俺の親友はまだゾンビじゃない




 あれは高校1年の夏休みが終わった後。長すぎた猛暑も終わりを迎え、やっと秋めいてきた頃のことだ。
 うちのクラスでは、ゾンビ博士の横路に試練が訪れていた。

「ソーラーパネル付きのポータブル電源! これは各家庭に1個は必須です! 電灯、冷蔵庫、クーラー! なんでも電気で動いてますからね」 

 確かにと頷くクラスメイトたちに、横路がパンフレットを配る。受け取ったパンフレットをパラパラとめくったクラスメイトたちは、みんな愛想笑いを浮かべて散っていった。
 がっくりと肩を落とす横路を、誰かがクスリと笑った。


「確かに高い。高いですよ、ポータブル電源。
 でも現代人が文明の利器の恩恵ナシに、一日だって暮らしていけますかぁ!?」

 部室棟の空き教室。教室の中央に真向かいで並べられた机と椅子。その椅子の一つに座った途端に、教室中に横路の怨念がこもった叫びが響く。俺はこいつを連れてきたことをだいぶ後悔しながら、スマホでメッセージを送った。

「ほら! 水野くんだってスマホ使ってる!」
「はいはい。使ってる使ってる。文明の利器、バンザーイ」
「文明の利器、万歳!」

 両手を高く上げてから、横路はガクッとうなだれる。
 すこし前までは元気に喋りまくるところしか見なかったから、急激な変化がちょっとばかり痛々しい。

「あのさ、横路のできればすぐ備えておけって言い分は分かる。実際、今こういう装置?は値上がってんだろ」
「……そうですね。去年は20万で買えたモデルが、今は30万以上します」
「うわぁ」
「だから今すぐ」
「今すぐは一般家庭だとまず無理。それに必要ない場合もある」
「電気が必要ない場合……?」

 目を丸くする横路に俺は頬をかいた。

「俺の父親、電気主任技術者なんだ。電気のプロ」
「はぁ」
「だから実家には発電機あるんだよな、3台」
「3台!? いえでも……」

 小型の1台でも冷蔵庫や扇風機を動かせる程度は発電できること。ガソリンで動くことや、親父が機械の修理もある程度できることを付け加えると、横路の目がドンドン丸くなっていく。

「だから俺の実家は、ポータブル電源は買わないと思う」
「発電機だって高いですよ」
「まあ、でもちょっと俺の実家にはいらなくないかって思ったろ?」
「ポータブル電源の方が便利だとは思いますが、まぁ……」

 釈然としない様子の横路。これ以上あれこれ言うのもおせっかいが過ぎるかと黙っていれば、横路はポツリと呟いた。

「……いらない家庭だけじゃなくて、買えない家庭もきっとありますよね」
「だろうな」
「うわあ」

 こめかみを押さえた横路が呻く。そして自分がやってきた押しつけがましいおせっかいを思い出したのか、顔を真っ赤にして身体をくねらせはじめた。クラスメイトのそんな姿は見たくないので、バシバシと背中を叩いて正気を取り戻させる。

「は!? そうだ、電気のない長期的な暮らしに必要なものをまとめてみよう!」
「おう」
「でもポータブル電源も便利なので、教室にパンフレットだけ置かせてもらえないかを先生に聞かないといけません!」
「がんばれー」
「水野くんって怖そうな顔していい人ですね!」
「誰が童顔三白眼チビだって?」
「そこまでは言ってないんですが!?」
 
 すっかり元気になった横路を教室から追い出す。それから俺はスマホでメッセージを送った。「成功」とだけ送った直後に、横路が出て行った扉とは別の扉が開いた。
 扉をくぐる時、ちょっと頭上を気にする仕草がうらやましい——沢谷だ。
 
「横路、元気になったみたいだね。廊下をスキップしてたよ」
「そうかそうか。昼飯食べた?」
「まだ」
「じゃあ食べようぜ」

 もちろん俺もまだだった。今日は何パン買ったけ?
 登校前に寄ってきたパン屋の袋を漁っていると、さっきまで横路が座っていた正面の席に沢谷が座る。
 沢谷は弁当のようだ。沢谷の家の卵焼き、厚焼きでほんのり甘くて美味いんだよな。今日は入ってねぇかな。
 犬柄の小風呂敷をほどき、二段重ねの弁当箱の一段目がぱかりと開けられる。卵焼き……あるな。

「水野」
「待て。ベーコンエピ半分でどうだ」
「はい、どうぞ」

 ぱきっと割られた割り箸が渡される。あとおかずの入った箱が俺のほうに置かれた。そこまでされて誘惑に勝てるやつが居るだろうか、いや居まい。俺はふらふらと卵焼きに割り箸を伸ばして——寸でのところで止めた。
 代わりにパン屋の袋を沢谷に押しつける。

「すごくいい匂いがする」
「だろ? オススメはクロックムッシュだ」
「ぐっ」
「ベーコンエピもうまいぞ」
「……卵焼きじゃ釣り合わない」
「俺はほぼ毎日、お前の卵焼きを食ってんだからな。
 余裕で釣り合う」
「そうかなぁ」
 
 口では抵抗しながらも、ベーコンエピの入った袋を手にとった沢谷に小さくガッツポーズした。もらってばっかりは性に合わないしな。

「水野、ありがとう」
「こっちこそ卵焼きいつもご馳走になってます。あ、おばさんにも伝えておいてくれ。卵焼きいつもめちゃくちゃ美味いですって」

 さっそく卵焼きを口に入れる。これこれ! この味!
 甘すぎずかといってしょっぱくもない。何が入ってんだろうな。高級だしの素とか?
 最後の一欠片まで味わって咀嚼する。卵焼きは二つある。いつもは二個もらっちゃうが、たまにはおばさんの卵焼きを沢谷だって食べたかろう。
 俺が箸をひっこめると、沢谷が焦った調子で尋ねてきた。

「味、いつもと違った?」
「いや、今日のも美味しかった。でもたまには沢谷も食えって」
「俺は味見してるから」

 朝飯に卵焼きの端っことかもらってるのか? まあそういうことならば遠慮せずにいただこう。俺が2個目の卵焼きに箸を伸ばせば、沢谷もベーコンエピのてっぺんをかじった。

「あ、美味しい」
「だろ? うちのご近所のパン屋だぜ」
「うんうん」

 微笑みながらベーコンエピを食べる沢谷は、きっともうパン屋の髭もじゃオーナーの虜だな。これからは定期的にパンを差し出せば、卵焼きをいくらでも食べさせてくれるに違いない。

「そういえば卵の値段がまた上がるらしくて」
「……マジか」

 俺は2個目の卵焼きを1個目以上に味わって食べた。
 そういえば、うちのご近所パン屋さんも値上げするんじゃないかって噂があったなぁ。

 長すぎた猛暑も終わり、やっと秋めいてきたこの頃。
 ゾンビはまだテレビやニュースの中だけの存在だったが、日常はすこしずつ先の見えない霧に覆われた場所へと追いやられていたのだ。