幸せな時間をくれたあなたへ

 そんなことがあってから随分と時が経って、私は東京の街にいた。
 地元の大学を卒業してから、新卒者の採用で、配属がここになったんだ。

 あれ? 携帯が鳴っているかな?
 だんだんとガラケーが普及してきて、一人一台が当たり前になりつつあった。

 会社の上司からだ。

『今日の会議の議事録、明日朝一で頼む』

 はいはい、分かりました。
 明日は早朝出勤だなあ。
 今日は真っすぐ家に帰って、早めに寝るかあ。

 幾千の人が行き交う夜の通りは華やいでいた。
 店頭は綺麗にデコレーションがされていて、飾り付けがされたツリーが色々な所に立っている。
 喧騒に混ざって、遠くからジングルベルの歌が流れてくる。
 そう、もうじきクリスマスなんだ。

 年の瀬を迎えると、会社も何かと忙しい。
 もうアラサーになっていた私は職場にもすっかり慣れて、後輩の面倒も見るようになっていた。
 上司からも頼られて嬉しかったけれど、その分無茶ブリも多くて。
 今日は少しだけ早めに上がれたから、どこかでご飯でもと思っていたんだけどな。

 通り過ぎていく恋人たちの顔が明るい。
 いいな、今年は独りぼっちだ。
 そんな私には、ビルの谷間を抜けて吹きそよぐ夜風は、冷たく感じた。

 こんな私でも、今までに何人かとは付き合った。

「結婚しよう」

 そんな言葉をくれる男性《ひと》もいた。
 嬉しかったけれど、でもなにかその気になれなくて、あと一歩が踏み出せなくて。
 返事をしないままでいると、その人は遠くに離れて行ってしまっていた。

 だから仕方がないよね、一人でいるのは。
 帰って炬燵の中で丸くなろうかな、猫ちゃんのように。

『ビュウ~~!!!』

「わっ!」

 強い北風に急に吹かれて、その場で立ち止まってしまった。
 なんなのよ、もう……
 冷たくなった手を擦りながらはあっと息を吹きかけると、白いモヤがふわっと舞って、すぐに夜の空気の中に吸い込まれた。

「あの、すみません」

 だれかに呼び止めらてた気がして、そっちへ首を向けた。

 ―――― えっ? えっ???

 途端に、その男性《ひと》から、目が離せなくなった。
 トクンと高鳴った心臓は、やがて早鐘を打つように、動きが激しくなってく。

 ……ど、どうして……?

「久保田さん、だよね……?」

 すぐに分かった。
 ちょっと歳は取って、大人になっていたかな。
 でも、全然変わっていなかった。
 背格好も、髪の形も、そして不器用だけれど優しいその笑顔も。

「三浦、君……?」

「うん。やっぱり久保田さんだ。久しぶり」

 本当に久しぶりだったよね。
 高校を卒業してからお互いにアラサーになるまで、全然会ったことがなかった。
 同窓会にだって、あなたは顔を出さなかったんだから。

「うん。本当に久しぶりだね。元気にしてたの?」

「うん、何とかね。こっちへ出て来てたんだ?」

「大学を出てから、会社がこっちになったからね。三浦君も、こっちで仕事をしているの?」

「うん。俺は大学を卒業してから、ずっとここだよ。なんか懐かしいなあ」

 本当だね。
 三浦君との思い出のほとんどは、高一で同じクラスだった一年間だけ。
 それがこんなにも、懐かしく思えるなんて。
 遠い記憶が、走馬灯ように、頭に流れてくる。

「今は仕事の帰り?」

「うん。三浦君は、何の仕事をしているの?」

「会社の法務部にいるよ。契約書を書いたり、役所に届ける書類を書いたり。色々さ」

 そうなんだ。
 法律に関わる仕事がしたいって言ってたね、夢は叶ったのかな。
 きっと頑張ったんだね、三浦君は。

 私はどうだったかな。
 結局目的も見つからないまま大学で勉強をして、会社の就職面接を受けて。
 特に仕事の希望を言わなかったら、ここで働くようにと言われた。
 なんだか、流され感でいっぱいだ。

 でも、それなりにはやれてるよ。
 仕事は多くて残業だっていっぱいで大変だけど、職場の仲間とは楽しくやれてる。
 同期で入社した子たちはちらほらと結婚の二文字を口にするので、ちょっと焦ってはいるけれど。

「あのさ久保田さん、もしよかったらなんだけどさ」

「うん?」

「俺、今から暇なんだ。一緒にご飯でも行かない? せっかくこうして、久しぶりに会えたから」

 そんなの、答えは決まっているじゃない。
 明日の仕事は早いけれど、でも何とかしよう。
 今は、この時間を大事にしたい。

「うん、いいよ」

 頷くと、また不器用な笑い顔が返ってきた。
 やっぱりいいな、それ。

 三浦君と二人……一度、一緒に喫茶店に行ったきりだな。
 英語を教えた、そのお礼とかで。
 まさかまた、そんなことに巡り会えるなんて。

 今いるこの場所で、強い北風に吹かれて立ち止まらなかったら、それも無かったのかな。
 そう思うと、名前も知らないどこかのだれかに、感謝したい気持ちでいっぱいになった。
 ついさっきまで冷たかった街の空気が、途端にあったかく感じられた。

 近くの居酒屋に行って、二人で乾杯をしたね。
 三浦君は、とってもお酒好きになってた。
 嬉しそうに楽しそうに、どんどんと杯を重ねていく。

「へえ。二つ星商事って、凄いじゃないか」

「マグレだよ。でも、本当は地元にいるつもりだったのにさ、こっちに出て来ることになっちゃって。最初は焦ったなあ」

「俺だって、最初は同じさ。右も左分からなくて、友達だって全然できなくて。六畳のアパートで一日中過ごすことが多かったよ。今はなんとかやれてるけどさあ」
 
 昔から、人付き合いは、あまり上手じゃなかったよね。
 そんなところも、あまり変わってないのかな。
 なんだか可笑しいな。
 でもそんなところも、私は好きだったんだよ。

 東京に配属って言われて、とても戸惑った。
 両親とも地元の友達とも離れ離れになって、一人で大丈夫かなって。
 思った通り、最初は苦労したよ。
 仕事で落ち込んでも、直ぐ傍に相談できる人はいなかったし。
 毎日毎日、目の前のことをこなすのに必死だった。

 元彼ができたのは、もう何人も後輩が入社してからだった。
 その人とも、もうお別れをしちゃったし。

 そんな日々も、今はもう懐かしい。
 そして、ありがとうって言いたい気持ちになる。
 ここで頑張っていなかったら、今こうして三浦君と一緒にいられることなんて、きっとなかっただろう。
 昔の私、本当にありがとう。
 頭なでなでだよお。

 別れ際に、どちらともなく、携帯電話の番号とメアドを交換した。
 これでやっと三浦君、そう、今のあなたとつながれた。
 10年近い月日を隔てて、二人とも少年少女から大人へと変わってから、やっと。
 携帯を胸に抱いて、思わず泣きそうになった。

 でもその日は、それだけでは終わらなかったんだよね。

「あのさ、クリスマスのことなんだけど……」

 あなたの言葉のお蔭で、私にとってはモノトーンだった街が、いろんな色で溢れる夢の国へと変身した気がしたんだ。