誰がお前を好きになるかよ



「いってぇ!」

 体育祭のリレーの練習中、考え事をしていたからか、バトンをもらった直後に足がもつれ、強めに転けてしまった。
 膝から下へ広範囲を擦りむき、うっすら血が滲んでいる。
 豪快に転けたせいでかなり痛かったが、転けたこと自体があまりにも恥ずかしい。大したことないふりをして静かに苦しんでいると、いつの間にか隣には都築がいた。
 みんなが待機している場所から、少し距離がある。都築の息が切れていて、わざわざ走って来てくれたのだと分かった。

「大丈夫か?」

 少し焦った様子で俺を覗き込む都築の顔が整っていたこと、いつもの都築からは考えられないほどの優しさを向けてくれたこと、恥ずかしくてどうしたら良いか分からなかったこの状況を救ってくれたこと。
 色んなことで頭がいっぱいになり、都築に対してまともに返事ができないでいると、遠くから先生の「大丈夫か〜?」という声が聞こえた。

 都築は両手でバツを作って先生に答えると、それから迷いなく俺のことを抱き上げた。
 それがお姫様抱っこだと気づいたときには、至近距離に都築の顔があって、またパニックになってしまう。

 先生のもとへ辿り着くと、都築は「俺、コイツ保健室に連れて行くんで」とだけ伝えた。頷いた先生に会釈し、都築はそのまま保健室に向かって歩き始めた。

 クラスのみんなに何か言われるかもしれないと、不安になったけれど、「思ったより怪我してたね。大丈夫かな」という声が後ろからちらほら聞こえてきた。俺が都築に抱き上げられていても、みんなにとって大したことではないんだな。

 ……それは、都築にとってもそうなんだろうな。

 そんなことを思いながら、俺を抱える都築を見つめていると、その視線に気づいた都築に「ん? どうした?」と囁かれた。
 都築のその優しい声と近づけられた顔、額や首筋を流れる汗のせいで、俺の全身がじわじわ熱くなっていくのを感じた。
 リレーの練習で走ってから、そこそこな時間が経っている。この熱の理由にはならない。

「……っ、もう、大丈夫だから下ろして!」

 都築の腕の中でジタバタと動いてみたけれど、彼の支える力のほうが強く、逃れることはできなかった。
 都築は「黙っとけ、馬鹿が」とだけ言うと、それ以降何も言わなくなった。

 さっき、とんでもなく優しい都築を見たような気がしたのに、すぐにいつもの冷たい都築に戻ってしまった。もう視線が合うこともなければ、優しい表情を向けられることもない。
 けれど、俺を抱えている手には力が入っていて、俺に向けられている態度とギャップがある。

 俺のこと、どうでもよくて、嫌いだろうに。どうしてそんなに大切そうに抱えているの?


 保健室に着くと、都築は先生に「転けたんでお願いします」と伝え、俺をベッドへと座らせた。それ以上何もすることがないからか、すぐに出て行こうと背を向ける。
 俺は慌てて都築の体操服の裾を掴んだ。引き止めると、都築は「何?」とただそれだけ返し、彼の服を掴んでいる俺の手を引き離した。

「……ううん、何でもない」

 離された手の行き場を失い、俺は膝の上でそっと丸める。

 俺の身体には、さっきまで都築が抱えてくれていた感触が残っている。駆け寄って来てくれたことや、こうして保健室に連れて来てくれたこと、少しだけでも心配してくれていたこと。全てに浮かれていた自分がいたと自覚し、だからこそ何もなかったような彼の反応に、自分だけが取り残されたような気持ちになってしまう。

「都築、ありがとう……」

 それでも何とかお礼だけは伝え、丸めていた手を少しだけ上げた。開き切っていない指のままで、彼に「じゃあね」と手を振った。

「川北」
「ん?」
「……痛かっただろうし、無理に戻らずに休んどけよ」

 都築が俺の頭に手を置き、ポンポンと二度優しく触れた。

「……っ、」

 その瞬間、得体の知れない何かがぶわっと込み上げ、目頭が熱くなった。
 ……何だ、これ。

 俺は、都築と視線が合わないよう下を向いたままで、ゆっくり頷く。
 それ以上何も言わずに都築が退室すると、我慢していた涙がぼろぼろと溢れた。

 「そんなに痛かったの!?」と先生に驚かれたけれど、怪我もそこそこ酷かったのをいいことに、そういうことにして久しぶりに思いっきり泣いた。




 体育の授業の間は保健室で休み、その後教室に戻った。席に座ったときに都築がちらっと俺を見たけれど、「もう大丈夫なのか?」と心配されることもなく、すぐに視線も外されてしまった。

 怪我をしてから保健室に運ばれるまでの、都築とのあの時間は夢だったのかもしれない。
 
 俺が最初に、ゲイなら俺も狙われるってことなのかと、失礼なことを尋ねたから、都築は俺のことが嫌いなんだ。
 今日の怪我の件は、俺じゃなくても助けただろうし、何も特別な感情はないはずだ。
 だからこそ、こういう誰だって心配されるような場面がない限り、都築が俺に優しさを向けてくれることはもうないのかもしれない。
 優しさだけではない。ほかのクラスメイト同様に、何気ない会話を楽しむことさえもできないんだ。
 

「怪我、大丈夫だった?」
「……え?」

 放課後、複雑な思いを抱えながら鞄に教科書を詰めていると、後ろの席の女子に声をかけられた。
 彼女は俺の脚に巻かれたガーゼを見ながら、「痛そうだね」と眉を垂らす。

「今はもう大丈夫だよ、ありがとう」
 
 心配してくれたことにお礼を伝えると、「川北くんを保健室に運んだときの都築くん、かっこよかったね!」と微笑まれた。

「なかなか男を抱えられるほど、体力がある人もいないしね」
「違うの、そういうことじゃなくて、すごい心配していたし、誰よりも早く駆け寄る姿が王子様みたいだなって思ったの。ふたりってあまり話さないけど、都築くんにとって川北くんって大切なんだね」
「……え?」
「じゃあね、お大事にー!」

 どうしてそう思ったのか、彼女の意図を確認できないまま、走って帰ってしまった。
 突然声をかけられたことも、都築と俺の関係性にポジティブなものを感じてもらえたことも、たまらなく嬉しい。
 普段は意識することがないのに、今は心臓の位置がはっきりと分かるほどに騒がしかった。
 
 これじゃあまるで、都築のこと……。

「……っ」

 その先を考えようとしたとき、今までにないくらいに鼓動が速くなり、ぎゅうっと胸が締め付けられた。