閉鎖生態系ver.2.0

「そう言われて、また来てみたけれど……」
 肩に下げた鞄の持ち手を両手でぎゅっと握り締めながら、僕は重厚な門を見上げた。
 今日もユウは学校を休んだ。けれども、特に渡すプリントなどはないので、通行資格は「お見舞い」しかない。カードとしては弱い上、嫌われているというデバフつきだ。
 インターホンを押す勇気が出なくて、かれこれ三十分ほどここに突っ立っているのであった。

 やっぱり帰ろうかな……。
 いや、でも、ハルの言う通り、待っているだけじゃ事態は好転しないよね……。
 自分を嫌っている人間に時間やメンタルを割く必要なんてないんじゃないの?
 いや、でも……。

 門の隣に作られた小さな扉が突如として開き、心臓が口から出そうなほど驚いた。
「あら。昨日の」
 バクバクする心臓を押さえながら、声のする方を見ると、ここの使用人である年配の女性がひょいと顔を覗かせていた。
「あっ。こっ、こんにちは……」
「はい。こんにちは。そんなところで何してらっしゃるの?」
「あの……その……」
「ご近所さんからね、お宅の前に変な人がずっと立っているってお電話もらったのよ。それで来てみたら」
 僕、通報されてたんだ……。
「すみません……」
 項垂れ謝ると、彼女はころころと笑った。
「いいのよ。ほら、いいから中に入っちゃいなさい」
「えっと……いいんですか? 僕なんかが」
「何言ってんの。屈んでこっちからお入り」
 手招きされた僕は、言われた通り身体を小さくすると中に入った。
 この態度からすると、ユウは僕を通さないよう使用人に伝えていないのだろう。きっと、昨日の言い合いも聞こえていない。
 門前払いを回避した事にほっとしつつも、またユウと一対一で話さなければならない状況になった事への不安が募り始める。自分で来たくせに。
 結局、どうすれば仲直り(?)できるか考えてはみたものの、何も思いつかなかった。スマホで「仲直り 方法」と検索エンジンに入力して調べたりしたけど、「先に謝れ」というサイトで検索結果欄が埋め尽くされてしまった。
 謝る。
 何で? 何を?
「明日もお部屋から出てくれなさそうで、もうどうしたらいいのやら」
 玄関の扉を開いた彼女が振り向いた。
「あなた、何か知っているかしら?」
 ギクリと全身が強張った。
 知っているも何も。
「えっと……嫌な事があった、とは聞いてます」
 自分の両目がすいすいと泳ぐ。絶対今の僕は怪しく見えているだろう。
「やっぱり、そうなのね。坊っちゃん……学校でイジメられていたりするのかしら……?」
「いえいえっ。ユウは人気です。よくからかわれてはいますが、イジメられてないですし、本人も毎日楽しそうに過ごしていました」
「そう……じゃあ、一体何があったのかしら」
「何でしょうね……」
 笑って誤魔化そうとするも、ハルと違って不器用な自分にはうまくできなかった。
「昨日は何をお話されたのかしら」
「ぇ゙っ。昨日?」
「ええ。坊っちゃんったら何にも教えてくれないの」
 どうしよう。
 ユウに怒られて、殴られて、追い出されました、なんて言えないよ。
「あの……その……いっ、生きづらいねって」
 何だそれ。
「生きづらい?」
「あう……」
 そうですよね。意味不明ですよね。
「お若いものね。どうぞ、上がってちょうだい」
 何とかなった。
「お邪魔します……」
 僕は胸をなで下ろすと、玄関の中へ入った。
 彼女の後に続きながらきょろきょろと周りを見る。
「今日は、旦那様も奥様も出払っておりまして、坊っちゃんと私しかいませんの」
「そ……そうなんですね」
 探しているのバレてた。
 ついやってしまったけど、他人の家できょろきょろするなんて失礼だった。恥ずかしい。
「だから、気を遣わなくていいんですよ」
「お気遣いいただきありがとうございます」
 微笑まれ、居た堪れない気持ちになる。僕がまだ子供だから大目に見てくれているのだろう。
「じゃあ、ごゆっくり」
 ユウの部屋の近くまで僕を案内した彼女は、一礼して廊下を去っていった。
 閉ざされた障子の前に立つと、息を止めて中の様子を探る。誰かが出てくる気配も、中で動いている気配もしない。こんな薄い扉だ。僕と彼女の会話は筒抜けだったはず。僕からアクションを起こす必要がある。
「……ユウ。僕だよ」
 恐る恐る声を掛けるも、何の返答も返ってこない。
「えっと……来ちゃった……?」
 何でそんな言い方しかできないんだ僕は。
 泣きそうになると、ガラリと障子が開きいかにも不機嫌そうな顔をしたユウが現れた。
「……チッ」
 舌打ち。
 僕の言葉が相当癇に障ったようだ。好感度メーターがぐんっと下がる音が聞こえた気がしたものの、扉を開けてくれただけ良かったと自分を納得させる。
 顔色は相変わらず悪く、髪も櫛を入れていないのが明らかなほど無造作で、投げやりというか退廃的な雰囲気が漂っており、先週までの明るく快活な姿とはかけ離れている。
 これはこれでいいかも。
 僕はハッとすると、そんな感想を頭の中から消し去ろうと軽く頭を振った。何なんだ一体。父さんやハルじゃないんだから。
 ユウは障子を開いたまま奥に歩いていく。
 ……入れってこと?
 そう判断した僕は、こわごわと畳の上に自分の足を置いた。
「お……お邪魔します……」
 ユウは腕を組んで部屋奥の窓枠にもたれかかったまま、こちらに目を向けてもくれない。
 窓の外には白や青、紫の紫陽花が咲いている。
 逆光が黒い髪の隙間から零れる姿がどこか神々しく見えて、僕は瞬きを繰り返す。鞄の持ち手を掴む両手に自然と力がこもった。
「あの」
「お前、昨日の記憶ねぇの」
 勇気を出して声を振り絞ると、僕を全く見ないユウの口が動いた。
「あっ、ある」
「それで、よく来れたな」
「うぅ……」
「ん」
 言葉に詰まると、ようやく僕を見てくれたものの、何故か右手を差し出された。意味が分からず、その手とユウの顔を僕の視線が往復する。
「えっ?」
「プリント。持ってきたんだろ」
「いや、今日は特に何も」
「はあ? じゃあ何しに来たんだよ」
「ゆっ、ユウに……会いに……」
 そう答えると、呆然と僕の顔を見た。
 きっと、「こいつ馬鹿だ」とでも思っているのだろう。悲しい事に、僕は誠に馬鹿なのだった。
 別に何も考えなかったわけではない。考えても分からなかったのだ。僕の質問に、過去の経験も、ハルも、検索エンジンも、確かな回答をくれることはなかった。例えこの経緯を伝えたところで、「こいつ馬鹿だ」という評価がひっくり返ることなんてないだろうけど。 
「……座れば」
「えっ⁉」
 大きな声が出てしまい、慌てて自分の口を手でパシッと押さえた。
 今、座れって言った?
 居ていいの?
「嫌なら帰れ」
「いやっ、あっ、座る。座る。座ります」
 僕は慌てて鞄から大きめのスカーフを取り出すと、畳の上に敷き、汚さないように鞄を置いた。そして、そのすぐ横に正座する。両手はきちっと腿の上に置き、背筋を伸ばす。昔京本先生に教わった事がこんなところで役に立つなんて……。
 畳の中に収まるように座った僕をユウが見下ろしてきたので、冷や汗が自分の背中を伝った。
 何だろう、この状況。
「で? どうするんだ」
「え?」
「俺に会いに来たんだろ? そして今、お前は俺に会っている。ここから、どうするんだ?」
「どっ……どう」
 すればいいんだ。
 タンスをひっくり返すように、脳内フォルダを漁る。漁れば漁るほどぐちゃぐちゃになり目を白黒させている僕を、ユウの視線がグサグサと刺してくる。
 何か言わなければ。
『先に謝れ』
 スマホの検索結果が、溺れる僕の真横を通り過ぎようとする藁のように思い浮かんだ。
「ごめんっ」
「何が?」
 速い。
「えーと、その……」
「適当に言ったのか?」
「違うっ。その」
 どうしよう!
 速く回答しないと、事態がとんでもなく悪化する事は明らかだった。
 そうだ、一番大きいものを回答すればいいのでは。そうすれば、当たり判定も大きいだろうし、上手くいく確率が高い!
「父さんたちの不倫現場……無理やり見せたこと……」
「……」
 無言で見つめられる。緊張で、自分の心臓が耳横にあるのではないかと錯覚するほど、どくどくと脈打つ音が大きく聞こえる。
「……それの、どこを謝っているんだ?」
 淡々と次の質問が投げかけられた。
 どうやら第一ステージは通過したようだ。けれども、先程よりも難易度が上がってしまった。
 どこを、となると回答に困る。そもそも、ユウは何故このような質問を僕にしているのだろうか。暇つぶしだろうか。いや、でも、僕と話すよりもスマホをイジっている方が楽しいのだろうな……。
 そう考えて気持ちが沈んでしまったが、ユウの冷たい視線に気づき、背筋を再度伸ばした。
 ダメだ、ダメだ。しっかりしないと。冷静に考えよう。
 学校でテストをするのは何のためか。それは、生徒の理解度を見るためだ。となると、ユウも僕の理解度を測っている。何の。ユウ自身のだ。
 昨日の会話が過去問だったのである。
 僕は、昨日の言葉を頭の中で再生し、必死に答えを探す。
「ゆ……ユウの幸せ。平穏な幸せを壊した……こと……?」
「どうして壊した」
「平等に……って」
「平等にして、何が欲しかったんだ」
「安心……とか、平穏な心とか……」
 言いながら考える。そう言えば、僕の望みは何だったのだろう。激情に駆られるまま、計画を練り上げ、ハルに共有し、進路をかけてまで実行に移したわけだけど、何がそこまで僕を動かしたのだろうか。
「手に入ったか」
「え?」
「俺を壊して、それは手に入ったか」
 怒りも悲しみも見えない、凪いだ海のような声と表情だった。
 ユウって、こんな感じだったっけ。
「今、お前は幸せなのか?」
 両膝の上に置いた手を強く握り締めた。幸せだったら、僕は今この状況にいるはずがない。
「……いや」
「何でだ?」
「それは……」
 相変わらず素早い切り返しに言い淀む。
 人は、誰しも自分の幸せのために行動するのだと思う。
 だから、僕は自分なりに幸せになろうと行動したはずなのに、今はちっとも幸せじゃない。計画を立てたときはとても満ち足りた気分だったというのに、僕は一体どこで何を間違えたのだろう。
「帰れ」
 黙って考え込んでいると、冷たく言い放たれた。有無を言わさぬその圧に、僕は立ち上がると、荷物を回収した。
「えっと……また明日、来るね」
 最後に声を掛けたものの、ユウはこちらを向くことなく、黙したまま窓枠にもたれかかっていた。