僕は君の運命じゃない

 全国本選の翌週、放課後の練習を終えた僕と律は、並んで校舎を出た。
 あの日の翌朝も、その次の日も、律は約束どおり駅で僕を待たなかった。
 待ちきれなかったと言って、早く起きて僕の家の前まで迎えに来たのだ。
「一秒でも早く会いたかったから」なんて言われ、嬉しすぎて天まで舞い上がってしまいそうだった。
 電車の中では僕を混雑から守るように両腕で囲み、電車を降りてからも、学校に着くまで何度も僕の手に触れようとしては、人目を気にして引っ込める。
 付き合う前なら平気で肩を抱いていたくせに、恋人になった途端、律は妙に慎重になった。
 していることだけを並べれば、親友だった頃とあまり変わらない。
 それでも、肩が触れるたびに別の誰かを思い浮かべているのではないかと疑わなくていいし、律が「好き」と言えば、その言葉が僕に向けられているのだと受け取れる。
 夢みたいな毎日が、一週間経っても終わらない。
 それどころか、朝が来るたびに昨日より現実らしくなっていく。


 下校時、昇降口を出ると、律は僕の耳元でこんなことを囁いた。

「校門を出たら、手をつないでもいい?」
「どうして校門を出てからなの?」
「学校の中では嫌かと思って」
「律がそんな気を遣うようになったの、少し怖いんだけど」
「恋人になったから、大事にしたい」
「親友のときは大事じゃなかったの?」
「大事だった。でも今は、触るたびにめぐが嫌じゃないか考える」

 付き合う前には何年も勝手に距離を詰めてきた人が、恋人になった途端に慎重になっている。
 面倒だと思うより先に、それだけ僕との関係を大切にしようとしているのだとわかってしまった。

「嫌なら言うよ。だから、毎回そんなに緊張しなくていいよ」
「じゃあ、校門を出たら手をつなぐ」
「そこは決定なんだ」
「嫌?」
「嫌じゃない」

 僕がそう答えると、律は満足そうに笑った。

「校門、出たよ」
「そうだね」
「手、つないでもいい?」
「いいよ」

 差し出された手を握ると、律はすぐに指を絡めてきた。
 ただ手のひらを重ねるだけだと思っていた僕より、ずっと恋人らしいつなぎ方だった。
 すれ違う生徒の視線が気にならないわけではない。それでも、離そうとは思わなかった。

「めぐ、次の日曜、空いてる?」

 その尋ね方には覚えがあった。

「空いてるけど、どうしたの?」
「デートしたい」

 以前は、買い物という言葉を勝手にデートに置き換えて、一人で期待して、一人で諦めた。
 今度は律の口から、はっきりデートだと言ってくれた。

「どこに行くの?」
「まだ決めてない。めぐが行きたいところに行きたい」
「律が決めるんじゃないの?」
「二人で決めたい」

 前世の記憶をたどるためでも、誰かに渡す物を選ぶためでもない。
 僕と律が、二人で過ごすための休日だ。

「じゃあ、あとで一緒に考えよう」
「うん」
「でも、律が行きたいところも言ってよ。僕の希望だけで決めるのはデートじゃないだろ」
「俺は、めぐと一緒ならどこでもいい」
「そういう答えが一番困るんだって」
「じゃあ、めぐの家」
「いつも行ってるじゃん」
「恋人になってからは、まだ行ってない」

 律にとっては、それだけで別の場所になるらしい。
 僕だって、今の関係で二人きりになることを想像しただけで、つないだ手まで熱くなった。

「……日曜じゃなくても、今日来れば?」
「いいの?」
「僕のノートを勝手に見たりしないなら」
「見ない。今日はめぐだけ見てる」
「そういうこと、急に言うのやめてよ」
「どうして?」
「幸せすぎて、本当に死んじゃいそうだから」

 僕が冗談めかして言うと、律は足を止めた。

「死なないで」
「本気にしなくていいよ」
「困る。これから一緒にやりたいことがたくさんあるから」
「例えば?」
「デートして、手をつないで、めぐのギターを一番近くで聞いて、家に泊まりに行きたい」
「今までとあんまり変わらなくない?」
「それから、毎日好きって言いたいし、キスもしたい」
「それは今までと違うね」
「してもいい?」

 律が少しだけ顔を寄せる。
 人通りの多い道ではないけど、学校からそれほど離れてもいない。誰かに見られる可能性はある。
 それでも、律の恋人になれた幸福を隠すために、今さら一歩下がる気にはなれなかった。

「一回だけだよ」
「うん」

 律が僕の頬に触れるより先に、僕は背伸びをして彼の唇に触れた。
 驚いた律の手が宙で止まる。

「僕からしたら駄目なの?」
「駄目じゃない。びっくりしただけ」
「だったら、そんな顔しないでよ」
「もう一回して」
「一回だけって言っただろ」
「今のは、めぐからした分だから。俺からはまだしてない」
「そんな数え方ある?」
「ある」

 律は本気で言っているらしい。
 僕が笑うと、その隙を狙うように頬を包まれ、もう一度唇が重なった。
 さっきより少し長く触れたあと、律は僕の額に自分の額を重ねた。

「めぐ、好き」
「知ってる」
「知ってても言う。明日も、その次の日も言う」
「じゃあ僕も、何度でも答えるよ」
「何て?」
「律が好き」
「じゃあ、今日めぐんちに泊まってもいい?」
「……そんな急に?」
「急じゃないし。今までも泊まってたじゃん」

 絡めた指も、近すぎる顔も、唇に残る熱も、全部が現実だった。
 僕は君の運命じゃない。
 前世から決められていた相手ではなく、今日の君が好きになり、明日の君がもう一度選んでくれる恋人だ。
 だから僕も、決められていない未来の一日ずつで、何度でも君を選んで、何度でも君に恋をするよ。