律がバンドに戻ってから東海地区大会まで、残されていたのはたった十二日だった。
翌朝、いつもの駅で僕を待っていた律は、謝るより先に僕の鞄を持とうとした。東京まで追いかけさせた埋め合わせのつもりだったらしいけれど、僕が断ると、今度は飲み物を奢ると言い出した。
「そうやって何でも返そうとしなくていいよ。これから練習を休まずに、東海大会でちゃんと歌ってくれれば十分だから」
「それが一番難しい注文かもしれない」
「できないと思ってるの?」
「できるようにする。ただ、前と同じように歌えるかはわからない」
美紀さんが存在しなかったと知る前と、気持ち的にまったく同じには戻れないのだろう。律が歌ってきた理由も、客席に求めていた姿も、もうどこにもないんだから。
それでも律は学校に来て、防音室に入り、マイクを握った。変わってしまったことを隠さず、今の自分が出せる声で『現在地』を歌おうとしていた。
練習を再開した最初の数日は、高い音が不安定だった。律は失敗するたびに最初からやり直そうとしたけど、三度目で創が演奏を止めた。
「遠野、今日はここまでにしたほうがいい。焦って喉を傷めれば、本番に出られなくなる」
「まだ一時間も歌ってない」
「昨日までほとんど食事も睡眠も取っていなかった人が、普段と同じ条件で考えないでください」
つばめがペットボトルを律に差し出した。蓋はすでに緩められていて、受け取る以外の選択肢を与えないところに彼らしい気遣いが表れている。
「でも、遅れた分を取り戻さないと」
「遅れてないよ。律がいなかった二日間、僕たちも完成形では練習できなかったんだから」
「俺のせいで、三人まで止まったってことだろ」
「違う。四人そろわないと先に進めない曲を、僕たちで作ったってこと」
律は反論しようとしたものの、創とつばめまで僕に頷いたため、諦めて水を飲んだ。
以前の彼なら、こんなふうに自分の不調を三人に預けなかったかもしれない。美紀さんのためなら、声が出なくなる寸前まで歌い続けただろう。しかし今は、一人で背負い込もうとするたびに僕たちが止め、その代わり、誰かが失敗した日は律も当然のように待ってくれた。
創がイントロの入りを何度も調整すれば、律は黙って同じ小節を歌い直した。つばめが後半のリズムを変えたいと言えば、全員で彼の納得する形を探した。僕がギターソロの最後で音を外したときには、律が自分も歌詞を間違えたことにして、もう一度やろうと言ってくれた。
-------------
東海地区大会の当日、出演を待つ控室で、律は何度も両手を握ったり開いたりしていた。
緊張すると手が冷たくなるのは昔からだけれど、美紀さんのことがわかってから、人前で歌うのは今日が初めてだった。
客席にいるはずのない人を探し続けてきた律にとって、ステージそのものが以前とは違う場所に見えているのかもしれない。
「めぐ、俺、どこを見て歌えばいいと思う?」
「好きなところを見ればいいじゃん」
「前は客席を見れば、その中に美紀がいるかもしれないって思えた。でも今は、誰に向かって歌えばいいのかわからない」
僕は背負っていたギターを下ろし、律の正面に立った。
「客席を探さなくていいよ。創のベースと、つばめのドラムと、僕のギターを聞いて。それでも顔を見たくなったら、後ろを向けば僕たちがいるから」
「演奏中に何度も後ろを向かれたら困る」
機材を確認していた創が口を挟む。
「見るならギターソロの前後にしてくれ。そのほうが演出として自然だ」
「僕はいつでも構いません。律先輩が振り返るところまで想定して叩きます」
「二人とも、振り返る前提で話を進めるんだ」
「めぐがそうしろって言ったんだろ」
律の手はまだ冷たかったけれど、指先から余計な力は抜けていた。
ステージ袖に移動すると、僕たちは四人で手を重ねた。誰が最初に言い出したわけでもなく、創の手の上につばめが置き、僕が続くと、律が最後に三人分を包んだ。
「全国に行こう」
律の言葉に「おー!!」と返し、僕たちは重ねた手を押し返した。
演奏が始まってからのことは、細かな順番では思い出せない。創のベースが会場の床を伝い、つばめのドラムが背中を押し、僕の指は何度も弾いた旋律を追いかけた。
律は客席の中に誰かを探さなかった。
最初の歌詞に入る直前、彼は僕たちの音を確かめるように振り返り、それから前を向いた。そして『君の声が、僕の現在地を教えてくれる』と歌った。
結果発表でリーインカーネーションの名前が呼ばれ、僕らの優勝と全国大会への出場が決まった。
つばめは泣いていないと言い張りながら何度も頬を拭い、創は賞状を受け取る役目を律に押しつけたくせに、誰より長くその文字を眺めていた。
律は賞状を持ったまま、僕たち三人をまとめて抱き寄せた。長い腕の中で創の眼鏡がずれ、つばめの頭が僕の顎に当たり、感動的な抱擁というには窮屈すぎたけれど、誰もすぐには離れようとしなかった。
「三人とも、俺を戻してくれてありがとう」
「僕たちは脱退を認めなかっただけだ。戻ると決めたのは遠野だろ」
「律先輩、全国大会の前に、また辞めるなんて言わないでくださいね」
「言わない。もう一人で決めないって約束する」
律はそう答えると、僕の肩を抱いたまま、もう片方の腕を創とつばめにも回した。
この数日、律は以前のように僕に触れなくなっていた。頼りすぎていたことを気にしているのか、それとも僕が嫌がる可能性をようやく考えるようになったのか、並んで歩いていても、伸びてきた手が途中で止まることがあった。
だから、久しぶりに肩に感じた重さを、僕は振りほどけなかった。
美紀さんがいなくなれば、自分にも好きになってもらえるチャンスがあるかもなんて、考えたことはない。
律が失ったものは、僕が代わりに収まれるような場所じゃない。
それでも、彼が誰もいない客席じゃなく、僕たちのことを思って歌ってくれたことだけは、都合のいい勘違いに変えず、そのまま受け取ってもいい気がした。
その日の帰り、四人で撮った写真には、賞状を持つ律を中心に、創とつばめと僕が肩を寄せて写っていた。
律がこれまで残してきた写真には、いつも美紀さんが見つけてくれることへの期待があった。
でも、その一枚を誰より大切そうに保存した理由は、まだ見ぬ誰かに見せるためじゃなかった。
-------------
東海地区大会の翌週、教室で進路希望調査の用紙が配られた。
僕らはまだ二年生だから、今すぐ進学先や就職先を決める必要はない。それでも全国本選への出場が決まってから、顧問や担任に卒業後も音楽を続けるのかと聞かれる機会が増えた。
以前の律なら、東京に行って美紀さんを探しながら音楽を続けると迷わず答えただろう。
ところが昼休みに律の席を見ると、彼の用紙は名前以外すべて空欄だった。
放課後、僕たちはそれぞれの進路希望調査を防音室の床に並べた。大会の反省会をする予定だったのに、つばめが律の白紙を見つけたせいで、話題が卒業後のことに変わった。
「律先輩、本当に何も決まっていないんですか?」
「前は東京に行くつもりだった。でも、行く理由がなくなったから」
「音楽までやめるつもりじゃないだろうな?」
創に確認され、律は首を横に振った。
「歌は続けたい。美紀に見つけてもらうためじゃなくて、俺が三人と演奏したいから続ける」
以前なら、律が将来の話をするとき、どんな道も最後には美紀さんのところにつながっていた。
その名前を使わずに語られた未来へ、自分たちが当たり前のように含まれている。そのことに気づいたら、床に置かれた進路希望調査が、学校に提出する紙ではなく、四人の行き先を決める地図のように見えてきた。
「創は卒業したらどうするの?」
「大学には進むつもりだ。ただし、リーインカーネーションを続けられる範囲で進学先を選ぶ。音楽を仕事にするかどうかは、全国本選が終わってから考えたい」
「僕だけ学校に残して、三人で先に卒業するなんてひどいです」
「つばめ、それは制度上どうにもならないよ」
「わかってます。卒業後も四人で続けてほしいって意味です。私が部活にいるあいだも、外のスタジオなら一緒に練習できます」
つばめの言葉を、創が現実的な予定に置き換えていく。学校外で借りられる練習場所、料金を四人で負担する方法、進学後にも合わせやすい曜日まで話が広がり、いつのまにか床の中央には、進路希望調査より具体的な予定が書かれたノートが置かれていた。
「めぐは、どうしたい?」
律に聞かれ、僕はまだ何も書いていない自分の用紙を見た。
「進学するかどうかも決めてない。でも、ギターは続けたいし、リーインカーネーションもやめたくない」
「だったら、四人の予定は同じだな」
創がノートの一番上に、『卒業後も活動継続』と書く。
つばめはその下に太い線を引き、律も異論がないことを示すように頷いた。
同じ学校を選び、同じ仕事をしなければ一緒にいられないわけじゃない。それぞれに別の生活ができても、決まった日に集まって音を重ねれば、リーインカーネーションは続いていく。
美紀さんを探すという目的がなくなったあとも、四人が同じ道を歩き続ける理由は残っていた。それは運命や前世の約束じゃなくて、今日の僕たちが自分で結んだ約束だった。
話し合いが終わると、創とつばめは顧問に全国本選の書類を届けるため、先に防音室を出ていった。
僕もギターを片づけようとしたけど、律はマイクのそばに立ったまま動かなかった。
「めぐ、本当にまだ進路を決めてないの?」
「うん。律は音楽を続けるなら、専門学校とかに行くの?」
「まだわかんない。でも、どこでもいいとは思わなくなった」
「どういうこと?」
律は床に置かれた四人分の用紙を見たあと、僕の隣まで来た。
以前なら迷わず肩に腕を回した距離で、今は触れずに立っている。その数センチが、昔より律を遠く感じさせるのではなく、彼も僕との近さを意識しているように思えて、かえって落ち着かなかった。
「めぐと一緒にいられる場所がいい」
「創とつばめとも、だろ?」
「二人ともバンドを続けたい。でも、めぐには、これから先もずっと俺の隣にいてほしい」
ステージでは、ボーカルの隣に僕が立つ。律の声にギターを重ね、彼が振り返ればすぐに音を返せる位置だ。
だからこれは、卒業してもギタリストとして隣にいてほしいという意味なのだろう。そう解釈すれば、心臓が勝手に拾い始めた別の意味を、期待になる前に片づけられる。
「僕はギターをやめないよ。全国本選でも、その先でも律の隣で弾く」
「やっぱり、そういう答えになるよな」
「違ったの?」
「違わないけど、それだけじゃない」
律の手が持ち上がり、僕の肩に触れる直前で止まった。
何をためらっているのかわからないまま、その指が引かれてしまうのが嫌で、僕は自分から律の手首をつかみ、肩に載せた。
「頼りすぎないようにしてるのかもしれないけど、急に距離まで変えられると困るよ」
「めぐは、こうされるのが嫌じゃなかったのか?」
「嫌なら、中学から何年も我慢してない」
「それも、友達だから?」
原宿まで追いかけた理由を聞かれたときと同じところに、また答えが戻ってきた。
本当のことを伝えれば、僕たちの進路はそこで二つに分かれるかもしれない。全国本選を控えた今、その危険を選ぶ勇気はなかった。
「親友だからだよ」
「そっか」
律の腕が肩に回り、以前より慎重な力で僕を引き寄せた。体温も重さも変わっていないのに、その触れ方だけが、何も考えずに距離を詰めていた頃とは違っている。
僕が親友という言葉の内側に隠れたように、律も何かを最後まで口にしなかった。
「全国本選が終わったら、めぐに話したいことがある」
「今じゃ駄目なの?」
「ちゃんと考えてから話したい。俺はずっと、自分の前世だと思っていたものと、昔見たドラマを区別できてなかったから」
「悪い話?」
「俺にとっては違う。でも、めぐがどう思うかはわかんない」
聞いてしまえば、全国本選が終わるまでその言葉の正体ばかり考えることになる。それでも、何も約束されていないまま待ち続けていた頃とは違う。律はいつか存在するかもしれない誰かではなく、今ここにいる僕に話そうとしている。
「わかった。全国が終わったら、ちゃんと聞く」
「勝っても負けても話すから、逃げないでくれよ」
「律こそ、また一人で東京に行って逃げないでよ」
「もう行かない。次に東京に行くのは、四人で全国本選に出るときだ」
卒業後にどの学校に通い、どんな仕事を選ぶのかは、まだ誰にもわからない。律が僕に何を伝えようとしているのかも、今は親友という言葉の向こうに隠れている。
それでも僕たちは、もう行き先を失ったまま立ち止まっているわけじゃなかった。
四人で進む次の目的地は全国本選で、そのステージを降りたあとには、律の言う「隣」がどこまで続いているのかを確かめる約束が待っていた。
翌朝、いつもの駅で僕を待っていた律は、謝るより先に僕の鞄を持とうとした。東京まで追いかけさせた埋め合わせのつもりだったらしいけれど、僕が断ると、今度は飲み物を奢ると言い出した。
「そうやって何でも返そうとしなくていいよ。これから練習を休まずに、東海大会でちゃんと歌ってくれれば十分だから」
「それが一番難しい注文かもしれない」
「できないと思ってるの?」
「できるようにする。ただ、前と同じように歌えるかはわからない」
美紀さんが存在しなかったと知る前と、気持ち的にまったく同じには戻れないのだろう。律が歌ってきた理由も、客席に求めていた姿も、もうどこにもないんだから。
それでも律は学校に来て、防音室に入り、マイクを握った。変わってしまったことを隠さず、今の自分が出せる声で『現在地』を歌おうとしていた。
練習を再開した最初の数日は、高い音が不安定だった。律は失敗するたびに最初からやり直そうとしたけど、三度目で創が演奏を止めた。
「遠野、今日はここまでにしたほうがいい。焦って喉を傷めれば、本番に出られなくなる」
「まだ一時間も歌ってない」
「昨日までほとんど食事も睡眠も取っていなかった人が、普段と同じ条件で考えないでください」
つばめがペットボトルを律に差し出した。蓋はすでに緩められていて、受け取る以外の選択肢を与えないところに彼らしい気遣いが表れている。
「でも、遅れた分を取り戻さないと」
「遅れてないよ。律がいなかった二日間、僕たちも完成形では練習できなかったんだから」
「俺のせいで、三人まで止まったってことだろ」
「違う。四人そろわないと先に進めない曲を、僕たちで作ったってこと」
律は反論しようとしたものの、創とつばめまで僕に頷いたため、諦めて水を飲んだ。
以前の彼なら、こんなふうに自分の不調を三人に預けなかったかもしれない。美紀さんのためなら、声が出なくなる寸前まで歌い続けただろう。しかし今は、一人で背負い込もうとするたびに僕たちが止め、その代わり、誰かが失敗した日は律も当然のように待ってくれた。
創がイントロの入りを何度も調整すれば、律は黙って同じ小節を歌い直した。つばめが後半のリズムを変えたいと言えば、全員で彼の納得する形を探した。僕がギターソロの最後で音を外したときには、律が自分も歌詞を間違えたことにして、もう一度やろうと言ってくれた。
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東海地区大会の当日、出演を待つ控室で、律は何度も両手を握ったり開いたりしていた。
緊張すると手が冷たくなるのは昔からだけれど、美紀さんのことがわかってから、人前で歌うのは今日が初めてだった。
客席にいるはずのない人を探し続けてきた律にとって、ステージそのものが以前とは違う場所に見えているのかもしれない。
「めぐ、俺、どこを見て歌えばいいと思う?」
「好きなところを見ればいいじゃん」
「前は客席を見れば、その中に美紀がいるかもしれないって思えた。でも今は、誰に向かって歌えばいいのかわからない」
僕は背負っていたギターを下ろし、律の正面に立った。
「客席を探さなくていいよ。創のベースと、つばめのドラムと、僕のギターを聞いて。それでも顔を見たくなったら、後ろを向けば僕たちがいるから」
「演奏中に何度も後ろを向かれたら困る」
機材を確認していた創が口を挟む。
「見るならギターソロの前後にしてくれ。そのほうが演出として自然だ」
「僕はいつでも構いません。律先輩が振り返るところまで想定して叩きます」
「二人とも、振り返る前提で話を進めるんだ」
「めぐがそうしろって言ったんだろ」
律の手はまだ冷たかったけれど、指先から余計な力は抜けていた。
ステージ袖に移動すると、僕たちは四人で手を重ねた。誰が最初に言い出したわけでもなく、創の手の上につばめが置き、僕が続くと、律が最後に三人分を包んだ。
「全国に行こう」
律の言葉に「おー!!」と返し、僕たちは重ねた手を押し返した。
演奏が始まってからのことは、細かな順番では思い出せない。創のベースが会場の床を伝い、つばめのドラムが背中を押し、僕の指は何度も弾いた旋律を追いかけた。
律は客席の中に誰かを探さなかった。
最初の歌詞に入る直前、彼は僕たちの音を確かめるように振り返り、それから前を向いた。そして『君の声が、僕の現在地を教えてくれる』と歌った。
結果発表でリーインカーネーションの名前が呼ばれ、僕らの優勝と全国大会への出場が決まった。
つばめは泣いていないと言い張りながら何度も頬を拭い、創は賞状を受け取る役目を律に押しつけたくせに、誰より長くその文字を眺めていた。
律は賞状を持ったまま、僕たち三人をまとめて抱き寄せた。長い腕の中で創の眼鏡がずれ、つばめの頭が僕の顎に当たり、感動的な抱擁というには窮屈すぎたけれど、誰もすぐには離れようとしなかった。
「三人とも、俺を戻してくれてありがとう」
「僕たちは脱退を認めなかっただけだ。戻ると決めたのは遠野だろ」
「律先輩、全国大会の前に、また辞めるなんて言わないでくださいね」
「言わない。もう一人で決めないって約束する」
律はそう答えると、僕の肩を抱いたまま、もう片方の腕を創とつばめにも回した。
この数日、律は以前のように僕に触れなくなっていた。頼りすぎていたことを気にしているのか、それとも僕が嫌がる可能性をようやく考えるようになったのか、並んで歩いていても、伸びてきた手が途中で止まることがあった。
だから、久しぶりに肩に感じた重さを、僕は振りほどけなかった。
美紀さんがいなくなれば、自分にも好きになってもらえるチャンスがあるかもなんて、考えたことはない。
律が失ったものは、僕が代わりに収まれるような場所じゃない。
それでも、彼が誰もいない客席じゃなく、僕たちのことを思って歌ってくれたことだけは、都合のいい勘違いに変えず、そのまま受け取ってもいい気がした。
その日の帰り、四人で撮った写真には、賞状を持つ律を中心に、創とつばめと僕が肩を寄せて写っていた。
律がこれまで残してきた写真には、いつも美紀さんが見つけてくれることへの期待があった。
でも、その一枚を誰より大切そうに保存した理由は、まだ見ぬ誰かに見せるためじゃなかった。
-------------
東海地区大会の翌週、教室で進路希望調査の用紙が配られた。
僕らはまだ二年生だから、今すぐ進学先や就職先を決める必要はない。それでも全国本選への出場が決まってから、顧問や担任に卒業後も音楽を続けるのかと聞かれる機会が増えた。
以前の律なら、東京に行って美紀さんを探しながら音楽を続けると迷わず答えただろう。
ところが昼休みに律の席を見ると、彼の用紙は名前以外すべて空欄だった。
放課後、僕たちはそれぞれの進路希望調査を防音室の床に並べた。大会の反省会をする予定だったのに、つばめが律の白紙を見つけたせいで、話題が卒業後のことに変わった。
「律先輩、本当に何も決まっていないんですか?」
「前は東京に行くつもりだった。でも、行く理由がなくなったから」
「音楽までやめるつもりじゃないだろうな?」
創に確認され、律は首を横に振った。
「歌は続けたい。美紀に見つけてもらうためじゃなくて、俺が三人と演奏したいから続ける」
以前なら、律が将来の話をするとき、どんな道も最後には美紀さんのところにつながっていた。
その名前を使わずに語られた未来へ、自分たちが当たり前のように含まれている。そのことに気づいたら、床に置かれた進路希望調査が、学校に提出する紙ではなく、四人の行き先を決める地図のように見えてきた。
「創は卒業したらどうするの?」
「大学には進むつもりだ。ただし、リーインカーネーションを続けられる範囲で進学先を選ぶ。音楽を仕事にするかどうかは、全国本選が終わってから考えたい」
「僕だけ学校に残して、三人で先に卒業するなんてひどいです」
「つばめ、それは制度上どうにもならないよ」
「わかってます。卒業後も四人で続けてほしいって意味です。私が部活にいるあいだも、外のスタジオなら一緒に練習できます」
つばめの言葉を、創が現実的な予定に置き換えていく。学校外で借りられる練習場所、料金を四人で負担する方法、進学後にも合わせやすい曜日まで話が広がり、いつのまにか床の中央には、進路希望調査より具体的な予定が書かれたノートが置かれていた。
「めぐは、どうしたい?」
律に聞かれ、僕はまだ何も書いていない自分の用紙を見た。
「進学するかどうかも決めてない。でも、ギターは続けたいし、リーインカーネーションもやめたくない」
「だったら、四人の予定は同じだな」
創がノートの一番上に、『卒業後も活動継続』と書く。
つばめはその下に太い線を引き、律も異論がないことを示すように頷いた。
同じ学校を選び、同じ仕事をしなければ一緒にいられないわけじゃない。それぞれに別の生活ができても、決まった日に集まって音を重ねれば、リーインカーネーションは続いていく。
美紀さんを探すという目的がなくなったあとも、四人が同じ道を歩き続ける理由は残っていた。それは運命や前世の約束じゃなくて、今日の僕たちが自分で結んだ約束だった。
話し合いが終わると、創とつばめは顧問に全国本選の書類を届けるため、先に防音室を出ていった。
僕もギターを片づけようとしたけど、律はマイクのそばに立ったまま動かなかった。
「めぐ、本当にまだ進路を決めてないの?」
「うん。律は音楽を続けるなら、専門学校とかに行くの?」
「まだわかんない。でも、どこでもいいとは思わなくなった」
「どういうこと?」
律は床に置かれた四人分の用紙を見たあと、僕の隣まで来た。
以前なら迷わず肩に腕を回した距離で、今は触れずに立っている。その数センチが、昔より律を遠く感じさせるのではなく、彼も僕との近さを意識しているように思えて、かえって落ち着かなかった。
「めぐと一緒にいられる場所がいい」
「創とつばめとも、だろ?」
「二人ともバンドを続けたい。でも、めぐには、これから先もずっと俺の隣にいてほしい」
ステージでは、ボーカルの隣に僕が立つ。律の声にギターを重ね、彼が振り返ればすぐに音を返せる位置だ。
だからこれは、卒業してもギタリストとして隣にいてほしいという意味なのだろう。そう解釈すれば、心臓が勝手に拾い始めた別の意味を、期待になる前に片づけられる。
「僕はギターをやめないよ。全国本選でも、その先でも律の隣で弾く」
「やっぱり、そういう答えになるよな」
「違ったの?」
「違わないけど、それだけじゃない」
律の手が持ち上がり、僕の肩に触れる直前で止まった。
何をためらっているのかわからないまま、その指が引かれてしまうのが嫌で、僕は自分から律の手首をつかみ、肩に載せた。
「頼りすぎないようにしてるのかもしれないけど、急に距離まで変えられると困るよ」
「めぐは、こうされるのが嫌じゃなかったのか?」
「嫌なら、中学から何年も我慢してない」
「それも、友達だから?」
原宿まで追いかけた理由を聞かれたときと同じところに、また答えが戻ってきた。
本当のことを伝えれば、僕たちの進路はそこで二つに分かれるかもしれない。全国本選を控えた今、その危険を選ぶ勇気はなかった。
「親友だからだよ」
「そっか」
律の腕が肩に回り、以前より慎重な力で僕を引き寄せた。体温も重さも変わっていないのに、その触れ方だけが、何も考えずに距離を詰めていた頃とは違っている。
僕が親友という言葉の内側に隠れたように、律も何かを最後まで口にしなかった。
「全国本選が終わったら、めぐに話したいことがある」
「今じゃ駄目なの?」
「ちゃんと考えてから話したい。俺はずっと、自分の前世だと思っていたものと、昔見たドラマを区別できてなかったから」
「悪い話?」
「俺にとっては違う。でも、めぐがどう思うかはわかんない」
聞いてしまえば、全国本選が終わるまでその言葉の正体ばかり考えることになる。それでも、何も約束されていないまま待ち続けていた頃とは違う。律はいつか存在するかもしれない誰かではなく、今ここにいる僕に話そうとしている。
「わかった。全国が終わったら、ちゃんと聞く」
「勝っても負けても話すから、逃げないでくれよ」
「律こそ、また一人で東京に行って逃げないでよ」
「もう行かない。次に東京に行くのは、四人で全国本選に出るときだ」
卒業後にどの学校に通い、どんな仕事を選ぶのかは、まだ誰にもわからない。律が僕に何を伝えようとしているのかも、今は親友という言葉の向こうに隠れている。
それでも僕たちは、もう行き先を失ったまま立ち止まっているわけじゃなかった。
四人で進む次の目的地は全国本選で、そのステージを降りたあとには、律の言う「隣」がどこまで続いているのかを確かめる約束が待っていた。

