北風と太陽は旅人を笑わせたい

 翌日から、僕の穏やかな日常は見事に崩れ去った。

 休み時間のたびに、望陽と風太がわざわざ僕の席までやってきて、僕が読んでいる本やスマホの画面を一緒に見ているふりをしていた。

 望陽は髪をワントーン暗くして伊達眼鏡をかけ、風太はセンターパートの前髪を下ろすようにしていた。

 本人たちいわく、オタク擬態をしているらしい。

 ――オタク擬態って……。

 それはいいのだが、僕をダシに使わないでほしい。

 理由は、例の追っ手が仲間を引き連れて、休み時間のたびに二年生のフロアをうろついていたからだった。

 二人のクラスは割れている。

 なので、二人とは別クラスで、普段あまり絡みがなさそうな僕は、まさに恰好の隠れ蓑になったのだろう。

「小難しい文学小説でも読んでるのかと思ったら、これ、鳥本ひとつのエッセイじゃん」

 風太が遠慮なくブックカバーを外す。

「行間広っ、文字もデカくねっ?」

 望陽が読みもせずに、次々とページを捲る。

 とにかく煩わしい。

 オタク擬態してるのなら、せめて先輩オタクに敬意を払ってほしい。

 ちなみに、オタク擬態は完全に失敗している。

 どう見ても、僕は急に陽キャのおもちゃになった陰キャにしか見えなかった。

「ねぇねぇ、なんで急に北島くんと太田くんと仲良くなったの?」
「北島と太田とどんな話してるの?」

 だなんて、主に女子から面白半分に声をかけられることが多くなった。

 普段は教室の風景に溶け込んでいる僕ですら、目立ってしまっている。

 ただ、追っ手に対する目くらましには成功していた。

 僕のクラスにまで追っ手が探しに来ていないというのもあるし、二人が追われている理由が瞬く間に拡散され、妙な団結力で二年生全体が二人を庇う流れになっているからだった。

 ほとんど当然のように、昼休みは二人ともパソコン教室に入り浸っている。

 そのため、いつ僕の秘密基地であるはずのパソコン教室が周囲にバレるのか、常にひやひやしていた。

「はい。お昼買って来たよ」

 しかも、購買など危険にまみれているため、僕が代わりに二人のお昼まで買い出しをさせられていた。

 まるでパシリである。

 誤解がないように言うが、一応、ちゃんとお代は貰っている。

 コッペパンが五個、長机に並ぶ。

 望陽と風太が二個ずつ。僕が一個。

「さて、今日は中身なにかな?」

 望陽がウキウキした調子で言った。

 最初の一週間くらいは「なんで毎日、コッペパンなの?」と文句を言っていた望陽も、今では中身当てを楽しんでいた。

 そう、約一か月。毎日コッペパンを楽しめるほど、二人は僕にくっついている。

 授業以外で学校にいる時間のほとんどは、三人で一緒だった。

「いつも悪いな。多日登」

 望陽とは裏腹に、風太は最初から今まで文句も言わず、僕と望陽が選び終わった後に残ったコッペパンを食べる。

「多日登~。多日登のやつは今日なんだった?」

 そう言いながら、毎回頬同士がくっつくくらいまで近づいて、望陽が僕のコッペパンの中身を確認する。

 ちなみに、二日目くらいには、すでに僕は多日登と呼び捨てにされていた。

 望陽のキャラならわかるが、風太もクールそうに見えて、根は陽キャの一軍キャラなのだと、最近ようやくわかってきた。

 僕は自分が陰キャであると自覚している。

 だからといって、特に人見知りをしたり、話しかけられて極度に動揺したりはしない。単純に、人と絡むとなると会話の加減が難しい上に、上手く笑えないので、ひどく疲弊してしまうのだった。

 特に学校では、陽キャは見ているのに限る。

 馬鹿をやっているのを離れた場所から眺めながら、蚊帳の外で笑う。その距離感がちょうどいいと思っていた。

「多日登の今日の中身はなんでしょなクイズ~」

 望陽が急にハイテンションで片手を上げた。うるさい。

「今日のチャレンジャーは芦利市からお越しの高校生、北島風太さんです。さあ、意気込みをどうぞ」
「シュガーマーガリン」
「え、北島さん、まず意気込みをどうぞ」
「シュガーマーガリン」
「どうやら北島さん、緊張のあまり、シュガーマーガリン以外の言葉を忘れてしまったようです」
「うるせぇな。シュガーマーガリン」
「はい、では、多日登さん、お答えをどうぞ!」

 僕に振らないでほしい。

 陽キャテンションは陽キャだけでやってほしいものだ。

 僕はうんざりした顔を隠さずに答えた。

「シュガーマーガリン」
「なんと、大正解~! 正解した北島さんには高級たわしプレゼント!」
「それ、ハズレのときにもらえるやつじゃね?」

 風太がどうでも良さそうな顔で、コッペパンをかじった。

「じゃあ、美人からのキスです!」
「美女じゃなくて?」

 風太が顔を上げた。

 望陽がきょとんとした顔で、風太と僕の顔を交互に見た。

「だって、多日登、女ではないじゃん」

 なぜか風太も納得したように「ああ」と頷く。

「ん? 美人って僕!?」
「え、自覚ないんですか?」

 望陽が心底意外そうに目を丸くする。

「ないだろ。見ればわかる」

 風太まで当然のように言った。

「え、待って。二人ともその認識なの?」

 思わず紙パックを持つ手に力を入れてしまい、ストローの先からバナナオレが少しだけ漏れた。

「わ、いやいや――えぇ?」
「でも、そんなに驚くことなくない?」

 望陽の人差し指が、するりと僕の頬を撫でた。

 そのまま指を滑らせ、親指の腹で僕の唇をふにっと押す。

「唇も少しぽってりしてて」

 その手がスッと上がり、僕の長い前髪を上げた。

「なによりも目がきれいだよね。少しつり目気味で、猫みたいな――」
「望陽!」

 風太の声が教室内に響いた。

 その瞬間、目の前で細められていた望陽の目が、ハッとしたように見開かれた。

「あ……」
「お前、何してんの?」

 風太が立ち上がる。

 こちらに近づいてこようとする気配に、望陽はへらっとしたいつもの笑顔を作った。

「さぁ、正解者にご褒美のキスをどうぞー」
「いやいや、しねぇよ」

 後ろまでやってきた風太が、望陽の頭をコツンと小突く。

「いてっ」

 望陽は大袈裟に首をカクンと折った。

 教室内はいつもの空気に戻っていた。

 ――今の、なんだったの?

 僕だけが、頬に残る熱をどうしていいのかわからなかった。