【完結】写真の中だけ、もうキスしてる

 写真の中だけ、まだキスしてる。

「何がいけなかったんだろう……」

 翌朝、僕は自分の席でうんうん唸っていた。隣の机に腰かけた颯太が、ココアのパックに直差ししたストローをくわえて、面白そうに僕を見ている。

「僕、何も間違えてなかったよね? やっぱ目開けない方がよかったのかな?」
「いや、構図は完璧だったぞ。あ、夏帆(かほ)、はよー」
「おはよ、颯太」
「……ん?」

 聞きなれない名前の呼び方に、僕は一度悩みを中断して、颯太と、朝練帰りらしい榎本夏帆を見比べた。

「いつから名前呼びでよくなったの?」
「え、もういいっしょ」

 颯太がココアをぶらぶらと振る。

「もう、異常写真調査隊の正式メンバーだろ。どうせ、来週の校外学習も同じ班だし」
「そういうこと」

 僕を挟んで、夏帆が反対の机に腰かけた。スカートの裾から、黒いサポーターを巻いた膝がのぞいている。

「それで、まだ戻ってないんでしょ? 原因わかったの?」
「いや、全然。というか夏帆、なんでそんなに熱心なのさ」
「理屈で説明できないことがあるの、気に食わないのよ。だから、あたしもいろいろ考えてみたんだけど……再現する日にちとかも関係なさそうだしね」
「んじゃ、キスの長さとか? 晴、やっぱりもう一回――」
「やらないよ?」

 僕は即座ににっこりした。颯太はまだしも、夏帆も「もしかして」みたいな顔をしてるのが恐ろしい。どうやら、また厄介な友達が増えてしまったみたいだ。

「三人ともおはよう」
「あ、理央。おはよー」

 理央に笑顔で挨拶し、その後ろからやってきた朝陽には無言でこぶしを突き出す。朝陽は僕に軽くこぶしをぶつけると、ついでのように机の端をコンコンと叩いた。僕は、はっと我に返った。

「そうだ、僕きょう日直じゃん! やばい、職員室行ってくる」
「……朝陽。毎度思うけどさ……」
「よくそれで通じるわよね……」
「逆だぞ。あいつには、これしか通じないんだよ」

 何やら後ろで陰口を言ってるのが聞こえたけど、僕は気にせず走り出した。

 ◇

 美術室の大きな作業机には、三本足の牛みたいな形の、妙な置物が鎮座していた。不幸にもまだ出席番号順で分けられているグループの中で、僕は隣の朝陽と額を突き合わせて、授業が始まるまでの間、ひそひそと作戦会議をしていた。

「思ったんだけどさ。もっとたくさん写真撮ってみたら、異常になる時間とかパターンとか見えてこないかな? あれから僕ら、一枚も撮ってないよね」
「たしかに。だけど、もっとヤバい構図が写ったらどうする? 今度は、キスどころじゃなくて……」
「お前、ほんと冗談の趣味悪いよ……」

 スケッチの道具を準備しに行った女子たちが後ろを通り過ぎて、僕は少しのあいだ口をつぐんだ。

「でも、今のところそれしかなくない? もっと手掛かり集めて早く解決しないと、僕らいつまでも再現やり続けなきゃいけないんだよ」
「それは面倒だな。わかった、やってみようぜ」

 朝陽がポケットからスマホを出して、電源を入れた。でも、二人で撮るのかと思いきや、そのまま僕にカメラを向けてくる。え……何?

「いや、お前をピンで撮った時も、おかしくなるときあるのかなって」
「確かに」

 最近少しずつわかってきたけど、どうやらこいつは脳から口へのブレーキが壊れてるだけで、本当に何も考えてないわけじゃないらしい。僕もこっそりスマホを出して、無音カメラで朝陽だけの写真を何枚か撮ってみた。頼んでもないのに角度をつけたり、机のふちへ気だるそうに片肘を乗せたりして、いちいちサマになるポーズをとられるのがムカつく。

「特に異常ないな」
「じゃあ次、二人で」

 インカメにしたスマホを構えて、朝陽の方に体を寄せる。すると朝陽は、僕の肩に肘を引っ掛けて、必要以上に距離を詰めてきた。顔をしかめてさりげなく離れると、離れた分だけまた朝陽が距離を詰めてくる。もう少し離れれば、また寄ってきて。
 周りで僕らを見ていたクラスメイトが、くすくすと笑っていた。

「朝陽さあ。晴の顔、面白いことになってるよ」
「晴くん可愛い。めっちゃ嫌がってる」

 横を見ると、朝陽がニヤッとした。

「お前、ほんとからかい甲斐あるな。飽きないわ」
「誰に向かって言ってんだよ。お前こそ……あーもう、時間ないから撮るよ!」

 ぎりっと奥歯が鳴ったけど、僕はスマホを構えなおして、強引にシャッターボタンを押した。汚れた美術室の窓を背景に何枚か撮ってから、二人して画面を覗き込む。

「どうだ?」
「……うわ、ダメだ。増えてる」
「え」

 カメラロールを見返して、僕は絶句した。前よりは少ないけど、またもや撮った覚えのないポーズが増えている。しかも、いま朝陽が余計なことをしてハードルを上げたのか、なんだか前よりさらに近い。おでこをくっつけ合って笑う写真、僕が朝陽の肩で眠ってる写真……。
 そのとき、朝陽が一枚のサムネイルをつついた。

「なあ。これ……背景おかしくね?」
「……えっ。ほんとだ」

 全画面表示されたのは、僕と朝陽が腕を組んでいる写真だった。僕らのポーズがおかしいのは当然として、問題はその背景に写る美術室の窓だ。右下の窓ガラスに、妙な形のものが写りこんでいる。まるで、逆さにしたピラミッドを、何層も横に輪切りにしたものの一部みたいだった。

「なにこれ?! こんなの、今この部屋にないよね?」
「ああ。でも、なんかヒントっぽくないか? これがある場所に行けってことかな」
「うーん、こんなもの見たことないよ。画像検索かければわかるかな……せめて全体像がもう少しわかるといいんだけど」
「なら、もう何枚か撮ってみないか? 別の部分が写るかもしれないぞ」

 朝陽の提案で、僕はすぐにスマホを構えた。さっきの窓が背景に写るように、もう少し高いアングルから――

「こら、高瀬、立花。何をやっているんだ」

 ふいに、上から声が降ってきた。顔を上げると、美術の橋塚先生が、ちょっと顔をしかめて僕の方へ手を突き出している。やばい。予鈴が鳴ってたの、全然気づかなかった。

「それは高瀬のか? お前が校則破りとは珍しいな」
「すみません先生、あの――」
「いいから早く出しなさい。預かっておくから、帰るときに職員室へ寄るように」
「あっ、ちょっと……!」

 言い訳する暇もなく、スマホが没収されていく。もちろん、僕が悪いんだから、没収に文句なんて言わない。そうじゃなくて、その、僕の尊厳のために、せめてその写真が見えないよう、電源を切らせてください……!

 横で声を立てずに爆笑してる朝陽に、僕は無言で蹴りを入れた。お前のせいだぞ。

 ◇

 スマホが手元にない一日は、かなり落ち着かなかった。早く帰りのホームルームを終わらせて、職員室に行きたい。

「今日は配るもの多いから、早めに回してくれると助かる!」

 日直の僕は、教壇の上から列の先頭に声をかけながら、山のような配布物と格闘していた。そこに、ちょうどよく朝陽が教室に戻ってくる。僕は奴をつかまえて、問答無用で仕事の半分を渡した。
 朝陽が片眉を上げた。

〈なんで俺が?〉

 僕は午前中までスマホが入っていたポケットを叩いて、朝陽をひと睨みした。

〈美術の借り。自分だけ無傷で済むと思うなよ?〉
〈しょうがねえなあ〉

 朝陽が肩をすくめて、プリントの山を受け取る。それを満足して見送ってから、僕も自分の手元にあるぶんを素早く配っていった。健康診断のお知らせに、来月の学校だより、それから来週の校外学習で行くコースの地域案内……

「……え?」

 薄ピンク色の紙に印刷されたモノクロの写真に、僕は目が釘付けになった。それは大緑地区の、現代美術館の写真だった。広そうな中庭のど真ん中に、輪切りされた逆さピラミッドのモニュメントが写っている。スマホを取り戻して確認するまでもない。明らかに、さっきの異常写真に写っていたものと同じだった。

「おーい、これも回し……うわっ。なんだよ晴?」

 僕に腕を強く引っ張られた朝陽も、写真を見て目を丸くした。

「……おい。これ、どういうことなんだ?」
「僕も知りたいよ……!」

 二人で残りの枚数を確認するふりをしながら、僕は小声で叫んだ。

 なんで僕らがまだ行ったことない場所が、さっき撮った写真に写りこんでるわけ?