シャーペンの芯が折れた。
このたびは、私の軽率な行動により周囲の方々に多大なご迷惑をお掛けし――。
途中まで書き連ねていた文面が止まる。
陽も沈み、同じように室内も明かりを失っていた。モニターの明かりを頼りに、A4の紙にシャーペンを走らせる。検索結果の画面には『反省文 テンプレ』の文字。紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱へ放り投げる。かすりもしなかったが、捨て直す気力はない。
正直、今こうやって部屋にいることすら実感が湧かない。右手に残るぬるりとした感触。今も生々しく感じるし、見ているだけで切り落としたくなってくる。殴った感触なんかじゃない。遠い昔の感触が残っている。
「……停学、か」
モニターの隅っこにある時間を見る。時間なんて気にしても意味もないけど。
ペンを放り投げ、ベッドに倒れ込む。しばらくしてから座り直して反省文を書き始める。この繰り返し。リビングの方では、琴音と父が激しく言い争っている声が聞こえる。俺の事を話しているのは明らかだった。
父は学校に呼び出された。先生たちに囲まれながら説明を受け、今後のことについて言い渡された。父は反論せず、黙って「はい」や「すみません」ばかりを繰り返していた。謝るなら三国も連れてこいと心の中では悪態をつく。今はその話はしていない、ともう一人の俺が自分を諭す。勝手に自分の頭の中で議論が繰り広げられているが、その内容には全く興味がなかった。
「お前はどう思っているんだ、善吉」
駐車場で車に乗り込む前、父はこう尋ねてきたが俺は答えなかった。そのまま父と帰宅し、俺は部屋にこもり今の状況になっている。色々とやる事は多かった。反省文に、オンライン課題、外出禁止とか日記に面談。帰りの車の中で、父が延々と繰り返していたのでいやでも頭に入ってしまった。
何も考えないでいると、自然とクラスのグループチャットを覗いてしまう。流れるメッセージは目で追えない。
ただ、蔦森と書かれた話題や三国の文字だけは、はっきりと視認できた。見る必要なんてないのに。この動作は呼吸をするのと同じだ、体の一部になっている。見ても辛いだけなのに、五分後にはまた開いている。スワイプして、恋仲とのチャットに切り替える。
『ごめんなさい。せっかく助けてもらったのに、こんなことになってしまって……』
返信できないでいる。その文字を、ただひたすらに見つめた。ごめんなさいだなんて、俺はただ、三国に言われた言葉に反応してしまっただけだ。
『恋仲は悪くないよ。俺の方こそ、ごめん』
ようやく返信してスマホを伏せる。合わせたように、こんこんとノックの音がした。
「お兄ちゃん、ご飯。置いとくね? お兄ちゃんの好きな中華だよ。食べたら、廊下に出しっぱなしでいいからね」
食器同士がぶつかる音。漂ってくる料理の匂い。重たい空気が腹の中に居座っていて、何も受け付ける気がしない。
「お兄ちゃんは悪くないよ」
低い位置で、琴音の声がドアの隙間から漏れる。
「悪いのはぜんぶあいつのせい。お兄ちゃんは絶対に悪くない。……守るって、そういうことでしょ?」
その言葉は床に張りつき、もぞもぞと床を這い、耳の中に入ってくる。琴音の気配はとっくに遠ざかっていた。
* * *
朝になって、誰もいなくなったのを確認すると部屋を出た。足元には手を付けてない中華料理。トレーを持ち上げてリビングへ。テーブルにはいつものように黒こげのトーストと、目玉焼きが準備されていた。『冷蔵庫にお昼ご飯が入ってるよ』と、琴音のメモがラップの上に乗っている。
不甲斐なかった。また俺は後悔している。その後悔だって、答えを出さず先延ばしするだけで解決した試しがない。冷めきった中華料理を電子レンジに入れる。オレンジに光り、回転する皿と、反射する俺の顔をじっと眺める。琴音はどんな想いで食事を用意してくれたのだろう。放っておけばいいのに、どんな気持ちで「俺は悪くない」と慰めようとしてくれたのだろう。
恋仲だって、俺を必死に止めてくれた。俺が全面的に悪いのに、自分が悪いと謝り、俺を励まそうと文字を打つ。その想いには何が込められているのだろう。
それはすべて、優しさだ。
チン、と電子レンジが鳴る。
俺には相応しくないとか、そんな価値がないとか、与えてくれた優しさを拒んでいたら、いつまでも俺は救われない。それをちゃんと受け止めて、次に進めるのが強い人間なんだ。そうならなくちゃいけない。
だから、しっかり食べなきゃいけないと思った。
昨日の分も噛みしめて、その上でちゃんと考える。
「ふう……」
窓を全開にして、俺の気持ちごと空気を入れ替える。雨上がりの匂いがした。
『ほら、見てください』
スマホが震えた。恋仲からのメッセージを見ると、その一言の後に画像が添付されていた。俺も空に目をやる。ベランダに乗り出してそれを探す。
『虹です。すごく薄いけど、見えますか? ちゃんと見てくれています。どんなことがあっても。大丈夫だよって、応援してくれています』
続く恋仲からのメッセージは、陽だまりのように暖かく、そして切なかった。
遠くの空、かすかに虹のような色が見える。
手をかざして、消えてしまわないように目を凝らし焼き付ける。
「くっ、……うぅ」
すり潰され、乾燥しきっていた赤い世界。恋仲の言葉と透き通るくらい澄んだ空気、微かに見える虹の跡。ぽつぽつと雫のように、でも確かに柔らかな潤いで俺を包み込んでくれていた。
張り詰めていた心が少しずつ溶けていくようだった。
* * *
あんなことがあったにも関わらず、恋仲は今日も登校している。
『一番前だから緊張します!』
と、恋仲は授業中に初めてメッセージを送る冒険に出る。定期的に俺にメッセージをくれていた。そのひたむきな優しさに胸を打たれる。せめて言葉だけでも続けようと、俺も精一杯の反応でやりとりを続けている。
――どんなことがあっても。大丈夫だよ。
本当に、恋仲はいつだって輝いている。俺にはない強さを持っている。でも、その輝きの正体は、薄氷にか細い光が反射するきらめきで、わずかな衝撃で粉々に砕けてしまう。恋仲が強いのはそれを知っていてもなお、歩みを止めたりしないことだ。人のために優しくあろうとする。俺には眩しすぎる。でも、近づいてみたい。触れたい。姿を見たい。
俺も……、そんな風に強くなりたい。
『バレたらスマホ没収かも?』
『わーっ、それ言っちゃだめです!』
なんて、そんなことはないとわかっていてからかうと、やっぱり恋仲の反応は可愛かった。
恋仲の言葉は人の心を溶かすことができる魔法だなって、広がる青空に向かって想いを馳せた。
このたびは、私の軽率な行動により周囲の方々に多大なご迷惑をお掛けし――。
途中まで書き連ねていた文面が止まる。
陽も沈み、同じように室内も明かりを失っていた。モニターの明かりを頼りに、A4の紙にシャーペンを走らせる。検索結果の画面には『反省文 テンプレ』の文字。紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱へ放り投げる。かすりもしなかったが、捨て直す気力はない。
正直、今こうやって部屋にいることすら実感が湧かない。右手に残るぬるりとした感触。今も生々しく感じるし、見ているだけで切り落としたくなってくる。殴った感触なんかじゃない。遠い昔の感触が残っている。
「……停学、か」
モニターの隅っこにある時間を見る。時間なんて気にしても意味もないけど。
ペンを放り投げ、ベッドに倒れ込む。しばらくしてから座り直して反省文を書き始める。この繰り返し。リビングの方では、琴音と父が激しく言い争っている声が聞こえる。俺の事を話しているのは明らかだった。
父は学校に呼び出された。先生たちに囲まれながら説明を受け、今後のことについて言い渡された。父は反論せず、黙って「はい」や「すみません」ばかりを繰り返していた。謝るなら三国も連れてこいと心の中では悪態をつく。今はその話はしていない、ともう一人の俺が自分を諭す。勝手に自分の頭の中で議論が繰り広げられているが、その内容には全く興味がなかった。
「お前はどう思っているんだ、善吉」
駐車場で車に乗り込む前、父はこう尋ねてきたが俺は答えなかった。そのまま父と帰宅し、俺は部屋にこもり今の状況になっている。色々とやる事は多かった。反省文に、オンライン課題、外出禁止とか日記に面談。帰りの車の中で、父が延々と繰り返していたのでいやでも頭に入ってしまった。
何も考えないでいると、自然とクラスのグループチャットを覗いてしまう。流れるメッセージは目で追えない。
ただ、蔦森と書かれた話題や三国の文字だけは、はっきりと視認できた。見る必要なんてないのに。この動作は呼吸をするのと同じだ、体の一部になっている。見ても辛いだけなのに、五分後にはまた開いている。スワイプして、恋仲とのチャットに切り替える。
『ごめんなさい。せっかく助けてもらったのに、こんなことになってしまって……』
返信できないでいる。その文字を、ただひたすらに見つめた。ごめんなさいだなんて、俺はただ、三国に言われた言葉に反応してしまっただけだ。
『恋仲は悪くないよ。俺の方こそ、ごめん』
ようやく返信してスマホを伏せる。合わせたように、こんこんとノックの音がした。
「お兄ちゃん、ご飯。置いとくね? お兄ちゃんの好きな中華だよ。食べたら、廊下に出しっぱなしでいいからね」
食器同士がぶつかる音。漂ってくる料理の匂い。重たい空気が腹の中に居座っていて、何も受け付ける気がしない。
「お兄ちゃんは悪くないよ」
低い位置で、琴音の声がドアの隙間から漏れる。
「悪いのはぜんぶあいつのせい。お兄ちゃんは絶対に悪くない。……守るって、そういうことでしょ?」
その言葉は床に張りつき、もぞもぞと床を這い、耳の中に入ってくる。琴音の気配はとっくに遠ざかっていた。
* * *
朝になって、誰もいなくなったのを確認すると部屋を出た。足元には手を付けてない中華料理。トレーを持ち上げてリビングへ。テーブルにはいつものように黒こげのトーストと、目玉焼きが準備されていた。『冷蔵庫にお昼ご飯が入ってるよ』と、琴音のメモがラップの上に乗っている。
不甲斐なかった。また俺は後悔している。その後悔だって、答えを出さず先延ばしするだけで解決した試しがない。冷めきった中華料理を電子レンジに入れる。オレンジに光り、回転する皿と、反射する俺の顔をじっと眺める。琴音はどんな想いで食事を用意してくれたのだろう。放っておけばいいのに、どんな気持ちで「俺は悪くない」と慰めようとしてくれたのだろう。
恋仲だって、俺を必死に止めてくれた。俺が全面的に悪いのに、自分が悪いと謝り、俺を励まそうと文字を打つ。その想いには何が込められているのだろう。
それはすべて、優しさだ。
チン、と電子レンジが鳴る。
俺には相応しくないとか、そんな価値がないとか、与えてくれた優しさを拒んでいたら、いつまでも俺は救われない。それをちゃんと受け止めて、次に進めるのが強い人間なんだ。そうならなくちゃいけない。
だから、しっかり食べなきゃいけないと思った。
昨日の分も噛みしめて、その上でちゃんと考える。
「ふう……」
窓を全開にして、俺の気持ちごと空気を入れ替える。雨上がりの匂いがした。
『ほら、見てください』
スマホが震えた。恋仲からのメッセージを見ると、その一言の後に画像が添付されていた。俺も空に目をやる。ベランダに乗り出してそれを探す。
『虹です。すごく薄いけど、見えますか? ちゃんと見てくれています。どんなことがあっても。大丈夫だよって、応援してくれています』
続く恋仲からのメッセージは、陽だまりのように暖かく、そして切なかった。
遠くの空、かすかに虹のような色が見える。
手をかざして、消えてしまわないように目を凝らし焼き付ける。
「くっ、……うぅ」
すり潰され、乾燥しきっていた赤い世界。恋仲の言葉と透き通るくらい澄んだ空気、微かに見える虹の跡。ぽつぽつと雫のように、でも確かに柔らかな潤いで俺を包み込んでくれていた。
張り詰めていた心が少しずつ溶けていくようだった。
* * *
あんなことがあったにも関わらず、恋仲は今日も登校している。
『一番前だから緊張します!』
と、恋仲は授業中に初めてメッセージを送る冒険に出る。定期的に俺にメッセージをくれていた。そのひたむきな優しさに胸を打たれる。せめて言葉だけでも続けようと、俺も精一杯の反応でやりとりを続けている。
――どんなことがあっても。大丈夫だよ。
本当に、恋仲はいつだって輝いている。俺にはない強さを持っている。でも、その輝きの正体は、薄氷にか細い光が反射するきらめきで、わずかな衝撃で粉々に砕けてしまう。恋仲が強いのはそれを知っていてもなお、歩みを止めたりしないことだ。人のために優しくあろうとする。俺には眩しすぎる。でも、近づいてみたい。触れたい。姿を見たい。
俺も……、そんな風に強くなりたい。
『バレたらスマホ没収かも?』
『わーっ、それ言っちゃだめです!』
なんて、そんなことはないとわかっていてからかうと、やっぱり恋仲の反応は可愛かった。
恋仲の言葉は人の心を溶かすことができる魔法だなって、広がる青空に向かって想いを馳せた。
