写真の中だけ、もうキスしてる

 新学期二週目ともなれば、桜だっていい加減新緑に変わる。……だというのに、あのサイテーサイアクの写真ときたら、いまだに何も変わりやしない。

 颯太と並んで登校しながら、僕は朝から八回目ぐらいのため息をついた。ひょいと顔を覗き込んできた颯太は、スタイリングだか寝癖だかで前髪がつんつんと立っている。

「まだ写真のこと考えてんの?」

「考えるよ。颯太だってあんな写真、いつまでも持ってたくないでしょ」

「いや、別に? お前が中間のノート見せてくれなかったら、あれをクラスLINEに流すだけだから」

「なんだよ、裏切り者」

 もう一度ため息をついて、颯太の肩についてた花びらを手で払ってやる。颯太がニヤッとした。

「今日からはオレにこういうことしてたら、キスまでした立花に怒られるんじゃ――?」

「そろそろ殴るよ?」

 にこやかに拳を振り上げたところで、反対側から校門へ合流してくる生徒の一人が目に留まった。眼鏡をかけた、柔らかそうな雰囲気の男子が、僕らの前を行く誰かに手を振っている。

「朝陽ー!」

「あ、理央じゃん!」

 目を戻すと、ガードレールの内側をぞろぞろと歩く生徒たちの少し先に、立花朝陽の横顔があった。合流してきた眼鏡の子の肩に、自然なしぐさで腕を回している。

「もう風邪治ったのか? ずっとお前いなくてつまんなかったわ」

「はいはい、またすぐそういうこと言うんだから。それより、LINE返してよ。結局、今日って地図帳必要なの?」

「あ、悪い。忘れてた……」

「はあ。朝陽に聞いたおれが悪かったよ。持ってきてなかったら怒られるかなあ……」

「――あはは、心配しなくて大丈夫だよ!」

 僕は、思わず笑い声を上げていた。やっぱり、立花の雑なやり方には欠点があるみたいだ。振り返った二人に数歩で追いついて、眼鏡の子に向かってにこりとする。

「地図帳使うのは来週からだって。昨日、先生が言ってたよ」

「あ、よかった」

 ほっとした顔で、その子が僕にちょっと笑ってくれた。

「ありがとう。えーと……」

「あ。いきなりごめんね。高瀬晴です。もしかして、久保田理央くん?」

「……なんで知ってんの? って、最初の一週間休んでたら目につくか……」

「ううん、いつ会えるのかなって思ってたよ。これからよろしくね」

 久保田くんと頷き合って、立花の方を見る。奴はいつもみたいに、面白がってるような、バカにしてるような顔で、久保田くんと話す僕を見ていた。

「立花」

 僕は完璧な笑顔を使った。

「今日の放課後、時間ある?」

「まあ、部活はないけど」

「よかった。じゃあ、写真の続き、付き合ってくれないかな?」

「いいけどさ。なら、体育倉庫でやろうぜ。俺、昼練で放課後まで鍵もらったままにできるし」

「え……いいけど、なんで?」

 首を傾げる僕を、腹の立つオオカミみたいな笑顔が見下ろした。

「教室だと、誰かに見られたらお前は逃げそうじゃん?」

「……そっちこそ、絶対逃げんなよ!」

 奥歯が、ぎりっと音を立てる。大笑いしてる颯太と、不思議そうな顔の久保田くんを置いて、僕はさっさと教室へ向かった。

 体育倉庫は、ひんやりした床と、埃っぽいマットのにおいがしていた。跳び箱の上にあぐらをかいた颯太と、若干引き気味の久保田くんに見守られながら、僕は今、一番やりたくないことを一番やりたくない奴としている。これって、なんの罰ゲームだろう……。

「あ、三枚目戻った」

 颯太の声で、後ろから僕の肩に顎を乗せていた立花が姿勢を解く。

「ようやくか。理央、次は?」

「朝陽が高瀬くんを……顎クイ、してるやつ」

「はいよ」

 流れ作業のように体勢を変えながら、僕は小さくため息をついた。たしかに、予想した通りだ。好きでもない奴とこんなことをしていても、やっぱり何も感じない。ただし……

「なんでいつも、お前がやる側なわけ?」

 写真の構図は、なぜかだいたい僕がやられる側だった。再現するだけとはいえ、リードを取られてるのは面白くない。立花はニヤッとした。

「さあな。文句があるなら写真に言えよ。それで理央、手どっちだっけ?」 

「えーと、顎持つ方が右手。あと朝陽の左腕で、高瀬くんの肩を抱く感じで」

「こう? あ、おい、動くなよ」

「なら、お前も一回こっちやってみろよ! 僕がどれだけ我慢してるかわかるから!」

「朝陽、もう半歩前……高瀬くん、ちょっと動かないでいられる?」 

「僕は動いてないよ? 朝陽が必要以上に嫌がらせして――」

 ふいに立花が、声をあげて笑った。

「お前、いま俺のこと、朝陽って呼んだだろ」 

「……あ」

 一拍遅れて、僕はやらかしに気がついた。気まずさと行き場のない怒りで顔がかっと熱くなり、巻いて立ててあった体育マットをばしんと叩く。

「しょうがないだろ! 久保田くんがずっとそう呼ぶから!」

「なら俺もそうしよっと。いいよな、晴?」

「勝手にすれば? じゃあ僕も、久保田くんのこと理央って呼ぶから!」

「あの、なんでおれが……?」 

「ほら晴、続き」

 身長と同じく無駄に長い指で、顔を奴の方に向けさせられる。僕は唇を噛んで、立花を睨みつけた。我慢だ。とにかく今は、写真を戻すのが優先だ。その後で、こいつを殴って今日の報いを――

「……あんたら、何やってんの?」

 急に響いた声に、全員が振り返った。体育倉庫の入り口に、スポーツバッグを引っかけた、背の高い女子が立っていた。バレー部の榎本さんだ。いつも明るく笑ってるイメージだったのに、今は珍獣でも見るような顔でこっちを見ている。その視線をたどると……

「待って、誤解だ」

 僕はすごい勢いで立花を突き飛ばした。

「でも、いま」

「ただ話してただけだよ」

「顎触ってなかった?」

「それは、えーと……!」

 いくら僕らの間に何もなくても、客観的に見てヤバい体勢だってことはわかってる。でも、あんな写真が溢れてることはもっと言いたくないし、僕も立花も、ほんとそういうつもりじゃなくて……!

「――そう、〈黙れ〉! さっきのは〈黙れ〉って意味のしぐさだから!」

 体育倉庫が、一瞬沈黙した。

「……顎クイするのが?」

「ま、まあ。僕らの間ではそうなの」

「へえ。俺、初耳なんだけど」

「うるさいよ立花」

 あからさまにニヤニヤし始めた立花が、僕の頭へぽんと手を置いた。なに触ってんだよ。

「じゃあ、これは?」

「えーと……〈よくやった〉とか?」

「高瀬、絶対いま考えたでしょ」

 やれやれと首を振った榎本さんが、パンと手を叩いた。

「ていうかあんたら、遊んでるんなら手伝ってくれない? あと五分で用具全部運ばなきゃいけなくて」

「あ、もちろんだよ! どれ運べばいいかな?」

 深く息を吸って、笑顔で榎本さんに指示を仰ぐ。見渡した中では、二つ折りの得点板が、一人で運ぶには大変そうだった。颯太……を目で探したけど、すでに理央と何やらしゃべりながらボール籠を押している。僕は仕方なく、向こう側に回った立花と目を合わせて、得点板を持ち上げた。

「立花、そっちもう少し下げて」

 倉庫の入り口は狭くて、二人でうまく合わせないと得点板を通せそうになかった。でも、僕と立花で、どう考えても息が合うはずがない。

「いや、お前が左に回ったほうが早いぞ」

「無理だよ、ぶつかるから」

「ぶつからないって。ほら」

「えっ――うわ!」

 ガン、と音がして、得点板の脚がドアにぶつかった。榎本さんのため息が聞こえる。もう、本当にやりにくい……!

「だから僕の言うとおりにしろって言っただろ!」

「でも、一番でかいところは抜けたぞ?」

「そうだけど……あーもう!」

 業を煮やした僕は、脚を乱暴に持ち直した。奴を顎で使うみたいに、右の方へくいっと頭を傾けながら得点板を引っ張る。――とたんに、絶妙なタイミングで得点板が右に回り、すっとドアを通過した。

 立花を見ると、奴も意外そうな顔をしていた。え……今、僕なにも言ってないのに。あの適当な合図が、通じたんだろうか……?

 そのまま体育館まで運び、再びドア通過ミッションが来る。僕は試しに、得点板を軽く立花に押し付けるようにして、ドアの方に頭を傾けてみせた。立花がすぐに頷いて、先に背中からドアへ入る。……通じた。

 今度は立花がボードをコンコンと叩き、上を指さしてみせた。このままだと、こっちの上がひっかかるってこと? 僕は頷いて、ちょっと膝を曲げた。同時に立花が向こう側を少し上げ、得点板はするりとドアを抜けた。

「ありがとう。助かったわ」

 ウォーミングアップを始めている部員たちを背に、榎本さんがきびきびとお礼を言った。

「ううん。場所、邪魔しちゃっててごめんね」

「鍵、どうする? 教員室に返しとくか?」

「あ、じゃあ今もらっちゃうわ。さんきゅ」

 榎本さんに手を振って、四人でぞろぞろと体育館から出ていく。

 いつの間に意気投合したのか、颯太と理央は少し前を歩きながら、先週発売されたばかりのゲームについて興奮気味に喋り続けていた。なんとはなしにそれを聞きながら、隣の立花をちらりと見る。

 立花も、僕を見ていた。

「思ったんだけどさ」

「ああ」

「僕ら、喋らない方が上手くいくんじゃない?」 

「……俺も、そう思った」

 素直に頷いてから、奴はニッと笑った。

「せっかく名前で呼べると思ったのに。残念だな、晴?」

 〈黙れ〉よ。

 僕は無言で朝陽の顎をひっつかむと、ひと睨みしてから、乱暴に放り出した