あなたの顔、いつの間にか皺が増えたね。
窪んだ頬に、光るものが流れては落ちてる。
泣かないで。
大丈夫、私は幸せだったから。
あなたと出会ったのは、高校一年生の春だった。
桜の花びらが舞い散る小道を、たくさんの期待とちょっぴりの不安を抱えながら、初めての教室に向かった。
そこでたまたま隣の席になったあなたが、私に声をかけてくれたんだ。
「これ、落としただろ?」
私の机の上に、買ったばかりだった消しゴムを、ぽんっと置いてくれた。
「あ、ありがとう」
これが、私とあなたが交わした、最初の言葉。
「そんなの、覚えていないよ」
あなたはそう言うけれど、私はちゃんと覚えているよ。
どうしてそれが頭の中に残ってくれてたのか、それが分かったのは、もっと後になってからだった。
けれどその時から、何か予感のようなものがあった気がする。
それが当たって、まさか齢50歳を迎えるまで、一緒に過ごすことになるなんてね。
目立たなくて、とっても無口だったあなた。
私もおとなしかったし、男の子と何を喋ったらいいのかなんて分からなくて。
だから、せっかく隣同士の席だったのに、ほとんど話さないままだっけ。
けれど、いつもあなたが照れながらくれる言葉が、私は毎日楽しみだった。
「おはよう」
たったその一言が。
でもそれだけで私は嬉しかったし、学校に行くのが楽しみになったんだ。
ある日の授業中に、あなたは居眠りをしていた。
心配でたまらなかったけど、そんな予感ほど、よく当たるものね。
急に先生に当てられて、あなたは慌てふためいていた。
こっそり答えを教えてあげると、あなたはその通りに声を上げた。
「よし、正解」
先生の一言に、ほっと胸を撫で下した。
その授業の後で、
「さっきは、ありがとうな。く、久保田さん……」
その時、心臓がどっくんと飛び跳ねた。
あなたが、初めて私の名前を呼んでくれたから。
「う、ううん。でも、授業中は、気を付けないとだめだよ、三浦君」
「分かった。気を付けるよ」
初めて三浦君の名前を呼べた。
その日はお風呂の中で勝手に照れちゃって、顔にばしゃばしゃとお湯をかけたっけ。
そんなことがあってから少しずつ、あなたと話すことが増えていった。
「よお~し、じゃあ席替えをするぞ!」
夏の足音が聞こえる教室で、先生がそんなことを言った。
席替えって、くじ引きなんだよな。
三浦君とは離れ離れかな。
せっかく少しだけ、話ができるようになったのに。
できたらまた、近くの席がいいな。
そう願ったけれど、運命の女神様は、私には微笑んでくれなかった。
三浦君とは、遠く離れてしまった。
なんでこんなに、気持ちが落ち込むんだろう。
沈んだ気持ちで俯いていると、乾いた声が聞こえた。
「く、久保田さん」
「は、はい!」
「さよなら。また明日」
私の席の傍を通り抜ける時、三浦君が話しかけてくれたんだ。
「あ、さ、さよなら」
彼がくれた一言は、私の心の中の色を塗り替えるのには、十分だった。
それからはわざと、じっと自分の席に座って、三浦君が傍を通るのを待ったりしたっけ。
彼はまるでそれを見透かしたかのように、いつも私に、短い言葉をくれた。
「久保田さん、えっと、分からないとこがあるから、教えてくれないかな……」
期末試験が近づいたある日、三浦君がそんなことを言ってきた。
「う、うん。いいよ」
無茶苦茶焦ったし、体がガッチガチに固まった。
けど胸の中は、ほんのりと灯が生まれたように暖かかった。
彼は英語が苦手で、授業の中身が分からなかったみたい。
「ここは受け身形だから、後ろにedが付くんだよ」
「なるほど、そっか」
「英語の松下先生ってさ、いまいち話が分かりにくいんだ。だからいつも、自分で復習してるんだよ」
「そっか。久保田さんは偉いな」
真剣な顔で、メモを取っていた。
見ていて何だか嬉しくて、つい余計なことまで、色々と喋っちゃった。
「俺、法律の仕事がしたいんだ。だから語学は頑張んないと」
そんなことを、不意に言ってくれたっけ。
偉いな、まだ高校一年生なのに、そんなことを考えているんだ。
私なんか、将来何がしたいのかなんて、全然頭になかったのに。
高校を卒業したら大学に行って、どこかの会社に就職して。
そしてだれかと結婚して、可愛い子供が生まれて。
そんな、どこにでもある当たり前のようなことを想っていた。
でも、その当たり前がどれだけ幸せなことなのか、それに気が付くのは、もっとずっと先だった。
夏の林間学校は、みんな楽しみにしていたな。
バスに揺られて、自然がいっぱいのキャンプ場へ行ったっけ。
班ごとに分かれて、晩ご飯を作ることになっていた。
メニューはキャンプ飯の定番、カレーライスだ。
みんなとワイワイ言いながら野菜を切って、グツグツと煮えるお鍋を眺めて。
自分たちで作ったご飯がこんなに美味しいなんて、知らなかった。
楽しかったけど、ちょっぴり寂しくもあって。
三浦君とは別々の班になってしまって、彼は他のみんなと一緒に、ご飯を食べていた。
私もその中にいれたらよかったのにな……そんなことを想った。
今の班のみんなが嫌な訳じゃない、けど……
何だか胸の奥が、キュンと痛かった。
夜にはキャンプファイアがあって、それを囲んで、クラスごとに出し物をする時間だ。
合唱、ダンス、クイズ大会、先生への突撃インタビュー……どれも面白い。
それが終わると、ちょっとしっとりとした曲が流れてきた。
ペアでのダンスタイムだ。
「よおおしみんな、適当にペアを組んで、好きに踊れ!」
そんな声がかかって、あちこちでペアができ上がる。
ほとんどは男の子同士、女の子同士で、ふざけ合っている。
けど中には男の子と女の子のペアもあって、周りからヒューヒューって、冷やかされてて。
どーしよ、このまんま見てよかな。
そんなふうに思ってぼんやりしてたら、
「あ、あの、久保田さん……」
「は、はい!?」
「よかったら、その……一緒に、踊らない……?」
視線を逸らして、不器用なお澄まし顔の三浦君。
「……うん……いいよ」
二人とも踊り方なんて知らないから、滅茶苦茶で。
でも繋いだ手と手の間から熱いものが伝わってきて、体中が火照っている。
心臓がドキドキと音を奏でていて、頭の中がぼーっとする。
熱く燃えるキャンプファイアの灯りの中で浮かぶ三浦君の顔を、まともに見られない。
胸の奥でじんわりと想った。
きっと私、三浦君のことが、好きなんだ……
窪んだ頬に、光るものが流れては落ちてる。
泣かないで。
大丈夫、私は幸せだったから。
あなたと出会ったのは、高校一年生の春だった。
桜の花びらが舞い散る小道を、たくさんの期待とちょっぴりの不安を抱えながら、初めての教室に向かった。
そこでたまたま隣の席になったあなたが、私に声をかけてくれたんだ。
「これ、落としただろ?」
私の机の上に、買ったばかりだった消しゴムを、ぽんっと置いてくれた。
「あ、ありがとう」
これが、私とあなたが交わした、最初の言葉。
「そんなの、覚えていないよ」
あなたはそう言うけれど、私はちゃんと覚えているよ。
どうしてそれが頭の中に残ってくれてたのか、それが分かったのは、もっと後になってからだった。
けれどその時から、何か予感のようなものがあった気がする。
それが当たって、まさか齢50歳を迎えるまで、一緒に過ごすことになるなんてね。
目立たなくて、とっても無口だったあなた。
私もおとなしかったし、男の子と何を喋ったらいいのかなんて分からなくて。
だから、せっかく隣同士の席だったのに、ほとんど話さないままだっけ。
けれど、いつもあなたが照れながらくれる言葉が、私は毎日楽しみだった。
「おはよう」
たったその一言が。
でもそれだけで私は嬉しかったし、学校に行くのが楽しみになったんだ。
ある日の授業中に、あなたは居眠りをしていた。
心配でたまらなかったけど、そんな予感ほど、よく当たるものね。
急に先生に当てられて、あなたは慌てふためいていた。
こっそり答えを教えてあげると、あなたはその通りに声を上げた。
「よし、正解」
先生の一言に、ほっと胸を撫で下した。
その授業の後で、
「さっきは、ありがとうな。く、久保田さん……」
その時、心臓がどっくんと飛び跳ねた。
あなたが、初めて私の名前を呼んでくれたから。
「う、ううん。でも、授業中は、気を付けないとだめだよ、三浦君」
「分かった。気を付けるよ」
初めて三浦君の名前を呼べた。
その日はお風呂の中で勝手に照れちゃって、顔にばしゃばしゃとお湯をかけたっけ。
そんなことがあってから少しずつ、あなたと話すことが増えていった。
「よお~し、じゃあ席替えをするぞ!」
夏の足音が聞こえる教室で、先生がそんなことを言った。
席替えって、くじ引きなんだよな。
三浦君とは離れ離れかな。
せっかく少しだけ、話ができるようになったのに。
できたらまた、近くの席がいいな。
そう願ったけれど、運命の女神様は、私には微笑んでくれなかった。
三浦君とは、遠く離れてしまった。
なんでこんなに、気持ちが落ち込むんだろう。
沈んだ気持ちで俯いていると、乾いた声が聞こえた。
「く、久保田さん」
「は、はい!」
「さよなら。また明日」
私の席の傍を通り抜ける時、三浦君が話しかけてくれたんだ。
「あ、さ、さよなら」
彼がくれた一言は、私の心の中の色を塗り替えるのには、十分だった。
それからはわざと、じっと自分の席に座って、三浦君が傍を通るのを待ったりしたっけ。
彼はまるでそれを見透かしたかのように、いつも私に、短い言葉をくれた。
「久保田さん、えっと、分からないとこがあるから、教えてくれないかな……」
期末試験が近づいたある日、三浦君がそんなことを言ってきた。
「う、うん。いいよ」
無茶苦茶焦ったし、体がガッチガチに固まった。
けど胸の中は、ほんのりと灯が生まれたように暖かかった。
彼は英語が苦手で、授業の中身が分からなかったみたい。
「ここは受け身形だから、後ろにedが付くんだよ」
「なるほど、そっか」
「英語の松下先生ってさ、いまいち話が分かりにくいんだ。だからいつも、自分で復習してるんだよ」
「そっか。久保田さんは偉いな」
真剣な顔で、メモを取っていた。
見ていて何だか嬉しくて、つい余計なことまで、色々と喋っちゃった。
「俺、法律の仕事がしたいんだ。だから語学は頑張んないと」
そんなことを、不意に言ってくれたっけ。
偉いな、まだ高校一年生なのに、そんなことを考えているんだ。
私なんか、将来何がしたいのかなんて、全然頭になかったのに。
高校を卒業したら大学に行って、どこかの会社に就職して。
そしてだれかと結婚して、可愛い子供が生まれて。
そんな、どこにでもある当たり前のようなことを想っていた。
でも、その当たり前がどれだけ幸せなことなのか、それに気が付くのは、もっとずっと先だった。
夏の林間学校は、みんな楽しみにしていたな。
バスに揺られて、自然がいっぱいのキャンプ場へ行ったっけ。
班ごとに分かれて、晩ご飯を作ることになっていた。
メニューはキャンプ飯の定番、カレーライスだ。
みんなとワイワイ言いながら野菜を切って、グツグツと煮えるお鍋を眺めて。
自分たちで作ったご飯がこんなに美味しいなんて、知らなかった。
楽しかったけど、ちょっぴり寂しくもあって。
三浦君とは別々の班になってしまって、彼は他のみんなと一緒に、ご飯を食べていた。
私もその中にいれたらよかったのにな……そんなことを想った。
今の班のみんなが嫌な訳じゃない、けど……
何だか胸の奥が、キュンと痛かった。
夜にはキャンプファイアがあって、それを囲んで、クラスごとに出し物をする時間だ。
合唱、ダンス、クイズ大会、先生への突撃インタビュー……どれも面白い。
それが終わると、ちょっとしっとりとした曲が流れてきた。
ペアでのダンスタイムだ。
「よおおしみんな、適当にペアを組んで、好きに踊れ!」
そんな声がかかって、あちこちでペアができ上がる。
ほとんどは男の子同士、女の子同士で、ふざけ合っている。
けど中には男の子と女の子のペアもあって、周りからヒューヒューって、冷やかされてて。
どーしよ、このまんま見てよかな。
そんなふうに思ってぼんやりしてたら、
「あ、あの、久保田さん……」
「は、はい!?」
「よかったら、その……一緒に、踊らない……?」
視線を逸らして、不器用なお澄まし顔の三浦君。
「……うん……いいよ」
二人とも踊り方なんて知らないから、滅茶苦茶で。
でも繋いだ手と手の間から熱いものが伝わってきて、体中が火照っている。
心臓がドキドキと音を奏でていて、頭の中がぼーっとする。
熱く燃えるキャンプファイアの灯りの中で浮かぶ三浦君の顔を、まともに見られない。
胸の奥でじんわりと想った。
きっと私、三浦君のことが、好きなんだ……
