翌日、朝食と身支度を済ませた天寧は迅と待ち合わせをしている玄関へと向かっていた。
外へ出ると雲一つない青空が広がっていて、見上げると手をかざす。
降りそそぐその陽射しの眩しさに目を細めた。
風もほどよく吹いていて気温もそれほど高くなくとても心地よい。
「良い天気……。晴れて良かった」
視線を前へと戻すと黒色の自動車が一台、止まっていた。
そしてそこには昨日と同じ軍服姿の迅が立っていて、彼の隣には運転手の男性もいる。
「天寧さま、おはようございます」
「迅くん、おはよう」
見蕩れるほど優雅に礼をする迅にドギマギしながらも挨拶を返す。
おそらく、運転手以外にも天寧を見送るために近くに数名の使用人が立っているので彼は敬語を使っているのだろう。
砕けた口調と敬語を使い分けているのを見るとまた印象が変わる。
別人にも見える不思議な感覚に少し寂しくなった。
自分自身でも突然覚えた感情に驚きながらも悟られないように意識を切り替える。
平静を装いながら彼に近づくとこちらに手を差し伸べられる。
「それじゃあ行こうか」
「ええ」
天寧は迅にエスコートされながら自動車に乗り込むのだった。
窓から望める景色が前方から後方へと流れていく──。
後部座席に並んで座る二人は最初の目的地に到着するまで和やかに会話をしていた。
「昨日お召しになられていた着物も似合っていましたが今日の着物もお似合いです」
「ありがとう。去年と誕生日にお母さまから贈っていただいたお気に入りの物なの」
今、身に纏っている桜色の着物は気に入っているがゆえにここぞという場面でしか着ない。
白牡丹が咲いていて可愛らしさもありながら気品も感じる柄である。
家族以外の男性に容姿を褒められるのは初めてで恥ずかしさのあまり姿勢を逸らした。
頬に熱が集中するのを感じながらも何とか説明し終わるとばれないようにふうっと息を吐き出した。
こんなことで照れているようでは結婚なんてもってのほか、先が思いやられる。
「そうだったのですね。帝都に桜宮家がお世話になっている呉服店があって天寧さまがお好きそうな反物が多くあるのです」
「行ってみたいけれど今回の滞在は短いし諦めるしかなさそうね。仕立てをお願いしてもすぐには受け取りに行けないから……」
「実は天寧さまのことを店主に話したら是非お会いしたいと言われまして。受け取りもいつでも構わないから仕立てたいと申しておりました」
「まあ、そうなの? それならお言葉に甘えてお願いしようかしら」
最近は自分でお店に赴き、反物を選んで仕立てるといったことをしていなかったので久しぶりの買い物に気持ちが弾む。
どんな柄があるのか想像していると天寧は一つの案を思いつく。
「そうだわ、せっかくなら貴方が反物を選んでくれないかしら」
「え、私がですか?」
目を丸くする迅に天寧は「そうよ」と言って頷いた。
「わたしが選ぶとつい、似たような柄を選んでしまうから。たまにはまったく違う物も着てみたいわ」
客観的に見て似合いそうな着物の方が公務などで人前に出るときに好印象を与えてくれるような気がする。
普段は自分や家族が選ぶと暖色が多いので思い切ってまったく違う物も面白いかもしれない。
きらきらと目を輝かせる天寧を前に迅は断るという選択肢は無かった。
「わ、分かりました。私でよければ」
「ありがとう!ふふっ、どんな物を選んでくれるのかとっても楽しみだわ」
彼女が喜ぶ姿に自然と迅も嬉しくなるが、これはかなりの責任重大な案件だと気づくのだった。
龍王の娘の着物を流行に疎い男が選ぶのだから──。
呉服店で買い物を済ませ、自動車に戻った二人は会話に花を咲かせていた。
「あの青色の反物、なかなか自分では選ばないから貴方が決めてくれて良かったわ。百合の柄もとっても素敵だったし……。ありがとう、迅くん」
「喜んでくださって私も嬉しいです。暖色もお似合いですが寒色も姫君の美しさをより引き立てていましたから」
「え……!? う、美しさ? もう冗談はよして。褒めても何も出ないわよ」
突然、まっすぐに褒められて恥ずかしさのあまり反射的に視線を逸らした。
男性から美しいなんて言われたのは生まれて初めてで一気に体に熱が集まる。
頬を触ると発火するのではないかと疑うほど熱く、それを隠すように俯いた。
素直な思いが彼女に伝わっていないと焦った迅はすぐに口を開いた。
「冗談ではないのですが……。本当に心の底からそう思って……」
迅の声は小さく呻きながら慌てふためく天寧に届くことはなく静かに消えていったのだった。
呉服店をあとにした二人は次に国立の図書館へと向かった。
天寧の病気を回復させる手がかりを探すためである。
あらゆる患者の治療をしてきた医師にも不明で天界の図書館にも何の記録も残されていなかったのでかなり望みは薄い。
けれど人間界を訪れる機会などめったに無い。
何も行動を起こさないよりはずっと良いはずだ。
新たな発見があるように祈りながら自動車に揺られていると異国情緒漂う建物が見えてくる。
白の煉瓦造りで外壁には等間隔に洋燈が取り付けられている。
二階建ての高い図書館は帝都の中でも異彩を放っていて多くの人々が集まっていた。
自動車が入り口前に停められると先に降りた運転手がドアを開ける。
そして迅に続いて降りようとした天寧の前に手が差し伸べられた。
流れるような紳士的な振る舞いに一瞬だけ戸惑ってしまう。
恥ずかしがり屋だった彼が一切躊躇せずにエスコートするからだ。
迅は天寧よりも年下とはいえ優秀な軍人を輩出する名家の長男。
おそらく会わない間に多くの人間が集うパーティーなどの社交界にも参加していたに違いない。
きっとそこには麗しい令嬢たちもいたはずだ。
だからこうして女性の扱いに慣れているのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながら迅の手をとり、図書館の中へと歩き出す。
「姫、いかがなさいましたか?」
呆けていたことに気がついた迅は心配そうに天寧の顔を覗き込む。
いきなり近づいた距離に驚きながらもすぐに首を左右に振った。
「ううん、何でもないわ。それより今は二人だけなんだから敬語はとってしまって構わないわよ」
人前では幼なじみ相手でも敬語を使う徹底的な振る舞いに感心しながら、くすりと小さく笑った。
天寧が指摘すると迅は辺りを見渡し、少し恥ずかしげにした。
「ああ、そうだったね。つい……」
「まあ、真面目な貴方らしいというか。わたしは好きよ、そういうところ」
「えっ!? あ、天寧さん、今なんて……」
「ねえ、病気や薬関係の本が置かれている棚の場所、係の人に聞いた方が早いかしら」
「……そ、そうだね。聞いてみようか」
『好き』という言葉に異常に反応した迅だったが当の本人は何も気にしてる様子はなく、あっけらかんとしている。
過剰になってしまったことに恥ずかしさを感じながら冷静を装う迅。
そんな彼に気づかず、天寧は係の人間を探すのに夢中だった。
係の者に本が所蔵されている場所を聞いた二人は、気になった本を片っ端から手に取っていた。
病気や薬関係の本の数は想像していたよりもずっと膨大で到底、一日だけでは読み切れない。
それに天寧には門限がある。
もし父との約束を破ってしまったら溺愛する娘とはいえ、きっとこっぴどく叱られるだろう。
そうなれば当面の間は絶対に外出など認めてもらえなくなる。
だからなるべく早く完治させる方法を手に入れなくてはならないのだ。
本の内容はどれも実践済みの治療方法や知っていることばかり。
端から端まで勢いよく目を通すと次へとめくっていく。
そして手を止めることなく一冊読み終わると本を閉じてふうっと息を吐き出した。
「何も見つからないわね。迅くんの方はどう?」
隣の席へと座る彼に視線を向けると迅はため息をついて読んでいた本を閉じた。
どうやらその様子を見るかぎり難航しているらしい。
「いや、俺の方も駄目だ。龍神はめったに病に侵されないからその分、資料も少ないのかもしれないね」
「やっぱりそうよね。それにあったとしても、どの本も似たよう内容で目新しい記述は無いわ」
予想していたとおり、ここに所蔵されている本はほとんどが天寧が天界で読んだ本と内容が同じである。
(諦めるしかないのかしら。でもせっかく人間界まで来たのだからもう少しだけ……)
天寧は座っていた椅子から立ち上がると読み終えた複数の本を抱えた。
「わたし、この本を返すついでにあの辺りを見てくるわ」
まだ探せていない、ここから少し離れた本棚を指差すと迅は頷いた。
「分かった。俺も一緒に行こうか?」
「ううん、一人で大丈夫よ。気になる本があったらここに持ってきて読むから」
踵を返すと歩き出し、持っている本を元の棚に戻していく。
両手が空くとまだ中を確認していない本を手当たり次第に取っていった。
そして一番端に視線を動かしたとき。
(……これは)
他の本よりも一回り小さな茶色の本が目に止まる。
存在感がないためかうっすらと埃を被っていて背表紙に書かれている文字も消えかかり正確に読み取ることが出来ない。
棚から取り出して表紙を見るが、やはり文字が薄くなっている。
目をこらして読める部分を組み合わせてみるとどうやらこの国の言語ではなさそうだ。
天寧は一見、他の者からすれば普通の人間の娘に見えるがれっきとした龍神である。
生まれながら優れた知能が備わっており、ありとあらゆる国の言語も習得済み。
表紙の文字も消えていなければすぐに解読が出来るはずなのだがいくら龍神でもこれは不可能だ。
(この言語どこかで見たことがあるような気がする)
中を読めば何か分かるかもしれないと、めくろうとする。
しかし何故か開かず不思議に思ってよく見てみるとちゃらんと音を立てる小さな南京錠が付いていることに気がつく。
「え……!?」
南京錠が付いている本など見たことがなく、さすがの天寧も混乱に陥る。
しかもそれを開けられる鍵がない。
大きさはかなり小さいのに施錠はしっかりとしていて残念ながら南京錠としての役目をきちんと果たしている。
こちらも薄れてはいるが表紙には龍の絵が描かれていることから龍神にまつわる本の可能性が高いことが分かった。
取り出したことで空間が出来た棚の中を見ても鍵などは落ちておらず、考え込む彼女に声がかかる。
「天寧さん、何か見つかった?」
「あのね、この本を見つけたのだけれど鍵がかけられているみたいなの」
戻ってこない天寧を心配したのか様子を見に来た迅。
そんな彼に不思議で奇妙な本を差し出すと手に取った迅はまじまじと表紙を見つめる。
「ずいぶんと古い本だな……。しかもこれは、この国の物ではなさそうだ。外国で書かれたのだろうか」
「おそらくそうだと思う。劣化が酷くて文字が読めないけれど、この龍の絵からして龍神に関係する本の可能性が高いの」
「南京錠が付いている本なんて初めて見たよ。開錠する鍵は無かった?」
「ええ。この辺りを探してみたけれどどこにも落ちていなかったわ」
「一応、図書館の職員に聞いてみるか……」
迅が本をくるりと1周させながら全体的に確認していると裏表紙にあるものが描かれていることに天寧は気がつく。
「迅くん、ちょっと待って」
「どうかした?」
「裏表紙にも絵が描かれているわ。ほら、ここに……」
天寧が指を指して示すとそこには本を開く少女の絵が描かれていた。
こちらも劣化のせいか擦れてはいるけれど表紙と比べればまだ読み取れる。
その古代文明のような絵を見た時、どくんと胸が強く鳴り、何故か誰かに呼ばれている気がした。
「迅くん。ちょっとその本、もう一度借りてもいいかしら」
「……? ああ、もちろん」
迅から再び本を受け取り、しっかりと少女の絵を見ると彼女の背後にも龍が舞っていた。
その周りには見覚えのある花が咲いている。
(龍と少女……。これはまるで)
自分だ。
この絵を見た時に既視感があったのは自分自身と重ねていたからだ。
本を読む龍の娘は完全に天寧と一致する。
昨日の会議で資料として配られた写真からするに描かれている花は呪花に違いない。
あとはこの南京錠をどうやって開錠するかだ。
そう考え込みながら天寧が握りしめた時だった。
突如として本がまばゆい光を放ち、一瞬にして辺りを包み込む。
「きゃっ!」
「……っ、天寧さん!」
本を手放したかったけれど何故か手から離れない。
目を閉じて小さく叫ぶ天寧を迅はすぐに守るように抱き締めた。
一体何が起こったのか深く考えることが出来ず、理解出来ないまま光に耐えることしか今の二人には無理だった。
そして徐々に光は落ち着き、やがて元の本の状態へと戻っていった。
「止んだ……?」
「そうみたいだね。天寧さん、大丈夫だった? 何ともない?」
「ええ。驚いたけれどわたしはどこも怪我はしていないわ。迅くんは?」
「俺も平気。君が無事で良かった」
「……!」
間近で微笑みかけられて小さく心臓がはねる。
突然の事態で必死だったので忘れていたが今二人は吐息がかかるほどの距離にいる。
見慣れた顔のはずなのにより近くで見る星を閉じ込めたような瞳、それを縁取る長い睫毛、透き通る肌、薄く赤い唇は鼓動を早めるのに充分な条件だった。
彼の端整な顔立ちをこれ以上見られなくて慌ててふいっと視線を逸らした。
「天寧さん?」
天寧の様子に迅は気にかけるように声をかけてくれたが、それと同時に心の中ではしまった、と後悔する。
守ろうとしてくれたのにこんな態度は失礼だっただろうか。
優しくしてくれた彼に誤解は与えたくなくて急いで言葉を紡ぐ。
「えっと、あの、迅くん。少し近い気がするわ、わたしたち……」
顔を林檎のように真っ赤にさせながら口をぱくぱくとさせる天寧。
そんな彼女を見て迅は慌てたように回していた腕を離し、距離をとった。
「ああっ……!ご、ごめん!つい……」
「ううん、迅くんはわたしを守ろうとしてくれたのよね? ありがとう」
「そんな、当たり前のことをしたまでだよ」
そこで会話が途切れ、二人の間に沈黙が訪れる。
何でも気軽に話せる友人関係のはずなのにお互いが照れて気まずくなってしまった。
ふと彷徨わせている視線を下げると本に付いていた南京錠が取れていることに気がつく。
「あっ!」
「ど、どうしたの?」
「本の南京錠が開いてるの!」
天寧はそう言いながら迅の前に本をずいっと出して見せる。
先ほどまでしっかりと施錠されていたはずなのに光に包まれた後は何故か開錠されている。
もうすでに項目もめくれるようになっていた。
それを見た迅も信じられないと言うように目を丸くさせかなり驚いた様子だった。
「本当だ……!一体どうして……。もしかして」
「何か分かったの?」
「いや、あくまでこれは俺の考察だけど……」
一旦そこで区切ると迅は細く長い手を顎に添えながら口を開いた。
その姿はまるで小説に登場する探偵のようである。
「その本の裏表紙に描かれている少女と本と龍の絵。それは天寧さんと同じ龍神の女性を表しているんじゃないかな。そしてその少女は本を読んでいる……。南京錠を開けられるのはその条件を揃えた人だった」
「それじゃあ開けられる鍵なんてそもそも無くて龍神の女性自身が鍵? わたしが南京錠に触れたから……」
「おそらく。俺が触っても何も起こらなかったから。本を読めば分かるかもしれないが外国語で書かれていれば翻訳の必要があるからすぐに知るには難しいな」
「それはきっと大丈夫。わたし、ある程度の国の言語は習得しているから」
「ああ、そうだったね。やっぱり頼りになるな、天寧さんは」
「そ、そんなことないわ。それよりも表紙はずいぶんと古くなっている中は読めたら良いのだけれど。開けてみるわね」
天寧は一度深呼吸をするとゆっくりと表紙をめくる。
「これは……」
本の中は二人が予想していたとおり、すべてが外国語で書かれており天寧は頭の中で文字から該当する国を探っていく。
集中している彼女に迅は声をかけることなく静かに待ってくれていた。
何枚か項目をめくった後、天寧はゆっくりと顔を上げた。
ただ瞳は揺れ、かなり困惑していることが分かり、迅は慎重に尋ねる。
「何か分かった?」
「ええ。この文字は確かルーナ王国のものよ」
「ルーナ王国? 初めて聞いたな」
「それもそのはず。龍神たちの間ではルーナ王国は別名、秘匿の国と言われているから」
「秘匿の国?」
天寧は「ええ」と返事をすると父からの教えを思い出していた。
今、翻訳した時に見つけたある言葉が書かれている項目を指でなぞりながら。
外へ出ると雲一つない青空が広がっていて、見上げると手をかざす。
降りそそぐその陽射しの眩しさに目を細めた。
風もほどよく吹いていて気温もそれほど高くなくとても心地よい。
「良い天気……。晴れて良かった」
視線を前へと戻すと黒色の自動車が一台、止まっていた。
そしてそこには昨日と同じ軍服姿の迅が立っていて、彼の隣には運転手の男性もいる。
「天寧さま、おはようございます」
「迅くん、おはよう」
見蕩れるほど優雅に礼をする迅にドギマギしながらも挨拶を返す。
おそらく、運転手以外にも天寧を見送るために近くに数名の使用人が立っているので彼は敬語を使っているのだろう。
砕けた口調と敬語を使い分けているのを見るとまた印象が変わる。
別人にも見える不思議な感覚に少し寂しくなった。
自分自身でも突然覚えた感情に驚きながらも悟られないように意識を切り替える。
平静を装いながら彼に近づくとこちらに手を差し伸べられる。
「それじゃあ行こうか」
「ええ」
天寧は迅にエスコートされながら自動車に乗り込むのだった。
窓から望める景色が前方から後方へと流れていく──。
後部座席に並んで座る二人は最初の目的地に到着するまで和やかに会話をしていた。
「昨日お召しになられていた着物も似合っていましたが今日の着物もお似合いです」
「ありがとう。去年と誕生日にお母さまから贈っていただいたお気に入りの物なの」
今、身に纏っている桜色の着物は気に入っているがゆえにここぞという場面でしか着ない。
白牡丹が咲いていて可愛らしさもありながら気品も感じる柄である。
家族以外の男性に容姿を褒められるのは初めてで恥ずかしさのあまり姿勢を逸らした。
頬に熱が集中するのを感じながらも何とか説明し終わるとばれないようにふうっと息を吐き出した。
こんなことで照れているようでは結婚なんてもってのほか、先が思いやられる。
「そうだったのですね。帝都に桜宮家がお世話になっている呉服店があって天寧さまがお好きそうな反物が多くあるのです」
「行ってみたいけれど今回の滞在は短いし諦めるしかなさそうね。仕立てをお願いしてもすぐには受け取りに行けないから……」
「実は天寧さまのことを店主に話したら是非お会いしたいと言われまして。受け取りもいつでも構わないから仕立てたいと申しておりました」
「まあ、そうなの? それならお言葉に甘えてお願いしようかしら」
最近は自分でお店に赴き、反物を選んで仕立てるといったことをしていなかったので久しぶりの買い物に気持ちが弾む。
どんな柄があるのか想像していると天寧は一つの案を思いつく。
「そうだわ、せっかくなら貴方が反物を選んでくれないかしら」
「え、私がですか?」
目を丸くする迅に天寧は「そうよ」と言って頷いた。
「わたしが選ぶとつい、似たような柄を選んでしまうから。たまにはまったく違う物も着てみたいわ」
客観的に見て似合いそうな着物の方が公務などで人前に出るときに好印象を与えてくれるような気がする。
普段は自分や家族が選ぶと暖色が多いので思い切ってまったく違う物も面白いかもしれない。
きらきらと目を輝かせる天寧を前に迅は断るという選択肢は無かった。
「わ、分かりました。私でよければ」
「ありがとう!ふふっ、どんな物を選んでくれるのかとっても楽しみだわ」
彼女が喜ぶ姿に自然と迅も嬉しくなるが、これはかなりの責任重大な案件だと気づくのだった。
龍王の娘の着物を流行に疎い男が選ぶのだから──。
呉服店で買い物を済ませ、自動車に戻った二人は会話に花を咲かせていた。
「あの青色の反物、なかなか自分では選ばないから貴方が決めてくれて良かったわ。百合の柄もとっても素敵だったし……。ありがとう、迅くん」
「喜んでくださって私も嬉しいです。暖色もお似合いですが寒色も姫君の美しさをより引き立てていましたから」
「え……!? う、美しさ? もう冗談はよして。褒めても何も出ないわよ」
突然、まっすぐに褒められて恥ずかしさのあまり反射的に視線を逸らした。
男性から美しいなんて言われたのは生まれて初めてで一気に体に熱が集まる。
頬を触ると発火するのではないかと疑うほど熱く、それを隠すように俯いた。
素直な思いが彼女に伝わっていないと焦った迅はすぐに口を開いた。
「冗談ではないのですが……。本当に心の底からそう思って……」
迅の声は小さく呻きながら慌てふためく天寧に届くことはなく静かに消えていったのだった。
呉服店をあとにした二人は次に国立の図書館へと向かった。
天寧の病気を回復させる手がかりを探すためである。
あらゆる患者の治療をしてきた医師にも不明で天界の図書館にも何の記録も残されていなかったのでかなり望みは薄い。
けれど人間界を訪れる機会などめったに無い。
何も行動を起こさないよりはずっと良いはずだ。
新たな発見があるように祈りながら自動車に揺られていると異国情緒漂う建物が見えてくる。
白の煉瓦造りで外壁には等間隔に洋燈が取り付けられている。
二階建ての高い図書館は帝都の中でも異彩を放っていて多くの人々が集まっていた。
自動車が入り口前に停められると先に降りた運転手がドアを開ける。
そして迅に続いて降りようとした天寧の前に手が差し伸べられた。
流れるような紳士的な振る舞いに一瞬だけ戸惑ってしまう。
恥ずかしがり屋だった彼が一切躊躇せずにエスコートするからだ。
迅は天寧よりも年下とはいえ優秀な軍人を輩出する名家の長男。
おそらく会わない間に多くの人間が集うパーティーなどの社交界にも参加していたに違いない。
きっとそこには麗しい令嬢たちもいたはずだ。
だからこうして女性の扱いに慣れているのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えながら迅の手をとり、図書館の中へと歩き出す。
「姫、いかがなさいましたか?」
呆けていたことに気がついた迅は心配そうに天寧の顔を覗き込む。
いきなり近づいた距離に驚きながらもすぐに首を左右に振った。
「ううん、何でもないわ。それより今は二人だけなんだから敬語はとってしまって構わないわよ」
人前では幼なじみ相手でも敬語を使う徹底的な振る舞いに感心しながら、くすりと小さく笑った。
天寧が指摘すると迅は辺りを見渡し、少し恥ずかしげにした。
「ああ、そうだったね。つい……」
「まあ、真面目な貴方らしいというか。わたしは好きよ、そういうところ」
「えっ!? あ、天寧さん、今なんて……」
「ねえ、病気や薬関係の本が置かれている棚の場所、係の人に聞いた方が早いかしら」
「……そ、そうだね。聞いてみようか」
『好き』という言葉に異常に反応した迅だったが当の本人は何も気にしてる様子はなく、あっけらかんとしている。
過剰になってしまったことに恥ずかしさを感じながら冷静を装う迅。
そんな彼に気づかず、天寧は係の人間を探すのに夢中だった。
係の者に本が所蔵されている場所を聞いた二人は、気になった本を片っ端から手に取っていた。
病気や薬関係の本の数は想像していたよりもずっと膨大で到底、一日だけでは読み切れない。
それに天寧には門限がある。
もし父との約束を破ってしまったら溺愛する娘とはいえ、きっとこっぴどく叱られるだろう。
そうなれば当面の間は絶対に外出など認めてもらえなくなる。
だからなるべく早く完治させる方法を手に入れなくてはならないのだ。
本の内容はどれも実践済みの治療方法や知っていることばかり。
端から端まで勢いよく目を通すと次へとめくっていく。
そして手を止めることなく一冊読み終わると本を閉じてふうっと息を吐き出した。
「何も見つからないわね。迅くんの方はどう?」
隣の席へと座る彼に視線を向けると迅はため息をついて読んでいた本を閉じた。
どうやらその様子を見るかぎり難航しているらしい。
「いや、俺の方も駄目だ。龍神はめったに病に侵されないからその分、資料も少ないのかもしれないね」
「やっぱりそうよね。それにあったとしても、どの本も似たよう内容で目新しい記述は無いわ」
予想していたとおり、ここに所蔵されている本はほとんどが天寧が天界で読んだ本と内容が同じである。
(諦めるしかないのかしら。でもせっかく人間界まで来たのだからもう少しだけ……)
天寧は座っていた椅子から立ち上がると読み終えた複数の本を抱えた。
「わたし、この本を返すついでにあの辺りを見てくるわ」
まだ探せていない、ここから少し離れた本棚を指差すと迅は頷いた。
「分かった。俺も一緒に行こうか?」
「ううん、一人で大丈夫よ。気になる本があったらここに持ってきて読むから」
踵を返すと歩き出し、持っている本を元の棚に戻していく。
両手が空くとまだ中を確認していない本を手当たり次第に取っていった。
そして一番端に視線を動かしたとき。
(……これは)
他の本よりも一回り小さな茶色の本が目に止まる。
存在感がないためかうっすらと埃を被っていて背表紙に書かれている文字も消えかかり正確に読み取ることが出来ない。
棚から取り出して表紙を見るが、やはり文字が薄くなっている。
目をこらして読める部分を組み合わせてみるとどうやらこの国の言語ではなさそうだ。
天寧は一見、他の者からすれば普通の人間の娘に見えるがれっきとした龍神である。
生まれながら優れた知能が備わっており、ありとあらゆる国の言語も習得済み。
表紙の文字も消えていなければすぐに解読が出来るはずなのだがいくら龍神でもこれは不可能だ。
(この言語どこかで見たことがあるような気がする)
中を読めば何か分かるかもしれないと、めくろうとする。
しかし何故か開かず不思議に思ってよく見てみるとちゃらんと音を立てる小さな南京錠が付いていることに気がつく。
「え……!?」
南京錠が付いている本など見たことがなく、さすがの天寧も混乱に陥る。
しかもそれを開けられる鍵がない。
大きさはかなり小さいのに施錠はしっかりとしていて残念ながら南京錠としての役目をきちんと果たしている。
こちらも薄れてはいるが表紙には龍の絵が描かれていることから龍神にまつわる本の可能性が高いことが分かった。
取り出したことで空間が出来た棚の中を見ても鍵などは落ちておらず、考え込む彼女に声がかかる。
「天寧さん、何か見つかった?」
「あのね、この本を見つけたのだけれど鍵がかけられているみたいなの」
戻ってこない天寧を心配したのか様子を見に来た迅。
そんな彼に不思議で奇妙な本を差し出すと手に取った迅はまじまじと表紙を見つめる。
「ずいぶんと古い本だな……。しかもこれは、この国の物ではなさそうだ。外国で書かれたのだろうか」
「おそらくそうだと思う。劣化が酷くて文字が読めないけれど、この龍の絵からして龍神に関係する本の可能性が高いの」
「南京錠が付いている本なんて初めて見たよ。開錠する鍵は無かった?」
「ええ。この辺りを探してみたけれどどこにも落ちていなかったわ」
「一応、図書館の職員に聞いてみるか……」
迅が本をくるりと1周させながら全体的に確認していると裏表紙にあるものが描かれていることに天寧は気がつく。
「迅くん、ちょっと待って」
「どうかした?」
「裏表紙にも絵が描かれているわ。ほら、ここに……」
天寧が指を指して示すとそこには本を開く少女の絵が描かれていた。
こちらも劣化のせいか擦れてはいるけれど表紙と比べればまだ読み取れる。
その古代文明のような絵を見た時、どくんと胸が強く鳴り、何故か誰かに呼ばれている気がした。
「迅くん。ちょっとその本、もう一度借りてもいいかしら」
「……? ああ、もちろん」
迅から再び本を受け取り、しっかりと少女の絵を見ると彼女の背後にも龍が舞っていた。
その周りには見覚えのある花が咲いている。
(龍と少女……。これはまるで)
自分だ。
この絵を見た時に既視感があったのは自分自身と重ねていたからだ。
本を読む龍の娘は完全に天寧と一致する。
昨日の会議で資料として配られた写真からするに描かれている花は呪花に違いない。
あとはこの南京錠をどうやって開錠するかだ。
そう考え込みながら天寧が握りしめた時だった。
突如として本がまばゆい光を放ち、一瞬にして辺りを包み込む。
「きゃっ!」
「……っ、天寧さん!」
本を手放したかったけれど何故か手から離れない。
目を閉じて小さく叫ぶ天寧を迅はすぐに守るように抱き締めた。
一体何が起こったのか深く考えることが出来ず、理解出来ないまま光に耐えることしか今の二人には無理だった。
そして徐々に光は落ち着き、やがて元の本の状態へと戻っていった。
「止んだ……?」
「そうみたいだね。天寧さん、大丈夫だった? 何ともない?」
「ええ。驚いたけれどわたしはどこも怪我はしていないわ。迅くんは?」
「俺も平気。君が無事で良かった」
「……!」
間近で微笑みかけられて小さく心臓がはねる。
突然の事態で必死だったので忘れていたが今二人は吐息がかかるほどの距離にいる。
見慣れた顔のはずなのにより近くで見る星を閉じ込めたような瞳、それを縁取る長い睫毛、透き通る肌、薄く赤い唇は鼓動を早めるのに充分な条件だった。
彼の端整な顔立ちをこれ以上見られなくて慌ててふいっと視線を逸らした。
「天寧さん?」
天寧の様子に迅は気にかけるように声をかけてくれたが、それと同時に心の中ではしまった、と後悔する。
守ろうとしてくれたのにこんな態度は失礼だっただろうか。
優しくしてくれた彼に誤解は与えたくなくて急いで言葉を紡ぐ。
「えっと、あの、迅くん。少し近い気がするわ、わたしたち……」
顔を林檎のように真っ赤にさせながら口をぱくぱくとさせる天寧。
そんな彼女を見て迅は慌てたように回していた腕を離し、距離をとった。
「ああっ……!ご、ごめん!つい……」
「ううん、迅くんはわたしを守ろうとしてくれたのよね? ありがとう」
「そんな、当たり前のことをしたまでだよ」
そこで会話が途切れ、二人の間に沈黙が訪れる。
何でも気軽に話せる友人関係のはずなのにお互いが照れて気まずくなってしまった。
ふと彷徨わせている視線を下げると本に付いていた南京錠が取れていることに気がつく。
「あっ!」
「ど、どうしたの?」
「本の南京錠が開いてるの!」
天寧はそう言いながら迅の前に本をずいっと出して見せる。
先ほどまでしっかりと施錠されていたはずなのに光に包まれた後は何故か開錠されている。
もうすでに項目もめくれるようになっていた。
それを見た迅も信じられないと言うように目を丸くさせかなり驚いた様子だった。
「本当だ……!一体どうして……。もしかして」
「何か分かったの?」
「いや、あくまでこれは俺の考察だけど……」
一旦そこで区切ると迅は細く長い手を顎に添えながら口を開いた。
その姿はまるで小説に登場する探偵のようである。
「その本の裏表紙に描かれている少女と本と龍の絵。それは天寧さんと同じ龍神の女性を表しているんじゃないかな。そしてその少女は本を読んでいる……。南京錠を開けられるのはその条件を揃えた人だった」
「それじゃあ開けられる鍵なんてそもそも無くて龍神の女性自身が鍵? わたしが南京錠に触れたから……」
「おそらく。俺が触っても何も起こらなかったから。本を読めば分かるかもしれないが外国語で書かれていれば翻訳の必要があるからすぐに知るには難しいな」
「それはきっと大丈夫。わたし、ある程度の国の言語は習得しているから」
「ああ、そうだったね。やっぱり頼りになるな、天寧さんは」
「そ、そんなことないわ。それよりも表紙はずいぶんと古くなっている中は読めたら良いのだけれど。開けてみるわね」
天寧は一度深呼吸をするとゆっくりと表紙をめくる。
「これは……」
本の中は二人が予想していたとおり、すべてが外国語で書かれており天寧は頭の中で文字から該当する国を探っていく。
集中している彼女に迅は声をかけることなく静かに待ってくれていた。
何枚か項目をめくった後、天寧はゆっくりと顔を上げた。
ただ瞳は揺れ、かなり困惑していることが分かり、迅は慎重に尋ねる。
「何か分かった?」
「ええ。この文字は確かルーナ王国のものよ」
「ルーナ王国? 初めて聞いたな」
「それもそのはず。龍神たちの間ではルーナ王国は別名、秘匿の国と言われているから」
「秘匿の国?」
天寧は「ええ」と返事をすると父からの教えを思い出していた。
今、翻訳した時に見つけたある言葉が書かれている項目を指でなぞりながら。



