蛇に見初められた太郎さん

 その後、なんとなく怖くなり、全く外出しなくなってから1ヶ月が経つ頃。そろそろ伸びた髪がウザくなってきたので散髪をしに、外へ出た。
「あ、おはようございます太郎さん」
「……!?蛇沼、さん……?」
 扉を開けると、上から声が降ってくるので驚いて反射で見上げた。すると、なんと蛇沼兄妹の部屋と僕の部屋の間に蛇沼が佇んでいたのだ。
「な、何してるんですか?あ、妹さん待ってたり……?」
「あ、いえ……太郎さんを待ってたんです」
 まるで、それが当然とでも言うかのようにサラッと言ってのけるので怖くなってしまって思考が最悪回避のためにフル回転した。
「えっと……なんか用事でした?」
「……髪伸びましたね、今から切りに行くんですか?」
(話、逸らされたんだけど!!)
 一瞬、視線を巡らせて僕の髪に目を留めた蛇沼は目尻を下げてそうやって嬉しそうに言ってくるのが、なおさら怖すぎて鼻水が出そうだ。いや、もう出てるんじゃないかという疑惑が上がってくる。
「ハ、ハイ……そうです……」
 もう怖すぎて頷くことしかできない。ここから話を広げずに逃げようかとも思ったが、僕にそんなことはできないと思う。なぜなら、怖すぎるから。ここは円満に終わらせてとっとと髪を切りに行こう。なんとなく、髪を切ったら悪縁を断ち切れるような気がしている。ほら、失恋した女性も髪切るって言うし。
「蛇沼さんはどこか行かれるんですか……?」
「……髪切ったら俺とデート行きません?」
(話が通じねぇこいつ!!)
 この質問に答えてくれたら解散できそうと思っていた僕が大間違いだった。なんて答えたらこの状況を安全に切り抜けられるか思案を巡らしていると、ヒールの音がせかせかと近づいてきた。
「もう!お兄!やめなって言ったよね!?」
「茉白……もう帰ってきたの」
「お兄の位置情報がここで動かないから、休憩で抜けてきたんだけど!」
「わざわざ、そんなことしなくても良いのに……」
「わざわざって!人に迷惑かけてそんな言い草ないっしょ!」
 突然の急展開、呆気に取られていると、茉白ちゃんが深々と頭を下げてくる。
「ほんとっうにバカな兄がすみません!ほら!お兄も謝んの!」
「いや、俺は太郎さんが髪切るって言うからそれが終わったら暇だろうし……」
「言い訳すんなし!本当にすみません……」
「あ、いやいや……気にしないでください……」
 助けてくれた手前、そうとしか言いようがない。でも、助かったのも事実だ。
「じゃあ、僕行きますね……」
「あ!安土さん!待ってください!」
 やっと、開放される……と思いきや、茉白ちゃんの声が僕を呼び止める。
「髪切られるんですよね?あたし、美容師なんです!あたしのお店で切っていきませんか?」
「え、で、でも……」
「店の方にはあたしが話し通しておくんで気にしないでください!お詫びと言ってはなんなんですけど……」
 助けてもらったので断るわけには行かない気がして、僕はそこまで言うなら……と、茉白ちゃんが勤める美容院へ髪を切りに行くことになった。

───────────

「……ってなんでお兄も着いてきてるわけ?」
「いいじゃん、俺今日一日暇なんだもん」
「知らねぇよ、そんなの!安土さんが安心して髪切れないじゃん!」
 ちゃっかり、蛇沼も着いてきていることにいつツッコもうかと思っていたら茉白ちゃんに先を越された。
「俺をそんな悪者みたいに言うなよ……そんなこと思ってないですよね?太郎さん」
 わざとらしく、潤んだ瞳で同意を求めてくる蛇沼はさっきの印象とは違って案外、可愛げのある感じで茉白ちゃんと喋っているのでそこまで悪いやつじゃないのかな……なんて思ったりしていた。
「あ、はは……」
「ほら、安土さん困ってんじゃん」
 茉白ちゃんに咎められて口を尖らせながら拗ねる蛇沼はなんというか、蛇というより、犬みたいだった。
「あ、ここです!」
仲が良い二人の会話を聞いていたら、あっという間にお店へ着いたらしい。
「あ、蛇沼ちゃんおかえり、って……お兄さん、とその人は?」
 茉白ちゃんが働いている美容院はおしゃれすぎてカフェと見間違うタイプの、普段だったら絶対入らないであろう外観でそのドアをくぐると、人の良さそうな店長さんらしき人が会釈してくれる。
「店長、実は……」
 茉白ちゃんが店長に耳打ちで何を言ったかは分からないが、話を通してくれて店長もそれを二つ返事で快諾してくれた。きっと、茉白ちゃんのことだから蛇沼の体裁が悪くならないように告げてくれたはずだ。
(……ってなんで僕がこんなこと気にしなきゃいけないんだ……)
その間、蛇沼は僕の横で大人しくしていたが、なんとなく距離を近づけてくるのが少しムカつく。
「じゃあ、安土さんこっち座っちゃってください」
 茉白ちゃんに案内されて空いている席に座ると、俺の隣に間隔を開けてイスが用意されていて俺が座ると同時にそのイスへ遠慮なく座る蛇沼が視界に入ってくる。
(誰だ……このイス用意したの……)
「どんな感じにしたいとかありますか?」
「ど、どんな感じ……?すみません……いつも千円カット行っておまかせにしてるんでこういうの慣れてなくて……」
「千円カットでその可愛さ!?」
「あ、いや!大丈夫ですよ!お兄は黙ってて!」
 いつもの癖で言い訳してしまっても気にせずに対応してくれる茉白ちゃんの笑顔が眩しい。
「じゃあ、憧れの芸能人さんとかいます?」
「あ、いない……です、僕テレビ見ないので……」
「俗世に疎いところも可愛い!」
「そ、そうなんですね!もう!お兄うるさい!」
なんだか、茉白ちゃんに申し訳なくなってきた。せっかく、助けてもらって髪まで切ってもらうというのに何も言えないで困らせてしまうなんて。
「じゃあ、これ、この髪型太郎さん似合いそう!」
 卑屈モードに入っていると、蛇沼がイスから立ち上がって雑誌のあるページを指差しながら楽しそうに提案してくれる。それが今はありがたかった。
「もう!お兄は座ってて!」
 茉白ちゃんにあっけなくイスに戻される蛇沼だが、顔はほころんでいて本当に仲が良いことが伺える。
「そ、それにします……」
「え?」
「それ、蛇沼さんが持ってる雑誌のやつにします」
「あ、はい!分かりました!」
 僕が蛇沼が持ってる雑誌の方を指差した時のこいつの顔はめちゃくちゃ誇らしげでムカついたが、同時に蛇沼のことを見直した瞬間だった。

「かっこよくなりましたね」
「おかげさまで……」
「前の髪も可愛かったのでおしいですけど」
「あ、ありがとう……」
 無事、散髪が終わって蛇沼と喋りながらお店を出ようとすると、店長と話していた茉白ちゃんが駆け寄ってきてお見送りをしてくれた。
「安土さん、良かったらまた来てくださいね!」
「あ、はい!」
「お兄!あたし仕事戻るけど、もう安土さんにストーカーしちゃダメだからね!」
「分かってるって……」
 じゃあ!と言って茉白ちゃんは手を振りながら店に戻っていった。釘を刺されて明らかに顔が哀しげになっている蛇沼と二人にされた僕は少し迷ってこう言った。
「……別に行ってもいいよ」
「……!?今なんて……!」
「二回も、言わないから」
「……やっっっっ、た!!」
 よっしゃー!と何回も喜びながら僕の周りをくるくる回る蛇沼は本当に犬みたいだった。数時間前の蛇みたいな視線はどこに行ったのだろうか。