんだ」
止せばいいのに。
理性が頭の片隅で溜息をつくも、言葉が止まらなかった。
「……は?」
弟の口から、これまで一度も聞いた事がない怒りが出た。その目の奥に青い炎が揺らめくようで、やってしまったと後悔する。
「何言ってんの? そんな事したら、またユウが傷ついちゃうじゃん」
「そうさ。傷つけて徹底的に壊すんだ。ミツだって、それを望んでいただろう」
ああ。素直に謝ればいいのに。
「巫山戯るのも大概にしなよ。そんな風に遊びで傷つけて良いわけない」
「でも、提案したのは、ミツじゃないか」
「そうだけど。そうだけどっ。僕は自分が間違っているって気づいたんだ。ユウと仲直りしたんだから、僕たちの邪魔しないでっ」
僕たち。
その中に私は入っていない。
「『仲直り』ねぇ……依存先が私から京本優希に変わっただけだろ」
図星を突いたのか、地雷を踏んだのか、弟の大きな目が見開いたかと思うと、鋭く私を睨みつけてきた。
「なっ……。ハルのバカっ。アホっ。ナルシストっ。厨二病っ」
「この餓鬼っ。自分一人では何もできないくせにっ。ストーカー女を追い払ってやったのは誰だ。いじめっ子から庇ってやったのは誰だ。狂った母さんから守ってやったのは誰だっ」
失言した。
自分でも言った瞬間に理解した。
けれども、既に遅かった。弟は蝋燭の炎を吹き消したように顔から表情を消した。
「……ダメだよ。僕たちだけは、母さんを悪く言ったらダメだよ」
私は、何も言い返すことができず俯いた。
弟は静かに扉に歩み寄ると、開いてこちらを見た。
「出てって。ユウに近寄らないで」
今更謝ったところで解決しないと悟る。
「……何日持つかな」
我ながら悪役じみた負け惜しみだ。
スマホとバッグを手に取ると、私は部屋を出て扉を閉めた。そのまま三階の秘密基地へ向かい中に入ると、鍵をかける。バッグを放りソファに倒れ込むと、みしりという嫌な音を立てた。
ミツが私を切り捨てた。
ずっと一緒だった私ではなく、ぽっと出の京本優希を取った。
私は一人になった。
「あはっ」
死にたくなるほどの虚無感が全身を襲う。
どうやら依存していたのは、私の方だったらしい。
乾いた笑い声が耳に入る。
私は何て愚かなのだろう! 一時の感情で一番大切なものを失ってしまうなんて、滑稽にも程がある。誰かこんな私を嗤ってくれやしないだろうか。
『ハハッ。どこでそんな難しい言葉を覚えてくるんだ? 陽輝くんは、お話する内容も、光月くんを守ろうとしている所も、大人っぽくてすごいな。でも、まだまだ子供なんだから甘えていいんだぞ。ほら』
「先生……」
ソファの上で身体を丸くした。
もう一度、あの手で頭を撫でてください。
優しく笑ってください。
柔らかく抱き締めてください。
「先生……」
一度だけでいいから。
