青春18きっぷ、文学少女の乱読旅行記

 夜明け前、午前四時半。

 部屋は青みがかった薄闇に包まれていた。

 隣では、慎平が疲れ果てたように深い眠りに落ちている。眉間の皺は解け、昨夜流した涙の跡が乾いて、子供のような無防備な顔をしていた。

 私は音を立てずに起き上がり、散らばった服を拾い集めた。

 畳の上に落ちていた小さな鏡で自分の顔を見る。乱れた髪、少し腫れた唇、そして首筋に残る微かな赤み。

(……うん、いい顔してる。なかなか読み応えのある一冊やったわ)

 私は手早く着替えを済ませ、ボストンバッグの荷物をまとめた。

 机の上には、慎平の財布と、昨夜彼が読んでいた文庫本が置かれている。

 私は財布を開け――中から一万円札を一枚だけ抜き取った。昨夜の宿代と、私の「読書料」の割り勘。泥棒にならない程度に、けれど彼に拭えない現実の爪痕を残す金額。

 そして、自分のバッグから文庫本を取り出し、巻末の白紙のページを一ページだけ、ピリリと指先で引き裂いた。

 万年筆で、さらさらと言葉を書き込む。

『先生へ。あなたの授業、とても美しかったです。でも、私には次のカリキュラムがありますので。落第させないでね』

 その紙片を、慎平の文庫本の太宰のページに、そっと栞のように挟み込んだ。
 眠る彼の額に、音のないさよならのキスを落とす。

 彼は身じろぎをして、「……シィカ……」とうわ言を漏らしたが、二度と目を覚ますことはなかった。

 松江駅のホームは、まだ始発前で人影もまばらだった。
 乗り込むのは、伯備線を経由して岡山へと抜ける、早朝の普通列車。

 山陰本線の哀愁を背に受けながら、列車は中国山地の奥深くへと分け入っていく。
 車窓の外には、深い朝霧が立ち込めていた。緑の杉木立が白く霞み、まるで現実と夢の境界線を走っているかのような錯覚を覚える。

 ボックス席に一人、足を組んで座る。
 冷房の風が、昨夜の情事の熱を宿した太ももの内側を吹き抜けていく。

 三つ目のスタンプが押された『青春18きっぷ』。
 私はそれを指先で弾きながら、喉を鳴らして笑った。

「……ふふっ。男の人って、なんであんなに『運命』信じたがるんやろな」
 今頃、あの古い宿で目を覚ました慎平は、もぬけの殻になった布団と、挟まれた紙片を見てどんな顔をしているだろう。

 狂乱するか、涙を流すか、それとも一生消えない傷として、私という幻影を胸に抱いて生きていくのか。

(私のこと、一生忘れんといてな。……知らんけど)

 悪魔のように無垢な笑みを浮かべ、私は手帳を開いた。
 三章目の終わりに、万年筆の黒いインクでピリオドを打つ。

 列車は朝霧を切り裂き、山陽の光が待つ瀬戸内へと向かって、ガタゴトと重いレールを軋ませながら進んでいく。

 次の頁――四人目の男(テキスト)が待つ、尾道の坂道を目指して。