【完結】写真の中だけ、もうキスしてる

 休みの日にわざわざ立花朝陽の家に行くなんて、新学期二日目の僕に言ったら卒倒していたかもしれない。

 土曜の昼過ぎ、僕は写真で見たとおりの、古びた石の柱に挟まれた立派な門をしげしげと眺めていた。柱に埋め込まれた小さなインターホンを鳴らすと、しばらくして門の向こうから朝陽がやってくる。僕は胸に手を当てて、大げさにお辞儀した。

「これはこれは。こんなお屋敷のご子息にお出迎えいただき――」

 門を開けた朝陽の手が、僕の顎をぐいっと掴んだ。〈黙れよ〉って? はいはい。
 差し入れに持ってきたポテチの袋を渡して、僕は石の柱を軽く叩いた。

「写真、ほんとにここなんだね。颯太たち、まだ来てないけど……今、ちゃちゃっとやっちゃう?」

 朝陽が答えるまでに、ほんの少しだけ間があった気がした。

「……後でもよくね? それに、あのチェキ部屋に置いてきちゃったから、細かい構図覚えてないし」

 見本がないならしょうがない。僕は〈了解〉の印に朝陽の手首を軽くつかんで、奴について門の中へ入った。

 想像していたより、朝陽の家は普通だった。昔は大家族が住んでいたんだろうな、という感じの古い作りで、庭の隅にはしばらく使われていなさそうな苔むした噴水がある。中はリフォームされていて綺麗だったけど、朝陽の部屋以外は物が少なくて、どことなくがらんとしていた。

「今日、誰もいないって言ってたっけ」
「うん。親父も母さんも、いつも遅いから」
「じゃあ、この広さでいつも一人? よく平気だね」

 モデルルームみたいなキッチンを見渡しながら言うと、朝陽は冷蔵庫を漁りながら肩をすくめた。

「別に、慣れてるし。むしろ、好きに友達呼べるから気楽だぞ」
「そうだけど、夜は帰るから一人じゃん? 僕んち兄妹多いから、あんまり想像つかなくてさ」
「そうか? みんな、いる時はいるし、いない時はいない。……それだけだろ」

 そういうもの、なんだろうか。まあ、確かにこいつの周りにはいつも人がいるし、家でぐらいは一人になりたいのかもしれない。僕は首を振って、朝陽が投げてきたジュース缶を受け取った。黄色のラベルは、僕が好きなメーカーのレモンティーだった。

「気が利くじゃん」
「だろ。昨日の帰りがけに……いや、自販機で一本当たったオマケだ」
「ってことは原価タダ? 僕の感謝と差し入れのポテチ返せよ――」

 頭の上に影が落ちて、僕は顔を上げた。壁を背にした僕の顔の横に、朝陽が軽く手をついて、腹の立つ笑みを浮かべている。

〈却下。だって、これ好きだろ?〉
〈……そうだけどさ〉

 僕は半目でじとりと朝陽を睨み、ぐいっとその体を押しのけた。

 オマケだろうとなんだろうと、よく冷えたレモンティーは美味しかった。ダイニングテーブルの角を挟んで座った朝陽は、やけにゆっくりコーラを飲んでいた。二人でスマホを見たりポテチをつまんだりしながら、何でもない雑談をする。
 昨日朝陽が見つけたらしいショート動画を見せられながら、僕は空になったジュース缶で朝陽を軽くつついた。朝陽が冷蔵庫の方を指して、〈勝手に取れ〉とひらひら手を振る。いや、それは人んちだし、ちょっとなあ。もう一度缶をふって、奴のコーラを奪うそぶりをすると、朝陽は鼻を鳴らして、面倒くさそうに冷蔵庫の方へ立った。新しいレモンティーが山なりに投げられてくるのをキャッチしながら、僕は思わず笑みを浮かべた。
 ほんと、しぐさ語を発明してよかった。たんに朝陽に言うことを聞かせられるってだけじゃなくて、今となってはこんなに楽な言語もない。元からこいつにだけは合わせてやる気なんかなかったけど、逆に今は、こいつとだけは雑に投げて、雑に返ってきて、それで成立しちゃうんだから。戻ってきた朝陽の手の甲を〈さんきゅ〉と二回叩くと、朝陽は腹いせみたいに、僕の口へポテチをつっこんできた。コンソメ味のかけらがこぼれないように、僕は軽く上を向いてそれを食べた。

 ところで、ずいぶんくつろいじゃってるけど……今、何時だ?

 ゲーセンでのやらかしを思い出してさっと自分のスマホを確認すると、グループLINEに颯太たちからメッセージが届いていた。内容を読んで、僕はほっと息をついた。

「颯太と理央、あと三十分ぐらいで着くって」
「お、早かったじゃん。ゲーム、思ったよりすぐ買えたんだろうな」
「夏帆は、練習もうちょいかかりそうって。ねえ、やっぱ先に、写真再現やっちゃわない?」

 ポテチに伸びかけていた朝陽の手が、なぜかぴたりと止まった。ショート動画の中では、散歩に置いて行かれた犬がふてくされた顔をしている。動画の再生を止めると、朝陽は微妙な顔で僕を見た。

「……なんで? あいつら待たないの?」
「むしろ、待つ必要ある?」

 僕は鼻を鳴らした。

「毎回毎回、公開処刑されなくたっていいでしょ。今度のは、構図も簡単だし。それともお前は、わざわざあいつらに見てほしいわけ?」

 朝陽は、しばらく黙っていた。動画の音声がなくなると、がらんとした家の沈黙が、僕らの間を漂っているみたいだった。僕がじっと見つめていると、ようやく朝陽は頷いて、ゆっくりと立ち上がった。

「そうだな。さっさと終わらせるか。写真、持ってくる」

◇

 家の前の道路には、十分なスペースがあった。車も滅多に入ってこないし、犬の散歩をする人がたまに通り過ぎて行くだけだ。
 僕は写真をポケットにしまう前に、隅々までよく見て、門と自分たちの位置関係をしっかり頭に入れた。この大きさなら、たぶん立ち位置はこのあたりだ。

「じゃあ、もう一歩ぐらい離れて。そう、そこからお前が、右手で僕の左腕を掴む」

 僕は朝陽に背を向けて、左腕を少し後ろに引いた。本当はここから少し前傾姿勢になるんだけど、それは腕を持ってもらってバランスを取った後の方がいい。
 ところが、しばらく待っても、朝陽はいっこうに動こうとしなかった。

「朝陽?」

 僕は振り向いた。

「何待ってんの? もうポーズ忘れた?」
「……なあ」

 朝陽は、腕組みした。ファミレスでこの場所が判明した時から、最近よく見るしぐさだった。

「これ、ほんとにやんなきゃダメか?」
「……は?」

 僕は瞬きした。いきなり、何を言い出すんだろう。

「当然でしょ。場所写真なんだから、これ戻さないと次の出ないじゃん」
「そうだけどさ。別に、今日じゃなくてもいいんじゃね?」
「……じゃあ僕、今日なんのためにここに来たのさ?」
「うーん。なら、再現終わるまで泊まってくか?」

 話が全くかみ合わない。僕は一度ポーズを解いて、朝陽に向き直った。冗談っぽい口調はいつものままだったけど、何となく体のどこかが痛いみたいな、変な顔をしている。僕はポケットから写真を取り出して、ひらひらと振った。

「なんだよお前。なんでこれだけ、そんなにやりたくないの?」
「だって……この構図、なんかダサくね?」
「……僕が転びそうだから?」
「いや。……帰ろうとしてるお前を、俺が引き留めてるみたいなのがさ……」

 朝陽は、僕と目を合わせなかった。まるで、さっきの動画でふてくされてた犬みたいに、アスファルトの割れ目にスニーカーをこすりつけている。
 キスの時ですら僕にちょっかいをかけて面白がっていた男と、同じ奴だとは思えなかった。なんで朝陽がこんなに嫌がるのか、僕にはさっぱりわからない。でも、とにかくこれを再現するのが嫌だってことだけは……今までになく、強く伝わってきた。

 僕は、もう一度写真を見た。夏帆がチェキで撮った、元データのないこれ一枚の写真だ。今までの推理だと、これを再現しないと次の場所写真は出てこない。せっかく有望そうな手がかりだと思ってたのに、これじゃまた一から考え直しだ。

 けど、こいつがそこまで嫌なら……まあ、いっか。

 僕は両手で写真の真ん中を持って、左右に思いきり引っ張った。

「……晴?」

 朝陽が本気でびっくりした顔を、僕は初めて見た。

「なんで……?」
「嫌なんでしょ?」

 僕は言いながら、指先へさらに力をこめた。くそ、紙が分厚くてなかなか破れない。

「じゃあ、これは再現するのやめよう。だから、もういらないでしょ」
「でも……それ、場所写真だぞ。その一枚しかないのに」
「知ってる。だから?」

 つるつるした写真の表面が引き攣れ、白い縁が斜めにゆがんでいく。

「……怒ってるのか?」
「ううん。全然」

 びりっ、と音がして、写真が真っ二つになった。

 構図から解放された僕たちをぐっと手の中に握って、僕はまっすぐに朝陽を見た。

「――お前が嫌がってるなら、僕はしないよ。他の方法さがそ」

 表通りの方を、車が二台ぐらい通り過ぎていった。朝陽は、まじまじと僕を見ていた。ぐっと寄せられた眉の下で、瞳がゆらゆらと揺れている。

「お前……それ、さ」
「何?」
「……いや。別に」

 朝陽がゆっくりと目を伏せた。それからまた顔を上げて、僕を静かに見つめる。そのしぐさ語の意味は……わからなかった。

「そう。じゃ、戻ろ。そろそろ颯太たち来るでしょ」

 僕は軽く言うと、先頭に立って門をくぐった。
 玄関に向かって敷石の上を歩きながら、僕は写真の破片を握りしめてため息をついた。他の方法を探そうとは言ったけど……正直、何も思いついてはいない。でも、場所写真が出始めたのだって突然だったし、待ってればまたなんか新しい手がかりが現れるかもしれないし……

「晴」
「ん?」

 玄関ドアの前で、朝陽に呼び止められた。体の横へ下ろしたままの僕の右手へ、朝陽が手を伸ばしてくる。でも、手の甲を叩こうとした手が、途中で止まった。身を引いた朝陽が、小さく息を吸う。

「ありがとな」

 僕は少しだけ首を傾げた。

「何が?」
「写真のこと」
「ああ。別に――」

 見つめてくる朝陽の真っ直ぐな視線に、僕の言葉が途切れた。

「別に、じゃなくて。……ありがとう、晴」

 僕は、ゆっくりと頷いた。それから、朝陽がドアを開け、僕たちは玄関の中へ入っていった。