写真の中だけ、もうキスしてる

 最悪だった。同じクラスに、僕がもう一人いた。

 新学期三日目で、僕は立花朝陽(たちばな あさひ)がもう嫌いになった。別に、外見が似てるわけじゃない。僕は黒髪だけどあいつは茶髪だし、制服だって僕はあんなふうに適当に着たりしない。でも、とにかくあいつは僕なのだ――やってること、だいたい全部が。



 高校二年の授業は、始業式の翌日からさっそく通常運転だった。休みボケした頭で数字を見てると、普段の倍も疲れる気がする。

(はる)ー、お昼どうする?」

 四時間目が終わって伸びをしていると、去年も同じクラスだった颯太(そうた)がやってきた。いつものちゃっかりした顔で、決めるのを僕に丸投げしてくる。周りのみんなも、なんとなく様子をうかがっている雰囲気だった。新しいクラスだし、まあそうなるよね。

「せっかくだし、みんなで食堂行かない?」

 まだ整然と並んでる机の、一番遠い列まで見渡してにっこり誘う。みんなの顔が、ほっとしたように明るくなった。

「お、いいじゃん。そうしよ!」

「私お弁当だけど、持ってっていい?」

「もちろん、僕も弁当だから大丈夫だよ。七瀬さんと一緒だね」

「わあ、ありがとう!」

「なに晴、またタラシこんでんの?」

「あはは、そうじゃないってば」

 若干きつい自覚のある目つきも、笑えば人畜無害に見えるらしいことは知っている。自己紹介の時からそわそわと周りを見ていた隣の子も、目が合うと嬉しそうに笑ってくれた。

「中野くんも、一緒に行かない? それから、そっちの方のみんなも――」

「なー、食堂もいいけど、中庭行かね?」

 いきなり僕のすぐ後ろから、空気を読まない声が割り込んできた。振り返ると、オオカミみたいな顔をした奴が、人懐っこい笑みでこっちを見ていた。運動部なのか、袖をまくったがっしりとした腕で、消しゴムをぽーんと放り投げる。放物線を描いたそれが、二つ向こうに座る佐伯くんの筆箱にすぽんと入って、その周りから笑い声が上がった。

「……中庭?」

「そう。なんか、休み中にテーブル増えて綺麗になったらしいんだよな」

 その一言で、みんなの注意が、僕の後ろにすっとずれた。

「えっ、マジで?」

「そうなの? めっちゃ気になるじゃん」

「だろ? 行こうぜ、佐伯も来るし」

「おいおい、俺まだ何も……まあ、行くけど!」

「ほらな、これ運命の消しゴムだから。他に付き合ってくれる人ー?」 

「え、行く行く!」 

 笑い声がして、即座に何人かが立ち上がる。隣では中野くんまで、おずおずと立ち上がろうとしていた。え……待ってよ。

 窓辺で、白いカーテンが大きく膨らんでいる。僕は笑顔のまま言ってみた。

「でも、今日けっこう風強いよ。それに、弁当持ってない人もいるんじゃないかな」

「そりゃいるだろ」

 立花が肩をすくめる。開けっぱなしのシャツの胸元で、ゆるんだネクタイがほどけかかっていた。

「だから、来たい人だけ。ってか、お前は来ないの?」

「……いや。僕はいいかな。みんなと食堂行きたいし」 

「そうか? じゃ、後で」 

 立花は軽く頷いて、数人と一緒に教室を出ていった。僕はその後ろ姿を、しばらくじっと眺めていた。……何なんだ。いったい何なんだよ、あいつは。どうして僕の部屋に強盗しにきておきながら、僕にお茶を出すみたいな真似ができるんだ。僕を潰したいのか、手懐けたいのか、どっちなわけ?

「晴、行かないの?」

「え? ああ」 

 颯太の声で我に返った僕は、すぐに笑顔に戻って立ち上がった。

「行こ、食堂! 混んできちゃったら、みんなと一緒に座れないし」 

 ガタガタと椅子を引く音がして、残ったみんながついてきてくれる。さっき立花について行った人数より、こっちの方が多い……気がした。

 その後も、似たようなことが続いた。

 休み時間に一人でいる子に話しかける頃合いを見ていたら、立花がもう妙なあだ名で笑わせていた。ムカつく。

 教室移動で迷ってる子に声をかけようとしたら、立花が自分も道を知らないくせに一緒に出ていった。ほんとムカつく。

 そんな僕の視線に、立花が気づかないわけはなかった。しかも最悪なことに、気づいたうえで、一切遠慮する気がないらしかった。僕だって気にしたくなかったけど、こればっかりは席順が悪い。十六番の高瀬晴と、十七番の立花朝陽。絶望的に相性が悪いのに、席は前後で、やることなすこといちいちかぶる。

 ――だから、こういう大惨事になったんだ。

 新学期が始まって一週間がたつころ、最初のロングホームルームで係決めがあった。だいたいの係は何とか決まったけど、学級委員だけがまだ誰も立候補していない。

「誰かいないか? これが決まらないと、帰れないぞ」

 先生が催促しても、みんな目を上げない。押し付け合うような、嫌な沈黙だった。誰かが終わらせてくれることを、みんな願ってる。やっぱり僕、こういう空気、好きじゃないんだよなあ……。

 小さくため息をついて、僕は手を挙げた。先生の目が、ほっとしたようにこっちへ向いた。

「お。高瀬――」

 その途中で、視線がなぜか僕の後ろへずれる。僕は一瞬で背筋が凍った。嘘だろ。やめてよ、まさか―― 

「――と、立花」

 僕は、ゆっくりと振り返った。立花も、こっちを見ていた。

「やりたい?」

「お前がやりたいなら邪魔しないよ?」 

「ううん、立花くんの方がきっとまとまるよ」

「俺は、早く部活行きたくて手を挙げただけだから」

 笑顔で応戦する僕らとは対照的に、犠牲者が二人もできたクラスは急に緊張を解いていた。

「もう二人でやれば?」

「ははっ、人たらしコンビじゃん!」

「じゃあ、二人にお願いしていいか?」

「……もちろんです」

「いいっすよ」

 先生には笑顔で答えながら、机の下でぎゅっと消しゴムを握りつぶす。最悪だ。ほんと、自分が二人いるみたい。しかも、僕と違ってお前は何も考えてないくせに。ほんとお前、何なの?

「ねえ。立花くん」

「ん?」

 帰りの挨拶が終わるなり、僕は後ろを振り返った。一週間でこんな調子なら、この先一年も耐えられるわけがない。もう、黙ってられそうになかった。

「そろそろ、やめてくれないかな。ほんと迷惑なんだけど」

「何が? 学級委員のこと?」

「それだけじゃないよ。周りのこと見ないで、勝手に自分のペースで話進めるなって言ってるの」

「そうか?」

 立花が笑った。

「そう思ってるの、高瀬だけじゃない? お前はちゃんと人のこと見て、欲しそうな答え選ぶもんな」

「……それの何が悪いの?」

「悪いなんて言ってない。俺はやらないってだけ」

「だったら――」

 立花の目が、光ったような気がした。

「俺、いちいち人に合わせて、全員に好かれようとはしてないから――お前みたいに」

 気づいたら、僕は立ち上がっていた。衝動的に手を伸ばして、立花のネクタイを引っ掴む。目の前が、真っ赤になっていた。

「うわ、晴が怒ってる!」

 颯太が珍しそうに笑って、スマホを取り出した。なんだなんだと数人が振り返り、みんなの視線が僕らに集まる。でも僕には、とにかく憎たらしいこの男しか見えなくなっていた。

「そろそろ、黙ってて、くれないかな」

 歯を食いしばってるせいで声が低くなる。目と鼻の先で、立花が犬歯を見せて笑った。

「何が? 俺、さっきから何も言ってないけど」 

「揚げ足取らないでよ。お前のそういうの全部、黙れって言ってんの」

「何ムキになってんだ? ってか離せよ、部活遅れちゃう」

「ああそう。だったら――」 

「――えっ、晴?」

 突然、颯太の素っ頓狂な声が割り込んできた。

「……何? 僕いま忙しいんだけど」 

「え、ちょっと待って。晴、これ……」

 ちらりと目を向けると、颯太は信じられないような顔で、スマホを見つめていた。近くに残っていたクラスメイトが数人、覗き込んで爆笑している。

「えっ、うそ! 何これ」

「お前ら、何してんの?」

「何が……?」

 さすがに眉をひそめた僕に、颯太が笑いながらスマホの画面を向ける。そこに映ってる写真を見て、僕の口があんぐり開いた。

 画面の中の僕は、立花のネクタイなんて掴んでいなかった。代わりに掴んでいるのは、立花のはだけかけたシャツの胸元だ。立花も僕を押し返すどころか、片腕を僕の腰に回し、もう片方の手で後頭部を優しく引き寄せていて――



 僕たちは、キスしていた。