僕は君の運命じゃない

 律は普段、我儘なんてほとんど言わない。
 たいていのことには「なんでもいい」「どうでもいい」と答えて、自分の好みや考えを人に押し付けることもない。
 でも、美紀さんに関わることだけは、絶対に譲らない。
 それなのに昨日、僕が別の曲も考えてみないかと言ったとき、律は怒らなかった。次の練習で創とつばめの意見も聞くと約束してくれた。
 思っていたより穏やかに話が終わったから、僕はすっかり安心していたんだ。

 翌朝、自宅の最寄り駅に着くと、改札の外で待っていた律は、僕を見つけてもいつものように肩を抱いてこなかった。
 前髪の隙間から見える目元には、寝不足っぽい薄い影がある。考え事をして夜更かししたんだろうとは思ったけれど、昨日の話が原因だとは考えたくなかった。
 電車に乗り二駅目で降りて、学校まで並んで歩き始めても、律は妙に口数が少ない。僕が話題を振っても、生返事を返すだけ。
 通学中の生徒たちが僕たちを追い越していくなか、律はしばらく歩道の白線を見ていたけれど、交差点の手前でようやく口を開いた。

「昨日、一晩考えたんだけどさ。俺、今までめぐに甘えすぎて、無理させてたよな。だけどもうこれからは、美紀を探すの手伝ってくれなくていいよ」

 思いやりのある言葉のはずなのに、僕にはいきなり解雇通知を渡されたみたいに聞こえた。
 世界一報われない仕事だと自分でも思っていたのに、いざ辞めていいと言われたら、素直に喜べるわけがない。
 律と一緒に原宿を歩くことも、彼の歌にギターを重ねることも、僕が自分でそうしたくて選んできたことだったからだ。

「待ってよ。昨日のは、そういう意味で言ったんじゃないよ」
「でも、バンドの全部を美紀のためにするのは違うって言ったじゃんか。それって、今までは無理して付き合ってたってことじゃないのかよ?」
「違うよ。美紀さんを探すことと、コンクールの曲は別に考えてほしいって言っただけだし」
「同じじゃないのか?」
「同じじゃないよ。コンクールに出るのは四人だし、律以外は別に美紀さんを探すためにバンドをやってるわけじゃない。東京に美紀さんを探しに行くときは律と僕の二人だけだからいいけどさ」

 そこまで言ってから、自分の言葉に少し引っかかった。
 まるで僕だけは律のためなら何でもするって、自分から白状しているみたいじゃないか。
 けど、律は僕の失言に気づいていないらしく、不思議そうに眉を寄せた。

「めぐにだけなら、無理させてもいいのか?」
「どうしてそうなるんだよ。そもそも僕は無理してないって言ってるの」
「名古屋から東京までついてきて、休みの日を一日使って、俺が人の顔ばかり見てる横で買い物してるじゃん」
「僕だって原宿に行きたいんだよ」
「この前、何も買わずに帰ったじゃん」
「欲しい服がなかっただけだし」
「その前は靴下しか買ってない」
「原宿まで行って買う靴下には、特別な価値があるんだよ」

 苦しい言い訳だって、自分でもわかっている。
 律も納得していないらしく、横から僕の顔をのぞき込んできた。

「じゃあ、なんで毎回来るんだ?」

 本当の理由なら簡単だ。
 律と一緒にいたいから。たとえ律が僕じゃない人を探していても、その隣を他の誰かに譲りたくないから。
 でも、それをそのまま伝えたら、僕の片想いまでまとめてバレてしまう。

「友達だからに決まってるじゃん。律一人で行かせたら、昼飯も食べずに歩き回りそうだし」
「食べるよ」
「前に夕方まで水しか飲んでなかった人が言っても、説得力ないからね」
「めぐがいれば、何か買ってくれると思ってたわ」
「そういうのを甘えすぎって言うんだよ」

 僕が呆れたふりをすると、律の目元から張りつめていたものが少しだけ薄くなった。
 どうやら昨日の話を、僕が今までの全部を嫌がっていたって意味に受け取ったらしい。普段はびっくりするくらい他人の評価を気にしないくせに、変なところで考え込みすぎなんだよな。

「だから、次に東京に行くときも誘って。行けないときや行きたくないときは、ちゃんと断るからさ」
「本当に無理してないか?」
「してないよ。僕が自分で行きたいから一緒に行ってるんだよ」
「そっか」

 律はようやく納得すると、歩きながら僕の肩に腕を回した。
 さっきまで僕を解放しようとしていたくせに、了承を得た途端、距離感まで元に戻すのはどうなんだろう。
 安心してる僕も僕だけどさ。

「それで、コンクールの曲なんだけど」

 律が僕の肩を抱いたまま話題を変える。

「うん。決めたの?」
「美紀のための曲はやめるわ」
「本当にいいの?」
「よくはないけど、コンクールは俺一人のものじゃないっていう、めぐの意見は正しいと思うし。ライブではこれまでどおり歌うし、探すのをやめるわけでもないけどな」
「それなら、創が推してた曲にする?」
「いや、新しい曲を作ろう」
「今から?」
「三か月もあるだろ」

 律にとって三か月は、ずいぶん長い時間らしい。
 作曲して、編曲して、歌詞をつけて、全員で合わせて完成度を上げなきゃならない。僕には三か月しかないように思えるんだけど、この違いは何なんだろうな。

「今ある曲は、つばめが入る前に作ったものばかりじゃん。創のベースも、めぐのギターも、去年より上手くなってる。それが全部わかる曲を一から作ったほうがいい」
「律の歌も?」
「俺も去年より上手くなってる……はずだけど」
「そこだけ急にちょっと自信なくなるんだ」
「自分の声は自分じゃよくわからんわ。めぐはどう思う?」
「上手くなってるよ。前より高い音も安定してるし、低いところも無理に格好つけなくなった」
「前は格好つけてたのか?」
「ちょっとだけね」

 僕が笑うと、律は不満そうに腕に力を込めて、僕の髪をくしゃくしゃとかき乱した。
 そのまま校門を通ったせいで、近くにいた一年生の女子たちが僕たちを見ている。
 朝から男同士で何してるんだと思われているんだろうか。

「放課後、三人にも話すわ」
「僕から言おうか?」
「俺が言う。めぐにばかり任せたら、また甘えてるって怒られるからさ」
「怒ってはいなかったけど」
「じゃあ、呆れられる」
「それは少しある」
「ひどいな」

 そう言いながら、律は僕の肩から腕を外さなかった。