二日目の運営はめちゃくちゃ楽だった。みんなもう勝手がわかってるから、ヘルプの仕事はほとんどない。ヒマになったので、僕はホールで空いた机を拭いている朝陽を眺めた。相変わらず白衣の丈は、ちょっと足りていなかった。
昨日あった二つのことについて、僕はどっちもすぐに解決する気はなかった。写真はあの鳥居の場所に行かないと再現できないし、僕の気持ちだって急いで伝える必要はない。だいたい、あいつの方がこっちをどう思ってるか、まだわかんないのに。
まあ……嫌われてはない、とは思う。少なくとも、あんなにキスしてくるぐらいだから。でも、それがどういうつもりなのかは……やっぱり、僕が今日言う必要はないや。もう少しちゃんと勝算がつくまで、無理に変えなくたっていい。
それでも、僕の意識が変わったからか、少しだけ変わったこともあった。今みたいにぼんやり見ていると無意味に触れたくなるし、〈どうした?〉と腕を引かれるだけでやたら満たされる。その満たされ方がどうにもむず痒くて、僕はよく首筋をかいた。
無意味に触れるのは、一度だけやった。昨日と同じように、僕らは昼休憩がてら、いつもの五人で校内を歩いていた。夏帆が先頭で出店マップを見ていて、階段に貼ってあるポスターの写真を真似しておちょくる颯太を、不思議な色の団子を持った理央が監視している。その少し後ろを歩いていた僕は、階段の踊り場でさっと辺りを確かめると、朝陽を引き寄せて素早くキスした。
朝陽が棒立ちになった。
「……今の……意味、なに?」
「さあね。自分で考えなよ」
軽く流して歩き出すと、朝陽がすぐに追ってくる。大混乱してそうな顔が、めちゃくちゃ面白い。
「何? その顔。これぐらい、今までもやってたじゃん」
「ああ。でも、今までとは、なんか……」
最後まで言わずに、朝陽が黙る。僕は笑って、足を早めて理央たちに追いついた。
◇
二日目の締めには後夜祭があった。閉場と同時に拍手が起こり、みんなでやりきった疲れと達成感を噛み締めながら、和気あいあいと片付けをする。……はずが、僕はいきなり戦力外通告を言い渡されていた。
「あんた、もういいわよ。シフト以外でも散々働いてたから」
「え……でも、人手は多い方がいいんじゃない?」
「その顔しても無駄。朝陽もよ。あとで実動時間報告して不平等だっていわれるあたしの身にもなってくれる?」
「あ、あはは……」
「んじゃ任せたわ」
きびきびと教室に消えていく夏帆を見送って、二人で顔を見合わせる。手伝うなと言われても、後夜祭が始まるまでまだ一時間以上あった。こう、急にヒマができちゃうと、時間を潰せそうなことといえば……
「お前が行ってたの、ほんとに俺と同じ神社だったんだな」
群青色に変わり始めた空の下、僕らは学校を出て、近くの裏山に続く道を歩いていた。僕は鼻を鳴らした。
「去年、地域研究の課題でマップ作ったじゃん。その時に見つけて、一回ぐらいちゃんと行こうと思ったんだよ。どうせお前は僕と違って、たまたま通りがかっただけだろうけど」
「いや、俺はたまにランニングの休憩所にしてるんだぞ。まあ……最初に見つけたのはたまたまだったけど」
「ほらね」
葉の落ち始めた林の中を歩きながら、僕は朝陽が手にしているスマホの画面を覗き込んだ。昨日、理央から送ってもらった場所写真だ。背景に写る鳥居は、どう考えても裏山の神社のものだった。今年の初めに、僕らが別々のタイミングでお参りしていた神社だ。
「この変な写真……夏帆の言う通り、ほんとにこの神社の祟りとかだったのかな」
「俺は祟られるようなことしてないぞ。ただ、今年もなんかいい感じに楽しくしてくださいってお願いしただけだ」
「丸投げすぎない? まあ、僕も人のこと言えないけど……」
「でも、もし祟りなら、これ再現したらようやく終わるってことか? いよいよ本丸の場所が出てきたんだし」
「……そうかな」
僕はつぶやいて、目の前に張り出していた枝を手で避けた。本当に終わってほしいのか、今はよくわからなくなっていた。
古びた神社は、まだひっそりとそこにあった。半年前に僕が来てから、まるで誰も来てないみたいだ。すっかり色あせた朱色の鳥居の向こうに、格子戸の閉まった小さな祠が建っている。写真の通りに、僕らは鳥居の前で、五歩ぐらいの距離をあけて向かい合った。
しばらく、時間が過ぎた。じっと眺めているスマホの写真は、いっこうに戻る気配がなかった。朝陽が眉を上げ、僕も立ち位置を少し変えてみたりした。でも、やっぱり写真は戻らない。
「本当に、ここだよね?」
「ああ。それは間違いないだろうけど……」
もう一度写真を覗き込んでいた朝陽が、少ししてから、画面の中の僕を軽くつついた。
「これ、晴なんか喋ってるよな。口開けてるの初めてじゃね?」
「そうだけど……え、何言ってるかも再現しなきゃいけないってこと?」
確かに、写真の中の僕は、朝陽に向かって何かを言っているようだった。でも、当たり前だけど、写真に音声はついてない。セリフまで当てろなんて、ここにきて急に難しすぎない……?
「『朝陽』」
「うん? ああ、試したのか」
「そう。『人たらし』。『学級委員』。『俊足』」
「……そんなので戻るわけなくないか?」
「わかってるよ」
僕はため息をついた。さんざん僕らを振り回してくれた異常写真が、この程度で許してくれるわけがない。
「もっと、写真が喜びそうな、勘違いモテ男っぽいこと言えよ」
「でも、喧嘩してる写真もあったじゃん。悪口でもいいんじゃない? 『脳直オオカミ』とか」
「ひどくね? お前、俺のことそんな風に思ってたの?」
「あはは。じゃあ、『かっこいいお兄さん』とか?」
「出た、ジゴロ晴」
「だから違うって」
一言いうたびに、写真が戻らないことを確認して、がっかりしては、なぜか安心する。果てしない可能性に、なんかもうこのままでもいいような気がしてきた。ここまできたら、無理に終わらせなくたって、別にいいんじゃないかな。不仲写真も再現できずに、まだそのまま残ってるんだし……。
「うーん。なかなかに無理ゲーだな。夏帆あたりに推理してもらわないと」
「あ、待って」
夏帆の名前で、僕はふいに思い出した。
「前に夏帆が、写真に写るのは『その時の僕らに一番ありえないことって言ってたよね。ってことは」
「なるほど。なら今、お前が一番言いそうにないことを言えばいいんじゃないか?」
「……今、僕が言いそうにないこと……」
僕は、しばらく黙って考え込んだ。すぐ思いついたのは「来週のテスト勉強、まだやってないんだよね」とか。いや、こいつ相手なら「朝陽、宿題見せて」かな。他の誰よりも負けたくない朝陽に、僕がそんなこと言うわけがないから……。
でもきっと、そういうことじゃない。僕が朝陽に言いたくない、あんまり知られたくないこと。……実は昨日、お前のせいで、全然眠れなかったんだ。実は今日、ずっとお前のことばっかり見てたんだ。朝陽は黙ったまま、じっと僕を見つめていた。今、僕がお前に、一番言うつもりがなかったこと。
……そんなのもう、ひとつしかない。
はっきりとそれに気づくと同時に、僕はスマホをポケットに突っ込んだ。そして、朝陽の手首をつかんで、歩き出した。
「晴?」
僕に引きずられながら、朝陽が驚いて声を上げる。
「おい、どこ行くんだ? 写真は、神社の前なのに――」
「だからだよ」
僕はずんずん歩き続けた。
「ここで言ったら、写真に言わされたみたいじゃん。僕が言いたくなったんだから、僕のやりたいようにやるよ」
神社を過ぎてさらに道を上ると、少し開けた高台に出た。古いベンチが二つくらいあって、低い柵の向こうには学校と周りの街がよく見渡せる。
朝陽は、僕が手を離した位置で、そのまま突っ立っていた。写真の中よりも近い、二歩ぐらいしか離れてないところで、僕は朝陽と向かい合った。
……よーし言ってやる、と決めたものの、いざこうなってみると、どう言っていいかわからなかった。当たり前だ。僕だって、これがそうだって昨日気づいたばっかりなんだから、準備なんてできてるはずがない。夜の高台は静かなのに、頭の中だけがやけにうるさかった。え……本当に、今から言うの? 僕が? 立花朝陽に? さすがに緊張して、思わず唇を舐める。
そのとき、向かいで全く同じことをしている奴が目に入った。その顔を見れば、すぐにわかった。朝陽は、僕が今から何を言おうとしてるか、もうわかってる。わかってて、僕と同じぐらい緊張している。今まで交わしてきたどんなしぐさ語よりも、今まで読んできた他の誰よりも、朝陽のことがはっきりと読めた。
そのとたん、ふっと体から力が抜けた。
「朝陽」
言葉は、自然に出た。
「僕、お前が好きだよ」
朝陽が、呼吸を止めた。
一度口にしてしまえば、簡単な話だった。昨日気がついたばかりのはずなのに、まるでその言葉は、ずっと僕の口から出るのを待ってたみたいだった。僕は黙って、ただ朝陽を見つめていた。野性的な顔は、衝撃でいつになく無防備に見えた。
ようやく、朝陽がゆっくりと目を伏せた。ふ、と漏れた笑みが、静かにその顔に広がっていって……
「――遅い」
次の瞬間、今度は僕の呼吸が止まった。腕を掴まれ、あっという間に引き寄せられ、強く強く抱きしめられる。あまりの急さに、僕は反応が遅れた。
「ちょっ、待っ――」
「遅い。遅すぎ」
堰を切ったような勢いで、顎を掴まれ、そのままキスされる。
「俺が、いつから待ってたと思ってんだよ。ほんと、この、人たらし……!」
「あさ、ひ……!」
今までのキスの、比じゃなかった。息継ぎすら許してもらえなくて、苦しくなった僕は、朝陽の胸に手を突っ張った。ようやく朝陽が唇を離したので、文句の一つでも言おうと顔を上げる。
でも、やっと正面から見たその顔の真剣さに、僕は思わず動けなくなった。
「好き。……ずっと、晴が好きだった」
朝陽の顔からは、いつもの余裕の笑みが消え失せていた。僕の肩を掴む指先に、強い力がこもっている。見たことないぐらい、必死な顔だった。
「もう、全部言うけどさ。最初っから、お前が俺にだけ違うの、嬉しかったんだよ。それが、ずっと俺だけならいいなって思うようになって……気づいたら、もう無理だった」
どんどん切なくなる声に、苦しいぐらいに見つめてくる瞳の熱量に、しびれたみたいに感覚がなくなってくる。
「お前、ほんとずるいんだよ。写真破いてくれた時から、お前にとっても俺が特別なのかなって期待したのに、俺たちが作ったしぐさ語は簡単に颯太に教えるし、相変わらず誰にでもいい顔するし……なのに、祭りでテンション上がったら意味わかんないままキスしてきてさ。そのあと、俺がどんだけ落とそうとしても、全部しぐさ語のせいにされるし……」
〈そうだろ?〉の代わりに、もう一度キスされる。下唇をがぶりと甘噛みされて、僕はその小さな痛みで、ようやく瞬きした。一気に流れ込んでくる朝陽の気持ちを、どう受け止めていいのかわからなくて、とりあえず少しだけ反抗してみる。
「ずるいって……それなら、お前が先に言えばよかったじゃん。なんで僕に言わせようとしたわけ?」
「だってお前は、人たらしだから」
朝陽が、ぎゅっと眉を寄せた。
「俺が先に言ったら、お前は『俺がなんて言ってほしいのか』の正解を探すだろ」
「……かもね」
「それじゃ意味ないんだよ。俺は、お前がどうしたいのか聞きたいのに」
僕は、何も言い返せなかった。朝陽の言う通りだった。
僕の表情に何を見たのか、朝陽がふっと笑って、もう一度抱きしめてきた。
「でも、もういい。今はもう、わかったから。……お前がちゃんと、俺を選んでくれたって」
くっついた体から、朝陽の体温が伝わってきていた。涼しくなってきた夕方の風の中で、無駄に高いそれに包まれているうちに、ずっと胸の中でそわそわと形を変えていたものが、ようやくあるべき場所に収まっていく。……そっか。お前にとっても、僕はそうだったんだな。
そんな顔で、そんなことを言えちゃうぐらいには。
僕は、朝陽の背中に、ゆっくりと腕を回した。耳元で、朝陽が小さく笑うのが聞こえた。片手が自然なしぐさで僕の後頭部にのびて、もう一度顔が寄せられる。迎えに来た唇に、今度は僕もちゃんとこたえた。
「朝陽」
くしゃっとした茶髪の中に、僕も指をもぐりこませる。背中を撫で、鼻先をすり合わせ、いつもみたいに全身で会話する。
「ん? なんだ?」
「……かっこいいね」
「今さら気づいたのか?」
「うわ、すぐ調子乗る」
「そりゃ乗るよ。晴に言われたら」
「ほんと、ムカつく……」
くすくす笑いながら、どんどんお互いの奥深くへ、言葉のいらないところへ混ざり合っていく。
後夜祭は、たぶんとっくに始まっていた。さっきからポケットの中で、スマホが何度か震えている。僕は、一言だけ素早く返信してから、静かに画面を消して、もう一度朝陽に手を伸ばした。
「ねえ、朝陽」
「なんだ」
「もう一回言ってみてよ」
「何を?」
「……好きだって」
「もちろん。何回でも」
朝陽が、両手で僕の顔を挟んだ。今までで一番深いキスと、唇を離した朝陽の声が、どっちも同じ、たったひとつの意味を伝えてくる。
〈好き〉。
「晴。お前が好きだよ」
昨日あった二つのことについて、僕はどっちもすぐに解決する気はなかった。写真はあの鳥居の場所に行かないと再現できないし、僕の気持ちだって急いで伝える必要はない。だいたい、あいつの方がこっちをどう思ってるか、まだわかんないのに。
まあ……嫌われてはない、とは思う。少なくとも、あんなにキスしてくるぐらいだから。でも、それがどういうつもりなのかは……やっぱり、僕が今日言う必要はないや。もう少しちゃんと勝算がつくまで、無理に変えなくたっていい。
それでも、僕の意識が変わったからか、少しだけ変わったこともあった。今みたいにぼんやり見ていると無意味に触れたくなるし、〈どうした?〉と腕を引かれるだけでやたら満たされる。その満たされ方がどうにもむず痒くて、僕はよく首筋をかいた。
無意味に触れるのは、一度だけやった。昨日と同じように、僕らは昼休憩がてら、いつもの五人で校内を歩いていた。夏帆が先頭で出店マップを見ていて、階段に貼ってあるポスターの写真を真似しておちょくる颯太を、不思議な色の団子を持った理央が監視している。その少し後ろを歩いていた僕は、階段の踊り場でさっと辺りを確かめると、朝陽を引き寄せて素早くキスした。
朝陽が棒立ちになった。
「……今の……意味、なに?」
「さあね。自分で考えなよ」
軽く流して歩き出すと、朝陽がすぐに追ってくる。大混乱してそうな顔が、めちゃくちゃ面白い。
「何? その顔。これぐらい、今までもやってたじゃん」
「ああ。でも、今までとは、なんか……」
最後まで言わずに、朝陽が黙る。僕は笑って、足を早めて理央たちに追いついた。
◇
二日目の締めには後夜祭があった。閉場と同時に拍手が起こり、みんなでやりきった疲れと達成感を噛み締めながら、和気あいあいと片付けをする。……はずが、僕はいきなり戦力外通告を言い渡されていた。
「あんた、もういいわよ。シフト以外でも散々働いてたから」
「え……でも、人手は多い方がいいんじゃない?」
「その顔しても無駄。朝陽もよ。あとで実動時間報告して不平等だっていわれるあたしの身にもなってくれる?」
「あ、あはは……」
「んじゃ任せたわ」
きびきびと教室に消えていく夏帆を見送って、二人で顔を見合わせる。手伝うなと言われても、後夜祭が始まるまでまだ一時間以上あった。こう、急にヒマができちゃうと、時間を潰せそうなことといえば……
「お前が行ってたの、ほんとに俺と同じ神社だったんだな」
群青色に変わり始めた空の下、僕らは学校を出て、近くの裏山に続く道を歩いていた。僕は鼻を鳴らした。
「去年、地域研究の課題でマップ作ったじゃん。その時に見つけて、一回ぐらいちゃんと行こうと思ったんだよ。どうせお前は僕と違って、たまたま通りがかっただけだろうけど」
「いや、俺はたまにランニングの休憩所にしてるんだぞ。まあ……最初に見つけたのはたまたまだったけど」
「ほらね」
葉の落ち始めた林の中を歩きながら、僕は朝陽が手にしているスマホの画面を覗き込んだ。昨日、理央から送ってもらった場所写真だ。背景に写る鳥居は、どう考えても裏山の神社のものだった。今年の初めに、僕らが別々のタイミングでお参りしていた神社だ。
「この変な写真……夏帆の言う通り、ほんとにこの神社の祟りとかだったのかな」
「俺は祟られるようなことしてないぞ。ただ、今年もなんかいい感じに楽しくしてくださいってお願いしただけだ」
「丸投げすぎない? まあ、僕も人のこと言えないけど……」
「でも、もし祟りなら、これ再現したらようやく終わるってことか? いよいよ本丸の場所が出てきたんだし」
「……そうかな」
僕はつぶやいて、目の前に張り出していた枝を手で避けた。本当に終わってほしいのか、今はよくわからなくなっていた。
古びた神社は、まだひっそりとそこにあった。半年前に僕が来てから、まるで誰も来てないみたいだ。すっかり色あせた朱色の鳥居の向こうに、格子戸の閉まった小さな祠が建っている。写真の通りに、僕らは鳥居の前で、五歩ぐらいの距離をあけて向かい合った。
しばらく、時間が過ぎた。じっと眺めているスマホの写真は、いっこうに戻る気配がなかった。朝陽が眉を上げ、僕も立ち位置を少し変えてみたりした。でも、やっぱり写真は戻らない。
「本当に、ここだよね?」
「ああ。それは間違いないだろうけど……」
もう一度写真を覗き込んでいた朝陽が、少ししてから、画面の中の僕を軽くつついた。
「これ、晴なんか喋ってるよな。口開けてるの初めてじゃね?」
「そうだけど……え、何言ってるかも再現しなきゃいけないってこと?」
確かに、写真の中の僕は、朝陽に向かって何かを言っているようだった。でも、当たり前だけど、写真に音声はついてない。セリフまで当てろなんて、ここにきて急に難しすぎない……?
「『朝陽』」
「うん? ああ、試したのか」
「そう。『人たらし』。『学級委員』。『俊足』」
「……そんなので戻るわけなくないか?」
「わかってるよ」
僕はため息をついた。さんざん僕らを振り回してくれた異常写真が、この程度で許してくれるわけがない。
「もっと、写真が喜びそうな、勘違いモテ男っぽいこと言えよ」
「でも、喧嘩してる写真もあったじゃん。悪口でもいいんじゃない? 『脳直オオカミ』とか」
「ひどくね? お前、俺のことそんな風に思ってたの?」
「あはは。じゃあ、『かっこいいお兄さん』とか?」
「出た、ジゴロ晴」
「だから違うって」
一言いうたびに、写真が戻らないことを確認して、がっかりしては、なぜか安心する。果てしない可能性に、なんかもうこのままでもいいような気がしてきた。ここまできたら、無理に終わらせなくたって、別にいいんじゃないかな。不仲写真も再現できずに、まだそのまま残ってるんだし……。
「うーん。なかなかに無理ゲーだな。夏帆あたりに推理してもらわないと」
「あ、待って」
夏帆の名前で、僕はふいに思い出した。
「前に夏帆が、写真に写るのは『その時の僕らに一番ありえないことって言ってたよね。ってことは」
「なるほど。なら今、お前が一番言いそうにないことを言えばいいんじゃないか?」
「……今、僕が言いそうにないこと……」
僕は、しばらく黙って考え込んだ。すぐ思いついたのは「来週のテスト勉強、まだやってないんだよね」とか。いや、こいつ相手なら「朝陽、宿題見せて」かな。他の誰よりも負けたくない朝陽に、僕がそんなこと言うわけがないから……。
でもきっと、そういうことじゃない。僕が朝陽に言いたくない、あんまり知られたくないこと。……実は昨日、お前のせいで、全然眠れなかったんだ。実は今日、ずっとお前のことばっかり見てたんだ。朝陽は黙ったまま、じっと僕を見つめていた。今、僕がお前に、一番言うつもりがなかったこと。
……そんなのもう、ひとつしかない。
はっきりとそれに気づくと同時に、僕はスマホをポケットに突っ込んだ。そして、朝陽の手首をつかんで、歩き出した。
「晴?」
僕に引きずられながら、朝陽が驚いて声を上げる。
「おい、どこ行くんだ? 写真は、神社の前なのに――」
「だからだよ」
僕はずんずん歩き続けた。
「ここで言ったら、写真に言わされたみたいじゃん。僕が言いたくなったんだから、僕のやりたいようにやるよ」
神社を過ぎてさらに道を上ると、少し開けた高台に出た。古いベンチが二つくらいあって、低い柵の向こうには学校と周りの街がよく見渡せる。
朝陽は、僕が手を離した位置で、そのまま突っ立っていた。写真の中よりも近い、二歩ぐらいしか離れてないところで、僕は朝陽と向かい合った。
……よーし言ってやる、と決めたものの、いざこうなってみると、どう言っていいかわからなかった。当たり前だ。僕だって、これがそうだって昨日気づいたばっかりなんだから、準備なんてできてるはずがない。夜の高台は静かなのに、頭の中だけがやけにうるさかった。え……本当に、今から言うの? 僕が? 立花朝陽に? さすがに緊張して、思わず唇を舐める。
そのとき、向かいで全く同じことをしている奴が目に入った。その顔を見れば、すぐにわかった。朝陽は、僕が今から何を言おうとしてるか、もうわかってる。わかってて、僕と同じぐらい緊張している。今まで交わしてきたどんなしぐさ語よりも、今まで読んできた他の誰よりも、朝陽のことがはっきりと読めた。
そのとたん、ふっと体から力が抜けた。
「朝陽」
言葉は、自然に出た。
「僕、お前が好きだよ」
朝陽が、呼吸を止めた。
一度口にしてしまえば、簡単な話だった。昨日気がついたばかりのはずなのに、まるでその言葉は、ずっと僕の口から出るのを待ってたみたいだった。僕は黙って、ただ朝陽を見つめていた。野性的な顔は、衝撃でいつになく無防備に見えた。
ようやく、朝陽がゆっくりと目を伏せた。ふ、と漏れた笑みが、静かにその顔に広がっていって……
「――遅い」
次の瞬間、今度は僕の呼吸が止まった。腕を掴まれ、あっという間に引き寄せられ、強く強く抱きしめられる。あまりの急さに、僕は反応が遅れた。
「ちょっ、待っ――」
「遅い。遅すぎ」
堰を切ったような勢いで、顎を掴まれ、そのままキスされる。
「俺が、いつから待ってたと思ってんだよ。ほんと、この、人たらし……!」
「あさ、ひ……!」
今までのキスの、比じゃなかった。息継ぎすら許してもらえなくて、苦しくなった僕は、朝陽の胸に手を突っ張った。ようやく朝陽が唇を離したので、文句の一つでも言おうと顔を上げる。
でも、やっと正面から見たその顔の真剣さに、僕は思わず動けなくなった。
「好き。……ずっと、晴が好きだった」
朝陽の顔からは、いつもの余裕の笑みが消え失せていた。僕の肩を掴む指先に、強い力がこもっている。見たことないぐらい、必死な顔だった。
「もう、全部言うけどさ。最初っから、お前が俺にだけ違うの、嬉しかったんだよ。それが、ずっと俺だけならいいなって思うようになって……気づいたら、もう無理だった」
どんどん切なくなる声に、苦しいぐらいに見つめてくる瞳の熱量に、しびれたみたいに感覚がなくなってくる。
「お前、ほんとずるいんだよ。写真破いてくれた時から、お前にとっても俺が特別なのかなって期待したのに、俺たちが作ったしぐさ語は簡単に颯太に教えるし、相変わらず誰にでもいい顔するし……なのに、祭りでテンション上がったら意味わかんないままキスしてきてさ。そのあと、俺がどんだけ落とそうとしても、全部しぐさ語のせいにされるし……」
〈そうだろ?〉の代わりに、もう一度キスされる。下唇をがぶりと甘噛みされて、僕はその小さな痛みで、ようやく瞬きした。一気に流れ込んでくる朝陽の気持ちを、どう受け止めていいのかわからなくて、とりあえず少しだけ反抗してみる。
「ずるいって……それなら、お前が先に言えばよかったじゃん。なんで僕に言わせようとしたわけ?」
「だってお前は、人たらしだから」
朝陽が、ぎゅっと眉を寄せた。
「俺が先に言ったら、お前は『俺がなんて言ってほしいのか』の正解を探すだろ」
「……かもね」
「それじゃ意味ないんだよ。俺は、お前がどうしたいのか聞きたいのに」
僕は、何も言い返せなかった。朝陽の言う通りだった。
僕の表情に何を見たのか、朝陽がふっと笑って、もう一度抱きしめてきた。
「でも、もういい。今はもう、わかったから。……お前がちゃんと、俺を選んでくれたって」
くっついた体から、朝陽の体温が伝わってきていた。涼しくなってきた夕方の風の中で、無駄に高いそれに包まれているうちに、ずっと胸の中でそわそわと形を変えていたものが、ようやくあるべき場所に収まっていく。……そっか。お前にとっても、僕はそうだったんだな。
そんな顔で、そんなことを言えちゃうぐらいには。
僕は、朝陽の背中に、ゆっくりと腕を回した。耳元で、朝陽が小さく笑うのが聞こえた。片手が自然なしぐさで僕の後頭部にのびて、もう一度顔が寄せられる。迎えに来た唇に、今度は僕もちゃんとこたえた。
「朝陽」
くしゃっとした茶髪の中に、僕も指をもぐりこませる。背中を撫で、鼻先をすり合わせ、いつもみたいに全身で会話する。
「ん? なんだ?」
「……かっこいいね」
「今さら気づいたのか?」
「うわ、すぐ調子乗る」
「そりゃ乗るよ。晴に言われたら」
「ほんと、ムカつく……」
くすくす笑いながら、どんどんお互いの奥深くへ、言葉のいらないところへ混ざり合っていく。
後夜祭は、たぶんとっくに始まっていた。さっきからポケットの中で、スマホが何度か震えている。僕は、一言だけ素早く返信してから、静かに画面を消して、もう一度朝陽に手を伸ばした。
「ねえ、朝陽」
「なんだ」
「もう一回言ってみてよ」
「何を?」
「……好きだって」
「もちろん。何回でも」
朝陽が、両手で僕の顔を挟んだ。今までで一番深いキスと、唇を離した朝陽の声が、どっちも同じ、たったひとつの意味を伝えてくる。
〈好き〉。
「晴。お前が好きだよ」
