死にたがり

 十七歳。
大人には子供扱いされて、でも子供には戻れなくて。
そろそろ将来を決めろと言われる年なのに、自分が何者なのかさえ分からない。
優しい家族も友達もいて、毎日笑える。
ご飯だって、不自由することなく食べられる。
だから、「死にたい」なんて言ったら、きっと贅沢だと言われる。
私たちは、そんな風に今日も笑ってる。
笑顔の奥に本音を隠しながら。
それでも、きっといつか、心のダムは決壊する。
ただ一言が溢れる。
「死にたい」
その言葉は、思っていたよりずっと軽かった。
口からこぼれ落ちて、机の上に転がった折れた消しゴムの欠片みたいに、誰にも触れられないままそこにただあるだけだった。
死にたい。
死にたい。
死にたい。
本当なのだろうか。
それは、本当に「死にたい」という意味だったのだろうか。
朝、布団から出たくない。
学校に行きたくない。
誰かに笑われるのが怖い。
期待されるのが苦しい。
頑張れと言われるたびに、頑張れない自分が嫌になる。
明日なんて来なければいいのに。
そう思ったことを、
私たちは全部まとめて「死にたい」と呼んでしまう。
けれど、「死にたい」と言った人に、「生きて」と返すことは、本当に正しいのだろうか。
「大丈夫?」と聞くことは?
「頑張ろう」と励ますことは?
それとも、何も聞かずに隣にいることが、いちばん優しいのだろうか。

 私は知らなかった。
あの日、君が口にした、たった四文字の言葉の意味も。
その言葉を聞いた私が、どうして何も言えなかったのかも。
ただ一つだけ覚えていることがある。
あの日の空は、笑っちゃうくらい、どうしようもなく青かった。
そして君は、空を見上げながら微笑んでいた。
まるで、明日なんて期待していないみたいに。
まるで、明日なんて来ないみたいに。