俺の親友はまだゾンビじゃない



 俺は壁にへばりついていて、沢谷は扉の近く。
 逃げようと思えば逃げれたろうに、沢谷は背後の扉を静かに閉じることを選んだ。だけどこっちを見る顔は、怒りと動揺をない交ぜにした複雑な顔だ。

「俺を探しに来たの?」
「おうよ」
「迷惑だ。家まで送るから……」
「知るか、このバカ」
「水野」

 焦った顔の沢谷が近づいてくる。俺の口を塞ごうとして、防護服のアクリル板に当たった。ちょっといい気味だ。
 俺は防護服の頭部の部分を脱いだ。木刀の入ったリュックも床に下ろす。

「同居生活のルールは覚えてるか?」
「近づかない」
「あとどうしても近づく時は声かけする、な」
「……忘れてないよ」

 噛みしめた歯の隙間から漏れた、うめき声の呟きだった。初めて聞く種類の声に俺は黙った。そんな俺を見て、沢谷は何故か口の端を歪めた。——笑ってるのか?

「つ、つぎも覚えてるんだろうな?」
「うん。話し合って解決。
 どう? 手紙に書いた通り覚えているだろう?」
「おう。俺は——お前と話に来た」

 椅子を一つ引っ張ってきて腰を下ろす。見上げた沢谷の顔は、まるで童子のように稚く見えた。
 なんで? どうして? そんな声が聞こえてきそうだ。
 俺のやることなんて、沢谷なら想像できそうなもんだけどな。けど今のこいつは感染者だ。きっと無意識に考えが変わったり、諦めたりしたこともあったんだろう。
 沢谷がいつまで経っても動かないので、俺はもう一つ椅子を持ってきて置いた。
 ただし俺の椅子とは背中合わせに並ぶようにした。

「とりあえず座れ」
「……後ろを向いて?」
「こうすれば近くても近くないだろ」
「……水野はバカだ」

 大きなため息が落ちる音が聞こえる。同時に後ろの椅子がギシっと音を立てた。
 何から話そうか。そう考えた時、災害用伝言ダイヤルのことが思い浮かんだ。同時に親父のことも。

「災害用伝言ダイヤルで、毎週連絡とってただろ?」
「ああ、うん。水野、いつも飯食ってるって入れてたよね。あれみんなに言ってたの?」
「もう沢谷と親父にしか言ってねぇよ。
 横路とか提案者のクセして、二週間で連絡とれなくなりやがって」
「水野は横路には優しいよね」

 沢谷の声から、一滴の毒が落ちたような気がした。

「横路が孤立しそうになってた時、ここに連れてきて二人で何を話してたの? 俺、今すごく知りたい。教えて?」

 毒がぽたぽたと床に落ちていく。そんな光景を声色だけで幻想するってことある? あるんだなぁ、これが!
 なに? 沢谷は急になんでこんなことを言い出したんだ? 考えても分からねぇよ。
 とりあえず話すかと決めて、息を整えた。

「親父の話」
「……もう一回言って?」
「だから親父の仕事の話だっての。俺の親父は電気主任技術者だから、発電機を持ってるって話をした」
「水野のお父さんには、ポータブル電源はいらないって話?」
「そういうこと。あとは勝手に納得して元気になって帰っていったぞ」
「……横路らしいね」

 ため息一つ。微かに疲労が混じっている。
 いや、俺の方が疲れたからな。なんて軽口を叩かず、そのまま話の方向を横路からずらす。

「1月の緊急事態宣言の時、親父は俺のアパートに居たんだ」
「……うん」

 今度の話は大人しく聞いてくれるらしい。俺は手元を見た。1月までは毎日のように使っていたスマホは、今はアパートの俺の部屋で文鎮になっている。
 俺の親父とお袋は、俺が高校に進学した際に地元の九州に戻った。九州の離島から東京に出てきて就職、結婚、子どもも産まれて——だけど地元のことがずっと忘れられなかったんだって言ってた。
 俺にとって故郷は東京でも、2人にとっては違う。
 そういうわけで、お袋と親父は俺の高校進学を機に九州に帰った。俺は東京のアパートに残った。
 九州と東京で二分割されている水野家だが、家族仲は悪くない。今年の正月を一緒に東京で迎えようと、お袋は張り切っていた。張り切りすぎてぎっくり腰になった。
 だから親父がリュックサックを背負って一人できた。
 2人で餅を食い、お袋とは止まりまくるテレビ通話にゲラゲラ笑いながら話をした。
 そして1月の緊急事態宣言。
 
「親父はすぐには帰らなかった。1か月くらい俺の家に居て、インターホンの様子を見たり、ランタンとか携帯用のガスコンロとかマッチとか用意してくれてさ。
 それでやっと1か月後に帰っていった。母さんは大丈夫だなんて言いながら」 
「おじさんって水野に似てるよね」
「そうかぁ? お袋にソックリて島のばあちゃんたちには言われるぞ」
「見た目じゃなくて、考え方かな?」

 ふふっと軽い笑い声が聞こえた。嫌な感じはしない。どちらかというと明るい気分になる笑い声だ。
 だから俺もすこしだけ軽口を叩く。

「身体的特徴が似たかったぜ」
「応援してる」
「おう」

 ここからまだ目があるか? 沢谷と言わずとも親父くらいはなんとかいけ……るとか気にはしてない。全然まったくこれっぽっちも気にしてないから、話を戻そう。

「親父とも災害伝言用ダイヤルで連絡をとってたんだ。
 毎日来てた。渋滞だ、飯を食ったかとか。ゾンビは見てないか、飯は食ったか——って、飯の心配ばっかりしてたな。それが3か月前で止まったんだ」

 両手を握る。思ったより力を込めすぎて、防護服がキュッと音を立てた。

「……水野」
「スマホがさ、壊れただけだったらいいよな。
 お袋の待ってる家に帰れてたらいいよな。
 お袋にも伝言を残したんだぜ。まあお袋、機械オンチだから気づいてないだけだろうけど」

 背後で椅子が軋んだ。沢谷が振り返って俺を見ている。
 そんな気がしたけれど、俺は振り返れなかった。
 親父のスマホは壊れてない。お袋だって災害伝言用ダイヤルの話だけは真剣に聞いてくれた。
 だからさ、2人とも——

「ダメなんだよ、俺。
 これ以上、大切な人に離れて行ってほしくない。
 沢谷が感染者でも、俺は——」

 後ろから腕が回された。学ランを着た冷たい手が、ペタペタと俺の顔を触る。抗議の声をあげる前に手が目の端に触れた。

「水野。泣かないで」
「泣いてねぇし、近いんだが!?」
「泣いてる。水野が泣いてるとどうすればいいかわからなくなる。ねぇ、教えて。——どうしたら、泣かないでいてくれる?」

 沢谷は賢いのにバカだ。俺は奥歯を噛みしめ、両手にもっと力を込めた。
 それなのに、頬を涙が流れた。

「沢谷が側に居てくれたら、それでいい」

 嗚咽のような返事だった。沢谷の手があやすように頭を撫でる。いいよって言ってくれるだろうか。それともやっぱりダメなんだろうか。
 俺の髪を梳いてから、沢谷の手が離れていく。椅子に座り直したようだ。
 心臓がドクドクといやに存在を主張する。
 もしも、また「ごめん」だったら——
 すぅと息を吸い込む音がした。沢谷は静かなでも微かに震える声で言った。

「俺の話を聞いてから、もう一度考えて」