「安藤、なんか凄い疲れてる顔してない?」
昇降口の下駄箱でクラスメイトに出会い、声をかけられる。
同じ図書委員の根崎瞳だ。
「確かに少し寝不足気味かも」
私の答えに、根崎が「目の下にクマ出来てるよ」と指をさす。
「通学時間長いもんねえ。うちの高校、朝早いし」
「何回かは親に文句言ったんだけど、お弁当作ってもらってる身としては、なかなか強く出られないのよ、これが」
まあねえ、と根崎が頷いた。
中学生の頃は、とにかく良い高校に入って、良い大学に進学して、立派な大人になるのが「普通」の人生であり「正解」だと信じて疑わなかった。
親の期待に応えること。
テストで良い点数を取ること。
けれど、無事にこの進学校に合格して一年半が過ぎた今、私はその「普通」のレールに薄っすらと息苦しさを感じていた。
週末になればクラスの女子たちはカラオケや映えるカフェに行き、インスタグラムのストーリーズを更新し続ける。
それが現代の17歳の「普通」らしい。
私はそれに付き合うのにも疲れ、バイトもせず、ただただ、本の世界に逃げ込んでいた。
本の中で、私は如何なる登場人物にもなる。西洋の姫君であり、スタイルの良い女子高生であり、はたまた書生に恋する女学生であり。
彼女達は私に無い物を持っていた。
美しく、情に脆く、物語が終わるまでの儚い命を持っていた。
装飾された文字は目を楽しませてくれる上に、私に新しい世界を見せてくれた。
空想。
否、妄想とでも言ったほうが早いか。
単調な学校生活をやり過ごし、周囲に合わせて愛想笑いを浮かべ、前髪の分け目とスクールカーストの立ち位置ばかり気にしている、そこらへんに有り触れた17歳を、現実世界にあるよりもずっと綺麗な嘘で、塗りたててくれるのだ。
それなのに。
漢字を認識できない私のその日は、散々なものだった。
とにかく授業にならない。
黒板の文字が、白いチョークのぐちゃぐちゃした幾何学模様にしか見えないのだ。
現代文の教科書を開いても、そこには虫の這ったような黒い染みと、ひらがな、カタカナだけが浮かんでいる。
体調不良を訴えて、結局早退することになった。
しかし、まだ陽が高いうちに、学校から抜け出して帰路に着くのは、ほんの少しだけ気分が良かった。
いつもの癖で、駅前にある本屋に寄ってしまい、昂揚していた気持ちは直ぐに萎える。
背表紙に並ぶタイトルが、ひらがなやカタカナばかりが意味不明に羅列されていて、気持ちが悪い。
今日はもう早めに寝ようと決心した。
そういえば最近あまり寝ていなかった。
小テストの勉強が続いていたのもあるし、さっさと寝れば良いのに、ベッドに入ってからは本を読んでしまうし。
寝たかと思うと、二時間程で目が覚める。
そうしてもう一度ベッドに戻り、うつらうつらしている内に朝六時。
起きなければいけない時間がやって来る。
平均睡眠時間は四時間。
でも学校自体は嫌いじゃない。
クラスの人間関係も良好。
いじめに遭っているわけでもない。
特別な悩みなど無かった。
進路希望調査票の白紙の欄以外には。確か。



