この世界に、声がなくても

 薄い扉の向こうでクソ気持ち悪い声が響いてる。
 そのまま上下し続けて、床が抜けて下に落ちちゃえばいいのに。
 まあ別に、そんなのはいつものことか。
 その棒読みの声でよく萎えないなあって思う。あ、そろそろ終わりだなって、わかっちゃうじゃん、そんなの。その声さ逆に笑えるよ。マジで。
 はあ……、聞き耳立ててめちゃくちゃキモいなうち。
 熟年カップルかよ。知らんけど。

 四畳半の狭い部屋。
 部屋の大半を占拠している、自腹で買ったふかふかのベッドに寝転んでいる。この上がうちの生活圏だ。着替えるのも食べるのも化粧するのも寝るのもぜんぶここ。めちゃくちゃ便利で気に入っている。

 うーん、と伸びしながらボロボロになった天井を見つめる。このシミ、なんだか男の顔に見えるんだよなあ。あとここは、裸の女みたいな形してる。四つん這いで誘ってるっぽくて、ちょっとお気に入り。シミの形を浮かび上がらせて、色をつけたり動かしてみたりして想像する。小っちゃいころからのクセなんだよね。シミとか模様とか、動物とか人の絵に見えちゃう。そうやって見てたら、あそこのシミなんて、裸の女を覗いてる変態男に見えてきた。おもろ。

『今夜空いてる? どう?』
『凪ちゃん会いたいよ。今度さ、温泉行こうよ。出張だってことにするからさ』

 スマホを見れば、沢山の男たちからメッセージが届いている。届かない日なんてない。適当に会話するだけで向こうが勝手に興奮しだす。こいつらの性欲はすごい。引く。

『じゃあ、今から駅前行くから、迎えに来て♡』

 羽振りがいい適当な男に返したら、即レスがガチな内容で笑えた。着てくる服装まで要望を出してくる。しょーがないから、好みに合わせた格好に着替える。
 向こうは終わったみたいだ。どうせこの後、酒飲んで騒ぐんだ。うるさいのは変わらない。
 鉢合わせする前に行こう。

 ――そんなんばっかで、毎日が無意味に過ぎていく。

 朝方に帰ったとしても、制服に着替えて学校には行く。自転車はいい運動だし、動くのは色々忘れられるから嫌いじゃなかった。学校も、バカな奴らばっかで、関わるのはウザいけど、見てる分にはまあまあ面白いし、サボる理由も休む理由もないから通ってた。

 その日の放課後は、三年の男子に校庭に呼び出されて告白された。断るのは簡単だけど、匂わせながら種だけ蒔いておいた。後から役に立つかもしれない。「じゃあ考えとく」と別れると、カバンを教室に置きっぱなしだったことに気付く。
 教室に取りに戻って、帰ろうとしたとき、おもしろそうなのを見つけた。

 二年の男子何人かが、教室の中を撮影している。何を撮ってるのかと気になって覗くと、男子と女子が二人きりで向き合っていた。
 ここでも告白してんのかよ。盛ってんな、ここの男子たちは。そう思うと楽しくなった。
 ただ、なんだか雰囲気がおかしい。と、思った瞬間、ぱん! って、すんごく気持ちいい音が響いた。

 小走りで女の子が教室から出て行って、うちの横を通り過ぎる。少しだけ見えた顔は涙ぐんでいて、口は縫われたみたいにきゅって閉じてた。男子たちが笑いながら教室に入っていく。動画、流れてきそうだしチェックしとかなくちゃね。
 それにしても、ほんとバカなことしかしないな。帰る前にどんな奴かなって、告白した男子の顔を見た。これは嘘告か。捻りのない王道の罰ゲーム。顔を見ると、どこにでもいるようなフツーの顔だった。
 けど、なんだろう……。その笑い方。やけに引っかかる。

「……あ」

 そっか――。
 自分が笑っているように見えたんだ。

 * * *

 なんかいきなり坊主になってて、校門の前にずっと立ってた。なんなのこいつ。変な奴。わざと横をぶつかる距離ギリギリで通り抜けた。ほら、すぐお尻見るじゃん。一緒だよ。
 動画は拡散されて学校中でバズったけど、せんせーは知らんぷり。ほんとはせんせーたちも見て笑ってんじゃないのって思う。ほらこの顔、笑ってるのに笑ってないんだよ。ほんと面白い。って、ああもう、うっざいなさっきから。何回見てんだよ、うちは。

 男子は蔦森善吉って名前で、相手は恋仲ひな緒って子。見覚えあるなと思ったら、よく保健室にいた子だ。たしか、喋られないんだっけ。かわいそー。しかも、罰ゲームに巻き込まれて晒されちゃってさ。もっとかわいそー。

 動画を撮ってた金髪男子に聞いてみたら、嘘告の男子は、放課後になれば自分の家とは違う方のバスに乗ってるらしい。真面目にノートをお届けする、お地蔵さんになってるとか。ちょっとおねだりしたら、聞いてないこともガンガン教えてくれる。こいつ、ちょろすぎ。友達なんじゃないの。違うんだろうな。
 こんなこと聞くうちも、何をしたいんだろうね。

「ぜんきち。うちのことも、見てくれる?」

 なんでこんなこと言っちゃったんだろ。勝手に口から出てた。もう言っちゃった以上引っ込めない。たぶん、うちと同じ顔をしてる奴を初めて見たから、つい仲間意識とかそんなんで言っちゃったんだと思う。まともな話ができるかも。なんて。
 もしかしてと聞いてみたら、やっぱりな反応だった。あの女の子の家に通ってるみたいだった。そんなことして何になるの? その理由も意味も、話せば教えてくれるのかな。

 休み時間、トイレのついでに『ぜんきち』のクラスを見てびっくりした。あの子が学校に来てた。ぜんきちは休み時間になるたびあの子の隣にいて離れない。二人は自然な顔で笑い合ってる。なんなの、これ。なにあの世界。うちと同じ顔したやつが、別人のように見えた。
 うちと同類じゃなかったの? なんだか気に食わない。全然知らないし、顔もタイプじゃないのに。なんでこんなにイライラするの。 
 あの放課後に見た顔が、うちみたいだって思ったとき。勝手に仲良くなったつもりでいた。近づけば同類だってすぐにわかってくれて、きっと友達みたいになって――
 って、友達?

「うっざっ!」 

 廊下で会話していた女子グループが、うちの独り言に反応してこっちを見る。睨み返すと、逃げるように去っていった。

 夜、気晴らしに遊びに行ったけど全然楽しくなかった。握る手も汗で濡れて気持ち悪いし、汗臭いし、もらうものだけもらってその日はすぐに終わりにした。
 家に帰ると二人分の靴があった。蹴飛ばしてバラバラにしてやったら少しだけ気が晴れた。ワザと音を立てて帰ってきたことを伝えるけど、聞き飽きた声は静まることはない。

 台所の前で服を脱ぎ、汗を流そうと、電気がつけっぱなしの浴室の扉を開く。シャワーヘッドもシャンプーも転がって乱れていて、天井から壁まで全部濡れていた。飛び散った泡が色んな所にまだ貼り付いている。
 入る気にもなれず、裸のまま自室に戻り、汗拭きシートを取り出して全身を拭く。二枚、三枚、足りない。一気に全部取り出して自分の体を拭き続けた。

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。キモい、キモい、キモい!
 こんなのいつものことで、今までなんともなかったのに!
 そんなうちの感情を無視して、隣から聞こえてくる男と女の声。

「うるせーんだよ! ババア!」

 男なんてみんな同じだ。やりたいだけ。告白だって結局がソレ目的でしょ。付き合ったって口実ができると、すぐその気になるじゃん。うちはそれを利用している。そっちがそれしか考えないなら、その分の対価をもらう。あんな下手な演技より、うちの方がずっとずっと上手いし、負けない。

 あの動画を見る。ほら、やっぱりうちと同じ顔してる。あの笑顔は嘘だ。きっとあの子を騙していいようにしたいだけ。だから昼休みに二人の前で、動画を流してやった。気に食わないし、ぜんきちはこっち側なんだよって教えてあげたかったから。
 そして、どうしようもなくなって、落ち込んでるぜんきちをうちが慰めてあげるんだ。そのときに言う。うちと一緒なんだよって。そうしたら、ぜんきちも気付いてくれる。うちを見てくれるはずだ。

 でも、もし、違うなら。
 ぜんきちがどうするのか見たかった。飛び出して行った二人を追いかけた。それで屋上の前で抱きしめ合ってる二人を見たとき、どう思ったかわかる?

 綺麗だなって、思ったんだ。
 わけわかんないよね。

 いいよ――わかんなくても。