僕は君の運命じゃない

 律と僕は、部活のない日も一緒にいる。
 学校でも、バンドでも、バイトでも一緒。これだけ生活が重なっているのに、僕の肩書きはずっと「親友」のまま。
 ……まあ普通に考えたら、当たり前か。男同士なんだから。
 バイト先は、学校の最寄り駅から歩いて三分ほどのハンバーガー店だ。
 求人を見つけたのは僕だったのに、律は店名を聞いたその日のうちに同じ店に応募した。どうしてわざわざ合わせるのかと尋ねたら、「めぐと一緒のほうが楽しいから」と、僕の心臓に悪いことを何でもない顔で言ったんだ。
 律にとっては、親友と同じバイト先を選んだだけ。
 僕にとっては、部活がない日にも好きな人と会える理由が増えた。
 同じ出来事なのに、受け取り方が違いすぎると思わない?
 そんなわけで今日も、僕たちは放課後になると店に直行し、制服から紺色のポロシャツと赤いエプロンに着替えた。
 二人とも担当は厨房だ。律は注文に合わせてハンバーガーを作り、僕は主にポテトやチキンを揚げている。
 夕方の店内は、学校帰りの高校生や仕事を終えた人たちで混雑していた。注文を知らせる電子音が途切れず、モニターには新しい番号が次々と並んでいく。
 僕が油から引き上げたポテトに塩を振る隣で、律はバンズに具材を重ねていた。
 レタス、ソース、パティ、チーズ。長い指が迷いなく動き、完成したバーガーを紙で包んでいく。
 律は普段、忘れ物ばっかりするくせに、注文の組み合わせだけはほとんど間違えない。新商品の作り方も一度で覚えるので、店長からの評価も高かった。
 僕も次のポテトを油の中に入れた。タイマーを押すと、立ち上る熱気が頬にまとわりついてくる。
 だけど今日の僕には、フライヤーの暑さより困る問題があった。
 三か月後に開催される、全国高校生軽音楽コンクール。
 僕たち『リーインカーネーション』も出場する予定なんだけど、演奏する曲がまだ正式に決まっていない。
 いや、律の中ではとっくに決まっている。ライブハウスでも定番の、美紀さんに向けたあの曲だ。
 ところが、創とつばめは別の曲で挑みたいと考えているらしいんだ。
 一昨日の練習の後、律が先に防音室を出たところで、二人から相談された。
 創は去年と同じ選曲だと審査員に成長を示しにくいと考えていて、つばめは現在の四人の演奏をもっと活かせる曲にしたがっている。
 それだけなら、次の練習で本人たちから話せばいい。
 なのに二人は、律を説得する役を僕に任せてきた。

「遠野は、篠宮の話なら聞く」

 創にはそう言われた。

「篠宮先輩から言ってもらったほうが、絶対に話が早いです」

 つばめまで同じ意見だった。
 僕はいつから律専門の説得係になったんだろう。
 とはいえ、二人が直接言いにくい理由もわかっている。
 去年、つばめが入部する前にも、僕たちは三年生の先輩ドラマーと共に、あの曲でコンクールに出場した。そして結果は、一次予選敗退だった。
 演奏の完成度が足りなかったことももちろん原因だと思う。
 それでも創は、一年かけて技術を磨いたからこそ、全く別のアプローチができる曲で勝負したいらしい。
 つばめにとっては、高校生になって初めて挑戦する大きな大会だ。去年と同じ曲で、同じ結果を繰り返したくないという気持ちは当然だと思う。
 一方で、律があの歌にこだわる理由も、僕は誰より知っている。
 大勢が注目するコンクールで演奏すれば、普通の対バンライブより遠くまで届くかもしれない。勝ち進んでバンドの名前が広く知られれば、美紀さんが見つけてくれる可能性も高くなる。
 律にとってあの曲は、単なる持ち歌じゃない。
 宛先のわからない手紙であり、自分はここにいると知らせるための目印なんだ。
 だから僕は、どちらの味方にもなりきれなかった。
 勤務時間が終わり、交代のスタッフが来た後、僕と律は店長に挨拶して更衣室に入った。
 従業員用の更衣室は狭く、壁際に2段組みの細いロッカーが並んでいる。
 揚げ物の匂いが染みついたポロシャツを脱ぎ、学校のワイシャツに袖を通した。
 隣では、律が帽子の中に押し込んでいた髪をほどいている。窮屈そうに曲がっていた金色の毛先が肩に落ち、何度か指を通すと、いつもの緩いハーフアップに戻った。

「そういえば、次の練習でコンクール用に間奏を変えようかと思ってるんだけどさ」

 鏡を見ながら髪を結び直していた律が、僕より先にコンクールの話を始めた。

「あの曲、今よりギターを目立たせたほうがいいと思う。間奏を八小節増やして、後半はめぐに任せたい」
「僕のソロを増やすの?」
「うん。去年より絶対よくなる」

 どうしよう。
 僕が話しにくいと思っているときに限って、律はこんなふうに僕を喜ばせる。
 好きな人から、自分の音を必要としていると言われる。ギタリストとして嬉しくないわけがないし、僕の演奏を信じてくれていることまで伝わってくる。
 このまま頷けば、少なくとも律は喜ぶだろう。
 けれど、そのために創とつばめの気持ちをなかったことにはできなかった。

「律。コンクールの曲なんだけど」
「うん。だから間奏を――」
「別の曲も考えてみない?」

 ネクタイを手に取ろうとしていた律の動きが止まり、黒い瞳が鏡越しに僕を見た。

「創とつばめに何か言われたん?」
「二人とも、別の曲で出たいって思ってるみたい。僕から律に話してほしいって頼まれたんだ」
「めぐなら俺を説得できると思ったんだな」
「たぶん。でも、僕は説得するつもりはないよ」

 そう答えながらネクタイを結ぼうとしたけれど、指に余計な力が入り、結び目が変な形になった。
 僕はロッカーの扉を見つめながら言葉を探す。

「ただ、僕の意見も聞いてほしい。僕も、コンクールでは別の曲をやってみてもいいと思ってる」
「めぐも、あの曲じゃないほうがいいのか?」
「あの曲が嫌なわけじゃないよ。僕は好きだし、これからも律の隣で弾きたい。美紀さんに届けばいいとも、本気で思ってる」

 口にしてみると、自分でも不思議な言葉だった。
 僕は律の恋人が見つかることを恐れているのに、その相手に歌を届ける手伝いをしている。矛盾しているけど、どっちも僕の本音なんだから仕方がない。

「だったら、あの曲でいいじゃんか。コンクールなら、いつものライブよりたくさんの人に聞いてもらえるし」
「そうかもしれない。でも、去年は一次予選で落ちたよね」
「今年は演奏も上手くなってる」
「うん。でもさ、律。同じ曲で挑戦することだけが、美紀さんを見つける方法じゃないと思うんだ」

 律の眉がわずかに寄る。
 歌う曲を変えてほしいだけなのに、律にとっては美紀さんを探すなと言われているように感じたのかもしれない。
 だからこそ、僕は自分の考えだけを押しつけないように言葉を続けた。

「創には創の目指す音楽があるし、つばめは今年が初めてのコンクールじゃん。僕も、今の四人でできる一番いい演奏をしたい。別の曲で決勝まで勝ち進んで、たくさんの人にうちのバンドを知ってもらえたら、その後にあの歌を聞いてくれる人も増えるかもしれないじゃんか」
「めぐは、俺が美紀を探すのを手伝ってくれるんじゃなかったのか」
「手伝うよ。でも、手伝うことと、バンドの全部を美紀さんのためにすることは違うと思う」

 ようやく律の顔を見た。
 怒っているようには見えなかったけれど、いつもより考え込むような目で僕を見返していた。
 僕がこんな意見を言うとは思っていなかったのだろう。
 当然かもしれない。これまでの僕は、律があの曲を歌いたいと言えば一緒にギターを弾き、東京に探しに行くと言えば買い物を理由についていった。
 律の願いを否定すれば、隣にいる資格までなくなるような気がしていたんだ。
 でも、創もつばめも僕の大事なバンド仲間だ。二人の気持ちを踏み台にして律の望みだけを叶えたら、たとえコンクールに出られても、僕が好きだった四人の音ではなくなってしまう。

「めぐ、それは十分説得してると思うわ」
「してないし。あくまで僕の意見を言っただけだし」
「言い方がずるいわ。美紀に届けるためにも別の曲がいいかもしれないなんて、反対しにくいじゃんか」
「反対してもいいよ。次の練習で、みんなで話そう」

 律は結びかけの髪をいったんほどき、最初から束ね直した。考え事をしているときに同じ動作を繰り返すのは、昔からの癖だ。

「わかった。次の練習で、創とつばめの意見も聞くわ」
「本当に?」
「めぐがそこまで言うなら、考えるわ。ただし、まだ別の曲にするって決めたわけじゃないからな」
「うん、それでいいよ。僕も今ここで決めてほしいわけじゃないし」

 話を聞いてもらえただけで、ようやく体の力が抜けた。
 曲が変わっても、あの歌を二度と演奏できなくなるわけじゃない。律が美紀さんを探すことも、僕たちがバンドで上を目指すことも、どちらか一つしか選べない願いではないはずだ。
 律はロッカーから鞄を取り出すと、僕の曲がったネクタイに気づき、結び目をつかんで直してくれた。

「ちゃんと考えるよ。めぐのギターが一番格好よく聞こえる曲にしたいからな」

 顔のすぐ近くでそんなことを言われたら、さっきまで真剣に悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらい、簡単に浮かれてしまう。
 律は結び目を整えると満足したらしく、僕の肩に腕を回して更衣室を出た。
 コンクールの一次予選を通過する前に、僕はまず、この居心地のよすぎる親友枠からどうにかして勝ち上がりたいんだけど、無理だろうな。
 例え恋愛対象として見てもらえる日が来たとしても、最終決勝の相手は前世からの運命の人だなんて、無理ゲーすぎる。
 それって軽音の全国大会より難しくない?