俺の親友はまだゾンビじゃない


 およそ一年前。
 夏休みが明けると、横路の周りには小さな人だかりができるようになっていた。
 横路は手に持つ機械をスマホからタブレットに変えて、タブレットに動画や自作の資料を映しながらペラペラと喋っている。

「……というかけで、アメリカのCDCはゾンビに対して「感染性可逆型死体運動症候群」と名づけました。まぁ長いからみんなゾンビ症候群って呼んでますけどね」

 横路の周りに居る生徒たちが、バラバラに頷く。真剣に聞いている者、思ったよりガチでちょっと引いている者、物見遊山気分な者と様々だ。
 それでも夏休み前には見かけなかった光景は目を引いた。

「なあ、沢谷」
 
 目の前のデカ男に呼びかける。すると沢谷はすぐに振り返って小首を傾げていた。イケメンと女子しか許されない仕草だ。

「水野、俺の顔になにかついてるの?」
「イケメンな顔がついていらっしゃる」
「ありがとう?」

 ちくしょう。イケメンはこういう時の返事もずるいな。
 いかん、いかん。思考が横道にズレすぎた。

「さっきの横路の話、聞いてた?」
「アメリカのどこかの州が戒厳令を出したってやつ?」
「すまん。そこじゃない。
 人によっては、ゾンビになるまで時間があるってところ」

 すこし考えてから、沢谷は頷く。
 人間がゾンビになるまでには、どうも個人差があるらしい。ゾンビに噛まれたらゾンビになる。これは間違いない。ただゾンビに噛まれてからも人間を襲わず、普段通りに振る舞うヤツもいるらしい。
 横路はこれを「感染者」と呼び、下手すればゾンビより余程危険な存在だと訴えた。

「横路の言い分もわかるけどさ、俺はゾンビのほうがヤバイと思う」
「走らないのに?」
「そのうち走り出すかも知れんだろ」

 ゾンビにはそんな得体の知れなさがある。何より意思疎通がとれないと言われている。だから俺はゾンビのほうが怖いと思うんだが。

「感染者の方が怖いよ。ゾンビは人間をゾンビに変えるけど、感染者は人間社会そのものを破壊するだろうから」

 沢谷は違うらしい。真面目な顔で言うものだから、真面目に受け取る他ない。俺はおうと頷いた。その時はそれだけだった。



 朝日で目が覚める。健康的だと思うが、半年経った今でもしっくり来ない。スマホのアラームを5個くらいかけて、それでも寝坊することもあった。寝坊すれば朝飯は食パンだけだ。ジャムの瓶の蓋を開ける暇も惜しい。
 そんな朝飯で昼まで保つはずがなく、週の半分は沢谷に飴玉をもらってしのいでたっけ。

「そうだ。沢谷……」

 起き上がって床を確認する。床に広げた寝袋の上に、沢谷が丸まって寝ていた。でかい猫みたいな寝相だ。
 寝息が聞こえる。俺はすこし迷ってから、沢谷の寝顔を観察した。
 顔色は紙のように白い。唇も色をほとんど失っており、呼吸の音がなければ——死体に見える。

「沢谷」 

 名前を呼ぶ。ん?と声が上がったかと思えば、また健やか寝息。

「さわーたーに!」

 今度は外に漏れないギリギリの声をあげた。口元がもにゃもにゃ動く。これなら起きるだろうと高をくくっていたら、起きない。
 コイツ、朝はこんなに寝起きがいのか。朝ランニングが趣味ですよなんて顔をしながら、案外、目覚ましがないと起きれないタイプだったのか。
 俺は笑いを堪えてから、ベッドを降りた。
 ちょうど沢谷が寝返りを打って、こちら側に顔を向けている。俺はしゃがみこみ、沢谷の耳元で囁いた。

「沢谷。朝だぞ、起きろー」

 これでも絶対に起きないんだろうな。しかたないから、木刀で肩を軽くつついてやるか。——なんていう予想は、パッと目蓋を開けた沢谷の瞳に俺が映ることで瓦解した。
 俺はゆっくり首を横に振り、後じさりする。
 
「待て、沢谷。俺は無実だ」
「いや、なに言ってるの?」
「お前を起こしただけだ」
「そうだね? ありがとう」
「そうか、そうか。チャラにしてくれるか」
「え? ダメに決まってるだろう」

 にっこりと沢谷が笑った。美人の笑顔は絵になるのも分かる。俺も沢谷の笑顔が絵画になってたら、足を止めて見るだろう。それくらい綺麗な笑顔を浮かべた沢谷は、地獄の獄卒より低い声で言った。

「近い」
「……はい」
「怒ってるわけじゃない。もっと俺を警戒して。
 ……眠っている状態でも」

 わかってる。頷くしかない。
 朝からこんな会話はしたくないけど、これが今の俺たちの現実なんだよな。一歩近づくのさえ神経を尖らせる同居生活。……いや、かなりピリピリしない? 沢谷はともかく俺がいらつかない?
 なんか改善案を授けてくれ、グーグル。
 同居 感染者 イライラしないために——検索、できないんだよなぁ。ネットが使えなくなって久しいスマホは、ベッドサイドで文鎮になっている。時々充電はしてるんだけどな。

「水野、ごめん。ちょっと言い過ぎた」

 沢谷の言葉に首を横に振る。グーグルでない俺の頭から妙案は湧いてこない。代わりに腹が鳴った。

「とりあえず朝飯にするか」
「俺は——」
「俺は二人分作るからな」

 ベッドサイドの上の時計は、7時27分を指している。だいたいいつも通りに起きたのか。
 俺は者言いたげな沢谷を残してキッチンに向かった。
 冷蔵庫からかすかに明かりが漏れている。ひゃっほー、電気が来たぜ。文明を感じる。
 冷蔵庫からジャムの瓶。冷凍庫からラップにくるんで凍らせた食パンを取り出して、トースターで焼く。ひゃっほー、文明の利器が使えるぜ!
 もう一回冷蔵庫を開けると、消費期限2日前のベーコンが2枚見つかった。こいつは昼にとっておくか。
 卵があったらベーコンエッグにしてやるんだけどな。 
 あいにく卵はない。めったに配給されないからだ。
 トースターがチンと鳴く。俺はコンロ下の食器置き場から、二枚目の皿を取り出して軽く拭いた。
 皿の上にトーストを載せたら、朝飯の完成だ。
 おぼんなんてものはないから、代わりにまな板へ皿とジャム瓶にスプーンとコップを載っけていく。
 寝袋を畳み、テーブルを組み立てた沢谷が俺の配膳スタイルに目を丸くしていた。許せ友よ、おぼんは一応あとで探しとく。

「ほいよ。ジャムはブルーベリー」 
「ありがとう」 
 
 テーブルに皿を並べる。飲み物はもちろん麦茶だ。
 いただきますと手を合わせて食べ始めてから、しばらく沈黙が続く。トーストが半分になって、俺はようやく口を開けた。

「生活のルール、決めとこうぜ」
「それは賛成」
「まず不用意に近づかない」

 沢谷が頷く。さっきのは俺が迂闊だったから、これは最初に言いたかった。

「だが、どうしても近くに寄る必要がある時は声をかける」
「それは」
「俺の家の広さを見ろ。1Kだ。8畳あるからこの部屋はそこそこ広いけど、通路は俺とお前が並んで立つとギチギチだぞ。ギチギチの通路の脇にキッチンや風呂にトイレへの扉があるんだからな」

 一気に言ってから俺はトーストの端をかじった。

「俺はお前が8畳の片隅でじっとしてるの、嫌なんだよ。
 でもお前は俺にあんまり近づきたくないだろ?
 だから……」
「声をかける。……わかった、俺の負け。
 だからそんな顔しないで」

 眉じりを下げる沢谷に、こっちが負けた気分になる。
 なんだよ、俺どんな顔してんだよ。そんなに情けない面か? それを沢谷に聞くのは、さらに沢谷に負けた気分になる気がして俺は咳払いした。

「あとは——なにかあれば話しあって解決。
 はい、飯の続き!」
「わかった、わかった」

 微笑む沢谷が何を考えているかわからない。
 でも、また俺は負けた気分になるのだった。