中間テストが終わる前に、なんとか一本、良ければ二、三本は人前でできそうなネタが見えてきた。
あとは望陽が補習を免れるだけだ。
水曜日の放課後は望陽と二人なので、特に苦手な数学を重点的に、勉強を進めていた。
実は、望陽と二人きりというのは、少し、不安があった。
望陽はスキンシップが多い。あまりに近すぎるといつも風太が止めてくれるので、なんとかなっている。だが、二人きりになったらどうだろう。変な意味合いはないと思うが、とにかく困る。
しかし、二度ほど水曜日を二人きりで過ごしてみて、それは杞憂だとわかった。
恐らく、望陽は風太の前だから調子に乗るのだ。
望陽は思ったよりも真剣に僕の話を聞いてくれていた。ただ、ちょっと、下校時間手前くらいになると、集中力が途切れるのが難点だ。だから、そろそろ、集中力が途切れてきたなという頃には切り上げて、ネタの話に入るようにしていた。
「だから、これをさっき出した答えに代入して――」
その日は始まって一時間もしない頃から、望陽の集中力が切れているような雰囲気があった。僕が式を書く手元よりも、横顔をぼんやりと見られている気配があった。
「……望陽、聞いてる?」
少しだけ睨むように顔を向けると、望陽は目を丸くして、頬杖をついた手から軽く顔を浮かせた。
「あ……」
望陽がぽかんと口を開けた後、ヘラっと表情を崩した。
「ごめん。多日登の顔見てて、聞いてなかった」
「はぁ?」
さすがに、少しだけムッとした。
「ちょっと、望陽のためにやってるのに」
僕が抗議する横で、望陽が目を細める。望陽の手の甲が、僕の頬をスルッと撫でた。
――えっ?
突然の接触に声も出なかった。
「多日登って不思議だよね。うまく笑えないのに、怒ったりとか、びっくりしたりとか、ムキになったりとかは、ちゃんと表情あるのにね――」
ひとり言のような言い方に、何も答えられない。心なしか、空気が変わった気がする。
「笑った顔、見たいな」
「……え?」
頬を撫でていた手の甲を返して、手のひらで包むように触れてくる。親指が、目の下や唇の横をふにふにっと軽く押した。
いつものじゃれつく感じとは明らかに違う触り方だった。いくら鈍感な僕でもわかる。
僕の鼓動が、速くなった。
どうしよう……焦っているからなのか、心臓がうるさいせいで余計に焦るのか、もう訳がわからなかった。
もしかしたら、望陽は僕をからかっているだけかもしれない。それなら、過剰に反応するのも、変に意識しているみたいで恥ずかしい。
かといって、ふざけて笑い飛ばせるほどの勇気もなかった。
そう思っているうちに、望陽の手が僕の頬から離れた。
なんだ、やっぱり少しからかっただけかとホッと胸を撫でおろす。
そこで、なんで、安心しているのかが自分でもわからなかった。これ以上、何があると言うのだ――
「ねぇ、多日登、前髪切らないの?」
ふと、前髪を摘まれる。望陽はいつもの雰囲気に戻っているようだった。僕だけがさっきの空気を引きずっているようで、なんだか恥ずかしかった。
「んー、美容室も苦手で」
「切ってあげようか?」
「いや、ちょっと前が遮られてる方が、いいのかも」
「なんで?」
「……」
やっぱりうまく笑えないからかな? とは答えられなかった。
さっき望陽は、僕は笑うのが下手でも、いろんな表情があるって言ってくれた。でも、笑顔とか以前に、表情を読まれること自体が怖いのかもしれない。特に目を見て見透かされるのは怖い。
そう思っていた矢先に、
「多日登の目、綺麗……」
前髪を摘むだけじゃなく、手で持ち上げられて、ジッと見つめられた。
あの日と似ている。望陽が僕の唇に触れた、あの日の空気と――
あの時は、風太が止めてくれた。
でも、今は風太はいない。
「あの……望陽?」
探るように声をかけてみるが、望陽の耳には届いていないようだった。
「夕陽が反射して、綺麗」
「え……と」
「やっぱり、前髪切らないでね」
「……なんで?」
「他の人に、見られたくない」
「……望陽?」
望陽の手が僕の顎に当てられ、軽く顔を持ち上げられる。視界いっぱいに望陽の顔が近づいてきた。
「み、望陽!」
僕は、慌てて両手で望陽の口を覆った。
「……だめ?」
その言葉が決定的だった。
今のは事故じゃない。明確な意図をもって、望陽は僕に唇を寄せてきたのだ。
「だ、ダメでしょ?」
「俺のこと、嫌い?」
「そ、そうじゃなくて……」
僕は混乱していた。漫画みたいに、目玉がグルグル回る錯覚を覚えた。
「や、約束! 勝負! 僕を先に笑わせた方が、キ、キスするんだよね!? じゃあ、い、今、は、ダメじゃん!」
僕は、何を言っているのだろう。この言い方だと、キスをすること自体、ダメじゃないみたいじゃないか。
いや、ダメじゃないけど、いや、ダメだろ? え、男同士だし、なんで? え、なんで僕なんかにキスしたいの?
僕はもう頭が沸騰しそうだった。
顔もあり得ないほど真っ赤になっているだろう。
「そう、だよね?」
僕の慌てように、望陽はふっと小さく笑った。
「ごめんね。多日登」
そう、目を細める望陽が、なんだかすごく大人っぽく見える。
やっぱりからかわれたのかな? という思いも、拭いきれない。それでも、勘違いだとは片付かないことが、今、起きてしまった。
忙しい頭を整理しきれないままでいると、望陽が僕を軽く引き寄せて、おでこにキスをした。
「えっ……」
前髪越しだったけれど、その感触が妙に残って、そこから熱が広がっていくようだった。
「今はこれで、我慢する」
鼻先で望陽がへらっと笑う。
その顔もいつもより、少しだけ大人っぽく見えた。
いつの間にか、パソコン室の壁に設置されたスピーカーからは、下校を促すアナウンスが流れていた。
あとは望陽が補習を免れるだけだ。
水曜日の放課後は望陽と二人なので、特に苦手な数学を重点的に、勉強を進めていた。
実は、望陽と二人きりというのは、少し、不安があった。
望陽はスキンシップが多い。あまりに近すぎるといつも風太が止めてくれるので、なんとかなっている。だが、二人きりになったらどうだろう。変な意味合いはないと思うが、とにかく困る。
しかし、二度ほど水曜日を二人きりで過ごしてみて、それは杞憂だとわかった。
恐らく、望陽は風太の前だから調子に乗るのだ。
望陽は思ったよりも真剣に僕の話を聞いてくれていた。ただ、ちょっと、下校時間手前くらいになると、集中力が途切れるのが難点だ。だから、そろそろ、集中力が途切れてきたなという頃には切り上げて、ネタの話に入るようにしていた。
「だから、これをさっき出した答えに代入して――」
その日は始まって一時間もしない頃から、望陽の集中力が切れているような雰囲気があった。僕が式を書く手元よりも、横顔をぼんやりと見られている気配があった。
「……望陽、聞いてる?」
少しだけ睨むように顔を向けると、望陽は目を丸くして、頬杖をついた手から軽く顔を浮かせた。
「あ……」
望陽がぽかんと口を開けた後、ヘラっと表情を崩した。
「ごめん。多日登の顔見てて、聞いてなかった」
「はぁ?」
さすがに、少しだけムッとした。
「ちょっと、望陽のためにやってるのに」
僕が抗議する横で、望陽が目を細める。望陽の手の甲が、僕の頬をスルッと撫でた。
――えっ?
突然の接触に声も出なかった。
「多日登って不思議だよね。うまく笑えないのに、怒ったりとか、びっくりしたりとか、ムキになったりとかは、ちゃんと表情あるのにね――」
ひとり言のような言い方に、何も答えられない。心なしか、空気が変わった気がする。
「笑った顔、見たいな」
「……え?」
頬を撫でていた手の甲を返して、手のひらで包むように触れてくる。親指が、目の下や唇の横をふにふにっと軽く押した。
いつものじゃれつく感じとは明らかに違う触り方だった。いくら鈍感な僕でもわかる。
僕の鼓動が、速くなった。
どうしよう……焦っているからなのか、心臓がうるさいせいで余計に焦るのか、もう訳がわからなかった。
もしかしたら、望陽は僕をからかっているだけかもしれない。それなら、過剰に反応するのも、変に意識しているみたいで恥ずかしい。
かといって、ふざけて笑い飛ばせるほどの勇気もなかった。
そう思っているうちに、望陽の手が僕の頬から離れた。
なんだ、やっぱり少しからかっただけかとホッと胸を撫でおろす。
そこで、なんで、安心しているのかが自分でもわからなかった。これ以上、何があると言うのだ――
「ねぇ、多日登、前髪切らないの?」
ふと、前髪を摘まれる。望陽はいつもの雰囲気に戻っているようだった。僕だけがさっきの空気を引きずっているようで、なんだか恥ずかしかった。
「んー、美容室も苦手で」
「切ってあげようか?」
「いや、ちょっと前が遮られてる方が、いいのかも」
「なんで?」
「……」
やっぱりうまく笑えないからかな? とは答えられなかった。
さっき望陽は、僕は笑うのが下手でも、いろんな表情があるって言ってくれた。でも、笑顔とか以前に、表情を読まれること自体が怖いのかもしれない。特に目を見て見透かされるのは怖い。
そう思っていた矢先に、
「多日登の目、綺麗……」
前髪を摘むだけじゃなく、手で持ち上げられて、ジッと見つめられた。
あの日と似ている。望陽が僕の唇に触れた、あの日の空気と――
あの時は、風太が止めてくれた。
でも、今は風太はいない。
「あの……望陽?」
探るように声をかけてみるが、望陽の耳には届いていないようだった。
「夕陽が反射して、綺麗」
「え……と」
「やっぱり、前髪切らないでね」
「……なんで?」
「他の人に、見られたくない」
「……望陽?」
望陽の手が僕の顎に当てられ、軽く顔を持ち上げられる。視界いっぱいに望陽の顔が近づいてきた。
「み、望陽!」
僕は、慌てて両手で望陽の口を覆った。
「……だめ?」
その言葉が決定的だった。
今のは事故じゃない。明確な意図をもって、望陽は僕に唇を寄せてきたのだ。
「だ、ダメでしょ?」
「俺のこと、嫌い?」
「そ、そうじゃなくて……」
僕は混乱していた。漫画みたいに、目玉がグルグル回る錯覚を覚えた。
「や、約束! 勝負! 僕を先に笑わせた方が、キ、キスするんだよね!? じゃあ、い、今、は、ダメじゃん!」
僕は、何を言っているのだろう。この言い方だと、キスをすること自体、ダメじゃないみたいじゃないか。
いや、ダメじゃないけど、いや、ダメだろ? え、男同士だし、なんで? え、なんで僕なんかにキスしたいの?
僕はもう頭が沸騰しそうだった。
顔もあり得ないほど真っ赤になっているだろう。
「そう、だよね?」
僕の慌てように、望陽はふっと小さく笑った。
「ごめんね。多日登」
そう、目を細める望陽が、なんだかすごく大人っぽく見える。
やっぱりからかわれたのかな? という思いも、拭いきれない。それでも、勘違いだとは片付かないことが、今、起きてしまった。
忙しい頭を整理しきれないままでいると、望陽が僕を軽く引き寄せて、おでこにキスをした。
「えっ……」
前髪越しだったけれど、その感触が妙に残って、そこから熱が広がっていくようだった。
「今はこれで、我慢する」
鼻先で望陽がへらっと笑う。
その顔もいつもより、少しだけ大人っぽく見えた。
いつの間にか、パソコン室の壁に設置されたスピーカーからは、下校を促すアナウンスが流れていた。
