幼馴染がおれだけに甘い

 スマホのアラームを消して、目覚まし時計も止める。二日目の今日も、問題なく起きられた。
 身支度を整えて朝食を食べ、家を出る。
 向かいのインターホンを鳴らすと、すぐに怜矢が出てきた。

「涼真おはよう」
「おはよ」

 怜矢は柔らかい笑みを向けるけれど、目の下が黒ずんでいるように見えた。

「寝不足か?」
「あっ、うん。あまり眠れなくて」

 テスト前だし、遅くまで勉強していたのだろうか。
 見習わなくては。と思うけれど、自分で起きられなくなると困るから、いつも通りの時間に寝よう。




 今日は一時間目が体育だった。
 着替えて体育館に向かう。
 上靴から体育館シューズに履き替えた。自分で紐を結ぶと、左右できつさが違う。緩い方を結び直しても、なんだかしっくりこない。怜矢が結んでくれると、おれの足にフィットするのに。
 なんだかおかしい。
 最初は自分でできて達成感が得られたのに、今は怜矢と比べてしまう。
 怜矢に目を向ける。怜矢もおれを見ていたようで、視線が交わった。
 おれ、怜矢にやってもらいたいって思ってる。頼るの止めるって決めたのに。
 またわがままお坊ちゃんって言われてしまう。
 自分でできるのに、なんで怜矢にやってもらいたいんだろう? 自分の気持ちがわからなかった。




 昼休みに購買でパックの牛乳を二つ買う。
 両手に持って、ジッと見下ろした。これで理由がわかればいいのだけれど。
 怜矢にやってもらいたいのか。それとも別のやつでもいいのか。今まで怜矢がやってくれていたから、怜矢にやってもらいたいと思い込んでいるのかもしれない。
 教室に戻って、空いている怜矢の隣に座った。

「なぁ、ストロー刺して」

 前に座る阿部の前に牛乳を置く。

「は?」

 怜矢から、聞いたこともないほど低い声が聞こえた。
 隣に目を移す。
 怜矢は牛乳を睨みつけていた。視線でパックに穴が開きそうだ。
 阿部は「怜矢に頼らないって言ってたのに、次はオレかよ」とおどけた顔で笑った。

「いいからやれって」

 阿部は首をすくめて舌を出し、ストローを刺しておれの前に置いた。

「ほらよ」
「サンキュー」

 一口飲む。一ミリも気持ちは動かなかった。阿部にやってもらいたいとは思わない。

「ぬるい!」
「それはオレのせいじゃねーよ」

 がなられるが、気にせず怜矢にも牛乳を渡す。

「ストロー刺して」

 怜矢は目をまん丸にして、おれと牛乳へ交互に視線を走らせる。

「飲みたいから早くやって」
「あっ、うん」

 戸惑いがちに、怜矢がストローを刺しておれに差し出した。

「はい、できたよ」

 柔らかい笑みを向けられる。ポカポカと胸の奥が灯った。これがないから自分や阿部では満足できなかったのか。
 受け取って飲む。
 さっきより美味しく感じて、一気に吸い込んで飲み干した。

「美味い!」
「おい、オレの時と言ってることが違うじゃねーか」
「ああ、だって怜矢だし」
「怜矢だし、の意味がわかんねーよ」
「はいはい、悪かったって。お詫びにこれ、やるよ。飲みかけだけど。おれはもう満足した」

 阿部が刺した方を渡そうとすると、隣から大きな手が伸びてきた。掠め取られて、瞬きを繰り返す。
 怜矢がズゾーッと音を鳴らして飲み切った。素早すぎて、呆気に取られる。

「いらないなら、俺がもらってもよかったよね」
「ああ、……別にいいけど」
「阿部にはこれあげる」

 怜矢は未開封のカフェオレを阿部に差し出した。

「あ、ああ。くれるならもらうわ」

 阿部がカフェオレを開けて一口含む。すぐに隣の内田に奪われて喚いていた。
 やっぱりおれは、怜矢にやってもらいたいんだ。
 腕を組んで深く悩む。

「どうしたの?」

 怜矢の表情は柔らかいまま。

「帰ったら怜矢の家に行ってもいい?」
「うん、もちろん」

 怜矢の頬は血色が良くなった。

「怜矢に頼るのやめるってのをやめるの?」

 内田に聞かれて首を振る。

「いや、自分でやるよ。牛乳は確認したいことがあっただけ」
「なんだ。わがままお坊ちゃん復活かと思ったのに」

 阿部がニヤニヤ笑っている。

「おれは頼られる男になるって言ったろ」
「じゃあいちごオレ買ってきて」
「オレは牛乳」

 阿部と内田が財布を取り出す。

「そんな天丼はいらねーんだよ。おれをパシるな」
「なんだ。バレてんじゃん」
「もう一回くらい、いけると思ったのにな」

 阿部と内田が顔を見合わせて首を傾ける。
 こいつら、おれのことをバカにしすぎだろ。




 帰宅して着替え、すぐに怜矢の家に向かった。
 怜矢も着替えていて、自分の部屋にローテブルも運び込んだ後だった。その上にお茶の入ったグラスが二つ用意されている。

「さっそく勉強しようか」
「いや、その前に言いたいことを言わせてくれ」

 おれが座ると、怜矢が不安そうに瞳を揺らしながら正面に座る。

「なに? どうしたの?」

 自分でもこの感情を整理できていない。上手く伝わるかわからないけれど、思うまま話そう。
 お茶をぐっと飲み干して息をついた。

「あのさ、おれってやればできる子じゃん」
「そうだね。俺がいらないくらい、自分のことは全部できてたよね」

 怜矢が斜め下に視線を送る。

「そう! できるんだよ。でもさ、怜矢にやってもらいたいって思ってんの」

 怜矢が反射のような素早さで顔を上げる。
 期待に満ちているように、瞳が煌めいていた。

「どうして俺にやってほしいの?」
「それがわかんねーんだよ。今日の昼に阿部にやらせたじゃん。誰でもいいんじゃなくて、怜矢じゃなきゃダメってのはわかってんの。でもそれがなんでかわかんねー」

 腕を組んで天井を睨みつける。

「じゃあまた今まで通りでいい?」
「いや、ダメだろ」

 視線を怜矢に戻せば、傷ついた顔に胸が傷んだ。

「おれは怜矢に迷惑をかけたいわけじゃないんだ。だからできることは自分でやる」
「迷惑だなんて思ったことないよ」
「世話焼くのなんて、面倒なだけだろ」

 怜矢は「違うよ」と首を振る。

「俺が涼真の世話を焼いてた理由はわかる?」
「優しいから」
「それなら俺は、他の人の世話も焼いてなきゃおかしいよね?」

 顎に手を添えて思い返す。怜矢はおれ以外にはやっていない。

「じゃあなんで?」
「俺が世話を焼く理由と、涼真が俺にやられたい理由が同じなら嬉しいんだけど」

 ムッと口を尖らせる。

「だからわかんねーって言ってんの。怜矢の理由くらい教えろよ」

 怜矢は深呼吸を繰り返し、グラスを煽る。テーブルに置くと、カランと氷がぶつかる音がよく聞こえた。

「俺は甘やかしたいんだよね」
「おれを?」

 首を傾けて自分に人差し指を向ける。怜矢は柔和に微笑んで頷いた。

「好きな子は甘やかしたいの」

 部屋は静寂に包まれる。
 怜矢と視線が絡み、逸らすことができない。
 怜矢がおれを好き?
 体中の血液が沸騰するかのように、全身へ熱を運ぶ。

「世話が焼けなくなって、寂しい」

 ……寂しい。おれも一番しっくりくる言葉はそれかも。

「いつからおれのこと、好きなの?」

 胸が苦しいくらい轟音を鳴らす。

「いつだろ? 幼稚園の頃にはもう好きだったよ」

 小さくて、おれの後ろをくっついていた怜矢が頭に浮かんだ。あの頃から好き?
 顔が茹だってしまいそうなほど熱い。

「俺がからかわれると涼真が守ってくれたでしょ。子どもながらに、俺が涼真を守りたいって思うようになった。それが好きの始まりなのかな?」

 だからあんなに必死に『俺は男だ』と叫んでいたのか。

「でも俺が涼真を守ることなんて、一度もなかった」

 幼稚園の頃なんてあまり覚えていないけれど、怜矢はいつもおれの後ろにいた気がする。

「一緒にお昼寝をしたとき、涼真の掛け布団を掛け直して整えたことがあったんだ。そのとき涼真が無邪気に『ありがとう』って笑った。守ることはできないけれど、手助けはできるって知った。そうしたら涼真のことは全部俺がやりたくなった。これが涼真の世話を焼きたい理由」

 怜矢の気持ちを聞いて、体中から汗が吹き出す。
 ローテーブルに肘をついて、頭を抱える。困った。大きく息を吐きだす。

「俺のこと嫌になった?」

 顔を上げる。死刑宣告でも言い渡される前かのように、怜矢の瞳は絶望の色で満ちていた。
 違う。怜矢の話を聞いて嫌だと思っていないから戸惑っている。むしろ嬉しさが込み上げて、自分の感情が追いつかなくて困っている。

「おれさ、一人でできるよ」
「うん、知ってる。本当は嫌だったけど涼真が頑張ってるし、自分でやりたいって思うのはいいことだし我慢した。本当に嫌だったけど」

 怜矢は鼻の付け根にシワを刻む。

「今も怜矢にやってもらいたいって気持ちは変わらない」

 怜矢の瞳がゆっくりと見開かれる。

「二人っきりのときはおれの世話を焼いてよ」
「いいの? 我慢しすぎてストレス溜まってたんだよね」
「でも二人のときだけな。学校ではやるなよ」

 またわがままお坊ちゃんってバカにされるから。
 怜矢の手がこちらに伸びてきて、おれの手を掬う。両手で包まれた。

「どうして世話を焼かせてくれるのか、聞いてもいい?」

 真剣な眼差しを受け、乾いた喉をゴクリと鳴らす。
 怜矢の手のひらは少し湿っていた。怜矢も緊張しているの?

「怜矢の気持ちが聞けて、嬉しかったから」
「……それだけ?」

 怜矢は不満そうに眉を寄せる。
 奥歯に力を込めた。嬉しかった理由は、声をなくしたみたいになかなか口から出てこない。

「涼真、教えて?」

 陽だまりのような優しい眼差しにホッとする。小さく頷いて口を開いた。

「れ、怜矢が好きだから」

 声は萎んでいったけれど、怜矢はとびっきりの笑顔を見せてくれた。

「俺と付き合ってくれる?」
「うん」

 怜矢につられて、おれもいつの間にか笑っていた。

「ねぇ、お願い。休みの日に一日中甘やかさせて」
「いいけど、テスト前だぞ。勉強しねーの?」
「勉強もするし甘やかす」

 怜矢は「楽しみだ」と声を弾ませた。

「おれも」

 そう告げると、怜矢が照れ笑いを浮かべた。