【完結】写真の中だけ、もうキスしてる

 最悪だった。同じクラスに、僕がもう一人いた。

 新学期二日目で、僕は立花朝陽(たちばな あさひ)がもう嫌いになった。別に僕らは、外見が似てるわけじゃない。女子が言うには、僕がさわやか系であいつがワイルド系のイケメンらしいけど、正直言って笑える。スカした茶髪に着崩した制服なんて、かっこいいんじゃなくてただ雑なだけなのに。僕みたいにちゃんとした人間とは全然違う。

 それでも、あいつはとにかく僕なのだ――やってること、だいたい全部が。



 高校二年の授業は、始業式の翌日から始まっていた。さすがの僕も休み明けで、黒板に書かれた呪文みたいな数式を解読していると、普段の倍も疲れる気がする。

「晴(はる)ー、お昼どうする?」

 四時間目が終わって伸びをしていると、去年も同じクラスだった颯太がやってきた。魚屋の鉢巻きが似合いそうな威勢のいい顔立ちに、いつものちゃっかりした笑みを浮かべている。
 クラスを見渡すと、何人かがそれとなくこっちを見ていた。初日だからか、みんなもお互いに様子をうかがってるみたいだ。こういう時は、僕の出番だった。

「せっかくだし、みんなで食堂いかない?」

 机の一番遠い列まで見渡して、にっこりとみんなを誘ってみる。結果は狙い通り。教室の空気が、ほっとしたように明るくゆるんだ。

「お、いいじゃん。そうしよ!」
「私お弁当なんだけど、一緒に行ってもいいかな……?」
「もちろん! 僕も弁当だよ。七瀬さんと一緒だね」
「なに晴、またタラシこんでんの?」
「あはは、そういうんじゃないって」

 人に好かれるなんて、簡単だった。言って欲しそうな言葉を読んで、ただそれに合わせてあげればいい。そうすればみんな喜んで、次も僕を頼ってくれる。そうやって、自然と輪の真ん中に自分の居場所ができていくのが、僕はけっこう気に入っていた。うん。今年のクラスでも、これでうまくいきそうだ。自己紹介の時にそわそわと周りを見ていた隣の子も、僕と目が合うと嬉しそうに笑ってくれる。

「中野くん、だよね? 一緒にお昼いかない? それから、そっちの方のみんなも――」

「なー、食堂もいいけど、中庭行かね?」

 空気を読まない声が割り込んできたのは、その時だった。僕はゆっくりと後ろを振り返った。

 真後ろの席にいたのは、オオカミみたいな奴だった。くしゃっとした茶髪に、はっきりと整った野性的な顔立ち。椅子の背もたれに片肘を引っ掛けたまま、人懐っこい笑みでみんなを見渡している。運動部なのか、袖をまくったがっしりとした腕が、消しゴムをぽーんと放り投げた。放物線を描いたそれが、二つ向こうの佐伯くんの筆箱にすぽんと入って、周りからくすくす笑いが起きる。
 僕は、思わず口元をひきつらせた。こういう雑な行動や割り込み方から読むに……こいつはたぶん、何も考えていない。

「中庭?」
「そう。なんか、休み中にテーブル増えて、綺麗になったらしいんだよな」

 ――なのにその一言で、みんなの視線がすっと奴に向いた。

「マジで? めっちゃ気になるじゃん」
「だろ? 行こうぜ、佐伯も来るし」
「おいおい、俺まだ何も……まあ行くけど!」
「ほらな、これ運命の消しゴムだから。他に付き合ってくれる人ー?」
「え、行く行く!」

 楽しそうな笑い声がして、数人が即座に立ち上がる。気がつけば、隣では中野くんまで腰を浮かせていた。え……待ってよ。僕はちゃんと君を誘ったけど、あいつは適当に集めてるだけだよ? 君は、僕の方が好きなんじゃないの?
 僕は立ち上がって、笑顔で立花に言ってみた。

「でも、今日けっこう風強いよ。それに、弁当持ってない人もいるんじゃないかな」
「そりゃいるだろ。だから、来たい人だけ。ってか……お前は来ないの?」

 立花の目が、初めて僕を真正面から見た。切れ長の目に、面白がってるような色が躍っている。奴がニッと笑みを深くすると、鋭い犬歯がのぞいて、近くの女子がひそひそとささやき合った。……そんな手に、僕が乗るもんか。

「……僕はいいかな。みんなと食堂いきたいし」
「そうか? じゃ、後で」

 軽く頷いて、立花が数人と一緒に教室を出ていく。僕はしばらく突っ立って、奴の背中をにらみつけていた。何なんだ。いったい何なんだよ、あいつは。僕の立ち位置を横取りしておいて、そのくせ僕のことまでたらしこもうとするなんて。まるで、家に入ってきた強盗にお茶を出されたような気分だ。

「晴、行かないの?」
「え? ああ」

 颯太の声で我に返った僕は、すぐに笑顔に戻った。

「行こ、食堂! 混んできちゃったらみんなで一緒に座れないかもしれないし」

 ガタガタと椅子を引く音がして、残ったみんながついてきてくれる。真っ先に来てくれた七瀬さんを迎えながら、僕はさりげなくみんなの数を数えた。さっき立花についていった人数より、こっちの方が多い……気がした。

 その後も、似たようなことが続いた。
 休み時間に一人でいる子に話しかける頃合いを見ていたら、立花がもう妙なあだ名で呼んで笑わせていた。ムカつく。
 教室移動で迷ってる子に声をかけようとしたら、立花が自分も道を知らないくせに一緒に出ていった。ほんとムカつく。

 でも一番ムカつくのは、そんな僕の苛立ちに気づいているはずなのに、立花がいっさい遠慮する気がないらしいことだった。僕だって気にしたくなかったけど、こればっかりは席順が悪い。十六番の高瀬晴と、十七番の立花朝陽。絶望的に相性が悪いのに、席は前後で、やることなすこといちいちかぶる。

 ――だから、こういう大惨事になったんだ。

 新学期が始まって一週間がたつころ、最初のロングホームルームで係決めがあった。だいたいの係は何とか決まったけど、学級委員だけがまだ誰も立候補していない。

「誰かいないか? これが決まらないと、帰れないぞ」

 先生が催促しても、みんな目を上げない。誰かが終わらせてくれますように、っていうみんなの頭の中は、僕じゃなくたって読めるだろう。押し付け合うような、嫌な沈黙だった。まあ……こうなったら、仕方ないか。
 小さくため息をついて、僕は手を挙げた。先生の目が、ほっとしたようにこっちへ向く。ほら。やっぱり、これが正解なんだ。

「お。高瀬――」

 ただしその途中で、視線がなぜか僕の後ろへずれた。僕は一瞬で背筋が凍った。嘘だろ。やめてよ、まさか――

「――と、立花」

 僕は、静かに振り返った。立花も、こっちを見ていた。

「やりたい?」
「お前がやりたいなら邪魔しないよ」 
「ううん、立花くんの方がきっとまとまるよ」
「俺は、早く部活行きたくて手挙げただけだから」

 笑顔で応戦する僕らとは対照的に、犠牲者が二人もできたクラスは、急に緊張を解いていた。

「もう二人でやれば?」
「ははっ、人たらしコンビでいいじゃん!」
「じゃあ、二人にお願いしていいか?」
「……もちろんです」
「いいっすよ」

 不名誉極まりないコンビ扱いに、机の下でぎゅっと消しゴムを握りつぶす。まただ。また、お前だ。僕がちゃんと気遣って、ちゃんと考えて出した結論に、お前は雑に一瞬で着地する。ほんとお前……何なの?

「ねえ。立花くん」

 帰りの挨拶が終わるなり、僕は後ろを振り返った。もうそろそろ限界だった。たった一週間でこんな調子なら、この先一年も耐えられるわけがない。

「こういうの、そろそろやめてくれないかな」
「何が? 学級委員のこと?」
「それだけじゃないよ。周りのこと見ないで、勝手に自分のペースで話進めたら、みんな迷惑するって言ってるの」
「そうか?」

 立花がおかしそうに笑った。横を通り過ぎるクラスメイトに手を上げながら、丸めた紙くずをぽいとゴミ箱へ放る。

「そう思ってるの、高瀬だけじゃない? お前はちゃんと人のこと見て、人のペースでしか話進めないもんな」

 ……胸の奥が、奇妙にささくれ立った。なんだよその言い方。まるで、僕がみんなのためにやってることが、よくないことみたいに。

「……それの何が悪いの?」
「悪いなんて言ってない。俺はやらないってだけ」
「だったら――」

 オオカミの目が、ぎらりと光った……ような気がした。

「俺、いちいち人に合わせて、全員に好かれようとしてないから――お前みたいに」

 気づいたら、僕は立ち上がっていた。衝動的に手を伸ばして、立花のネクタイを引っ掴む。派手な音を立てて、椅子が後ろにひっくり返った。
 ガヤガヤと帰り支度をしていたクラスが、なんだなんだと振り返った。心配するような、面白がるような笑い声がして、いくつかのスマホがこっちに向く。でも僕には、犬歯を見せて笑う、目の前の憎たらしい男しか見えなくなっていた。

「いい加減、黙って、くれないかな」

 食いしばった歯の間から、低い声が漏れる。僕が人に好かれようとすることの、何がそんなにお前は気に入らないんだ。僕はずっとこうやってきたし、それでみんなも喜んでくれたんだ。なんにも考えてないお前みたいなやつに、僕のやり方を否定される筋合いはない。

「何が? 俺、さっきから何も言ってないけど」 
「揚げ足取らないでよ。お前のそういうの全部、黙れって言ってんの」
「何ムキになってんだ? ってか離せよ、バスケ遅れちゃう」
「ああそう。だったら――」

「――えっ、晴?」

 突然、颯太の素っ頓狂な声が割り込んできた。一瞬だけ目を向けると、颯太は信じられないような顔で、スマホを見つめていた。近くのクラスメイトが数人、画面を覗き込んで爆笑している。

「えっ、うそ! 何これ」
「お前ら、何してんの?」
「……なんの話?」

 眉をひそめた僕に、颯太がスマホを向けてくる。どうやら、勝手に僕らの写真を撮ったらしい。でも、そこに映ってる構図を見て、僕の口があんぐり開いた。

 画面の中の僕は、立花のネクタイなんて掴んでいなかった。代わりにそっと手を添えているのは、奴の着崩したシャツの胸元だ。立花も僕を押し返すどころか、片腕で腰を抱き寄せ、反対の手で後頭部を優しく引き寄せていて――


 あれだけ喧嘩してたはずなのに、写真の中の僕たちは、なぜかキスしていた。