龍の姫君~宮の花は運命のもとで咲く~

「そうだよ、天寧さん。……じゃなかった。再びお会いできて身に余る光栄です、姫君」
「ええっ!?」
その場で固まる天寧に迅はくすりと小さく笑った。
(だって、だって、迅は泣き虫で体もわたしより小さくて……。軍人さんにはなっていると思っていたけれどまさかこんなにも成長しているなんて……)
記憶の中の迅とまったく違うことに頭はかなり混乱していた。
かすかに面影があるけれどほとんど別人級に変わっている。
うろたえる天寧とそれを見てにっこりと微笑む迅。
その様子を龍王は髭を撫でながら眺め、しばらくすると状況に納得したようだった。
「おお、君があの迅くんか!ずいぶんと逞しくなったな」
「ありがとうございます。あれから父に鍛えてもらいました」
「あのままではこの席は譲れませんからね。厳しく叩き直しましたよ。それに息子だからなおのこと。血筋だけでなく実力を周囲の人間に認めさせないといけませんから」
天寧は三人の会話を聞きながら動揺する心を落ち着かせる。
(そっか、迅くんも努力したのね……。きっと苦労も多かったはず。何だか気持ち、少し分かる気がするわ)
おそらくなかには統括部長の息子という肩書きに不満を抱く者もいるだろう。
そもそも国家防衛機関に所属するには極めて難しいと言われ、ほとんどが落とされる試験に合格しないといけない。
そこを通っても厳しい訓練が毎日のように待っている。
父親の働きで何の努力もしていないのではと思う人間に証明させないといけない。
天寧も龍王の娘という恵まれた立場にいる。
家族と同じように公務を頑張りたい。
しかし体が弱く、基本的に龍宮で過ごす彼女を他の龍神がどう思っているか分からない。
『肩書きに甘えているんじゃないか』
そう誤解されてしまったら、という恐怖は天寧も共感出来た。
「……おっと、もうこんな時間ですか。話が尽きませんが中に入り、早速会議を始めましょう」
統括部長が腕時計で針の位置を確認すると建物の中へと促す。
「久しぶりに会うとつい昔話に花を咲かせてしまうな。では我々も参るとするか」
「は、はい。お父さま」
これから大切な会議だ。
まだ気持ちの整理はついていないけど一旦ここは気持ちを切り替えなくては。
天寧はこくりと頷くと先を行く父の背を追うのだった。
「──以上で会議を終了いたします」
議長の言葉に会議室に流れていた緊張の糸が解かれる。
天寧は開かれていた書類を閉じるとふうっと息を吐き出した。
(無事に終わって良かった。とっても緊張したわ……)
主に話を進めるのは龍王である父と国家防衛機関の統括部長なので天寧や迅が出る幕は少ない。
しかし多少は意見を求められたので、他者の視線と初めて感じる重圧に押し潰されそうになった。
姫という立場である以上、言葉には気をつけなければいけない。
もし人間の反感を買うなんてことがあれば天界との関係も悪化してしまうからだ。
それを恐れた天寧は人間界に来る前に父から会議の議題については聞いていた。
勉強していた努力も実を結んだと信じたい。
窓へと視線を向ければ外は茜空へと変わっていた。
人間界には五日間、滞在する予定である。
明日は父だけ公務なので天寧は特に予定はない。
安全面を考えれば国が管理する宿で過ごすのが良いのかもしれないが好奇心旺盛な彼女にとってはそれはつまらない。
(せっかく人間界に来たんだもの。行きたいところは沢山あるわ)
さて、父をどう説得しようか。
しばらく考えたのち、父が会議の参加者と話し終わったのを見計らって天寧は声をかけた。
ここは遠回しではなく素直に頼もう。
「お父さま。わたし、明日は人間界を色々見て回りたいです」
「駄目だ」
「ええっ!? そんな、どうしてですか!」
そう簡単にはいかないとは分かっていたけれど、いくら何でも返事が早すぎる。
護衛をつけても却下されるのだろうか。
不服そうにぷくっと頬を膨らませる天寧に父はやれやれといった様子で口を開いた。
「先ほどの会議でも話があっただろう。最近、帝都でも呪花が大量発生していると」
「そう、ですけど……」
天寧は肩を落とすと議論が巻き起こった数分前の会議内容を思い出す。
『呪花』
呪花と呼ばれる花の蕾の中には瘴気が入っていて開花と同時に辺りに放たれる。
それに触れた人間や動物は毒に侵され、重症の場合には最悪死んでしまう。
運良く命を落とさなくても後遺症などが残り、元の元気な体に戻るのは難しい。
今のところ解毒する治療薬も無く、国が開発中だが難航しているようだ。
人間界にだけ存在している植物で最近は郊外や村だけでなく帝都にまで増殖しているらしい。
その蕾を摘んでしまおうとしても逆に刺激を与えてしまい花を咲かせて毒を撒き散らす。
扱いが大変難しく、龍神の加護を含んだ聖水を花にかけて瘴気の広がりを何とか抑えている状況である。
もし父の反対を押し切って外出し、自分だけでなく護衛や使用人にも危険が及ぶ可能性がある。
龍神が瘴気の影響で死亡した話は耳にしたことはないけれど天寧は分からない。
病気に感染しないと言われている龍神のはずなのに体が弱いのだ。
瘴気に触れれば龍神の力を持ってしても命の保証はない。
それに関係の無い人々も巻き込む可能性もある。
そうなった場合、真面目で責任感がある天寧が罪悪感に苛まれ、悲しむのを分かって父も反対しているのだ。
ここはわがままを言わずに大人しく引き下がろう、そう思った時だった。
「御歓談中、失礼いたします。少しよろしいでしょうか」
「ああ。構わないがどうした?」
聞き覚えのある声に、ぱっと顔を上げるとすぐ近くに迅が立っていた。
(迅くん、どうしたのかしら)
不思議そうに首を傾げる天寧に迅は一瞬、視線を向けた。
ばちっと目が合って不意に胸が高鳴る。
「もしよろしければ明日、姫君の護衛は私が務めます」
「え……」
予想をしていなかった展開に戸惑い、瞳を瞬かせる。
護衛は天界からも連れてきているけれど、人間界の案内となると迅の方がよほど詳しい。
困った時も頼りになるだろうし知らない土地を散策するのだったら知り合いがいた方が安心である。
迅の申し出に父は小さく唸りながら渋い顔をした。
「しかし、君も任務で忙しいだろう。仮に外出を認めたとして、やはり呪花の件についても心配だ」
「実は私、明日は非番なんです。特に予定もありませんから可能でございます。そして先ほど帝都を巡回していた他の隊員から連絡が来まして報告を受けていた呪花は新たな聖水のおかげで消滅したそうです」
「わたしたちが今日、持ってきたものね。初めて試した調合が成功したんだわ。良かったですね、お父さま」
「そうとくればさらに聖水を用意させよう。まさか消滅までさせるとは……。では、現在のところは呪花は帝都のどこにも咲いてはいないのだな?」
「はい、安全でございます。夜間は式神が常に警戒にあたっていますので何か異変があれば連絡が来ます」
「そうか……」
髭を撫でながら悩み始める姿を見てはっとひらめく。
ここが父に外出を認めさせる絶好の機会かもしれないと、天寧はぐいっと身を乗り出した。
「少しでも危険を感じたらすぐに宿に戻って、夜は門限も必ず守ります。どうかお願いします……!」
必死に頼み込むのがよほど面白く、本気であることが伝わったのか父は苦笑しながら頷いた。
「……分かった。せっかく天寧が外に出られたんだ、楽しんできなさい。ただし羽目を外さないようにくれぐれも気をつけるのだぞ」
「ありがとうございます、お父さま!」
嬉しさのあまり体温が上昇し危うく熱が出そうになる。
満開の花が咲いたかのように顔を綻ばせる天寧に父はやれやれといった様子だったがどこか微笑ましそうに見つめていた。
そして視線を迅へと変えると真剣な面持ちになる。
それを感じ取った迅は風邪を切るような早さで改めて姿勢を正した。
「迅くん、天寧のこと頼んだぞ。この子は体が弱い。様子がおかしければすぐに宿に連れて帰ってきなさい」
「……!かしこまりました」
迅は龍王の忠告に微かに目を見開くとすぐに落ち着きを取り戻す。
彼の反応を見て天寧は察した。
なぜ驚いたような表情を浮かべたのか。
(そうだ、迅くんはわたしの体が弱いことを知らないから驚くのも当然だわ。きっとわたしの印象はあの頃の記憶のまま……)
強く凛としていた天寧も弱く泣き虫だった迅はもうここにはいない。
完全に逆の立場になっていることに気がつき、胸が締めつけられるように苦しくなったのだった。
「天寧さま」
一旦、父と別れて用意された部屋まで使用人と歩いていると背後から声がかかる。
後ろを振り向くとそこにいたのは迅だった。
急いで走ってきたのか若干、息が切れている。
本題をすぐに切り出さない状況を見て何か大切な話なのだろうかと悟った天寧は隣に立っていた使用人に声をかける。
「ごめんなさい、先に部屋に戻っていて。彼の話を聞いたらわたしもすぐにそちらに行くから」
「かしこまりました。お待ちしております」
使用人が一礼をして立ち去ったあと、くるりと振り返りぱたぱたと足音を立てながら迅の元に駆け寄る。
「迅くん、今は公務ではないし敬語はいらないわよ」
「いや、でも……」
すぐには首を立てに振らない性格が垣間見えてあの頃の情景を思い出し気持ちが和む。
戸惑ったように眉を八の字にさせる彼に天寧はにっこりと笑いかけた。
「貴方とは砕けた口調の方で話した方が性に合ってるの。誰も見ていないし気にする必要はないわ」
夜という時間帯もあってか辺りを見渡しても、この二人以外は誰も歩いていない。
迅もそれを確認すると固くなっていた表情を緩めた。
「……分かった、ありがとう」
「それにしても久しぶりね、元気にしてた?」

「ああ。父さんに鍛えてもらってから体力もついて充実した日々を過ごしているよ。でも変わるきっかけをくれたのは君だ」
「わたし?」
まさか自分の名前が出てくるとは思わず、驚きながら問いかけると迅はすぐに頷いた。
「あの時、君がいなければ俺は弱いままだった。ずっと言いたかった、ありがとうって」
「そんなことないわよ。わたし、ずっと後悔していたの。自分が出来るからって迅に色々と厳しくしてしまったから……。もっと貴方に寄り添えたら良かった。本当にごめんなさい」
今、体が弱くなって幼い頃の迅の気持ちが分かる。
思うように体は動かないし、何も出来ない自分に対して苛立ちも募る。
だからこそもっと人の気持ちが分かるようになりたいと。
変わるきっかけを与えてくれたのはむしろ迅である。
頭を下げて謝罪する天寧に迅はすぐに跪くとそっと覗き込んだ。
閉じていた目を開き、ふっと軽く顔を上げると彼の美しい藍色の目と合う。
視線が混じり合い、突然訪れた近い距離感に鼓動が早くなる。
「謝らないで。天寧さんは何も悪いことをしていないのだから」
「で、でもつらくて苦しい思いをさせてしまったのは事実でしょう? お互い子供だったとはいえ酷いことをしてしまったわ」
目尻にじんわりと薄く涙が滲むと両肩に手が添えられる。
「天寧さん、いい?」
そう言うと迅はそっと天寧の頭を上げさせた。
向き合うと痛くない程度にぐっと肩に力が込められる。
「俺は一度も君を恨んだことなんてないよ。背中を押してくれたから強くなる覚悟が決められたし俺は何を守りたいのか明確に出来たから」
「迅くん……」
「だからもう自分自身を傷つけては駄目だ。もうこれ以上は俺が許さないよ」
最後、茶目っ気たっぷりに笑う彼を見て強張っていた体の力が抜ける。
心の靄が晴れたような気がして目尻に溜まった涙がこれ以上、溢れることはなかった。
「ええ、約束するわ。……ありがとう、迅くん」
肌に血色が戻り、ふんわりと笑みを浮かべた天寧。
そんな彼女を見て迅は息をのみ込むと照れたように頬をほんのりと赤く染めた。
そして恥ずかしさのあまり見つめ合う状況を耐えられなくなったのか視線を逸らした。
「あ、天寧さんはどう? 変わりない?」
「ええ。特に問題はないわ」
「でも先ほど龍王さまが天寧さんは体が弱いっておっしゃっていた気がするけど……」
「うっ……」
突かれた図星にびくっと体を震わせる。
これでは、そうですと認めているのと同じである。
迅は少しおっとりしている性格なのに隠し事を見抜ける鋭さを持っているのだ。
これからしばらく共に過ごすのに嘘はついたままではいられないと、観念して口を開いた。
「実はお医者さまでも原因が分からない病気なの。熱や咳が出やすくて体力も無くなってしまったわ」
「そうだったのか……。今は大丈夫? 無理してない? 昔から天寧さんは頑張りすぎるところがあるから」
「ありがとう。最近は症状も落ち着いているから今回の公務も参加を認めてもらえたの。この調子だと明日の外出も大丈夫そう」
「それなら良かった。龍神が病気になるなんて極めて珍しいと聞いたことがあるけれど……。明日、散策のついでに図書館に行ってみるのもいいかもしれないな」
「そうね。もしかしたら何か解決する手がかりが見つかるかも」
「天寧さんが人間界に滞在している間はなるべく傍にいるから何か困ったことがあったら遠慮なく言って」
「迅くんがいてくれるなら心強いわ。頼りにしてる」
目を細め、陽だまりのような柔らかな笑みを浮かべる天寧を見て迅はぽつりと呟いた。
「国だけじゃない。俺は君を守るために──」
「え? 何か言った?」
はっきりと聞き取ることが出来ず、もう一度聞き返すと彼は首を左右に振った。
「……ううん、何でもないよ。今日はもう遅い。ごめんね、引き止めてしまって。使用人も心配するだろうし部屋まで送ろうか?」
「ありがとう、でも部屋はすぐそこだから大丈夫よ。それにここは国が管理している宿だから一人で戻れるわ」
「そっか。それじゃあまた明日。お休みなさい」
「お休みなさい」
挨拶を交わすと迅は背を向けて歩き出し、この場を去っていった。
天寧は彼を見えなくなるまで見送ると反対方向へと歩みを進める。
そして窓のすき間から入り込むひんやりとした風に思わず腕を擦った。
(体が冷える前に早く戻らなくちゃ。明日を思いきり楽しむためにも)
ちらりと窓から外を見ると夜空には宝石を散りばめられたような星空が広がっていた。
明日はきっと晴れる。
未知なる世界をこの目で確かめるのが待ち遠しくて天寧は心を弾ませながら廊下を歩くのだった。