青春18きっぷ、文学少女の乱読旅行記

 千日前の道具屋筋を一本折れた先にある、小さな古書店。

 天井まで届く本棚の隙間で、私は黙々と背表紙の埃を払っていた。店内に漂う古い紙の匂いと、カビの混じった独特の空気。それが私にとっての「日常」という名の装丁だ。

「シィカちゃん、もうええよ。明日から夏休みやろ? 早う帰って準備しなはれ」

 帳場に座った店主の源さんが、老眼鏡をずらして声をかけてくる。

「ありがとうございます、源さん。少しだけ、遠くまで『読書』しに行ってきますね」

 私は、手に持っていた大正時代の歌集をそっと棚に戻すと、丁寧な標準語で微笑んだ。これが私の「よそ行き」の表紙。

「あんたの言う『読書』は、どうにも熱が入りすぎとる気がするけどな。……化け物に出会わんようにな」
「ふふ、知らんけど」

 店を出ると、夜のミナミは暴力的なまでの熱気に満ちていた。

 アスファルトが吐き出す熱、道頓堀のネオン、酔客たちの騒めき。私は、汗で首筋に張り付く茶髪を指でかき上げた。

(あぁ……。都会の夜は、もう何度も読み返した既刊本みたいに退屈やわ)

 アパートに帰り、真っ白な原稿用紙を広げるように、ボストンバッグの中身を選び始める。

 持っていくのは、最低限の着替え。汗を吸えば肌が透けてしまうような薄いコットンのドレス。背中が大胆に開いたキャミソール。

 文学を語るための「標準語」という服は持っていくけれど、その下にある「私」を縛り付ける窮屈な下着は、できるだけ置いていくことにした。

 机の上に置かれたのは、一枚の青いきっぷ。

『青春18きっぷ』。

 それは私にとって、五つの新しい物語を予約するための、白紙の栞だった。