「え?! 写真なくしたってどういうこと?!」
翌週の月曜日だった。登校するなり夏帆に詰め寄られて、僕はなだめようと両手を上げた。
「いや、僕が持って帰ったはずなんだけどさ。家のどこにも見当たらなくて」
「晴が物なくすの珍しいじゃん。でも、オレらが着く前に再現はしたって、言ってなかったっけ?」
「まあ。それは……」
「なら、新しく撮ってみればいいんじゃないかな? 前のが戻ってるなら、また場所写真が出るはずだよね」
「おおっ、さすが理央! 二人とも、こっち向けよ」
「あ、それは……!」
やばい。土曜日は適当に流して遊びに押し切ったけど、そういえば場所写真は連作になってたんだった。言い訳を考えようと頭をフル回転させている間にも、颯太がどんどんシャッターをきっていく。そして――
「ほら。やっぱり新しいの出た!」
「……え?」
僕と朝陽の声が重なった。夏帆と理央が、すぐさま確認する。
「ほんとだ。じゃあ、あれはクリアしてたのね」
「よかった。もう、チェキで撮るのはやめた方がよさそうだね。データ残ってないと、またこうなるかもしれないから」
「う、うん」
僕は朝陽を見た。朝陽も僕を見て、眉をはね上げていた。あれは再現してないし、破いちゃったのに、次が出た……? 場所写真が一度に一枚っていう推理が、間違ってるんだろうか。
ひとまず良かったような、むしろ問題がもっと大きくなったような複雑な気持ちで、僕は颯太のスマホを覗き込んだ。
「これ、うちの教室じゃないよね?」
ぱっと見は普通の写真だけど、背後の窓ガラスに映っている教卓や机の位置が、明らかにこのクラスとは違う。
ちなみに僕と朝陽の体勢は、朝陽が後ろから僕の上体を抱きしめていて、僕がその腕に手を重ねている単純なものだった。……なんか押し倒し以降、構図がだんだんぬるくなってるように思えるのは、僕が麻痺してきてるせいなんだろうか……?
「どこのクラスなのかしらね……最悪、四クラスかける三学年、全部まわれば済むけど」
「ええ、僕ら十二回もこれやらされんの?」
「少なくともこのクラスじゃないから、十一回じゃないかな」
「誤差だよ理央」
僕はうんざりして、廊下側の掲示板に貼られたカレンダーをちらりと見た。来週の水曜日から金曜日までが、赤い枠で囲われている。写真の謎は気になるけど、正直いまはそれよりも優先しなきゃいけないことがあった。僕は頭を振って、机の上に出していた教科書の束をぱんぱんと叩いた。
「全クラスまわるにしても、とりあえず中間テスト終わってからやらない? 僕、そっち集中したいんだけど」
「うわやべ、テスト忘れてた」
颯太が急に跳ね起きるのを見ながら、僕は後ろを振り向いた。朝陽の机に重ねられている教科書を、同じようにぱんぱんと叩く。
〈お前もそれでいい?〉
「……なに、晴?」
「え……だから」
僕は一瞬戸惑った。今の、通じなかったのか……?
でも、僕が口を開くより早く、朝陽が頷いて、おでこをとんとんと叩いてみせた。
〈悪い。ぼうっとしてた〉
なんだ、それだけか。たしかに、今日の朝陽はいつもより口数が少ない気がした。土曜日は遊んで、日曜は部活の練習試合だったみたいだし、単純に眠いのかもしれない。
「晴ー! 一生のお願いだから、試験範囲と宿題の答えと今からでも間に合う勉強の仕方教えてくれ!」
「要求多いよ颯太。あとその一生のお願いってやつ、去年からもう三回は転生してるよね……」
僕はため息をつきながらも、試験範囲を確認するために、鞄から手帳を引っ張り出した。
◇
テスト前の一週間は、全ての部活が休みになる。いつもはバスケ部の練習で体育館にいるか、ろくでもない写真のせいで僕らと密室に閉じこもっているかだった朝陽の周りには、新学期が始まった頃のようにたくさんの人が群がっていた。
「あっ、朝陽じゃん! お前、意外と真面目に勉強とかするタイプなんだな」
「テスト直前だけだって。最低限必要なとこだけ覚えたら、あとはカンでなんとかなるし」
「ねえねえ立花くん、数学得意なんだよね? 数IIのこの問題、教えてほしくて」
「ん? ああ、これか。ここに補助線引いたら、ほら、こうなるだろ?」
「……どうして、そこに補助線引くってわかったの?」
「なんとなく。見たらそう思わないか?」
「あ、あはは……立花くん、頭いいんだね」
「そんなことないぞ。うーん、じゃあ、似たようなこっちの問題、一緒に考えてみるか?」
「あ、うん!」
後ろの席から聞こえてくるやりとりに、僕は何度か頭を抱えそうになった。本当にこいつは、対人関係だけじゃなくて、ありとあらゆることに直感で生きているらしい。というか、今でさえ学年順位は僕とあんまり変わらなかったはずだから、こいつ本気出したら僕より点数取れるんじゃ……?
「そうはさせないぞ……」
「晴、何ぶつぶつ言ってんだ? 次、生物のノート借りていい?」
「あ。それならこっち」
我に返った僕は、颯太にルーズリーフのバインダーを渡した。
「こっちが、試験用にまとめなおしたやつだから。他の教科のも入ってるよ」
「神様晴様仏様ー! 来週の昼飯ぜんぶ奢るわ」
「うわ高瀬、この英語のまとめすげえな。もはや先生じゃん」
「ありがと、白井くん。去年の教科書と繋げただけなんだけど……必要なら、コピー取る?」
放課後になってもいつもより人の多い教室は、和気あいあいとした空気に包まれていた。別に勉強が好きってわけじゃないけど、テスト前のこういう時間はけっこう楽しい。共通の敵に向かって一緒に頑張ってる感じがするし、何よりみんなが僕を頼ってくれる。まあ、今年その立ち位置にいるのは、僕だけじゃないんだけど……。
僕は振り向いて、机のふちを人差し指の背でとんと押した。
〈朝陽。人数多いから、ちょっと離れてよ〉
〈はいよ〉
汲み取った朝陽が、友達と喋るのを止めないまま、机を少し後ろに下げてくれる。その拍子に、端に置いてあった消しゴムが床に転がり落ちた。僕は何も考えずにそれを拾って、机の上に戻した。朝陽がそのまま、僕の手の甲に手を伸ばして――
「さんきゅ、晴」
「……ん?」
急に言葉へ切り替えられて、僕は思わず顔を上げた。なんでわざわざしゃべるんだ? 先週の土曜日以来、こいつの中からは〈ありがとう〉が消えたんだろうか。僕は〈どうした?〉の意味をこめて、朝陽の肘を掴もうとした。
その瞬間、朝陽がすっと腕を引いた。
「なんだ、晴?」
「……いや」
なんだ、はこっちの台詞だ。今、朝陽は、あからさまにしぐさ語を避けた。え……何それ。また僕と、口喧嘩でやり合いたいわけ?
それからも、朝陽はちょっと変だった。購買にパンを買いに行くときもついてこなかったし、いつもなら勝手に奪って飲む僕のレモンティーにも手を出してこない。少しずつ日が傾いていくにつれて、僕と朝陽の周りにできていた人だかりもなくなり、朝陽がいつまでも机を後ろに引いている必要はなくなっていった。それでも、奴は動かなかった。がらんとした教室の中、僕と朝陽の机の間に、夕日が細長いオレンジ色の平行四辺形を落としている。
最終下校時刻が近づいてきたころ、僕は廊下で朝陽を捕まえた。
「朝陽」
「なんだ、晴先生?」
朝陽がからかうように眉を上げる。
「お前、ほんと真面目なんだな。そろそろ教科書でも作って配ってやったら――」
言葉の途中で、僕は朝陽の顎を掴んで、ぐいっと引き寄せた。
とたんに朝陽が、けっこうな強さで僕の胸をどんと押しのけた。
「……近い」
「は?」
僕は首を突き出した。近い? 今のが? もうキスまでしたのに?
「今さら何言ってんの? ねえ、今日どうしたんだよ。お前、なんかおかしいぞ」
「……気のせいだろ」
朝陽は微妙に目を逸らした。それ以上は言うなといわんばかりに、スクールバッグをぶんと軽く振り回す。
「それより、早く帰ろうぜ。もう校門閉まっちゃうから――」
「おー朝陽、晴」
教室からぞろぞろと出てきたクラスメイトが手を上げる。僕は振り向いて、すぐに笑顔を作った。なぜか一瞬、朝陽が気に入らなそうに顔をしかめた気がしたけど、チラリと見た時には、いつもの腹立つ笑みに戻っていた。
「なに、人たらし同士の作戦会議?」
「あはは、そんなんじゃないって」
「でも、お前らだいぶ仲良くなったよな。新学期の時は、大喧嘩してたのに」
「だろ? 俺が大人になったんだよ」
「よく言うよ。僕が合わせてやってるだけなんだから、感謝してほしいね」
周囲に合わせて、お互いにいつもの軽口を叩く。でも朝陽は、前を歩く本間くんの背中は冗談っぽくどつくのに、僕には指一本触れようとしてこなかった。並んで廊下を歩きながらも、不自然なぐらいに視線が合わない。階段を降り、下駄箱に行くまでの道が、やけに長く感じられる。
こんなにしゃべっているのに、僕と朝陽の間だけ、何も通じていなかった。
翌週の月曜日だった。登校するなり夏帆に詰め寄られて、僕はなだめようと両手を上げた。
「いや、僕が持って帰ったはずなんだけどさ。家のどこにも見当たらなくて」
「晴が物なくすの珍しいじゃん。でも、オレらが着く前に再現はしたって、言ってなかったっけ?」
「まあ。それは……」
「なら、新しく撮ってみればいいんじゃないかな? 前のが戻ってるなら、また場所写真が出るはずだよね」
「おおっ、さすが理央! 二人とも、こっち向けよ」
「あ、それは……!」
やばい。土曜日は適当に流して遊びに押し切ったけど、そういえば場所写真は連作になってたんだった。言い訳を考えようと頭をフル回転させている間にも、颯太がどんどんシャッターをきっていく。そして――
「ほら。やっぱり新しいの出た!」
「……え?」
僕と朝陽の声が重なった。夏帆と理央が、すぐさま確認する。
「ほんとだ。じゃあ、あれはクリアしてたのね」
「よかった。もう、チェキで撮るのはやめた方がよさそうだね。データ残ってないと、またこうなるかもしれないから」
「う、うん」
僕は朝陽を見た。朝陽も僕を見て、眉をはね上げていた。あれは再現してないし、破いちゃったのに、次が出た……? 場所写真が一度に一枚っていう推理が、間違ってるんだろうか。
ひとまず良かったような、むしろ問題がもっと大きくなったような複雑な気持ちで、僕は颯太のスマホを覗き込んだ。
「これ、うちの教室じゃないよね?」
ぱっと見は普通の写真だけど、背後の窓ガラスに映っている教卓や机の位置が、明らかにこのクラスとは違う。
ちなみに僕と朝陽の体勢は、朝陽が後ろから僕の上体を抱きしめていて、僕がその腕に手を重ねている単純なものだった。……なんか押し倒し以降、構図がだんだんぬるくなってるように思えるのは、僕が麻痺してきてるせいなんだろうか……?
「どこのクラスなのかしらね……最悪、四クラスかける三学年、全部まわれば済むけど」
「ええ、僕ら十二回もこれやらされんの?」
「少なくともこのクラスじゃないから、十一回じゃないかな」
「誤差だよ理央」
僕はうんざりして、廊下側の掲示板に貼られたカレンダーをちらりと見た。来週の水曜日から金曜日までが、赤い枠で囲われている。写真の謎は気になるけど、正直いまはそれよりも優先しなきゃいけないことがあった。僕は頭を振って、机の上に出していた教科書の束をぱんぱんと叩いた。
「全クラスまわるにしても、とりあえず中間テスト終わってからやらない? 僕、そっち集中したいんだけど」
「うわやべ、テスト忘れてた」
颯太が急に跳ね起きるのを見ながら、僕は後ろを振り向いた。朝陽の机に重ねられている教科書を、同じようにぱんぱんと叩く。
〈お前もそれでいい?〉
「……なに、晴?」
「え……だから」
僕は一瞬戸惑った。今の、通じなかったのか……?
でも、僕が口を開くより早く、朝陽が頷いて、おでこをとんとんと叩いてみせた。
〈悪い。ぼうっとしてた〉
なんだ、それだけか。たしかに、今日の朝陽はいつもより口数が少ない気がした。土曜日は遊んで、日曜は部活の練習試合だったみたいだし、単純に眠いのかもしれない。
「晴ー! 一生のお願いだから、試験範囲と宿題の答えと今からでも間に合う勉強の仕方教えてくれ!」
「要求多いよ颯太。あとその一生のお願いってやつ、去年からもう三回は転生してるよね……」
僕はため息をつきながらも、試験範囲を確認するために、鞄から手帳を引っ張り出した。
◇
テスト前の一週間は、全ての部活が休みになる。いつもはバスケ部の練習で体育館にいるか、ろくでもない写真のせいで僕らと密室に閉じこもっているかだった朝陽の周りには、新学期が始まった頃のようにたくさんの人が群がっていた。
「あっ、朝陽じゃん! お前、意外と真面目に勉強とかするタイプなんだな」
「テスト直前だけだって。最低限必要なとこだけ覚えたら、あとはカンでなんとかなるし」
「ねえねえ立花くん、数学得意なんだよね? 数IIのこの問題、教えてほしくて」
「ん? ああ、これか。ここに補助線引いたら、ほら、こうなるだろ?」
「……どうして、そこに補助線引くってわかったの?」
「なんとなく。見たらそう思わないか?」
「あ、あはは……立花くん、頭いいんだね」
「そんなことないぞ。うーん、じゃあ、似たようなこっちの問題、一緒に考えてみるか?」
「あ、うん!」
後ろの席から聞こえてくるやりとりに、僕は何度か頭を抱えそうになった。本当にこいつは、対人関係だけじゃなくて、ありとあらゆることに直感で生きているらしい。というか、今でさえ学年順位は僕とあんまり変わらなかったはずだから、こいつ本気出したら僕より点数取れるんじゃ……?
「そうはさせないぞ……」
「晴、何ぶつぶつ言ってんだ? 次、生物のノート借りていい?」
「あ。それならこっち」
我に返った僕は、颯太にルーズリーフのバインダーを渡した。
「こっちが、試験用にまとめなおしたやつだから。他の教科のも入ってるよ」
「神様晴様仏様ー! 来週の昼飯ぜんぶ奢るわ」
「うわ高瀬、この英語のまとめすげえな。もはや先生じゃん」
「ありがと、白井くん。去年の教科書と繋げただけなんだけど……必要なら、コピー取る?」
放課後になってもいつもより人の多い教室は、和気あいあいとした空気に包まれていた。別に勉強が好きってわけじゃないけど、テスト前のこういう時間はけっこう楽しい。共通の敵に向かって一緒に頑張ってる感じがするし、何よりみんなが僕を頼ってくれる。まあ、今年その立ち位置にいるのは、僕だけじゃないんだけど……。
僕は振り向いて、机のふちを人差し指の背でとんと押した。
〈朝陽。人数多いから、ちょっと離れてよ〉
〈はいよ〉
汲み取った朝陽が、友達と喋るのを止めないまま、机を少し後ろに下げてくれる。その拍子に、端に置いてあった消しゴムが床に転がり落ちた。僕は何も考えずにそれを拾って、机の上に戻した。朝陽がそのまま、僕の手の甲に手を伸ばして――
「さんきゅ、晴」
「……ん?」
急に言葉へ切り替えられて、僕は思わず顔を上げた。なんでわざわざしゃべるんだ? 先週の土曜日以来、こいつの中からは〈ありがとう〉が消えたんだろうか。僕は〈どうした?〉の意味をこめて、朝陽の肘を掴もうとした。
その瞬間、朝陽がすっと腕を引いた。
「なんだ、晴?」
「……いや」
なんだ、はこっちの台詞だ。今、朝陽は、あからさまにしぐさ語を避けた。え……何それ。また僕と、口喧嘩でやり合いたいわけ?
それからも、朝陽はちょっと変だった。購買にパンを買いに行くときもついてこなかったし、いつもなら勝手に奪って飲む僕のレモンティーにも手を出してこない。少しずつ日が傾いていくにつれて、僕と朝陽の周りにできていた人だかりもなくなり、朝陽がいつまでも机を後ろに引いている必要はなくなっていった。それでも、奴は動かなかった。がらんとした教室の中、僕と朝陽の机の間に、夕日が細長いオレンジ色の平行四辺形を落としている。
最終下校時刻が近づいてきたころ、僕は廊下で朝陽を捕まえた。
「朝陽」
「なんだ、晴先生?」
朝陽がからかうように眉を上げる。
「お前、ほんと真面目なんだな。そろそろ教科書でも作って配ってやったら――」
言葉の途中で、僕は朝陽の顎を掴んで、ぐいっと引き寄せた。
とたんに朝陽が、けっこうな強さで僕の胸をどんと押しのけた。
「……近い」
「は?」
僕は首を突き出した。近い? 今のが? もうキスまでしたのに?
「今さら何言ってんの? ねえ、今日どうしたんだよ。お前、なんかおかしいぞ」
「……気のせいだろ」
朝陽は微妙に目を逸らした。それ以上は言うなといわんばかりに、スクールバッグをぶんと軽く振り回す。
「それより、早く帰ろうぜ。もう校門閉まっちゃうから――」
「おー朝陽、晴」
教室からぞろぞろと出てきたクラスメイトが手を上げる。僕は振り向いて、すぐに笑顔を作った。なぜか一瞬、朝陽が気に入らなそうに顔をしかめた気がしたけど、チラリと見た時には、いつもの腹立つ笑みに戻っていた。
「なに、人たらし同士の作戦会議?」
「あはは、そんなんじゃないって」
「でも、お前らだいぶ仲良くなったよな。新学期の時は、大喧嘩してたのに」
「だろ? 俺が大人になったんだよ」
「よく言うよ。僕が合わせてやってるだけなんだから、感謝してほしいね」
周囲に合わせて、お互いにいつもの軽口を叩く。でも朝陽は、前を歩く本間くんの背中は冗談っぽくどつくのに、僕には指一本触れようとしてこなかった。並んで廊下を歩きながらも、不自然なぐらいに視線が合わない。階段を降り、下駄箱に行くまでの道が、やけに長く感じられる。
こんなにしゃべっているのに、僕と朝陽の間だけ、何も通じていなかった。
