北風と太陽は旅人を笑わせたい

 僕から手渡されたファイルを教科書代わりに、望陽と風太は並んで座った。

 僕も教卓に自分用のファイルを広げ、黒板にチョークで文字を書き始めた。

「え、っと……まずは目標を決めよう!」
「え?」

 二人の声が重なる。

 それはそうだろう。
 二人が僕に依頼してきたのは、ネタを見てほしい、方向性を判断してほしいということだけなのだから。

 でも、僕にはちゃんと考えがあった。

「今の君たちには期限がない。だから、ついダラダラしちゃうんだ」
「ダラダラは……」

 さっそく、望陽が口を尖らせる。

 僕の代わりに風太が睨みをきかせてくれた。

「なにもしていないとは言っていない。ただ、同じ場所で足踏みしちゃってるって言いたいんだ」
「それは……そう」

 風太がばつが悪そうに視線を伏せた。

「そこで、片っ端からエントリーしちゃおう!」

 僕は黒板に書いた、これから一年間で高校生がエントリーできるお笑い大会のスケジュールの横に、バンと手を打ち付けた。

「え、えぇ!?」

 望陽と風太が、驚きのあまり腰を浮かせて身を乗り出した。

「いやいや、これ全部?」

 望陽が目を白黒させる。

「さ、さすがに無理じゃね?」

 風太も怯んでいる様子だ。

 しかし、だんだんノリノリになってきてしまった僕は、黒板に当てた手をさきほどよりも強く、バァンと打ち付けた。

 望陽と風太の肩がビクッと跳ねる。

「そうやって、君たちはこの一年を棒に振ったんじゃないのか!」
「サー、イエッサー! その通りでありますっ!」
「もっと自分を追い込め!」
「サー、イエッサー!」

 僕に合わせて乗ってきた望陽とは裏腹に、風太はクスクスと堪えきれずに笑い出した。

「え、多日登、そういうキャラだったの?」

 そこで、さすがに我に返った。

 ちょっと、何かが憑依していたらしい。

「んんっ」

 僕はひとつ咳払いして続ける。

「まあ、全部とは言わないけどね。まずは直近の青春漫才グランプリから行こう」
「え、これ、二か月後じゃん?」

 目を丸くする風太に、僕は緩く首を振った。

「いや、あ、これはエントリー期間だから、まだ余裕はあるけど。地区予選が七月から」
「二か月が、二か月強になっただけっ!!」

 望陽がぶーっと唾を飛ばす。

「きたねぇな……」

 風太が顔を顰めた。

「……いや、できると思うか?」

 風太が不安そうな顔を向けてきた。

 僕は気持ちの上ではにっこり笑いながら、実際には少し目を細める程度で見返した。

「知らない」
「はぁ?」
「えぇっ!」

 リアクションは大きくて、すごくコンビ芸人っぽいのになぁ。
 息も合ってるし。

 そう思いながら、僕はまた少し演技じみた調子で話を進める。

「もし、本番に間に合わなくても、恥をかくのは君たちだ」
「はっ……?」

 望陽の声が少し低くなる。

 それに僕も、今度ばかりは怯むことなく、睨むような視線を返した。

「僕に頼んできたのは君たちだよ?」
「ここまでは頼んで――」

 望陽がそう言いかけて、我に返ったように言葉を詰まらせた。

 風太は難しい顔で目を閉じ、腕を組んでいた。

「そう。じゃあ、僕は君たちのネタを見て、『わー、おもしろいね! ここ、もう少しこうした方がいいんじゃない?』ってやればいいの?」

 さすがに棘があるかな、と思ったが、なんだかだんだん腹が立ってきた。

「……本当に、多日登ってお笑いのことになるとキャラ変わるよなぁ」

 望陽は諦めたように、浮かせかけた腰を元に戻した。

「……正直、自信はないけど……」

 風太が目を閉じたまま、小さく口を開いた。

「でも、多日登が言ってることはもっともだ」

 望陽が風太を横目で見る。

 風太がカッと目を開くと、勢いよく望陽の方を向いた。

「望陽、やってみないか?」

 望陽は一度、ギョッとしたように首をすくめた。
 そんな望陽に、風太がズイッと身を寄せる。

「それに、多日登に頼もうって言いだしたのはお前だぞ」
「そう、だけど……」
「ここまでしてもらうつもりじゃなかったじゃなくて、ここまでしてくれてありがとうじゃないのか?」
「そう、だよなあ……」

 望陽は、すっかり叱られた大型犬が尻尾を下げるように、シュンと眉尻を下げた。
 ちらりと僕の方を見る。

 そして、勢いよく立ち上がると――

「ごめん! 多日登!」

 北校舎全体に響き渡るような声を出した。

「えぇっ」
「多日登が言う通り、俺、舐めてました! 今から心を入れ替えます。だから、俺のこと見捨てないでください!」
「いや、捨てられそうになってる彼氏かよ」
「もう一度、一から始めさせてください。大切にしますっ!」

 そう言うと、望陽は腰を直角に折って頭を下げ、まっすぐ手を差し出した。

「えぇ……」

 僕が困ったように風太を見た。
 すでに退屈そうに頬杖をついていた風太と目が合う。

「無視していいよ」
「わかった……」

 僕は頷いて、気を取り直す。

「で、一応、スケジュールを考えてみたんだけど、えー四ページ目をご覧ください」

 僕が言うと、望陽も大きな声を出して満足したのか、ストンと座り、むしろご機嫌そうにファイルをめくった。

 指定したページを開いた望陽と風太が、同時に、んっと目を留めた。

 理由はなんとなく予想がついた。

 他のページは割とびっしり書き込んであるにも関わらず、そのページだけは妙に空白が多かった。

 大会スケジュールのエントリー期間と開催予定の横に、スキップイソップの名前。その上に書かれた帯には、雑に「ネタ合わせ」とだけ書いてあった。

「ね、ネタ合わせ?」
「いや、そのネタ合わせがそもそも……」

 望陽と風太の視線が、僕、相方、ファイルとふらふらと定まらない。

 この一歩が二人にとって一番の障害なのだから、戸惑うのも当然だろう。

 まずは、ここに助け舟を出さなくちゃいけない。

「そこが問題なんでしょ? だから、僕からの提案なんだけど――」

 もったいぶるように言うと、望陽と風太の喉がごくりと鳴った。

「まずは、二人の自信があるネタを三つ持ち寄ってくれる?」
「自信があるネタ?」

 望陽が首を傾げる。

「そうそう。できれば、雰囲気が違うものを三つ。自分が好きな笑い、お客さんウケを意識してるもの、少しぶっ飛んでるもの――まあ、なんでもいいけど、似た方向性じゃないものを三つ」
「難しいな……」

 風太が唇を結んだ。

「いやいや、実際にネタは何本も書いてるんでしょ? そこから選んでもいいし、新しく書いてもいいけど、あまり時間がないから、選んだ方がいいかな?」

 僕は親指の爪を噛みながら、ファイルを見つめた。

 スケジュールを確認しながら、できるだけ早く、せめて読み合わせには入りたいと思う。

 口元に指を持っていくのは、考え込むとついやってしまう癖だった。

「んー……持ち寄るのは明日まで」
「えっ!!」

 望陽と風太がギョッとしたように目を見開いた。

「明日って……」
「だから、もう書いてるやつから選んできてよ。テイストが違うものは、できればって感じでいいから」

 僕は『できれば』を強調しながら、目を細めた。

 望陽と風太は、グッと言葉を飲み込んだ。