幼馴染は俺だけに甘い

 スマホのアラームが鳴り、強制的に起こされる。
 スマホを掴んで『迎えにきて』とメッセージを送り、再び瞼を下ろした。




涼真(りょうま)起きて」

 甘く低い声と共に熱い吐息が耳を掠め、じんわりと熱が広がる。
 瞼を持ち上げると、ベッドの傍に膝をついた向いに住む幼馴染の国崎怜矢(くにさきれいや)が、おれの顔を覗き込んでいた。
 その顔が、朝っぱらからキラキラと眩しい。
 小さな頃は、もっと可愛らしかった。いつもおれの後ろにくっついて「涼真の彼女」とからかわれ、ベソをかきながら甲高い声で「俺は男だ」と言い返していた頃が懐かしい。
 それが今では背もぐっと高くなり、がっしりとした体格の男前に成長している。
 身長も筋肉も分けてほしい。

「早く着替えないと遅刻するよ」

 起き上がると寝巻きを脱いで、のろのろと着替える。

「怜矢、靴下とって」
「はいはい」

 怜矢はクローゼットにある収納ケースから、学校指定の靴下を取っておれに差し出す。それを受け取って履いた。
 怜矢はおれが脱いだばかりの寝巻きを、丁寧に畳んでくれる。

「授業の準備はしてあるの?」
「確認して」

 学ランのボタンを留めている間に、怜矢がスクールバッグの中身を確認してくれる。

「体操服がないけど」
「学習デスクの近くにない?」
「あった。入れておくから」
「うん、よろしく」

 着替え終わり、姿見の前で髪を整える。

「同じクラスになったから、体操服を忘れても、もう貸せないよ」

 去年は別のクラスだったから、忘れ物をするたびに怜矢に借りていた。体操服は大きくてブカブカだから気になったけれど、怜矢はおれが他の友達に借りることを嫌がった。

「忘れても、誰かに借りるよ」
「絶対にダメ。涼真が着ていいのは、自分のものか俺のものだけ」

 体操服は左胸に苗字が入っており、おれの『桐沢(きりさわ)』か怜矢の『国崎』以外認めない、と喚いていた。
 必死過ぎてちょっと引いたのは内緒だ。
 怜矢がおれの後ろに立ち、鏡越しに視線がかち合う。

「なに?」
「いや、寝起きでこんなに整ってる人いないよって思って」
「そうか? 鏡見てみろよ。男前が映るから」

 怜矢は目を大きく見開いた。
 スクールバッグを肩にかけ「行くぞ」と声をかけて部屋を出る。
 一階に降りて、キッチンに置いてある弁当をスクールバッグに詰め込んだ。
 玄関に向かうと、怜矢が軽い足取りで二階から降りてくる。頬は血色よく赤みがさしており、口角も上がっていた。

「機嫌いいな」

 怜矢は「そうだね」とはにかんで靴を履く。

「いってきます」

 怜矢と声を揃えて、外に出た。




 喋りながら歩いていると、怜矢に肩を掴まれて引き寄せられた。怜矢の首に顔が埋まり、石鹸の香りが鼻先をくすぐる。

「危ないな」

 おれの横を猛スピードで自転車が走り去った。
 逞しい腕に抱き止められ、安心感に包まれていたのに、怜矢は「大丈夫か?」と腕を解いておれの顔を覗き込んだ。
 眉を下げておれを気遣う怜矢に、思わず息が漏れる。

「怜矢はおれのことを、惚れさせる気かよ」

 怜矢は目をまん丸にした後、流し目をよこした。

「惚れなよ」
「お前が惚れろよ」
「もう惚れてるよ」

 怜矢は正面に向き直って「急がないと遅刻するよ」と足を進める。
 ……びっくりした。
 胸がドッドッと内側から突き破りそうなほど大きく動く。
 怜矢もあんな冗談とか言うんだ。

「待てよ」

 先を歩く怜矢に駆け寄り、隣に並んだ。




 教室に入ると同時にチャイムが鳴る。

「間に合った」
「今日も仲良くギリギリか? 早く座れ」

 先生はすでに教室にいて、慌てて自分の席に座る。怜矢もおれの後ろの席に腰掛けた。
 HRが終わり、一時間目は数学だった。
 黒板に並ぶ数式を解いていると、ぐーと腹が鳴った。
 朝ごはんを食べてこなかったから、今になって空腹感が押し寄せる。
 でも朝は苦手で、ついつい二度寝してしまう。
 腹をさすっていると、腕が机に当たってシャーペンが落ちた。
 おれの後ろに転がり、手を伸ばしただけでは届きそうにない。
 席を立つか迷っていると、怜矢が腕を伸ばして拾った。

「はい」
「ありがと」

 爽やかに笑って、怜矢がシャーペンを差し出した。それを受け取る時に、怜矢の指が触れる。その指がおれの指をすりすりと往復した。思わず「は?!」と大声を上げていた。

「桐沢、どうした?」
「いや、すみません」

 クラスメイトから視線を集めて首をすくめる。

「ちょうどいい。前に出てこの問題を解いてみろ」
「はい……」

 とぼとぼ歩いて黒板の前に立ち、チョークを掴んだ。
 問題を解き終わると、先生に丸をつけられる。

「正解だ。ちゃんと授業も聞けよ」
「はーい」

 得意な数学で助かった。
 自分の席に向かう途中で、怜矢と視線が絡む。
 楽しそうに口角を引き上げる怜矢。おれは眉間に皺を刻んで、席に着いた。
 授業中に何を考えてんだよ。こんなイタズラをするようなやつだっけ?
 その後は真面目に授業を受けたが、空腹感は紛れなかった。




 授業が終わって振り返ると、怜矢は「どうしたの?」と楽しそうに首を傾ける。
 わかっているくせに。おれが慌てるところを楽しんでいるんだ。

「ごめんなさい、は?」
「俺は悪いことをしたの?」

 目を瞬かせて、すっとぼけた顔をする。
 鼻の付け根に皺を刻み、立ち上がって教室を出た。

「え? 待って。怒ってんの?」

 怜矢が慌てて追いかけてくる。さっきの余裕そうな顔なんてなかったかのように、おれの後ろを狼狽えながら歩いている。
 怒っているから教室を出たのではなく、休み時間のうちに購買でパンを買いたかったから出ただけなのに。
 謝らせるチャンスだと思って、わざと声を低くする。

「ごめんなさい、は?」
「ごめんなさい」
「理由はわかってんのか?」
「指を触ったから」
「ちげーよ! 授業中に大声を出させたから。そのせいで当てられたし」
「俺に触られるのは嫌じゃないってこと?」

 恐々と聞く怜矢の手をとって、指を撫でる。

「嫌じゃないけど」

 パッと離すと、怜矢は反対の手で触れた手を覆ってホッと息をついた。

「もう授業中にふざけるなよ」
「うん、ごめん」
「よし」

 話が終わると、購買に着いた。クリームパンを買って、教室に戻る。
 背もたれを抱えるように、後ろを向いてまたがって座った。怜矢も自分の席に腰を落とす。
 パンの袋を開けてかぶりついた。パンはボソボソしていて、クリームは甘ったるい。

「来週からテストだね。勉強してる?」
「やめろ! 飯が不味くなる話はするな」
「購買のパンがそれ以上不味くなることはないから大丈夫」

 顔を顰めれば、怜矢は口元を緩めた。

「一緒に勉強しようよ」
「そうだな」
「じゃあ帰ったら涼真の部屋に行くね」
「わかった」

 二時間目が始まるチャイムが鳴り、前に向き直る。パンを慌てて口に詰め込み、水で流し込んだ。




 その後も授業を受け、昼休み前の四時間目は体育だった。
 数人で集まって体育館の端に座り、バスケの試合を眺める。

「涼真、紐が解けそうだよ。俺が結び直そうか?」

 足先に目を向けると、左足の体育館シューズの紐が緩んでいた。

「ああ、やって」

 怜矢がおれの紐を結んでいると、隣にいる阿部がギョッとした目で怜矢を見ていた。

「え? なんで自分で結ばねーの?」
「怜矢、上手いから」
「いつもやらせてんの?」

 阿部が背をのけ反らせる。

「一緒にいるときは」

 おれより先に怜矢が気付いて結んでくれる。

「子分?」
「ちげーよ。幼馴染だって」
「幼馴染って、そんなに距離近いの?」
「これが普通じゃねーの?」

 阿部は首を傾けて乾いた笑みを貼り付けていた。
 ピーッと試合終了の笛が鳴る。

「次はおれたちの番だ。行こうぜ」

 立ち上がってコートへ足を進める。
 怜矢はおれ以上に力加減がわかっている。すごくフィットしていた。体育館に入る前におれが結んだ右は、少し緩い。こっちも結び直してもらえばよかった。




 昼休みはみんなで机をくっつけて弁当を食べる。
 隣の怜矢の弁当をチェックした。

「あっ! 卵焼き入ってるじゃん。一個ちょーだい」

 怜矢のおばちゃんが作る卵焼きは、おれの好物だ。

「いいよ。はい、あーん」

 卵焼きを箸で掴み、怜矢がおれの口元に持ってくる。それに勢いよくかぶりついた。
 ほんのり甘くて、ふんわりとした食感がたまらない。
 一緒に食べてるみんなからの視線を集め、目を瞬かせる。

「もう一個いる?」
「いい。怜矢のがなくなるから」

 自分の弁当に箸をつけると、みんな目を逸らして食べたり話したりし始める。
 クリームパンだけじゃ足りなくて、一気に食べ切った。

「はー、やっと腹いっぱいになった」

 背もたれに体を預けて腹をさする。隣から手が伸びて、怜矢が弁当箱と箸を袋にしまってくれた。

「いやいやいや、おかしいだろ!」

 正面に座る内田が急に叫び出し、肩が跳ねた。視線を上げれば、みんなが眉を顰めている。

「怜矢のせいで、涼真がわがままお坊ちゃんになる」
「これ以上わがままになったら、どうするんだ?」
「怜矢も手を出すな。わがままが加速するぞ」

 周りに捲し立てられ、混乱する。

「ちょっと待て。おれってわがままなの?」

 全員がうんうん頷くが、怜矢だけは「そんなことないよ」と目元を和ませる。

「甘やかすな」
「涼真のためにならないぞ」

 内田と阿部が目を尖らせる。矛先が怜矢に向かった。
 自分の行動を思い返してみる。
 怜矢が世話を焼いてくれて、それが当たり前になっていた。

「怜矢」

 みんなに咎められて、背を反らす怜矢に声をかける。

「どうしたの?」

 怜矢は引き攣っていた顔をパッと輝かせた。
 みんなが口を閉じておれたちに注目している。

「あのさ、いつもありがとう」
「どうしたの、急に」
「いや、いつも世話を焼いてもらってんのに、感謝の気持ちを忘れてたなって」

 やってもらって当然と思っていたけれど、これではわがままお坊ちゃんと言われても仕方がない。
 怜矢は「全然気にしないで」と照れくさそうに笑った。
 周りのみんなも「涼真が礼を言った!」と湧く。初めて子どもが歩いたような盛り上がりに、自分のダメな部分を思い知らされた。

「よし! おれは怜矢に頼ることをやめるぞ」

 拳を突き上げると、拍手喝采。

「……え?」

 一緒に食べていないクラスメイトも「頑張れ」とか「応援してる」と声をかけてくれて、教室が活気づく。
 それなのに怜矢だけが呆然として、表情を無くした。

「まずは一人で起きるぞ」
「え? 起こされてたのか?」
「ああ、いつもは迎えに来てって連絡して二度寝してるから」

 全員が白けた目を向けてくる。さっきまであんなに賑やかだったのに、今は静まり返っている。おれってそんなにヤバいのか?

「ねぇ、今まで通りでいいんじゃない? 涼真はそのままがいいよ」

 怜矢が眉間に皺を刻んで、翳りのある目を向けてきた。

「なに? 怜矢はおれが一人で起きられないって思ってんの?」
 片眉を跳ね上げると、怜矢が慌てて首と手を振る。
「ちが……」
「絶対に一人で起きてやる。怜矢には頼らない!」

 怜矢の言葉を遮って、力強く宣言した。
 手始めに怜矢が片付けてくれた弁当箱をスクールバッグにしまう。
 一人でできるって、絶対に証明してやる。
 顎をツンと突き出すと、怜矢は儚げに目を伏せた。
 その顔を目にして、胸に棘が刺さったみたいにツキンと傷む。首を捻って胸をさすると、勘違いだったのかと思うほどすぐに痛みはひいた。




 帰宅して家の前で怜矢と別れ、家に入る。
 自分の部屋で荷物を下ろし、部屋着に着替えた。
 勉強をするために、折り畳みのテーブルを別の部屋から持ってくる。

『鍵空いてるから、勝手に入ってきて』

 怜矢にメッセージを送る。
 すぐに「おじゃまします」と階下から怜矢の声が聞こえた。
 階段を登る足音が聞こえ、脱ぎっぱなしにしていた学ランを拾ってハンガーにかける。
 扉が開き、怜矢がおれの手元を見て固まった。

「ちゃんと自分でかけたんだね」
「ああ。自分でやるって決めたからな」

 怜矢が来る時は、やってくれるから脱ぎっぱなしにしていた。クローゼットにハンガーをかけて、扉を閉める。

「勉強しよーぜ。座れよ」
「あっ、……うん」

 俺が座ると、怜矢が正面に座ってスクールバッグから筆記用具と数学のワークを取り出した。

「テスト範囲ってどこからどこだっけ?」
「ちょっと待ってね」

 怜矢がファイルを取り出したところで、ハッとする。
 無意識に聞いていた。頼らないと決めたのに、頼るのが癖になっている。

「待って! やっぱり自分で調べるから」

 怜矢は手を止めて、「そう……」と眉を下げる。
 スクールバッグからファイルを取り出し、テスト範囲が書かれた紙を取り出す。
 確認して、英語の教科書をテーブルに広げた。
 英文を訳していて、教科書に目を落としたまま額を押さえる。これ、なんだっけ? 出てきそうで、出てこない。
 必死に思い出そうとして、視線を上げる。怜矢と目が合った。
 口を開きかけて、慌てて引き結ぶ。すぐに怜矢に聞く癖を直さないと。
 電子辞書を取り出して、自分で調べた。
 怜矢は何も言わずに、ワークに目を向ける。
 おれが聞くと、怜矢の手も止まる。怜矢のためにも、勉強だって自分で頑張ろう。




 驚くほど集中していたようで、時計に目を向けるとすでに一時間以上勉強していた。

「休憩する?」
「そうだな。すげー捗った」

 両手を後ろについて、足を伸ばす。

「うん、頑張ってたね」

 怜矢の声は弱々しかった。

「疲れたのか?」
「大丈夫だよ」

 言葉とは裏腹に、全然大丈夫そうに見えなかった。




 夜になり、眠る前にスクールバッグの中を確認する。

「明日の準備はバッチリだな」

 スマホのアラームを設定して、枕元に置く。もう一つ保険として、目覚まし時計をセットした。学習デスクの上に置く。ここなら、手を伸ばしただけじゃ届かないから、二度寝防止になるぞ。

「よし、これで完璧!」

 電気を消して、ベッドに入った。すぐに眠りに落ちる。