『今向かってる!』
『ごめんなさい。心配させてしまうこと言っちゃいました。私は大丈夫ですから』
ちょうどバスが停まっていて、滑り込むように乗車する。スマホをかざして車内へ。息を切らしてつり革にしがみ付くように体を預ける。近くにいた乗客が距離を離した。
私は大丈夫って、大丈夫なわけない。恋仲は滑ったんじゃない。クラスチャットの異様さ。琴音の取り乱し方。恋仲の発言からして十中八九、悪意のあるやつに落とされたんだ。大丈夫と強がっているだけで、本当は怪我をしているかもしれない。くそ、俺が恋仲の近くに居てやれればこんなことにはならなかった。俺が三国に手を出したばっかりに。
行く当てのない苛立ちはどこにもぶつけることができない。今は恋仲の安否を確認する。それだけを考える。
『着いた。部屋の番号分かる?』
『本当に来ちゃったんですか。……六〇二号室です』
病院に着くと、受付は面会の対応で混み合っていた。何度か来たことがあるので、昔の記憶を呼び覚ましながら地形を一致させていく。ズキンと痛む後頭部を抑えながら、入院病棟への動線を目で追う。本当は受付に寄るべきなのだろうけど時間がないし、断られでもしたら目も当てられない。受付は通れない。迷っている暇なんてない。
顔を伏せ、息を殺しながら人ごみの中をすり抜けていく。エレベーター前では、車椅子のお爺さんと、付き添いの看護師。それと、荷物を持った男性が並んでいた。男性の後ろに隠れるようにして息を潜める。
エレベーターが到着する。挙動不審を見せないように注意しながら六階のボタンを押し、後ろの角へ移動する。エレベーターが上昇していくとともに、スマホのアンテナが一本、また一本と消えていく。
「……恋仲」
電波の状況が恋仲の状態と重なって見え、心拍数がどんどん上がってくるのを感じる。左胸がさっきから痛くて息苦しい。
六階はしんと静まり返っており、人の気配は少なかった。ナースステーションには一人の看護師がいたが、作業をしているのか背を向けており、俺の存在には気づいていないようだった。
ナースステーションのすぐ近く、死角になりそうな壁に背を付けて様子を伺う。汗が止まらない。呼吸も最小限にする。奥を覗く。部屋があるのはわかるけど、六〇二号室がどれかまではわからない。看護師はまだ背を向けたままだ。他に人のいる気配は見える限りではない。音を立てないよう、でも駆け足で通り抜ける。
目の前には六〇一号室、その右手に六〇二号室が見えた。このまま行け!
扉を開くと室内は薄暗かった。群青色に変化していく西日だけがぼんやりと部屋の輪郭を照らしている。個室だった。真っ白なベッドがあって、ツンと鼻に残る消毒液の匂いがする。当たり前のようにある点滴。
そのチューブの先――恋仲は眠っていた。
薄いシーツ越しに小さく胸が上下している。純白の生地の上に、恋仲の黒い長髪は光を吸い込むことなく、僅かな夕日を波のように反射していた。恋仲の家で会ったときみたいに息が止まり、体も動けなくなった。
シーツの上にある包帯に巻かれた腕と、繋がっている点滴の管が、恋仲の状況を物語っている。シャツの中を流れる冷や汗に身震いする。これは現実じゃないと否定する俺がいる一方で、切ないほど痛々しく、でもどこか幻想的な姿だと場違いな目で見ている俺もいて頭が割れそうだった。
たった数日会わなかっただけなのに、もう何か月も会ってなかったかのようだった。こんな形で会うことになるなんて。
寝ているのなら起こさないようにしないと。一歩ずつ音を立てないように近づいていく。恋仲の呼吸音が聞こえてきそうなくらい、部屋は静寂に包まれている。ベッドの近くにある丸椅子に腰を下ろす。恋仲の寝顔は、本当に無防備で、目を閉じた人形そのものだった。見惚れてしまっている俺自身を誤魔化すように、ざっと室内を見回した。
ベッドの横の棚にはタブレットと、ノートとペンがある。そのノートが気になり、腰を上げて表紙を覗く。真ん中に小さく、恋仲の字でこう書かれていた。
『でこきちさんノート』
引き寄せられ、手を伸ばし触れる。心臓とは違う場所で、とくん、と透明な音が鳴った気がした。俺を覆っていた暗い感情に、透明な雫が波紋となって広がっていく、不思議な心地になる。導かれるままノートをめくる。
そこには、授業の内容が綺麗に並べられ、彩られて、踊っていた。
『※ここ先生が大事って!』
『この漢字ちょっと好き』
と、所々に恋仲の注釈が添えられていて授業の内容を引き立てている。届いてないのかもと挫折しそうになったノート。『ありがとう』と受け取ってくれた恋仲。少しでも恋仲の役に立てればと思っていた俺の気持ちは、確かに受け取られていたんだと実感する。
今度は、恋仲が俺の為にノートを――。
こんなの見たら……、嬉しいに決まってる。迷惑? そんなの思うわけがない。一文字一文字から恋仲の優しさが伝わってくる。かかとが椅子の足にぶつかってカツンと音が鳴る。シーツが揺れる音がして、思わず恋仲を見る。目を擦りながら目覚めようとしていた。恋仲の顔は涙で滲んでよく見えない。
「お――おはよう。恋仲」
驚かせないように小さな声で。
「……っっ! っっ!?」
突然ベッドの上が騒がしくなる。ぴんと伸ばしたきった手から持っていたノートがひったくられ、そのままシーツの中に隠された。ガタガタと音を鳴らしながら、タブレットを取り出し、不規則なリズムで何かを打ち込み始める恋仲。
思ったより元気だなって安心している自分がいた。
『どうして!?』
タブレットの両端を持って、打たれた文字を見せる。
「ど、どうしてって階段から落ちたって聞いたから! その……、怪我は? 大丈夫なのか!?」
タブレットを引っ込み、再び打ち込み始める。タタタタン。タタタタタン。素早い恋仲のフリック音。
『停学中です! 外に出たら駄目ですよ!!』
「そ、そうだけど心配で! 一人は怖いって……!」
腕の包帯以外、見た限り大きな怪我はしてなさそうだった。シーツの中は確かめられないけど、タブレットを操作する動きが軽快なので、それを見られただけでホッとした。骨が折れたとか、頭を打っていたりしたらと思うと気が気じゃなかった。
それにしても、不謹慎と自覚しているが、クリーム色の無地の病衣は、制服みたいに大きくだぼっとしていて、恋仲の姿はやっぱり人形のように見える。つい観察していると、恋仲はシーツで全身を隠すように身を包んだ。眉根が上がり、抗議の視線を感じた。
「ご、ごめん」
心配しに来たはずなのに俺は何をしてるんだ。たぶん、俺の顔は西日よりも赤くなっていたと思う。顔面だけが熱を発している。
「あ、ははは。……えっと、とにかく。無事でよかった。って、無事なわけないよな、怪我してるもんな。ああえっと、でも、ほんとに……よかった」
「……」
睨んではいるけど、怒っている気配は感じない。シーツに包まれた恋仲は鼻まで隠れていて、僅かに眉が下がり冷静さを取り戻しているようだった。俺が慌ただしくしただけで、恋仲は最初から冷静だったかもしれないが。
気まずくなってしまい、額を掻くと汗でべっとりと濡れていた。
もぞもぞと、シーツの中で恋仲が動いている。すると、隙間からタブレットが顔を出し、ベッドの上から落ちそうになる。咄嗟に手で押さえると、一緒に飛び出してきた恋仲の手と重なった。
冷たい恋仲の指先が、俺の熱を奪っていく。俺の火照った指先と触れ、条件反射でお互い手を引く。滑り落ちるタブレットは、床に落ちる寸前で捕まえた。そっと恋仲に渡すと、両手でタブレットを受け取る。シーツがはだけたので、再びタブレットと一緒に包まった。
胸の動悸が収まらない。飛び出してきそうになる心臓をその都度飲み込んで、今日ここに来たこと、その理由を改めて脳内に叩きつける。つい安心して、元気な姿を見て嬉しくて忘れてしまいそうになる。
確かめなくちゃいけないんだ。滑ったのか――、それとも誰かに押されたのか。
恋仲も言いたいことがありそうだった。口が小刻みに動いていたので、何かを伝えようとしているみたいだった。俺への視線を外さないってことは、俺の言葉を待っている。そう感じた。
恋仲の目が僅かに湿っていて、光を反射するように揺れている。だから俺は、そんなこと全部ひっくるめて一呼吸で想いを乗せる。
「俺も。恋仲をちゃんと見てるよ。……どんなことがあっても、大丈夫だから」
自分で改めて言うと、クサイ台詞だなって思った。けど、これは恋仲から貰った力のある言葉だったから、恋仲にも返したい。そう思ったんだ。
恋仲は黙ったまま下を向いている。やっぱり俺みたいなやつが言うセリフじゃないなって笑ってごまかそうとしたけど、この雰囲気はそれとはまた違っているように思えた。恋仲の下唇が震えていた。恋仲が言葉を繋ぎやすくなればと思い続きを言う。
「だから、辛いときとか、悲しいときは我慢しなくていいんだ。言ってもいいんだよ。辛い、悲しいって。大丈夫って我慢するのも、強さだとは思うけど、ずっとそれじゃ、体が持たないよ」
そう。吐き出していいんだ。我慢なんてする必要がない。でも、誰にでも構わず吐き出していいわけでもないと思う。だからネットには、いろんな人たちが現実では吐き出せないでいる言葉で溢れている。正論や暴言。人を蔑む言葉や、自分を守る言葉。
リアルでは見せたくないもんな。本当の自分なんて。俺だってそうだ。
でも――。
「俺が偉そうに言えた立場じゃないけど……、こう思えたのは恋仲のお陰なんだ」
恋仲の大きな瞳は、俺の胸の方から時間をかけて顔までなぞる様に動く。俺の目と重なると、捉えて離さない。瞳の中が小刻みに震え、潤んでいた。
「恋仲がチャットで俺を守ってくれたみたいに、俺も恋仲を守るよ。どんなことがあっても、俺は恋仲の味方だよ」
恋仲は泣いたら終わりだって思っているのかもしれないけどそれは違う。恋仲が教えてくれたことだ。泣いたからこそ、俺は前を向けた。だから今度は、俺が恋仲を受け止めたい。頼ってほしかった。
「……っ、ふ……っ」
恋仲の口から声にもならない熱い感情が、細長い吐息になって僅かに震えながら漏れる。
空気の変化が、恋仲の気持ちを代弁しているみたいだった。
『ごめんなさい。心配させてしまうこと言っちゃいました。私は大丈夫ですから』
ちょうどバスが停まっていて、滑り込むように乗車する。スマホをかざして車内へ。息を切らしてつり革にしがみ付くように体を預ける。近くにいた乗客が距離を離した。
私は大丈夫って、大丈夫なわけない。恋仲は滑ったんじゃない。クラスチャットの異様さ。琴音の取り乱し方。恋仲の発言からして十中八九、悪意のあるやつに落とされたんだ。大丈夫と強がっているだけで、本当は怪我をしているかもしれない。くそ、俺が恋仲の近くに居てやれればこんなことにはならなかった。俺が三国に手を出したばっかりに。
行く当てのない苛立ちはどこにもぶつけることができない。今は恋仲の安否を確認する。それだけを考える。
『着いた。部屋の番号分かる?』
『本当に来ちゃったんですか。……六〇二号室です』
病院に着くと、受付は面会の対応で混み合っていた。何度か来たことがあるので、昔の記憶を呼び覚ましながら地形を一致させていく。ズキンと痛む後頭部を抑えながら、入院病棟への動線を目で追う。本当は受付に寄るべきなのだろうけど時間がないし、断られでもしたら目も当てられない。受付は通れない。迷っている暇なんてない。
顔を伏せ、息を殺しながら人ごみの中をすり抜けていく。エレベーター前では、車椅子のお爺さんと、付き添いの看護師。それと、荷物を持った男性が並んでいた。男性の後ろに隠れるようにして息を潜める。
エレベーターが到着する。挙動不審を見せないように注意しながら六階のボタンを押し、後ろの角へ移動する。エレベーターが上昇していくとともに、スマホのアンテナが一本、また一本と消えていく。
「……恋仲」
電波の状況が恋仲の状態と重なって見え、心拍数がどんどん上がってくるのを感じる。左胸がさっきから痛くて息苦しい。
六階はしんと静まり返っており、人の気配は少なかった。ナースステーションには一人の看護師がいたが、作業をしているのか背を向けており、俺の存在には気づいていないようだった。
ナースステーションのすぐ近く、死角になりそうな壁に背を付けて様子を伺う。汗が止まらない。呼吸も最小限にする。奥を覗く。部屋があるのはわかるけど、六〇二号室がどれかまではわからない。看護師はまだ背を向けたままだ。他に人のいる気配は見える限りではない。音を立てないよう、でも駆け足で通り抜ける。
目の前には六〇一号室、その右手に六〇二号室が見えた。このまま行け!
扉を開くと室内は薄暗かった。群青色に変化していく西日だけがぼんやりと部屋の輪郭を照らしている。個室だった。真っ白なベッドがあって、ツンと鼻に残る消毒液の匂いがする。当たり前のようにある点滴。
そのチューブの先――恋仲は眠っていた。
薄いシーツ越しに小さく胸が上下している。純白の生地の上に、恋仲の黒い長髪は光を吸い込むことなく、僅かな夕日を波のように反射していた。恋仲の家で会ったときみたいに息が止まり、体も動けなくなった。
シーツの上にある包帯に巻かれた腕と、繋がっている点滴の管が、恋仲の状況を物語っている。シャツの中を流れる冷や汗に身震いする。これは現実じゃないと否定する俺がいる一方で、切ないほど痛々しく、でもどこか幻想的な姿だと場違いな目で見ている俺もいて頭が割れそうだった。
たった数日会わなかっただけなのに、もう何か月も会ってなかったかのようだった。こんな形で会うことになるなんて。
寝ているのなら起こさないようにしないと。一歩ずつ音を立てないように近づいていく。恋仲の呼吸音が聞こえてきそうなくらい、部屋は静寂に包まれている。ベッドの近くにある丸椅子に腰を下ろす。恋仲の寝顔は、本当に無防備で、目を閉じた人形そのものだった。見惚れてしまっている俺自身を誤魔化すように、ざっと室内を見回した。
ベッドの横の棚にはタブレットと、ノートとペンがある。そのノートが気になり、腰を上げて表紙を覗く。真ん中に小さく、恋仲の字でこう書かれていた。
『でこきちさんノート』
引き寄せられ、手を伸ばし触れる。心臓とは違う場所で、とくん、と透明な音が鳴った気がした。俺を覆っていた暗い感情に、透明な雫が波紋となって広がっていく、不思議な心地になる。導かれるままノートをめくる。
そこには、授業の内容が綺麗に並べられ、彩られて、踊っていた。
『※ここ先生が大事って!』
『この漢字ちょっと好き』
と、所々に恋仲の注釈が添えられていて授業の内容を引き立てている。届いてないのかもと挫折しそうになったノート。『ありがとう』と受け取ってくれた恋仲。少しでも恋仲の役に立てればと思っていた俺の気持ちは、確かに受け取られていたんだと実感する。
今度は、恋仲が俺の為にノートを――。
こんなの見たら……、嬉しいに決まってる。迷惑? そんなの思うわけがない。一文字一文字から恋仲の優しさが伝わってくる。かかとが椅子の足にぶつかってカツンと音が鳴る。シーツが揺れる音がして、思わず恋仲を見る。目を擦りながら目覚めようとしていた。恋仲の顔は涙で滲んでよく見えない。
「お――おはよう。恋仲」
驚かせないように小さな声で。
「……っっ! っっ!?」
突然ベッドの上が騒がしくなる。ぴんと伸ばしたきった手から持っていたノートがひったくられ、そのままシーツの中に隠された。ガタガタと音を鳴らしながら、タブレットを取り出し、不規則なリズムで何かを打ち込み始める恋仲。
思ったより元気だなって安心している自分がいた。
『どうして!?』
タブレットの両端を持って、打たれた文字を見せる。
「ど、どうしてって階段から落ちたって聞いたから! その……、怪我は? 大丈夫なのか!?」
タブレットを引っ込み、再び打ち込み始める。タタタタン。タタタタタン。素早い恋仲のフリック音。
『停学中です! 外に出たら駄目ですよ!!』
「そ、そうだけど心配で! 一人は怖いって……!」
腕の包帯以外、見た限り大きな怪我はしてなさそうだった。シーツの中は確かめられないけど、タブレットを操作する動きが軽快なので、それを見られただけでホッとした。骨が折れたとか、頭を打っていたりしたらと思うと気が気じゃなかった。
それにしても、不謹慎と自覚しているが、クリーム色の無地の病衣は、制服みたいに大きくだぼっとしていて、恋仲の姿はやっぱり人形のように見える。つい観察していると、恋仲はシーツで全身を隠すように身を包んだ。眉根が上がり、抗議の視線を感じた。
「ご、ごめん」
心配しに来たはずなのに俺は何をしてるんだ。たぶん、俺の顔は西日よりも赤くなっていたと思う。顔面だけが熱を発している。
「あ、ははは。……えっと、とにかく。無事でよかった。って、無事なわけないよな、怪我してるもんな。ああえっと、でも、ほんとに……よかった」
「……」
睨んではいるけど、怒っている気配は感じない。シーツに包まれた恋仲は鼻まで隠れていて、僅かに眉が下がり冷静さを取り戻しているようだった。俺が慌ただしくしただけで、恋仲は最初から冷静だったかもしれないが。
気まずくなってしまい、額を掻くと汗でべっとりと濡れていた。
もぞもぞと、シーツの中で恋仲が動いている。すると、隙間からタブレットが顔を出し、ベッドの上から落ちそうになる。咄嗟に手で押さえると、一緒に飛び出してきた恋仲の手と重なった。
冷たい恋仲の指先が、俺の熱を奪っていく。俺の火照った指先と触れ、条件反射でお互い手を引く。滑り落ちるタブレットは、床に落ちる寸前で捕まえた。そっと恋仲に渡すと、両手でタブレットを受け取る。シーツがはだけたので、再びタブレットと一緒に包まった。
胸の動悸が収まらない。飛び出してきそうになる心臓をその都度飲み込んで、今日ここに来たこと、その理由を改めて脳内に叩きつける。つい安心して、元気な姿を見て嬉しくて忘れてしまいそうになる。
確かめなくちゃいけないんだ。滑ったのか――、それとも誰かに押されたのか。
恋仲も言いたいことがありそうだった。口が小刻みに動いていたので、何かを伝えようとしているみたいだった。俺への視線を外さないってことは、俺の言葉を待っている。そう感じた。
恋仲の目が僅かに湿っていて、光を反射するように揺れている。だから俺は、そんなこと全部ひっくるめて一呼吸で想いを乗せる。
「俺も。恋仲をちゃんと見てるよ。……どんなことがあっても、大丈夫だから」
自分で改めて言うと、クサイ台詞だなって思った。けど、これは恋仲から貰った力のある言葉だったから、恋仲にも返したい。そう思ったんだ。
恋仲は黙ったまま下を向いている。やっぱり俺みたいなやつが言うセリフじゃないなって笑ってごまかそうとしたけど、この雰囲気はそれとはまた違っているように思えた。恋仲の下唇が震えていた。恋仲が言葉を繋ぎやすくなればと思い続きを言う。
「だから、辛いときとか、悲しいときは我慢しなくていいんだ。言ってもいいんだよ。辛い、悲しいって。大丈夫って我慢するのも、強さだとは思うけど、ずっとそれじゃ、体が持たないよ」
そう。吐き出していいんだ。我慢なんてする必要がない。でも、誰にでも構わず吐き出していいわけでもないと思う。だからネットには、いろんな人たちが現実では吐き出せないでいる言葉で溢れている。正論や暴言。人を蔑む言葉や、自分を守る言葉。
リアルでは見せたくないもんな。本当の自分なんて。俺だってそうだ。
でも――。
「俺が偉そうに言えた立場じゃないけど……、こう思えたのは恋仲のお陰なんだ」
恋仲の大きな瞳は、俺の胸の方から時間をかけて顔までなぞる様に動く。俺の目と重なると、捉えて離さない。瞳の中が小刻みに震え、潤んでいた。
「恋仲がチャットで俺を守ってくれたみたいに、俺も恋仲を守るよ。どんなことがあっても、俺は恋仲の味方だよ」
恋仲は泣いたら終わりだって思っているのかもしれないけどそれは違う。恋仲が教えてくれたことだ。泣いたからこそ、俺は前を向けた。だから今度は、俺が恋仲を受け止めたい。頼ってほしかった。
「……っ、ふ……っ」
恋仲の口から声にもならない熱い感情が、細長い吐息になって僅かに震えながら漏れる。
空気の変化が、恋仲の気持ちを代弁しているみたいだった。
