幸せな時間をくれたあなたへ

「「「蛍の光~、窓の雪~~♪♪」」

 小学校の体育館で、唱歌が流れていた。
 今日は卒業式だ、優美ちゃんは4月から中学生になる。

 大きくなったなあ。
 優美ちゃんが生まれてから今までのことが、瞼に浮かぶ。
 ありがとうね、お母さんとして卒業式に出られるなんて。
 あなたが私の子供として、生まれてきてくれたお陰だね。

 春の訪れを迎えて、パンパンに膨らんだ蕾を沢山蓄えた桜の木の下で、三人で記念写真を撮った。
 私が真ん中、その脇に、あなたと優美ちゃんが立っていた。
 それから三人で、家に帰ったっけ。

「お友達と話さなくっていいの?」

「大丈夫よ。どうせみんな同じ中学に行くんだから、また会えるし」

 どうやら優美ちゃんの友達は、みんな同じ公立高校に行くみたいだ。
 そんな彼女は今、私の車椅子を押してくれている。
 ごめんね、上り坂だから重いでしょう?

 通っていた病院から自宅での緩和ケアに変えてから、坂を転げ落ちるように早かった。
 みるみる内に体力が無くなっていって、今では普通の生活だって辛い。
 トイレに行くのも、お風呂に入るのも、あなたや優美ちゃんに助けてもらわないといけない。
 歩けないし、ご飯も食べられないし、頭が働かない。
 薬が切れると、全身が割れる様に痛くって。
 家事なんて全然できない。
 それどころか、みんなに迷惑をかけてばかり。
 両家のお母さんが助けに来てくれていないと、とっくの昔にこの家は、バラバラになっちゃってた。

 こんな私が生きていていいのかな。
 よくそんなふうに思ったよ。

「どうしてこんな目に遭うんだろう。何にも悪いことしてないのになあ……ただ静かに、暮らしたいだけなんだけどなあ……」

 身体があまりに辛くて、近い将来のことを想うと悲しすぎて、ついあなたに、泣きながらそんなことを愚痴っちゃった。
 そんな私をあなたは、一晩中抱きしめてくれたっけ。
 ごめんね、あなただって、仕事に家のことに、それに優美ちゃんの世話で、へとへとだったはずなのに。

「君は、生きて傍にいてくれたらいい。俺はそれだけでいい」

 泣かないで語るあなたの優しい言葉が、私の生きる理由になった。
 それに、一日でも長く見ていたかったんだ、優美ちゃんの成長を。

「何かやりたいことはない?」

 そんなことも訊いてくれたっけ。
 何もないよ、これだけよくしてもらって、それで十分。
 でもね、一つ心残りはあるんだ。
 あなたと一緒にアフリカに行って、綺麗な自然を見たかった。
 でももう無理なんだよね、こんな私は、飛行機になんて乗れないんだ。

 中学校の入学式は、盛る桜花たちが見守ってくれていた。
 あなたに車椅子を押してもらって、体育館で参列できた。
 優美ちゃんのために、今日くらいは綺麗なお母さんでいたかったから、髪の毛がまばらになってしまった頭にウィッグを被って、私のお母さんにお願いをして、お化粧をしてもらった。

 新入生の入場が始まった。
 一年三組……あ、優美ちゃんだ。
 新しい制服、よく似合っているな。
 あなたはずっと、カメラを回している。
 今この時を、形に残すために。
 私を撮るのは止めてよ、こんな格好で、恥ずかしいから。

 体育館の片隅で、三人で記念写真を撮った。
 それが、三人で撮った、最後の写真になった。

 桜がヒラヒラと舞い散る公園で、二人で過ごしたね、あなた。
 春の日差しは、暖かかったな。

「また来年も、一緒に見たいな、桜」

「うん、そうだね。また来よう」

 もう叶わない夢なんだろうってことは分かってた。
 でもやっぱり、そんなことを想ってしまったんだ。
 あなたと離れ離れになるのは、辛過ぎるから。
 そんな中味のない言葉に、あなたも応じてくれた。
 寂しい目を、散りゆく桜の花びらに向けながら。

 そこから後の日々のことは、あんまり覚えていないんだ。
 正直、体が辛くてね。
 ただあなたは、会社が終るとすぐに帰って来てくれて、ずっと一緒に過ごしてくれていたね。
 ご飯をあ~んしてくれて、お風呂で体を洗ってくれて、一緒に添い寝してくれて。
 私が大好きな、不器用でへたくそな笑顔と一緒に。
 そんなことは思い出せるよ。
 
 毎日朝目が覚めると、神様にありがとうって呟いた。
 また一日、生かしてもらったことに感謝して。

 ―― でもとうとう来てしまったね。この時が。

 いつも見てきたこのお部屋の景色、これで最後かな。
 もう体が動かない。
 声も出せないし、よく聴こえない。
 たくさんたくさん、伝えたいことがあるのに。
 一応、私の想いは、ノートにしたためておいた。
 手に力が入らなかったから、まるでミミズがのたくったみたいな、汚い字だけれど。

 優美ちゃん、いつでも笑っていてね。
 きっとその方が、幸せさんが寄って来てくれるから。
 あなたは可愛いから、お母さんよりもモテるかな。
 でもね、私に勝とうと思ったとしても、それは難しいよ。
 だって私の旦那様は、世界で最高の人なんだから。
 ずっとずっと好きでいて、運命の神様が巡り会わせてくれた、ただ一人の人。
 どうかあなたも、そんな素敵な男性《ひと》を見つけてね。
 ずっと見ているから。
 すぐ傍にはいられなくっても、お母さんはあなたの味方だから。
 お母さんの娘に生まれて来てくれて、本当にありがとう。
 大好きだよ、ずっとずっと。

 大好きなあなた。
 私を選んでくれてありがとう。
 一緒に過ごしてくれてありがとう。
 私はずっと幸せでした。
 高校の時にはときめきをくれて、再会してからは幸せをくれて、そして体を悪くした後からは安らぎもくれた。
 できたら、もっと一緒にいたかった。
 年を取っておじいちゃんおばあちゃんになって、暖かい陽だまりの中で、同じ時間を過ごしたかった。
 でもごめんね、もうそれはできないや。

 あなたのことが心配だな。
 だって、あなたと再び巡り会って一緒に過ごすようになってから、気づいたことがあるんだ。
 あなただって本当に、私のことを大好きでいてくれたよね。
 もしかして、私があなたを想うよりも、ずっとずっと。
 あなたの言葉、行動、表情、その一つ一つを見ていると、そう思わずにはいられなかった。
 ありがとう、そんな幸せな気持ちにさせてくれて。

 でも、きっと大丈夫だよね、あなたなら。
 だってあなたは、とっても強い人。
 きっと泣きたい時だっていっぱいあったはずなのに、ほとんどそんな顔は見せなかった。
 それって、私を不安にさせないためだよね。
 ごめんね、そんなあなたに、またお願いしないといけないんだ。
 優美ちゃんのこと、よろしくね。
 あなたに似てぶっきらぼうなところがあるけれど、いい子だよ。
 私がいなくなったその分も、いっぱい愛情を注いてあげてね。

 これからもずっと、あなたのことを見守っています。
 でもあなたは、自分の人生を生きてね。
 他にいい女の人を見つけたって、私はそれでいいよ。
 あなたには自分の人生を、もっと楽しんで欲しいから。
 私の分まで。

 でももし、あなたがそれでいいって言ってくれるのなら、私は待っています。
 またあなたと出会って、一緒に過ごせる日々が来ることを。
 天国だって来世だって、どこだっていい。
 ずっと待っているから、それまで、優美ちゃんのことよろしくね。
 自分の体のこと、大切にしてね。

 あ~あ、そんなに泣かないでよ……
 そんなに涙を流すあなた、初めて見たよ。
 顔がぐしゃぐしゃだよ。
 どうか笑って、私が好きなあなたのぶきっちょな笑顔を、もう一度見せて。
 もう、優美ちゃんも、そんな顔をしないで。
 どうか笑顔で、お母さんのことを見送って。

 あ、でもだめだ……
 私の目からも、冷たいものが流れてる。
 あなたの手、温かい。

 あ~~ ……目の前が暗くなってきた……
 
 今までたくさんの幸せをありがとう。

 ………さようなら。大好き………