「虹輝、僕たちと一緒に旅行しよう」
その言葉の意味を理解するのに誇張抜きで10秒ほどかかった。
「は、旅行?」
「今説明するね」
俊道はスマホの画面を俺に見せてきた。
「過疎の研究専門家、牧浦優作…?」
「そう、この人は京都大学で過疎の研究をしている方なんだけど…なんとこの人、僕の父さんの古くからの友人なんだ。簡薙中学の同級生」
「は、京都大学のすごい教授と知り合いってこと?」
「そうそう」
簡薙村で生まれ育った人も全員が簡薙高校に進学するわけではなく、中には都心の進学校に進み難関大学を目指すような人もいると聞いたことがある。だからその話自体はあり得る話なのだが…まさかこんな身近にいるのだとは。
「それで…その教授と旅行がどう繋がるんだ?」
「僕らの探検活動が終わるまであと1か月くらいじゃん?最後にまとめを作らなきゃいけないけどどうしようって言うのを父さんに相談したら牧浦教授のことを教えてくれてね。父さんが教授に連絡したらぜひぜひ僕たちとお話がしたいっていうことになったらしく…」
今日は8月19日。確かに探検活動の終わりまでは残り1か月だ。
「僕たちの探検内容とも上手く絡められそうだし、せっかくの機会だから京都まで行きたいんだ」
「私は結構行く気満々だから、あとは虹輝が了承すれば3人で行くことになるよ。まぁでも…結構遠出になっちゃうから無理にとは言わないんだけど」
無理強いしない理由が遠出だけでは無いというのは何となく察した。きっとここ最近で俺が引き籠るようになったから誘いにくいのかもしれない。
俺は決断した。これ以上幼馴染に気を使わせるわけには行くまい。ましてや探検活動の一環というのなら二人に丸投げするわけにも行かない。
「俺、行くよ」
少しの間の後、二人は顔をぱっと明るくした。
「やったぁぁぁ!」
「3人で京都旅行、最高だね」
やたら大袈裟な気もするが、こんな反応をされると嬉しくなる。
ふと思う。喜びを感じるのは随分と久しぶりだ。最近俺の感情は錆びついた歯車のように固まっていたのに。
「それで…行くとなれば新幹線とか予約しないといけないよな?俺そのやり方全然詳しくなくて」
「お、随分と乗り気になってきたね。ちなみに新幹線はもう取ってあるよ、3人分」
俊道があまりにもサラッと言ってのけるものだから、開いた口が塞がらなかった。
「早すぎないか!俺が断ってたらどうするつもりだったんだよ…」
「その時は改めて考えるつもりだったよ。一旦はこの3人で行くことを最優先、大前提に考えていたからさ」
「虹輝君が行くって言ってくれて良かったよほんと」
思わず目頭が熱くなる。俺は何も言わずに家に籠っていたというのに、二人は俺のことを信じてくれていた。
時音が居なくなっても俺を大切に思ってくれる人はまだいるのだ。そんな簡単なことすら見落としていた。
そこからは京都旅行の計画を立てるのに時間を費やした。
まず時間に余裕を持たせるために1泊2日にすることが確定した。幸いにも牧浦教授が俊道の父に安い宿を教えてくれたおかげで高校生の財力でも十分に余裕ができるほどの予算になりそうだ。
1日目は朝早くから村を出発し、長時間の移動を経て京都へ。牧浦教授へのインタビューに時間をたっぷり使い、夜は宿へ。2日目は京都を少し観光し、お土産などを買ってから新幹線に乗りそのまま帰路に着く。そんな算段だ。
京都旅行はちょうど1週間後。当日まではひとまず探検活動をストップさせて、各々旅行の準備を整えようということになった。
「ふふん、1週間後が楽しみで仕方がないね。…それで、旅行計画は終わったわけだけどこの後どうする?」
時計に目をやると、そろそろお昼にでもなろうかといった時刻となっていた。
俺はここで、一歩を踏み出した。
「一緒に、村のどこかでご飯食べない?」
二人は目を輝かせた。
「賛成!!」
「虹輝がやっと外に出る気になった」
俊道の言う通り、実に1週間ぶりに外出することになる。ここで現状を変えないと、俺は一生このままな気がしたのだ。
小さな一歩の積み重ねがやがて大きく未来を変えるのだと。もし時音がここに居たら、そう言うだろう。
玄関を出ると、ちょうど外での農作業を終えたらしいじいちゃんとバッタリ出くわした。
「おう虹輝のお友達さんか。わしの孫と仲良くしてくれてありがとな」
「「こんにちはー」」
これから外出する旨をじいちゃんに一言伝えておく。
「二人とご飯食べてくるから」
そう言うとじいちゃんはにこやかに笑った。
「分かった。楽しんで来いよ」
「何食べる?」
「私冷たい物食べたい気分なんだよね、蕎麦とかどう?」
「僕も賛成!」
簡薙村には老舗の蕎麦屋があるのでそこへ足を運ぶことで決定した。
10分ほど歩いて蕎麦屋へ着くと幸いにもあまり混んでおらず、すぐに席へと案内された。俺はざるそば、夢香はかき揚げ蕎麦、俊道は唐揚げ蕎麦を注文し、美味しくいただいた。
「ふぅ、お腹いっぱいだね」
喉ごしの良いつるつるの麺が俺たちの食欲をそそったおかげで俺たちはすぐに蕎麦を完食した。
「私も満腹~」
「二人とも、誘ってくれてありがとな」
「よくよく考えたらここ最近3人で探検活動以外の目的で集まることが少なかったからさ。たまにはこうして集まるのも良いね」
確かに、3人だけで集まるのは随分と久しぶりな気がする。6月中旬とか、それくらい以来ではないだろうか。
ふと考える。時音が居なくなったとはいえ、それは結局6月中旬以前の3人で行っていた探検活動に逆戻りするだけなのだ。まるで1夜限りのゲストが居なくなって次週からは通常通りに進行するテレビ番組のように、俺以外はあっさりとこの現実に順応しているのではないか。
もしそうだとしたら…虚しすぎると俺は思う。時音は村の残酷な未来を変えた英雄と言っても過言ではないのに、世間は時音をただ遠くに引っ越していった高校生という風に捉える。そこには感謝も尊敬も存在しない。言うなれば、虚無だ。
一度回りだした思考は簡単には止まらない。俺はそのことをよく知っていた。案の定頭の中が黒い感情に支配されていく。
「…虹輝君?」
夢香の声で我に返る。
「…ごめん、ボーっとしてた」
背中を伝う汗を感じる。自分にとって都合の悪い思考はやはり体力を消耗するのだ。
「大丈夫そうなら良いんだけど…家まで付いて行こっか?」
「いや、俺今から行きたいところあるからここで解散で大丈夫」
「あら、そうなの?」
「じゃあ僕もここ解散で。また京都旅行の時に会おうね」
半ば強引に解散の流れに持っていってしまったが、俊道も同調してくれたのでとりあえず安心する。今から行きたいところがあるというのは本当のことだからだ。
実に1週間ぶりだった。山の中に入るのは。
中腹に例の神社が存在していることもあり、この山はあまり村人が近づくことは無い。村人たちの間でも「守り神に祈った途端、行方不明になった子どもが戻ってきた」というような迷信が囁かれている始末だ。神社の秘密を知った今なら分かるが、この迷信の場合はおそらく、神社の近くに遊びに来た子どもが神社による時間の歪みのようなものに触れてしまい一時的に過去または未来にタイムリープしてしまっていたのだろう。実際に神社の周りは磁場が歪んでいるという調査結果も残されている。
そんな危険な側面も併せ持つこの山を探検活動以外で毎日のように登り続けたのは、この先に小屋の中から顔を出して嬉しそうに微笑んでくれる時音が居たからだ。
時音はもういない。だからわざわざこの山に独りで登る必要はもう無い。俺はそう思っている。そう思っているはずなのに、俺の深層心理は山に登りたがっている。もしかしたら今までの出来事は全部夢で、俺が小屋に顔を出せば時音が出てくるんじゃないか、二人でこの先も思い出を作ることができるんじゃないかと、そんな馬鹿げた空虚な妄想に取りつかれているのだ。
気付けば俺は神社の前にいた。神社は未来が変わった日に半壊したが、あれ以上の損壊は無く今も尚威厳を保っていた。
この神社の力を使えば俺も未来に行くことができるんだろうか。未来に行ったらどうするんだろうか。意味のない思考が空転する。分かっているんだ。万が一時音たちと同じ方法で未来に跳んだとして、時音たちはきっともう消えている。仮に時音たちに会えたとしても俺がこの時代に戻る必要がある以上結局別れることになるのだ。
考えるのもやめだ。思考するほど現実とのギャップに打ちのめされる。
それから俺は奥へと進み、時音が住処として使っていた小屋を訪れた。風が木の葉を揺らす音だけが耳を撫でる。こんな奥まで来れば人の気配は全く無い。
小屋の前まで来た。もしここが物語の世界なら、奇跡のような力で生き返った時音が小屋の中から顔を出すんだろう。
扉を開けると荒んだ空気を感じた。勿論中には誰もいない。俺が今いるのはどうしようもないくらいに現実だった。
すぐさま外に出る。最後に一つ、行きたい場所がある。
そこから抜け道を通って高台に上るとそれは見えてきた。
「やっぱり綺麗だ」
柴戸が好んでいた、簡薙村を見渡せるこの高台。今の時間は頭上の太陽が村をじりじり照らしている。
村の賑わいから隔離されたこの空間は俺も大好きだった。自然と一体化したような不思議な気分を味わえる。
そよ風が気持ち良いもので、急に眠気が襲ってきた。
次に目を開けたとき太陽は西に傾きつつあった。
重い頭を起こす。3時間ほど昼寝をしていたらしい。我ながら随分と無防備なことをしてしまった。
先程の昼寝で夢を見ていたような気がする。内容ははっきりとは思いだせないが、俺は夢の中で幸せだったように思う。体を起こし歩き始める。夢から覚めた俺は帰路に着く。
俺はまた現実に堕ちる。
***
驚くべき速さで時間が過ぎた。今日はいよいよ京都旅行の日である。現在時刻は午前6時半。簡薙村が超が付くほどの田舎にあるせいで、かなりの移動時間を強いられてしまう。俊道の父が運転する車に乗せてもらって約1時間、そこから電車で1時間ほど揺られなければいけない。その後に新幹線の移動2時間だ。
「じゃあ2日間留守にするけど、元気でね」
「楽しんでくるんだぞ!」
俺を見送るためにこんな朝早くに起きてくれたじいちゃんに挨拶をして家を出る。まず向かうは俊道の家だ。ほんの少しずつ明るくなってきている空を視界に入れながら大きなリュックを背負い歩みを進める。
「おはよう!」
俊道の家の前に1台の白い車が止まっていて、そこから夢香が顔を出した。
「虹輝は後ろの方に乗ってちょうだいね」
助手席に座る俊道の指示に従い車に乗りこむ。
「全員揃ったかな?」
運転席の俊道の父が言った。
「うん、出発しても大丈夫だよ」
「「よろしくお願いしまーす!」」
車がいよいよ出発した。外の空気を感じようと窓を開けると、新しい可能性を感じさせる風が吹き込んできた。
ここから俺たち3人の京都旅行が始まる。
その言葉の意味を理解するのに誇張抜きで10秒ほどかかった。
「は、旅行?」
「今説明するね」
俊道はスマホの画面を俺に見せてきた。
「過疎の研究専門家、牧浦優作…?」
「そう、この人は京都大学で過疎の研究をしている方なんだけど…なんとこの人、僕の父さんの古くからの友人なんだ。簡薙中学の同級生」
「は、京都大学のすごい教授と知り合いってこと?」
「そうそう」
簡薙村で生まれ育った人も全員が簡薙高校に進学するわけではなく、中には都心の進学校に進み難関大学を目指すような人もいると聞いたことがある。だからその話自体はあり得る話なのだが…まさかこんな身近にいるのだとは。
「それで…その教授と旅行がどう繋がるんだ?」
「僕らの探検活動が終わるまであと1か月くらいじゃん?最後にまとめを作らなきゃいけないけどどうしようって言うのを父さんに相談したら牧浦教授のことを教えてくれてね。父さんが教授に連絡したらぜひぜひ僕たちとお話がしたいっていうことになったらしく…」
今日は8月19日。確かに探検活動の終わりまでは残り1か月だ。
「僕たちの探検内容とも上手く絡められそうだし、せっかくの機会だから京都まで行きたいんだ」
「私は結構行く気満々だから、あとは虹輝が了承すれば3人で行くことになるよ。まぁでも…結構遠出になっちゃうから無理にとは言わないんだけど」
無理強いしない理由が遠出だけでは無いというのは何となく察した。きっとここ最近で俺が引き籠るようになったから誘いにくいのかもしれない。
俺は決断した。これ以上幼馴染に気を使わせるわけには行くまい。ましてや探検活動の一環というのなら二人に丸投げするわけにも行かない。
「俺、行くよ」
少しの間の後、二人は顔をぱっと明るくした。
「やったぁぁぁ!」
「3人で京都旅行、最高だね」
やたら大袈裟な気もするが、こんな反応をされると嬉しくなる。
ふと思う。喜びを感じるのは随分と久しぶりだ。最近俺の感情は錆びついた歯車のように固まっていたのに。
「それで…行くとなれば新幹線とか予約しないといけないよな?俺そのやり方全然詳しくなくて」
「お、随分と乗り気になってきたね。ちなみに新幹線はもう取ってあるよ、3人分」
俊道があまりにもサラッと言ってのけるものだから、開いた口が塞がらなかった。
「早すぎないか!俺が断ってたらどうするつもりだったんだよ…」
「その時は改めて考えるつもりだったよ。一旦はこの3人で行くことを最優先、大前提に考えていたからさ」
「虹輝君が行くって言ってくれて良かったよほんと」
思わず目頭が熱くなる。俺は何も言わずに家に籠っていたというのに、二人は俺のことを信じてくれていた。
時音が居なくなっても俺を大切に思ってくれる人はまだいるのだ。そんな簡単なことすら見落としていた。
そこからは京都旅行の計画を立てるのに時間を費やした。
まず時間に余裕を持たせるために1泊2日にすることが確定した。幸いにも牧浦教授が俊道の父に安い宿を教えてくれたおかげで高校生の財力でも十分に余裕ができるほどの予算になりそうだ。
1日目は朝早くから村を出発し、長時間の移動を経て京都へ。牧浦教授へのインタビューに時間をたっぷり使い、夜は宿へ。2日目は京都を少し観光し、お土産などを買ってから新幹線に乗りそのまま帰路に着く。そんな算段だ。
京都旅行はちょうど1週間後。当日まではひとまず探検活動をストップさせて、各々旅行の準備を整えようということになった。
「ふふん、1週間後が楽しみで仕方がないね。…それで、旅行計画は終わったわけだけどこの後どうする?」
時計に目をやると、そろそろお昼にでもなろうかといった時刻となっていた。
俺はここで、一歩を踏み出した。
「一緒に、村のどこかでご飯食べない?」
二人は目を輝かせた。
「賛成!!」
「虹輝がやっと外に出る気になった」
俊道の言う通り、実に1週間ぶりに外出することになる。ここで現状を変えないと、俺は一生このままな気がしたのだ。
小さな一歩の積み重ねがやがて大きく未来を変えるのだと。もし時音がここに居たら、そう言うだろう。
玄関を出ると、ちょうど外での農作業を終えたらしいじいちゃんとバッタリ出くわした。
「おう虹輝のお友達さんか。わしの孫と仲良くしてくれてありがとな」
「「こんにちはー」」
これから外出する旨をじいちゃんに一言伝えておく。
「二人とご飯食べてくるから」
そう言うとじいちゃんはにこやかに笑った。
「分かった。楽しんで来いよ」
「何食べる?」
「私冷たい物食べたい気分なんだよね、蕎麦とかどう?」
「僕も賛成!」
簡薙村には老舗の蕎麦屋があるのでそこへ足を運ぶことで決定した。
10分ほど歩いて蕎麦屋へ着くと幸いにもあまり混んでおらず、すぐに席へと案内された。俺はざるそば、夢香はかき揚げ蕎麦、俊道は唐揚げ蕎麦を注文し、美味しくいただいた。
「ふぅ、お腹いっぱいだね」
喉ごしの良いつるつるの麺が俺たちの食欲をそそったおかげで俺たちはすぐに蕎麦を完食した。
「私も満腹~」
「二人とも、誘ってくれてありがとな」
「よくよく考えたらここ最近3人で探検活動以外の目的で集まることが少なかったからさ。たまにはこうして集まるのも良いね」
確かに、3人だけで集まるのは随分と久しぶりな気がする。6月中旬とか、それくらい以来ではないだろうか。
ふと考える。時音が居なくなったとはいえ、それは結局6月中旬以前の3人で行っていた探検活動に逆戻りするだけなのだ。まるで1夜限りのゲストが居なくなって次週からは通常通りに進行するテレビ番組のように、俺以外はあっさりとこの現実に順応しているのではないか。
もしそうだとしたら…虚しすぎると俺は思う。時音は村の残酷な未来を変えた英雄と言っても過言ではないのに、世間は時音をただ遠くに引っ越していった高校生という風に捉える。そこには感謝も尊敬も存在しない。言うなれば、虚無だ。
一度回りだした思考は簡単には止まらない。俺はそのことをよく知っていた。案の定頭の中が黒い感情に支配されていく。
「…虹輝君?」
夢香の声で我に返る。
「…ごめん、ボーっとしてた」
背中を伝う汗を感じる。自分にとって都合の悪い思考はやはり体力を消耗するのだ。
「大丈夫そうなら良いんだけど…家まで付いて行こっか?」
「いや、俺今から行きたいところあるからここで解散で大丈夫」
「あら、そうなの?」
「じゃあ僕もここ解散で。また京都旅行の時に会おうね」
半ば強引に解散の流れに持っていってしまったが、俊道も同調してくれたのでとりあえず安心する。今から行きたいところがあるというのは本当のことだからだ。
実に1週間ぶりだった。山の中に入るのは。
中腹に例の神社が存在していることもあり、この山はあまり村人が近づくことは無い。村人たちの間でも「守り神に祈った途端、行方不明になった子どもが戻ってきた」というような迷信が囁かれている始末だ。神社の秘密を知った今なら分かるが、この迷信の場合はおそらく、神社の近くに遊びに来た子どもが神社による時間の歪みのようなものに触れてしまい一時的に過去または未来にタイムリープしてしまっていたのだろう。実際に神社の周りは磁場が歪んでいるという調査結果も残されている。
そんな危険な側面も併せ持つこの山を探検活動以外で毎日のように登り続けたのは、この先に小屋の中から顔を出して嬉しそうに微笑んでくれる時音が居たからだ。
時音はもういない。だからわざわざこの山に独りで登る必要はもう無い。俺はそう思っている。そう思っているはずなのに、俺の深層心理は山に登りたがっている。もしかしたら今までの出来事は全部夢で、俺が小屋に顔を出せば時音が出てくるんじゃないか、二人でこの先も思い出を作ることができるんじゃないかと、そんな馬鹿げた空虚な妄想に取りつかれているのだ。
気付けば俺は神社の前にいた。神社は未来が変わった日に半壊したが、あれ以上の損壊は無く今も尚威厳を保っていた。
この神社の力を使えば俺も未来に行くことができるんだろうか。未来に行ったらどうするんだろうか。意味のない思考が空転する。分かっているんだ。万が一時音たちと同じ方法で未来に跳んだとして、時音たちはきっともう消えている。仮に時音たちに会えたとしても俺がこの時代に戻る必要がある以上結局別れることになるのだ。
考えるのもやめだ。思考するほど現実とのギャップに打ちのめされる。
それから俺は奥へと進み、時音が住処として使っていた小屋を訪れた。風が木の葉を揺らす音だけが耳を撫でる。こんな奥まで来れば人の気配は全く無い。
小屋の前まで来た。もしここが物語の世界なら、奇跡のような力で生き返った時音が小屋の中から顔を出すんだろう。
扉を開けると荒んだ空気を感じた。勿論中には誰もいない。俺が今いるのはどうしようもないくらいに現実だった。
すぐさま外に出る。最後に一つ、行きたい場所がある。
そこから抜け道を通って高台に上るとそれは見えてきた。
「やっぱり綺麗だ」
柴戸が好んでいた、簡薙村を見渡せるこの高台。今の時間は頭上の太陽が村をじりじり照らしている。
村の賑わいから隔離されたこの空間は俺も大好きだった。自然と一体化したような不思議な気分を味わえる。
そよ風が気持ち良いもので、急に眠気が襲ってきた。
次に目を開けたとき太陽は西に傾きつつあった。
重い頭を起こす。3時間ほど昼寝をしていたらしい。我ながら随分と無防備なことをしてしまった。
先程の昼寝で夢を見ていたような気がする。内容ははっきりとは思いだせないが、俺は夢の中で幸せだったように思う。体を起こし歩き始める。夢から覚めた俺は帰路に着く。
俺はまた現実に堕ちる。
***
驚くべき速さで時間が過ぎた。今日はいよいよ京都旅行の日である。現在時刻は午前6時半。簡薙村が超が付くほどの田舎にあるせいで、かなりの移動時間を強いられてしまう。俊道の父が運転する車に乗せてもらって約1時間、そこから電車で1時間ほど揺られなければいけない。その後に新幹線の移動2時間だ。
「じゃあ2日間留守にするけど、元気でね」
「楽しんでくるんだぞ!」
俺を見送るためにこんな朝早くに起きてくれたじいちゃんに挨拶をして家を出る。まず向かうは俊道の家だ。ほんの少しずつ明るくなってきている空を視界に入れながら大きなリュックを背負い歩みを進める。
「おはよう!」
俊道の家の前に1台の白い車が止まっていて、そこから夢香が顔を出した。
「虹輝は後ろの方に乗ってちょうだいね」
助手席に座る俊道の指示に従い車に乗りこむ。
「全員揃ったかな?」
運転席の俊道の父が言った。
「うん、出発しても大丈夫だよ」
「「よろしくお願いしまーす!」」
車がいよいよ出発した。外の空気を感じようと窓を開けると、新しい可能性を感じさせる風が吹き込んできた。
ここから俺たち3人の京都旅行が始まる。



