あなたに何て話したらいいんだろう、それに優美ちゃんにだって……
優美ちゃんだってもう、小学校の高学年だ。
変な誤魔化しは通用しないだろう。
病院のトイレの中で泣いてしまったし、帰りの道すがらは、ずっと気持ちが沈んでいた。
心配はかけたくない。
でも、言わない訳にもいかない。
あまり喉を通らなかった夕食の後に、あなたと優美ちゃんに、話を切り出した。
「私ね、また精密検査を受けることになったの。今日の検査結果が、ちょっと良くなくて」
まるでお通夜のように、部屋の中がしんとしたっけな。
ごめんなさい、私のせいだ。
「分かった。結果は一緒に聴きに行くから」
すっかりおじさんになったね、あなた。
無理もないよね、結婚してから、もう15年は過ぎちゃってる。
私だって、すっかりおばさんね。
でも変わっていないよ、私が大好きな、その不器用だけど柔らかい笑顔は。
私を心配させないように送ってくれる、昔からそうだった。
ありがとう、また、あなたに頼らせてもらうわね。
「二人とも、優美のことは心配しないで。家でお留守番をしているから」
ありがとう、優美ちゃん。
あなたも大きくなったね。
あなたにまで、心配をかけてごめんね。
本当に、悪いお母さん。
検査の結果を聴きに行く日は、今までに無いほど、緊張したなあ。
あなたが横にいて手を握ってくれていなかったら、足が竦んで動けなかったかも。
病院の待合で過ごす時間を、とっても長く感じた。
不安が何度も押し寄せて、そのたびになんとかそれを押し返した。
大丈夫、きっと。
神様、どうかお願い……
きっとあなただって、同じような気持ちだったでしょう?
でも、そんな二人に向けられた先生の言葉は、あまりにも非情だった。
「こことここに、影が見えます。再発、遠隔転移とみて、間違いないでしょう」
癌の再発、遠隔転移、ステージ4。
それが診断の結果だった。
それからの先生の言葉を、私はしっかりと聴いた。
「もう手術はできないので、これからは化学療法が中心になります。でも、これだけは聴いておいて下さい。癌細胞は薬に対して耐性を持ってくるので、使っている内に効かなくなることが多いです。そして、使える薬の数は、限られているんです」
先生は、はっきりとは言わなかった。
けど、もし薬が効かなくなっていって、そしたらその時は……
しっかしりないと。
きっとあなたは、相当に凹んでいるはず。
大丈夫、私はまだ、諦めていないから。
あなたと優美ちゃんと私、三人の生活を守るんだ。
病気になんて、負けていられない。
無理やりにでも、私がもっと、強くならないと。
そこからまた、私の通院生活が始まったんだ。
そして職場には、休職願いを出した。
前の時よりももっと強い薬を使っていたので、体が思うように動かなかった。
それに、また髪の毛が抜けてしまって……
ごめんなさい、ちょっと耐えられそうになくて、夜中に何回も泣いちゃった。
あなたはずっと夜遅くまで、インターネットで調べてくれていたっけな。
こんな病院がある、こんな治療法がある、そんなことを沢山。
中には怪しげな、民間療法まで。
先進的な医療や治験なんかもあったけれど、高額でとても払えなかったり、ここから遠く離れた異国の病院だったり。
目の下が窪んでやせ細って、可愛そうになるほどだった。
ありがとう、その気持ちだけで十分だから、あまり無理はしないで。
何時まで続けられるのかは分からないけれど、私はこの家、この小さな部屋で、あなたと優美ちゃんと三人で、普通に過ごしたいの。
経過は、先生が話した通りだった。
少し良くなったと思ったら、また病気が盛り返してきて。
そして薬を変えて、その繰り返し。
けどそんな間は、何とか普通に暮らすことができた。
優美ちゃんの運動会に応援に行って、一生懸命に走っている姿を撮影した。
テーマパークに行って、クリスマスツリーの前で、三人で写真を撮った。
有名な神社に初詣に行って、神様に祈った。
どうか、病気に負けませんようにって。
桜の季節には公園に行って、あなたと一緒に作ったお弁当を広げたっけな。
夏には信州の上高地を訪れた。
今度は優美ちゃんも一緒に、三人で。
その自然の雄大さは、あなたと二人で訪れた時と、なにも変わっていない。
川を跨ぐ橋の上から、三人で夜空を見上げた。
あの時と同じだ、静寂が漂う暗やみの中で、無数の星々が紡ぐ天の川銀河が真上にあった。
「ねえ、二人って、どっちから告白したの?」
優美ちゃんが悪戯っぽいく言葉を向けてくる。
「それは……あなたからよ、ねえ?」
「……どうだったかな。よく覚えていないな」
ずるいんだ、そういうとこ。
そんなの、覚えていない訳ないでしょう?
もし本当にそうなら、思いっきりお尻をつねってやるんだから。
秋の紅葉、食のテーマパーク、見たかった映画、四つ星ラーメン、ゆるキャラのイベント……
沢山思い出が作れたね。
でも私にとっては、あなたと優美ちゃんと三人で過ごす毎日だって、負けないくらい大事な思い出だよ。
おっきな口を開けて、私が作ったご飯を頬張ってくれた優美ちゃん。
一緒にお風呂にも入って、背中を流し合ったっけ。
私がウトウトとしていると、そっと肩を揉んでくれたあなた。
「ごめん、起こしちゃったか?」
「ううん、気持ちいいよ。ありがとう」
ずっとこんな時間が続いていくといいな……いつしか、そう想っていた。
まるで、病気なんか、何処かへと行ってしまったみたいに。
でも現実は、ささやかに思えるそんな願いさえ、許そうとはしてくれなかった。
「腫瘍マーカーの上がり方が大きいですね。他にも広がっている可能性があります」
「……先生、次は、どんなことができるのでしょうか?」
「……残念ながら、もう使える薬がありません。でも取り合えず、全身を検査してみましょう」
とうとうこの時が来てしまったか。
思ったよりは冷静でいられた。
多分、予想はしていたから。
でも、だからと言って、心の中が救われるわけじゃない。
耐えられなくて、あなたの胸の中で泣いてしまった。
「大丈夫、俺はまだあきらめないから」
それからいろんなサプリや、体にいい野菜とかを、あなたは買ってきてくれたっけな。
優美ちゃんには、あまり沢山のことは話さなかった。
大事な学校生活を、できるだけのびのびと、過ごしてもらいたかったから。
お母さんにも話をすると、遠くから飛んで来てくれた。
久しぶりに、ゆっくり話ができてよかったよ、お母さん。
でもね、やっぱし、最後に頼れるのはあなたなの。
だから、これからどうなるのかは分からないけれど、ずっと傍にいて欲しい。
ごめんね、こんなふうになっちゃって。
あなたと一緒に訪れた病院で、先生は優しく諭すように、私たちに言葉を向けた。
「肝臓と背骨に、転移が広がっています。これからは緩和治療になりますが、この病院に入院するか、それかご自宅で療養されることもできます」
「……先生、もう他に、やれることはないんですか……?」
あなたの問いかけに、先生は静かに首を振った。
「はい。治験についても調べましたが、対象となるものはありません。あとは保険が利かない自由診療ですが、そこは自己責任で、効果は実証されていません。最新の薬だと、恐らく一回の治療で、一千万円は下らないでしょう」
病院からの帰り道、あなたは言ってくれたね。
「自由診療、やってみようか? 会社から金を借りるし、親にも頼んでみよう」
私だって、もっと生きたかった。
できることは、何でもしたかった。
その言葉は、本当に嬉しかった、涙が溢れ出るほどに。
でもね、そのために、あなたや優美ちゃんを、不幸にはしたくなかったんだ。
だから、
「ありがとう。でもね、私はお家で、静かに過ごしたいんだ、三人で。神様がくれる、奇跡を信じてね」
そう言葉を返すと、あなたの頬に、光るものが流れていたっけ。
優美ちゃんだってもう、小学校の高学年だ。
変な誤魔化しは通用しないだろう。
病院のトイレの中で泣いてしまったし、帰りの道すがらは、ずっと気持ちが沈んでいた。
心配はかけたくない。
でも、言わない訳にもいかない。
あまり喉を通らなかった夕食の後に、あなたと優美ちゃんに、話を切り出した。
「私ね、また精密検査を受けることになったの。今日の検査結果が、ちょっと良くなくて」
まるでお通夜のように、部屋の中がしんとしたっけな。
ごめんなさい、私のせいだ。
「分かった。結果は一緒に聴きに行くから」
すっかりおじさんになったね、あなた。
無理もないよね、結婚してから、もう15年は過ぎちゃってる。
私だって、すっかりおばさんね。
でも変わっていないよ、私が大好きな、その不器用だけど柔らかい笑顔は。
私を心配させないように送ってくれる、昔からそうだった。
ありがとう、また、あなたに頼らせてもらうわね。
「二人とも、優美のことは心配しないで。家でお留守番をしているから」
ありがとう、優美ちゃん。
あなたも大きくなったね。
あなたにまで、心配をかけてごめんね。
本当に、悪いお母さん。
検査の結果を聴きに行く日は、今までに無いほど、緊張したなあ。
あなたが横にいて手を握ってくれていなかったら、足が竦んで動けなかったかも。
病院の待合で過ごす時間を、とっても長く感じた。
不安が何度も押し寄せて、そのたびになんとかそれを押し返した。
大丈夫、きっと。
神様、どうかお願い……
きっとあなただって、同じような気持ちだったでしょう?
でも、そんな二人に向けられた先生の言葉は、あまりにも非情だった。
「こことここに、影が見えます。再発、遠隔転移とみて、間違いないでしょう」
癌の再発、遠隔転移、ステージ4。
それが診断の結果だった。
それからの先生の言葉を、私はしっかりと聴いた。
「もう手術はできないので、これからは化学療法が中心になります。でも、これだけは聴いておいて下さい。癌細胞は薬に対して耐性を持ってくるので、使っている内に効かなくなることが多いです。そして、使える薬の数は、限られているんです」
先生は、はっきりとは言わなかった。
けど、もし薬が効かなくなっていって、そしたらその時は……
しっかしりないと。
きっとあなたは、相当に凹んでいるはず。
大丈夫、私はまだ、諦めていないから。
あなたと優美ちゃんと私、三人の生活を守るんだ。
病気になんて、負けていられない。
無理やりにでも、私がもっと、強くならないと。
そこからまた、私の通院生活が始まったんだ。
そして職場には、休職願いを出した。
前の時よりももっと強い薬を使っていたので、体が思うように動かなかった。
それに、また髪の毛が抜けてしまって……
ごめんなさい、ちょっと耐えられそうになくて、夜中に何回も泣いちゃった。
あなたはずっと夜遅くまで、インターネットで調べてくれていたっけな。
こんな病院がある、こんな治療法がある、そんなことを沢山。
中には怪しげな、民間療法まで。
先進的な医療や治験なんかもあったけれど、高額でとても払えなかったり、ここから遠く離れた異国の病院だったり。
目の下が窪んでやせ細って、可愛そうになるほどだった。
ありがとう、その気持ちだけで十分だから、あまり無理はしないで。
何時まで続けられるのかは分からないけれど、私はこの家、この小さな部屋で、あなたと優美ちゃんと三人で、普通に過ごしたいの。
経過は、先生が話した通りだった。
少し良くなったと思ったら、また病気が盛り返してきて。
そして薬を変えて、その繰り返し。
けどそんな間は、何とか普通に暮らすことができた。
優美ちゃんの運動会に応援に行って、一生懸命に走っている姿を撮影した。
テーマパークに行って、クリスマスツリーの前で、三人で写真を撮った。
有名な神社に初詣に行って、神様に祈った。
どうか、病気に負けませんようにって。
桜の季節には公園に行って、あなたと一緒に作ったお弁当を広げたっけな。
夏には信州の上高地を訪れた。
今度は優美ちゃんも一緒に、三人で。
その自然の雄大さは、あなたと二人で訪れた時と、なにも変わっていない。
川を跨ぐ橋の上から、三人で夜空を見上げた。
あの時と同じだ、静寂が漂う暗やみの中で、無数の星々が紡ぐ天の川銀河が真上にあった。
「ねえ、二人って、どっちから告白したの?」
優美ちゃんが悪戯っぽいく言葉を向けてくる。
「それは……あなたからよ、ねえ?」
「……どうだったかな。よく覚えていないな」
ずるいんだ、そういうとこ。
そんなの、覚えていない訳ないでしょう?
もし本当にそうなら、思いっきりお尻をつねってやるんだから。
秋の紅葉、食のテーマパーク、見たかった映画、四つ星ラーメン、ゆるキャラのイベント……
沢山思い出が作れたね。
でも私にとっては、あなたと優美ちゃんと三人で過ごす毎日だって、負けないくらい大事な思い出だよ。
おっきな口を開けて、私が作ったご飯を頬張ってくれた優美ちゃん。
一緒にお風呂にも入って、背中を流し合ったっけ。
私がウトウトとしていると、そっと肩を揉んでくれたあなた。
「ごめん、起こしちゃったか?」
「ううん、気持ちいいよ。ありがとう」
ずっとこんな時間が続いていくといいな……いつしか、そう想っていた。
まるで、病気なんか、何処かへと行ってしまったみたいに。
でも現実は、ささやかに思えるそんな願いさえ、許そうとはしてくれなかった。
「腫瘍マーカーの上がり方が大きいですね。他にも広がっている可能性があります」
「……先生、次は、どんなことができるのでしょうか?」
「……残念ながら、もう使える薬がありません。でも取り合えず、全身を検査してみましょう」
とうとうこの時が来てしまったか。
思ったよりは冷静でいられた。
多分、予想はしていたから。
でも、だからと言って、心の中が救われるわけじゃない。
耐えられなくて、あなたの胸の中で泣いてしまった。
「大丈夫、俺はまだあきらめないから」
それからいろんなサプリや、体にいい野菜とかを、あなたは買ってきてくれたっけな。
優美ちゃんには、あまり沢山のことは話さなかった。
大事な学校生活を、できるだけのびのびと、過ごしてもらいたかったから。
お母さんにも話をすると、遠くから飛んで来てくれた。
久しぶりに、ゆっくり話ができてよかったよ、お母さん。
でもね、やっぱし、最後に頼れるのはあなたなの。
だから、これからどうなるのかは分からないけれど、ずっと傍にいて欲しい。
ごめんね、こんなふうになっちゃって。
あなたと一緒に訪れた病院で、先生は優しく諭すように、私たちに言葉を向けた。
「肝臓と背骨に、転移が広がっています。これからは緩和治療になりますが、この病院に入院するか、それかご自宅で療養されることもできます」
「……先生、もう他に、やれることはないんですか……?」
あなたの問いかけに、先生は静かに首を振った。
「はい。治験についても調べましたが、対象となるものはありません。あとは保険が利かない自由診療ですが、そこは自己責任で、効果は実証されていません。最新の薬だと、恐らく一回の治療で、一千万円は下らないでしょう」
病院からの帰り道、あなたは言ってくれたね。
「自由診療、やってみようか? 会社から金を借りるし、親にも頼んでみよう」
私だって、もっと生きたかった。
できることは、何でもしたかった。
その言葉は、本当に嬉しかった、涙が溢れ出るほどに。
でもね、そのために、あなたや優美ちゃんを、不幸にはしたくなかったんだ。
だから、
「ありがとう。でもね、私はお家で、静かに過ごしたいんだ、三人で。神様がくれる、奇跡を信じてね」
そう言葉を返すと、あなたの頬に、光るものが流れていたっけ。
