俺の親友はまだゾンビじゃない




 新しい匂いがする。いやなんだ新しい匂いって。
 けれど、ピカピカに掃除された教室を見ればやっぱり思うのだ。教室のあちこちから新しい匂いがする。
 それはクラスメイトたちのおろし立ての制服の匂いだったのかも知れないし、綺麗に掃除された机や椅子だったのかも知れない。
 よく分からないまま、番号の載ったシールが貼ってある席を探す。
 あいうえお順だからすぐにわかった。まの行は窓側の後ろの席だ。——いや、後ろで問題ないけどな!? 居眠りしてても見つかりにくいし!?
 椅子を引いて隣の席を見る。岩みたいにゴツい男だった。足を見るに、たぶん柔道とか相撲をやってる。

「水野だ。よろしく」

 席替えはおそらく数か月先だ。雑談できる仲くらいにはなりたい。そう思い声をかけると、隣の席のヤツはチラッと俺を見下ろした。
 ——はぁ!? なんだその態度!?
 あれか? 俺がちょっと身長低いからって舐めてんのか?
 もうコイツとは口を聞かない決心をして、俺は窓ガラスを見ることにした。ガラスも綺麗に拭いてあって外の様子がよく見える。隣の席のヤツは、ちょっと嫌なヤツだけど席は当たりかも。
 なんて思っていたら、壇上に立った男の教師が一言。

「席替えするぞ」

 は? 俺は教卓を見た。担任の男教師は、四角い箱を両手で持ってシャカシャカと振っている。

「あの順からくじを引きに来なー」

 廊下側の一番前の席の女子がくじを引きに行く。女子が終われば次は女子の後ろの男子。
 マジで? マジでもう席替えするのか?
 教卓を見れば、担任は鼻歌を歌いながら黒板に数字をランダムに書いていた。アレが次の席順ってことか?
 俺がボケッとしている間に隣の席のヤツが立つ。その際、俺の方をまたチラッと見た。

「悪かったな、チビ」

 俺は水野だ! ムカついたので窓を睨みつけておいた。岩男はこれだからガキはみたいな顔をしてくじを引きに行く。アイツとは3年間、絶対に口を聞かない。そう固く決意していると俺の番がやってきた。
 教卓に近づいて四角い箱の中に手を入れる。
 スカスカの中身からようやくくじを引いて、席に戻ってから開けてみた。
 18。
 何度瞬きをしても数は変わらない。
 俺は黒板を見た。真ん中だ。教室のド真ん中だ。
 嘘だろ。めっちゃ目立つ席じゃん。
 隣が34番っていうのも俺が口をあんぐり開ける原因の一つだ。俺、出席番号34番なんだけど!? よく分からんがすごい偶然だ。

「全員引き終わったな。じゃあ黒板を見て席移動開始ー」

 担任の緩い声に従い、机の上に椅子を置いて机を持ち上げる。すこし……重くはない!
 さっきまで隣の席だった岩男が、にやにやこっちを見ていたので無視して教室の真ん中に向かう。背後から舌打ちが聞こえてきた。嫌なヤツすぎてもう興味もなくなってきたぜ、名前も知らない岩男……。

「うしっ」
「よいしょっと」 

 俺が机を置くと同時に、横に机が置かれた。
 ちらりと横目で見る。顔がうまく見えない。また背の高いヤツの隣かよ! そう思いながら目線を動かせば、ちょっとびっくりして固まってしまうくらい綺麗な顔があった。
 
「俺は沢谷春。よろしく」
「お、おう……あっ! 俺は水野陸だ。よろしく」

 挨拶を交わしてから椅子に座る。自分から挨拶してくれたし、なんかいいヤツっぽいな。
 それだけでさっきまでのイライラが落ち着いていく。黒板もさっきより見やすいし、教室ど真ん中の席もそう悪くないかもしれない。
 なんてちょっと浮かれながら、俺は隣の沢谷を見た。沢谷もちょうどこっちを見ていたようで目が合う。

「急に席替えでびっくりしたよな」
「そうだね。でも俺はこの席になってよかったな」
「俺もかも。教室のど真ん中けどさ」
「そういえばそうだ」
 
 今気づいたみたいに、沢谷は目を丸くする。
 もしかすると沢谷ってちょっと天然か? イケメンの上に天然とか天然記念物か?

「なんか困ったことがあれば言えよ……」
「水野くん。急にどうしたの?」
「いや沢谷って……やべ。沢谷って呼んでいい?」
「いいよ。それじゃあ俺も水野って呼ぼう」

 沢谷が笑って言った。俺も笑って「おう」と返した。
 中学1年の春のことだった。これから3年間、席替えの度に俺と沢谷は隣の席になるのだが、担任いわくただの偶然らしい。ただの偶然じゃなくて、すごい偶然じゃねぇか。
 ——なんて小っ恥ずかしい言葉は、俺の胸の中だけにしまっておいた。

 

「がっこう……」

 目蓋を擦る。学校に遅刻すると思い、時計を見ると朝の5時だった。いや中学はもう卒業してるし、行くなら高校だろ!
 自分にツッコミを入れながら、布団の上を転がる。
 思い返せば中一の頃の俺は尖ってたな。チビと言われただけで絶対に口を聞かないと思うなんて。
 今はそこまで怒らないぞ。精々、心の中でチビって言いやがった数を数えるだけだ。
 沢谷は0回。
 横路は1回……
 益体もないことを考えるなというように、腹の虫が大合唱を奏で始める。
 そういや昨日の晩飯食べたっけ? 食べてないな。
 カップ麺だ! さっさとお湯を沸かせ!とデモのようになってきた腹に力を込める。
 いいや! 俺は炊きたての白米と味噌汁を食べるぜ!

 というわけで鍋に白米と水を入れた。今日は浸水の時間もとることを決めて、時計を確認する。5時15分か。浸水させるのは30分にしとこう。
 その間に野菜室からジャガイモと玉ねぎを取り出す。栄養価を考えるな。とりあえず今食べたい味噌汁を作るんだ。
 出汁はかつお節と昆布を贅沢に使っちまおう。味噌はちょっと控えめな。減塩も一応意識してみた。
 そんな風に作っていたら、朝飯を食べる時間は6時過ぎだ。腹の虫は瀕死になって転がっている。
 まずは味噌汁を一口飲む。美味い。

「やっぱりかつおと昆布なんだよ」

 これに敵うのは、ほんだしだけだ。
 じっくり煮込んだ玉ねぎは甘く、ジャガイモはホロホロしていた。
 お次は白米だ。大盛りの白米の上に、梅干しとシソが乗っている。口を大きく開けて白米とシソを放り込んだ。腹の虫が息を吹き返し、ズンドコ踊っているのを感じる。
 味噌汁。ご飯。味噌汁。ご飯。
 交互に食べて約10分。最後に冷えた麦茶を飲んで、俺は手を合わせた。

「ごちそうさまでした」

 ——今日は学校に行ってみよう。


 俺が沢谷の行き先を沢谷の家だと思ったのには、それなりに理由がある。
 まず沢谷の家だということ。
 沢谷は自分の家が好きだった。何度も家に招いてくれたし、日本建築に疎い俺に対して「釘隠しが亀で可愛い」なんて真顔で言っていた。
 つぎにたぶん沢谷の家には、家族がもう居ないだろうという予想だ。
 自分を噛んだ相手について、沢谷は何も言わなかった。
 ただ暑い夏の時期に不釣り合いな学ランを着て、首筋を隠していた。最初は特に不思議に思っていなかったが、沢谷が居なくなった後にアレは「噛まれた後」に学ランに着替えたんじゃないかと思ったんだ。
 冬服の学ランを探す時間。服を着替える時間。
 そんな時間は、もし家に無事な誰かが居たら沢谷は絶対にやらない。
 それなら沢谷の家には、無事な誰かはもう居なかったんじゃないか?
 沢谷を噛んだのは——もしかしたら……。

「やめよう」

 こんな想像はすべきじゃない。沢谷は何も言わなかったんだから。
 とにかく根拠があって、俺は沢谷の家に行った。
 結果は変わり果てた沢谷の家を見る羽目になったんだが。

「学校。学校かぁ。
 中学の方が思い入れはあるけど」 

 なんたって3年間、同じクラスで隣の席同士だったからな。
 高校では同じクラスでも、隣だったり、沢谷が俺の前の席になったりした。本当は沢谷が俺の後ろの席だったんだが、俺のつむじを見ると笑ってしまう妙なツボがあるからな……。

「……やっぱり高校だな」

 中学校にはたくさんの思い出話がある。
 だけど高校には、特別な場所があった。鍵が閉め忘れられた部室棟の空き教室。沢谷と見つけた秘密基地みたいなところだ。
 だがしかし、この推理には難点が一つある。
 ——当たってたら嬉しい。嬉しいけど、めちゃくちゃ恥ずかしいのは俺だけか!?
 だって、いや、その。
 沢谷があの空き教室をそれだけ大切に思ってくれていたってことになるワケで。
 いや待て。これ以上、迷推理をするな。俺のポンコツな灰色の脳細胞! 1回目の推理は外してるんだぞ! 2回目だって外れる可能性が高い!

「……3回目だって探しにいくけどな」

 立ち上がる。腹ごしらえも終わったし、行く先も決まった。あとは出かけるだけだ。


 俺と沢谷が通う笹野高等学校は、俺と沢谷の家のちょうど中間地点にあたる。距離は昨日の半分ですむが、問題はゾンビだ。 
 感染性可逆型死体運動症候群——通称ゾンビ症候群。
 これが日本に入ってきた当初、日本政府がとった対策は感染していない人間を避難所などに集めて守ろうとした。
 これがダメだった。ゾンビが大挙して避難所に押し寄せたのだ。避難者に感染者が混じっていて避難所の中で急に発症した例もあった。
 政府が各地の避難所の閉鎖を決断するまで、二週間もかからなかった。
 それでここからが本題。
 笹野高等学校は避難所だったんだよなぁ!
 ちくしょう。うちのクラスだけじゃなくて、クラスに一人はゾンビ博士が欲しかったぜ。
 眼鏡をクイクイさせながら、避難所がゾンビに襲われる可能性を説いていた横路を思い出す。
 ため息一つついてから、俺は家の鍵を閉めた。

 頭の中で学校の見取り図を浮かべる。
 避難所となったのは第一体育館だ。屋内系競技の部室もあって、ダンス部の女子が私物を注意されていてうんざりしていた。
 目的の教室がある部室棟は、文化部の部室が詰めこまれているちょっと古い校舎——いわゆる旧校舎だ。外観はレンガ造りで古めかしく、内観も木製の棚とかめっちゃ多かった。昭和初期に建てられた歴史ある校舎らしく、歴代の校長が解体を渋りに渋って現在まで残っているとか。
 元々それなりの大きさの校舎だから、教室数は多い。
 幸い、第一体育館は正門側。部室棟は裏門側と離れている。
 ——裏門から入って、部室棟を目指す。これで行こう。

 裏門近くの電灯に身体を隠して、俺は防護服の中でため息をついた。
 正門にはゾンビが群がっていて、裏門にはゾンビが居ない。そんな期待を少しはしていた。が、居る。しかも二人居る!
 顔の崩れた老年の男女だ。二人は裏門の前をゆっくりと往復していた。
 右手に握った木刀を見る。俺は小さく首を横に振った。

『ゾンビはゾンビを呼びます。だからゾンビに見つからないことが第一! これだけは絶対に覚えていてください』

 横路の言葉が脳裏に響く。俺は慎重にその場を離れて、木刀をリュックに入れて戻ってきた。
 それから電柱を見上げる。足場ボルトは裏門側ではなくこちら側についていた。それだけだ。墜落防止のためのハーネスも、電柱に巻きつける胴綱もない。ついでに脚立もない。
 ——親父に怒られる。絶対。あと法律的にもアウト。
 ——だから俺以外はやるなよ!!
 俺は最初の足場ボルトを握り、体重をかけた。びくともしない。腕に力をこめ、身体を持ちあげる。つぎの足場ボルトが見えたので、最初のボルトに足を置く。
 ボルトを掴む。ボルトに乗る。この動作を3回ほど繰り返して、次は学校のブロック塀に飛び乗った。

「っう~……」

 心臓がバクバクしている。急いで塀の中の様子を見る。
 部室棟の近くにはゾンビは居ない!
 慎重にブロック塀を降り、学校の敷地に入る。
 着地後したすぐ横に足跡があった。俺より足のサイズはデカい。しかもデカい足跡は、部室棟に向かっている。
 ——羽間みたいなデカいゾンビが居たらどうする?
 中学の時のゴツい岩のようなクラスメイトを思い出して、頭を振る。
 ——どうもしない。隠れてやり過ごすだけだ。

 部室棟の2階の隅っこ。そこが沢谷と見つけた秘密基地だ。部室棟の中にはそこそこ厚い埃が積もっており、埃の中にはいくつかの足跡が見えた。
 小さな足跡。それより一回り大きいけど小さい足跡。
 あとは例のデカい足跡だ。
 一番奥の階段に向かう時も、階段を上がる時もデカい足跡はついてきた。もしかしてという期待と、現実的に考えろという冷静な思考が頭の中をぐるぐる回る。
 2階の隅っこの教室は、扉がしまっていた。音を立てないようにゆっくりと扉を開ける。
 教室の中には、——誰も居なかった。
 ただあの日。去年の12月の終業式。冬休み前日に、ここで喋っていたあの日のままだ。
 教室に足を踏み入れて、真向かいに並べた二つの机に近づく。
 瞬きした。なんか違和感があった。
 机——沢谷の机か? もう一歩近づこうとしたところで、足元で軽い音がした。足を退けて見てみる。

「飴の包み紙、か?」

 拾いあげてよく見てみる。見たことのないパッケージだ。いや、違う。一度だけ見たことがある。
 配給物質の飴の包み紙だ。

「……ははっ」

 デカい足跡をコツンと叩く。これはたぶん沢谷の足跡だ。沢谷はここに来て、自分の椅子に座った。
 その時に飴がポケットに入っていることに気がついたに違いない。飴玉を取り出して、包み紙をほどいた。
 何味だったかな。お前の好きなイチゴ味だったらいいんだけど。
 それから包み紙をポケットの中に入れて、教室を出た。
 けれど包み紙をうっかり落としたことには気づかなかった。

「——だったら」

 いいのにな。包み紙を握りしめる。
 すこしここで待ってみようか。そんな考えが頭を過った時、足音が聞こえてきた。血の気が引く。
 ——まずい。教室の扉を閉め忘れてる!
 俺は咄嗟に扉側の壁に身を寄せた。これなら扉から入って来ない限りは見つからない。
 足音が近づいてくる。どうやら走っているようで、荒々しく、何より思った以上に早く教室に近づいてくる。
 ——ゾンビって走るのか? 走るって横路が言ってたな!
 足音はついに教室の前にたどり着き、迷うことなく教室の中に足を踏み入れた。
 一瞬、呼吸が止まったと思う。
 足音もピタリと止まった。まるで信じられないものを目にしたように。

「水野……?」
「沢谷……?」

 間違いない。俺の目の前に居るのは、親友の沢谷春だった。