いつまでも「なぜでしょう?」ではありません!

「なんか、暇」

伊織はひとり、学内カフェでアイスコーヒーを飲んでいた。
今日は午後の講義もなく、図書館で調べものをしてからの暇つぶしをしているところだった。
カフェはガラス張りになっており、外を歩く学生を何ともなしに眺めていた。

そういえば、先輩ってコーヒーばっか飲んでるよな。
いつもブラック。
アイス?ホット?
どっちも飲んでた気がする。

ストローでカップの中身をかき混ぜる。

「なんで俺、先輩の事考えてるんだ?」

窓の外を、友人の坂下が通りかかるのをみつけた。
向こうも気がついたようで、カフェに入ってくる。

「よう、伊織」
「よう」
「何してんの」
「何?何してんだろ」
「は?」
「たぶん、待ってる」
「何言ってんの」
「たぶん俺、先輩の事待ってる」
「また一緒に帰るの?」
「うん、約束してないけど、一緒に帰りたい」

伊織は窓の外を眺めている。
坂下は「こいつは何を言っているんだ」という目で伊織を見る。

「約束してるん?」
「……いや?してねぇ」
「……そ」

このぼんやり具合は重症だ。
坂下はそんな感想を持つ。

「俺、先帰るね」
「おう」
「木内先輩によろしく」
「何を?」
「や、そういうのあるっしょ」
「んー」

これ以上話していてもらちが明かないと、坂下は去っていった。

俺、なんか変か?
てか、なんで先輩のこと待ってるんだろう。
一緒に帰りたいから、だけなんだけどな。

伊織は暦とどこで落ち合うかも考えず、とりあえずこの場所からなら校舎から出てくる暦を見つけられるだろうと、それだけでその席に座っていただけだった。

「先輩まだかなー」

氷が溶け、アイスコーヒーの味は薄くなっていた。しばらく待っていると、暦が校舎側からやってくるのが見えた。
そして、カフェの窓側の席に座っている伊織を見つけて近づいてくる。

「こんにちは、柴君。カフェなんて珍しいですね」
「うん、ちょっとね。……あれ、先輩、それつけてくれてんの?」

暦は、伊織の視線の先、自分のトートバッグの持ち手を見た。
自分では選ばないような、珍妙な人形がぶら下がっている。

「ええ、せっかくですから……なにかおかしいですか?」
「いや?つけてくれると思ってなかったから」

伊織は嬉しそうな笑顔で言った。

「や、でもちょっと……おもしろいかも……」

伊織が自分で選んだものだが、暦が律儀に変な人形をぶらさげている、そのビジュアルが妙にツボにはまってしまった。

(笑われるのはなんだか癪です)

「取ります」
「え、なんで!」

暦がいそいそとキーホルダーを外そうとする。
伊織は「つけといてよ!」とその手を止めようとする。
もみくちゃにされる人形。

そして、

「なら、そのままで」

暦が折れた。
人形はそのまま暦のトートバッグの持ち手に収まった。

「それがいいよ」

伊織が安心した表情をする。
暦は煮え切らない様子だった。

「じゃあ先輩、帰ろ」
「え?」

伊織はそう言って機嫌よく空になったプラスチックカップをゴミ箱に放る。

「や、もう終わったでしょ、一緒に帰ろ」
「……え、ええ、いいですけど」

(何故この人は、こんなにも構ってくるのですか)

暦には、疑問だけが残ったが、それでも二人連れで帰ることには疑問を抱かなかった。

帰り道の途中で、暦は伊織に聞いてみた。

「なぜ、柴君は私に構うのですか?」
「……え?」

暦が困ったような顔をする。
伊織もすぐには反応できない。

「なんでだろ……気になる、から?」
「気になる、とは」

歩くペースがゆっくりになる。

「ていうか、何?急に」
「気になったからです」
「先輩も気にしてんじゃん」
「……」

(私が柴君を気にしてる?)その夜、伊織は帰宅中の会話を思い出していた。

「なんで先輩の事気にしてるの?俺」

ベッドに寝転びながら、一人考える。

「……かわいい?」

面倒くさい。
ちょっと抜けてる。
律儀。
自分には妙に付き合ってくれる。
なんか構いたくなる。
という断片をかき集めてくる。

「これって、かわいい?」

自分でも、あり得ない着地の仕方をしていると思った。

「や、いや、かわいいってなに!?」
「でもかわいいの、か?」

明日からどんな顔して会うんだよ……
伊織は考えれば考えるほどわからなくなり、布団にもぐって思考を止めた。
布団の中はだんだん暑くなり、息苦しさも重なってくる。
それでも、伊織には、布団から出て新鮮な空気を吸おうという選択はなかった。伊織が暦について悩んでいた数日間のことだった。

「木内先輩、ですよね?」

暦はいつも通り講義室の中央あたりの席で次の講義の準備をしていた。
バッグの中を整理していると、知らない声が飛んできた。

「そうですが……どなたですか?」

姿だけは知っている。
以前、伊織が傘に入れようとしなかった、おそらく伊織の友人……。

「やっぱそうだ」
「?」
「伊織の友だちの坂下です。よろしくっす」
「はぁ」

「なぜ、私のことを?」
「や、そのキーホルダー」

坂下は、目だけで珍妙な姿のキーホルダーを指した。
暦は、自分のトートバッグにぶら下がっている人形を見る。

「これが何か?」
「伊織が旅行先で買ったやつ。めちゃくちゃ悩んでました」

(悩んで……?)

てっきり、適当に選んだのかと思っていた。

「先輩の為だったんすかね」
「はぁ」

暦は、どう反応すればよいかわからなかった。

「じゃ、俺、席向こうなんで、呼び止めてすみません」

坂下はそれだけ言うと、友人のいる席へ戻っていった。

(他の人にも渡していたのかと……私の為に選んだ?)

暦は人形を見て、小首をかしげた。

講義開始のベルが鳴った。
暦は、席に着く。
隣にいるはずの伊織は、今日はまだ見かけていない。

(レジュメ……)

手元には同じものが二枚置いてある。

(必要ありませんでした、か?)

自分は何故いつも同じものをふたつ用意するのだろう。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。

隣に伊織がいないまま、講義を受ける。
いつもと同じ。
だけど違う。
何かが足りないと思ってしまう。

何故でしょう。とは思うものの、何故かは自分でもわからない。

違和感を抱えたまま、九十分が過ぎていった。その日の放課後。

今日は柴君を見ていません。
学食にも居ませんでした。
なぜか、会うことがありませんでした。
暦は、妙に伊織の居場所が気になった。

(お休み、ですかね?)

いつの間にか一緒に居ることが普通になってしまった。
隣に居ないとなんとなく不安になる。

(なんだか変な気分です)

いつまでも気にしていても仕方がない、と感じ、図書館へ向かう。
レポート用の資料を探しに行かなければならない。
ネットで調べた本が、おそらく図書館にあるはずだった。

図書館の中は外気と比べ、適温で、居心地が良い。
まずは端末で蔵書検索をして、目的の本があるのか確認する。
どの本棚にあるのかまでチェックすると、該当する棚に向かった。

本棚へ向かう途中、読書用の机にうつ伏せになっている学生を見つける。

(あれ、柴君?)

少しだけ、心臓が跳ねる。

暦は一度立ち止まり、うつ伏せになっている伊織のつむじを見ていた。
少し乱れた黒髪が、時折、エアコンの風でふわりと舞う。

「……柴君」

呼びかけられた伊織は、顔を上げた。

「ん……先輩?」

まだ寝ぼけているようだ。

「なんで先輩がここにいるの?」
「それはこちらのセリフです、なぜこんなところに」
「なんか、ここ、気持ちいいんだよね」

ふにゃ、と笑う伊織に、暦は動揺した。

(なんですか、その笑い方……なんだか……)

動揺を隠して言葉を続ける。

「……とにかく、こんなところで寝ないでください」
「んー、一緒に帰る?」
「聞いてますか?」
「どうなの?」
「……一緒に、帰ります」
「やった」
「本を借りてからです」
「わかった、ついてく」
「ついて?……はい」

気にするのをやめたら、居た。

(しかし、私はなぜ柴君を?)

少し居たたまれない気分になったが、それよりも、伊織を見つけたことに対して少し嬉しくなってしまった自分がいた。

借りるための本を二人で探した。
あるはずの棚を見ても、すぐには見つからなかったからだ。

「ねぇ先輩、思ったんだけどさ」
「なんですか、柴君」
「それ!!」

伊織は本を探す手を止め、暦を見た。

「?」

暦には、わけが分からない。
伊織の顔も見ず、相変わらず本を探している。

「柴君、てなんか遠いんだよね」
「遠いとは?」
「なんか、遠い」
「?」
「んー」
「なんなんですか」

暦はいぶかし気な表情をする。

「下の名前で呼んでよ。皆、伊織って呼ぶ」
「呼び名、ですか」
「うん」
「わかりました、柴君」

暦は伊織に向き直り、ふ、と笑った。

「……そうじゃないんだよな……」

期待外れの反応に、伊織は少し落胆した。

「……ま、いいけど」

そして、伊織も本探しを再開した。

無事に目的の本を見つけ、借りることができた。
伊織の進言通り、二人で並んで家路につく。
この微妙な距離が自然になってしまっていた。